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20:賑やかな別れ…どころではない


 他愛ない会話を交わし、見送りの場へと向かう。

 といってもマリユスもシャルも船や馬車で来たわけではなく、自分達の愛馬だ。これといって出発の地はなく、それでも市街地の端の開けた場所が自然と別れの場になっていた。


 既に荷を馬に乗せたマリユスとシャル、それにローディスとロイ。

 彼等の表情に別れの湿っぽさはない。それどころか晴れやかだ。とりわけマリユスは晴れ晴れとした表情をしている。不正を正し故郷に戻る、悲願が達成されたのだから当然だろう。


「キャス、わざわざ悪いな。今回の事でどうしてもきちんと礼が言いたかったんだ」

「いえ、私の方こそありがとうございました。二人が居なければバクレールの不正も知らずにいるところでした」

「そう言ってくれると、わざわざ来たかいがあった。だが俺達だけじゃどうにもできなかった、キャスのおかげだ」


 感謝の言葉を口にしつつ、マリユスが握手を求めるように手を伸ばし……、横から腕を掴まれた。またもアルベルトである。

 これにはキャスリーンもパチンと瞳を瞬かせて唖然とした。応じようと上げかけた手が中途半端な高さで止まる。腕を掴まれているマリユスは唖然とするどころか頬を引きつらせているのだが。


「アルベルト、俺は握手しようとしただけだ」

「そうか、それなら良かった」


 パッとアルベルトがマリユスの手を離す。だが手を離す際に「握手だけ(・・)だよな」と念を押すあたり、頭を撫でるのではないかと危惧しているのだろうか。

 彼の分かりやすい独占欲にキャスリーンも苦笑を浮かべ、今度こそ邪魔されることなく差し出されるマリユスの手を握って返す。

 次いで視線を向けたのはシャルだ。彼女は今のやりとりを呆れたと言いたげに見守り、キャスリーンの視線に気付くとコホンと咳払いをした。心なしか居心地が悪そうで、話し出そうとしてもムグと言い淀んでいる。


「えっと、その……キャス、足手纏いなんて言ってすまなかった」

「シャル……」

「正直に言おう、バクレールでキャスが援軍を連れてきてくれなければ負けていただろう。足手纏いなどと言って助けてもらう、私が誰より情けないな」

「そんなことない!」


 自虐めいて己の不甲斐なさを語るシャルに、慌ててキャスリーンが否定する。


「私が騎士として未熟なのは事実だわ。だからこそ聖女としてバクレールに向かっただけ。剣を扱う騎士としてなら貴女の方が立派だし、私、貴女みたいな騎士になりたい!」


 彼女の事を褒め、キャスが片手を差し出した。一時は一騎打ちまでした仲だが、それでも共に戦いバクレールの不正を正したのだ。

 互いに友情を抱いている、少なくともそうキャスリーンはそう感じていた。

 そんなキャスリーンの意思を察したのか、シャルが苦笑を浮かべつつもキャスリーンの手を握ってきた。

 剣の柄を握る時こそ力強いと感じていた彼女の手は、実際に触れると白く細くまさに女性の手だ。こんな細い手で勇ましく戦っていたのかと考えれば、キャスリーンの中で憧れが募る。


「シャル、また王都に来てね。私それまでに強くなっているから、また一騎打ちしましょう」

「あぁ、その時は市街地の観光案内も頼む」

「任せて! 騎士が好む美味しいお酒を出すお店も、令嬢が好む美味しい紅茶を出すお店も熟知してるわ!」


 エスコートは完璧よ! とキャスリーンが意気込めば、シャルが楽し気に笑った。今まではバクレールの事があり張り詰めていたのだろう険しい表情ばかりだった彼女だが、こうやって穏やかに笑うとどこか幼さすら感じさせる。麗しく、愛らしい笑顔。それでいて中性的な魅力もある。

 だが次いで彼女はその表情を切なげなものに変え、アルベルトへと向いてしまった。キャスリーンとシャルのやりとりを微笑まし気に見守っていたアルベルトが、いったいどうしたのかと不思議そうにシャルを呼ぶ。


