19:戦いを終えて
バクレールでの一線を終えた数日後、慌しい日々もようやく終わりを見せた。
あの闘いの後、捕えた者達から事情を聴きだしエネット家の不正を暴いた。今まで後手に回っていた王宮も、さすがに聖女自ら動き、全ての騎士が事情を知ったのならば動かざるを得ない。むしろ今ここで後手に回れば王宮の判断を糾弾されかねないのだ。
慌てて調査を進め、エネット家を処断する。いかに飛躍的にツテを広げた家とはいえ王宮相手には敵わず、エネット家に取り込まれていた騎士達も処分を受け入れた。
「しばらくは領民から白い目で見られるかもしれない。だけど残された者達は清廉潔白だと証明された。いつか理解してくれるはずだ」
そう話すシャルの表情は凛とした美しさの中に晴れ晴れとした清らかさがある。エネット家との内通がバレて捕えられた者の中にはかつての仲間も少なくなかっただろう、それでも不正を正せたのだと言いたげだ。
揺るがぬ正義を抱く彼女の姿は美しく見え、キャスリーンはほうと吐息を漏らしてしまう程だった。
なんて凛々しい騎士だろうか。私もいつか彼女みたいに……と、憧れが募る。
だがシャルが誇らしげにしているのも当然だ。それどころかマリユスも満足そうで、王宮関係者からの報告を聞いてはどこか上機嫌で返している。彼等の悲願がようやく達成されたのだ。
隣国を巻き込もうとしていた不正を、寸でのところで防ぐことが出来た。それどころか、防ぐと共に不正を全て暴き、エネット家の息が掛かった騎士内を一掃することも出来たのだ。
一度始まれば事態が進む速さはあっと言う間で、とんとん拍子で話が進む。
今まで黙殺されていた報告書も引っ張りだされ証拠となり、領民の訴えがようやく声になって王宮に届いたのだ。
ちなみに、このとんとん拍子具合にシャルが「私達が訴えた時に動いて居れば……!」と忌々し気に呟いたが、幸いそれを聞いたのは彼女の隣に居たマリユスだけだった。彼はシャルの頭をぽんぽんと撫でて宥め……次いで彼女の手が剣の柄に掛かっているのを見て慌てて引っ込めた。
そうして全てが終わり、証人として残っていたマリユスとシャルがバクレールに戻る日。
もちろんキャスリーンも彼等を見送る予定でいた。だが午前は聖女としての職務があり、そわそわと何度も時計を見上げてしまう。
落ち着かない。シャル達はキャスリーンが見送りに来るのを待っていてくれると話していたが、バクレールまで戻る事を考えれば彼等だって時間に余裕を持って発ちたいはずだ。
そんな焦りが顔に出ていたのか、チラと時計を見上げた瞬間、隣に立つナタリアに小さく笑われてしまった。
「キャスリーン、落ち着きなさい、そんなに急がなくても大丈夫よ」
「べ、別に何も急いでなんかいないわ」
「安心しなさい、お昼ご飯は逃げないから」
「それを心配してるわけじゃないの!」
ナタリアに茶化され、キャスリーンが怒りを露わに訴え……はたと自分の口元を押さえた。咄嗟に『それを心配してるわけじゃない』と言ってしまったが、これでは他の心配事があると言っているようなものではないか。
見ればナタリアはこれでもかと悪戯っぽく笑い、それどころか謁見の間に居る者達も愛でるような視線を向けてくる。
先日の、キャスリーンが聖女として彼等に指示を出した時のような張り詰めた空気は一切なく、絢爛豪華な室内は温かい空気で溢れている。
もっとも、いかに温かくとも今のキャスリーンには気恥ずかしさを増させるだけだ。せめてとジロリと隣に立つナタリアを睨み付ける。
「お母様、はかったわね……!」
「何のことかしら。ところでキャスリーン、今日の聖女の執務はこれで終わりよ」
終了、と言いたげにナタリアが笑う。これにはキャスリーンがパチンと瞬きをし、謁見の間を見回した。次いで時計を見上げる、午前の執務終了まで大分早い。
以前にも謁見の間の面々はキャスリーンの胸中を察し、職務を早めに切り上げさせてくれた。バクレールでの一件があった日も、結局職務は中途半端に終わり、その後は慌しく過ごし、ようやく今日落ち着いて過ごせるようになったのだ。
