21:誓いのキスを
周囲が静まり返り、サァと抜けていく風の音だけが響く。
その沈黙を破ったのは、ゆっくりと身を引いたマリユス。
「全部片付いた。これでようやくお前を本気で口説けるよ、シャーロット」
という彼の口説き文句は、もちろんシャルに向けられたものだ。
……ものだが、目を丸くさせて硬直するシャルに届いているかどうかは定かではない。というか殆どの者が突然のキスシーンに唖然とし、碌に聞いて居たか怪しいところである。
唯一といえばローディスだ。彼だけは「お見事」とマリユスの行動を褒めている。
「よし、固まってるうちにシャルを馬に乗せよう。意識が戻っても馬上なら襲い掛かってこないだろ。最悪襲い掛かってきても俺の馬の方が速い」
「固まってるうちに馬に乗せて平気なのか?」
「シャルの馬は頭が良いから、落としたりしないだろ。だが乗せるならローディスより……キャス、悪いが手伝ってくれないか。キャス、キャス」
「キャスの意識を戻すなら俺に任せろ。ここに間食用のチーズがある。これを目の前に晒せば、匂いにつられてチュウチュウと……」
「ネズミじゃないよ!」
二人の会話と、そしてふわりと漂うチーズの香りでキャスリーンが意識を戻す。――残念ながらこれで意識を戻してしまったのだ。ローディスが「ほら効果的だろ」と笑いながらキャスリーンの口にチーズを放り込んできた――
だが今はそんなローディスの態度を咎めている場合ではない、なにせ……。
(人がキスしてるところなんて初めて見たわ……!)
目の前で見せられたキスシーンの余韻に頬を赤くさせつつ、キャスリーンがシャルを馬上に乗せる。ついでに彼女の馬に「落とさないであげてね」と伝えれば、主に似て精悍な顔つきの馬がふんと鼻を鳴らした。
そうして硬直しているシャルを乗せ、馬がゆっくりと足を進める。その速度は遅く、マリユスがシャルの背を押さえつつだが、それでも徐々に彼等の背が小さくなっていく。
突如現れたかと思えば、別れの挨拶どころではない驚きを残して去っていく。なんとも嵐みたいな騎士達ではないか。
「……まだドキドキしてる」
とキャスリーンが自分の胸元を押さえつつポツリと呟いたのは、そんな彼等の背が見えなくなってしばらく。シャルとマリユスのキスシーンが脳裏に残り、いまだ落ち着きを取り戻せずにいるのだ。
ほぅと吐息を漏らせば、まるでそれに応えるように隣から「……驚いた」と小さな呟きが聞こえてきた。見ればアルベルトが藍色の瞳を瞬かせている。
「マリユスがシャルのことを……全く気付かなかった。やっぱり俺は鈍いんだな」
今までの自分の鈍感さを実感したのか、アルベルトが盛大に溜息を吐く。
そんな彼の腕を擦って宥めれば、続くように我に返ったロイが「しかし見事に見せつけてくれたよな」と話し出した。心なしかニンマリと笑っており、いち早く片割れの意図を察したのかローディスも笑みを浮かべている。――彼等の表情に、アルベルトとキャスリーンの中で嫌な予感が浮かんだのは言うまでもない――
「俺達の前でキスなんてやってくれるよ」
「あぁ、まったくだ。人前でキスなんて、冷やかしてくれって言ってるようなもんだ。そういえば、ナタリア様が今度面白いもの見せてくれるって言ってたな」
「そうだったな。なんでも俺達の分のオペラグラスも用意してるとか……楽しみだ」
「あぁ、楽しみだな」
ローディスとロイが楽しげに話す。彼等の笑みの悪戯っぽさと言ったら無い。
そんな彼等に対してキャスリーンとアルベルトもまた顔を見合わせた。
「……面白いもの」
「……オペラグラス」
まさか……と二人の額に汗が伝う。