「シャル、どうした?」

「……アルベルト。確かにここに比べてバクレールは何もない土地だ。娯楽も少なく、華やかさもない。今回の事でしばらくはごたつくだろう。だけど……それでも……!」


 一度言い淀み、意を決したと言いたげにシャルがアルベルトを見上げた。彼女の黒く艶のある髪が揺れる。

 対してアルベルトはじっと彼女を見つめ、まるで言わずとも分かっていると言いたげに深く一度頷いた。


「何があっても俺にとってバクレールは故郷だ」

「アルベルト……それなら」

「近いうちに、手土産を持って皆で遊びに行くよ」

「……遊びに?」

「あぁ、その時はシャルが案内してくれ」

「そうか……。そうだな、任せてくれ。昔通った店も、新しく出来た店も、全て案内するよ。観光に来てくれ」


 穏やかに笑い、シャルがアルベルトと握手を交わす。

 その姿は昔馴染みの騎士だ。二人共晴れ晴れとした表情で、バクレールでの事があっても彼等の友情が変わりないと分かる。

 なんとも清々しい光景ではないか。そんな二人のやりとりに割って入ったのは、パン!と手を叩く軽い音。鳴らしたのはマリユス、まるでこれで話は終わりだと言いたげだ。

 いったいどうしたのかと誰もが視線を向ければ、彼は相変わらず爽やかな笑顔を浮かべつつもアルベルトとシャルの間に割って入った。


「アルベルト、キャスと是非バクレールに遊びに来てくれ。遊びに……いや、いっそ新婚旅行で来てくれてもいいな」

「なっ……新婚旅行!?」

 

 マリユスの突然の発言に、アルベルトが声を上げる。隣に立つキャスリーンも、これにはポッと頬を赤くさせてしまった。

 アルベルトがマリユスを睨み付け「突然ふざけたことを言うな」と彼を咎める。もっとも、咎めこそしつつも小声で「そういう事は俺達二人で決めるもんだ」と呟くあたり、マリユスの話は彼にとって突然でこそあるものの絵空事ではないのだろう。

 アルベルトの意味深な呟きに、キャスリーンの頬がより赤くなる。

 新婚旅行は二人で決める……それはつまり……。

 思わず胸の内に期待が高まり横目ながらアルベルトを見つめれば、視線に気付いた彼が咳払いをした。きっと照れ隠しの咳払いだろう。アルベルトの頬もキャスリーンほどではないが少し赤い。

 そんなアルベルトとキャスリーンの胸中もお構いなしなのか、マリユスは「良い話だろ」と話を続けている。それどころか名案を思い浮かんだと言いたげに「勝負しよう」と続けた。


「勝負?」

「あぁ、アルベルトとキャスが新婚旅行でバクレールに来るのが先か、それとも……」


 言いかけ、マリユスが傍らに立つシャルへと手を伸ばし、彼女の腰に手を掛けるとグイと抱き寄せた。

 シャルの黒髪が揺れる。「わっ……!」と咄嗟にあげられた彼女の声は高く女性らしい。


「アルベルト達より先に、俺とシャルが新婚旅行で王都に来るのが先か。なぁ、悪くない勝負だろ」


 マリユスの提案に、アルベルトとキャスリーンが唖然とする。

 だが二人より衝撃を受けたのはもちろんシャルだ。

 彼女は自分の置かれた状況が分からないと呆然とし、はたと我に返ると今度は表情を険しくさせて己を抱き寄せるマリユスを睨み付けた。


「マリユス、お前また馬鹿なことを!」

「案外に俺達が先かもな。なぁシャーロット」

「だからシャーロットと呼ぶな。いいだろう、バクレールに戻る前に一戦……え?」


 普段通り剣の柄に手を掛けようとしたシャルが声をあげる。

 彼女を抱き寄せていたマリユスの手が、そうはさせまいとシャルの手をガッチリと握っているのだ。手ごと押さえられ、動きを制限されたシャルがマリユスの腕の中でもがく。

 これには思わずキャスリーンも目を丸くさせてしまった。

 今までの流れと違う。以前であれば、シャルが剣を抜こうとすればマリユスは慌てて手を引くのに。だが今に限って彼は引くことなく、普段通りの爽やかな笑顔のまま半ば無理やりにシャルを抱き寄せている。