だがそんなキャスリーン達を横目に、双子は相変わらず楽しそうに笑いながら「何か教えてもらいに行こう!」と歩き出した。
彼等の向かう先はどこか……トルステア家だ。
そこでナタリアが彼等に何を教えるのか。オペラグラスで何を見るのか。
これはまずい! とキャスリーンとアルベルトが同時に顔色を青ざめさせ、ばっと揃えたように双子へと向き直った。
「ローディス、待って!」
「ロイ、行くな!」
と声を荒らげる。
もっとも、声を荒らげたもののそこに双子の姿はない。元より彼等は足が速く、悪巧みのための逃走となれば驚異的な速さを見せるのだ。
きっと今頃ご機嫌に笑いながらトルステア家へと向かっている事だろう。
あぁ、これは間に合わないわ……。
キャスリーンが盛大に溜息を吐く。母親ながら厄介なナタリアに、悪戯好きの双子。そんな彼等に弱みを――それも別れ際のキスという恥ずかしい弱みを――握られてしまうなんて。
当分は冷やかされるのだろう。そう考えて肩を落とせば、アルベルトが悔しそうに「あいつらめ」と呟いた。
「諦めましょうアルベルト隊長。冷やかしも聞き流せば良いんです……」
「そうだな。……だがあいつらに冷やかされ続けるのも癪だ。なぁキャス」
「はい?」
どうしました? とキャスリーンがアルベルトを見上げる。
その瞬間に紫色の瞳を丸くさせたのは、見上げた先に彼の顔があったからだ。いつのまに寄ったのか、目の前に迫っている。藍色の彼の瞳に、目を丸くさせる自分の顔が映っているのが見えた。
ぶつかる。そうキャスリーンが咄嗟に目を瞑った。
だが実際に訪れたのはぶつかる等という大袈裟なものではなく、擽るような軽い接触。
……唇に。
「キャス、あいつらに冷やかされても当然だと言えるようにしないか?」
「……当然?」
「あぁ、『夫婦なんだから当然だろう』って。そう俺と一緒にあいつらに言い返そう」
穏やかに微笑みながら告げられるアルベルトの言葉に、キャスリーンがパチンと瞳を瞬かせた。そうして「夫婦……」と譫言のように呟き、ゆっくりと頬を赤くさせた。
胸の内に暖かな熱が灯る。『夫婦』という言葉が胸に溶け込んでいく。
どんな凍てついた氷も蕩ける、甘くて優しい、氷騎士らしからぬ、そしてキャスリーンの知るアルベルトらしいプロポーズではないか。
幸福感が胸の内に湧き、そして体中に満ちていく。
その思いのまま頷いて返せば、アルベルトが嬉しそうに笑う。そうして彼の手がゆっくりと伸び、キャスリーンの頭に載った。
髪を撫で、三つ編みを揺らす。次いでスルリと滑るようにキャスリーンの肌を撫で、頬に触れてきた。大きな手で頬を包み、親指が擽るように唇に触れる。
「キャス、キャスリーン、俺と結婚してくれ」
じっと見つめながらアルベルトが乞うように告げてくる。再び彼の親指がキャスリーンの唇をなぞるのは、答えを求めているからだろうか。それにしては唇に触れて話をさせてくれない。
その甘くくすぐったい動きに、キャスリーンが自分の頬に触れる彼の手に己の手を重ねた。
唇をなぞる彼の親指に触れ、そっと離す。そうして小さく吐息を漏らし、胸に湧く幸福感のまま返事をした。
もちろん「はい」と。
だが続いて言おうとした「嬉しい」という言葉は、感極まったと言いたげに触れる彼の唇に飲み込まれてしまった。
…End…
『お飾り聖女は前線で戦いたい!』
第二章、これにて完結です!
お砂糖多めでお送りした第二章、如何でしたでしょうか?
本編は完結しましたが、双子がしてやられる短編・お母様聖女時代の短編を考えておりますので、そちらをお届けしたら完結表示にしたいと思います。
もう少しお付き合い頂けたら幸いです。