「お、おいマリユス……冗談が過ぎるぞ……!」


 普段と違うと感じ取ったか、シャルの声に焦りの色が浮かぶ。

 それを聞き、キャスリーンもまたどうしたのかとマリユスに問おうとし……、


「ふぐぅ」


 と口を押えられた。出掛けた言葉がくぐもった――少し間抜けな――声に代わる。


ふーふぐ(ローディス)


 キャスリーンが振り返り、背後から自分の口を塞ぐ人物の名を呼んだ。

 いったいどういうわけか、ローディスがにんまりと笑っている。笑ったまま、キャスリーンの口を塞いでいるのだ。


ふぐふぐぐ(どうしたの)?」

「キャス、ちょっと静かにしてような」

ふぐっぐ(わかった)


 ローディスに口を塞がられたまま頷いて返す。――口を押さえられているためキャスリーンはふぐふぐとしか声を出せていないが、どうやら通じているらしい――

 そんなやりとりを疑問に思ったのか、今度はロイが「何やってるんだ?」と声をかけてきて……そして間髪入れず放たれたローディスの一撃を脇腹にくらい、「ぐぅっ!?」と呻いて頽れて行った。


ふぐー(ロイー)!?」

「すまないロイ、こうするしか無かったんだ」


 なんと恐ろしい黙らせ方だろうか。ロイが脇腹を押さえて蹲っている。

 だがいったいどうしてローディスはそこまで自分達を黙らせたいのか。疑問を抱いてキャスリーンがアルベルト達に視線を向ける。

 キャスリーン達の一連のやりとりに気付いているのかいないのか、気付いたうえで「あいつらは何やってるんだ」と呆れて関わるまいと決めたのか、アルベルト達はいまだ三人で話している。もちろん、シャルもまだマリユスの腕の中だ。


「マリユス、どうしたんだ」

「悪くない話だろ。王都には観光する場所が多いし、旅行にはピッタリだ」

「あぁ、確かにそうだが」

「だがバクレールだって領主が変われば土地も変わる。だだっ広いだけの土地も上手くやれば観光地になる。王都とは真逆の、自然溢れる長閑な田舎。良いじゃないか」

「そうなると良いな」

「お前達がくるか、俺達がいくか、どっちが勝っても縁起がいい。悪い勝負じゃないだろ」


 なぁ、とマリユスが提案する。

 だがそれに対して「ふざけるな!」と声が割って入ってきた。言わずもがなシャルである。

 その声には焦りと怒りが綯交ぜになっており、仮に腕が自由に動かせれば今この瞬間にも剣を抜いてマリユスに切りかからん勢いだ。


「マリユス! なに馬鹿な事言ってるんだ!」

「さっきから馬鹿な事って……バクレールが栄えるのは良い事だろ」

「それはそうだが、どうして私達が新婚旅行なんて!」

「エネット家の不正が裁かれ、騎士団の腐敗も一掃された。しばらくはゴタゴタするが、それもいずれ落ち着くだろ」

「そ、そうだが……。だからって、どうして新婚旅行なんて」


 それがどうして新婚旅行等という話に飛躍するのか。それをシャルが問おうとし……言葉を失った。というより、言葉を発する事が出来なくなった。

 彼等のやりとりを見ていたキャスリーンが目を丸くさせる。否、キャスリーンだけではない。脇腹を押さえていたロイも、アルベルトも。目を丸くさせ、それどころか口を半分あけて唖然としている。

 とりわけアルベルトの驚きようと言ったら無い。目の前の、昔馴染みのキスシーンに藍色の瞳を丸くさせ硬直している。


 ……そう、昔馴染みの。

 …………マリユスとシャルのキスシーン。



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