だというのに、今日も早く切り上げてしまうのは……とキャスリーンが申し訳なく彼等に視線をやれば、ヘインやマーサが穏やかに笑っている。
普段ならば、やれ腰が痛いだの髪が痛んだだのと訴えてくるはずだ。だというのに今日に限って彼等は何も訴えはせず、それどころか今日は忙しいから早く退出すると言い出した。
「いやはや申し訳ありません、私達も忙しくて」
「忙しいの?」
「えぇ、バクレールの不正を調べて、孫を追いかけて、エネット家の処断を勧め、孫を抱き上げて、社交界を落ち着かせて、孫を高い高いしてやらなくてはいけないんです」
「それは忙しいわ。……でも程々にね」
「私も、公爵家当主として働く夫を支え、より艶のある髪になるよう手入れをし、社交界に間違った噂が蔓延るのを制止して、肌の白さを保つクリームを塗り、今回の事件で不安がる若い令嬢達を宥め、より細い腰の括れを得るための運動をしなければならないんです」
「マーサ夫人も多忙ね。……あとでその運動教えてちょうだい」
彼等の訴えにキャスリーンが微笑んで返せば、他の者達もこれから仕事がだのと口々に話しだす。そうして皆が己の忙しさを訴えると、一人また一人とキャスリーンに頭を下げて謁見の間を去っていく。
その姿はかつてベール越しに見送っていた光景そのもので、堪らずキャスリーンが立ち上がった。
「皆、明日も来てね! 私、明日はちゃんと皆の為に力を使うから!」
だから! とキャスリーンが訴える。今すぐにシャル達を見送りに行きたいと思う反面、彼等と分かれるのを惜しいとも思えるのだ。
なにせ彼等はキャスリーンの指示に応じて国を動かしてくれた。今でこそ「忙しい忙しい」と間延びした声をあげているが、あの時の迅速さを考えると大変な仕事だっただろう。
彼等が居なければ、キャスリーンは無力な騎士として王宮の通路に蹲るしかなかった。それを考えると、あの時解決策に気付いて視界が輝いた瞬間を思い出すと、明日も彼等と会いたいと思うのだ。
その思いのままに告げれば、ヘイン達が嬉しそうに笑いながら一度頭を下げて去っていった。
そうして最後の一人が謁見の間を去れば、残されたのはキャスリーンとナタリア、それにブレントの三人。気付けば家族だけになり、キャスリーンがほぅと一息吐いた。
「さぁ、私も働かなきゃな」
「お父様も忙しいの?」
「あぁ、トルステア家の当主として今回の件を片付けて、可愛い聖女の娘を見守って、先代聖女の護衛をして、可愛い騎士の娘を見守って、先代聖女を見守らなきゃいけないからな」
「お父様も多忙ね」
「あぁ、特に先代聖女を見守るのは骨が折れる。そういえば、先日もなんだか突然オペラグラスを買いに行くと言い出してな」
「入念な警護と監視をお願いするわ!」
キャスリーンが慌ててブレントの手を掴んで訴える。対してブレントは突然の娘からの懇願に、わけが分からないと言いたげながらに「あ、あぁ分かった」と頷いた。ナタリアだけがコロコロと優雅に笑っており、その悪戯っぽい笑みの楽し気なことと言ったら無い。
そんなナタリアを横目に、キャスリーンがコホンと咳払いをした。そうして部屋を出て行ったヘイン達に、そしてブレントに続くように「私も多忙だわ」と話し出す。
「聖女として感謝を抱き、騎士として友情を持って、今回の件で国のために働いてくれた二人の騎士を見送らなきゃ!」
そう告げてキャスリーンが勢いよく立ち上がれば、ブレントが優しく笑う。
次いで「たまには父にも撫でさせておくれ」とキャスリーンの頭を撫でてきた。
もちろんこれはアルベルトが頻繁にキャスリーンの頭を撫でている事を言っているのだ。父にまで冷やかされた気がして、キャスリーンの頬が赤くなる。おまけにその赤くなった頬をナタリアが突っついてくるのだ。
父に頭を撫でられ、母に頬を突かれ、この恥ずかしい親子のコミュニケーションにキャスリーンが痺れを切らし「急がなきゃ!」と声をあげた。振り払うようにパッと彼等のもとから離れて部屋の奥に飾られているレイピアへと向かう。
「あら、キャスリーンは私達に頭を撫でさせてくれないらしいわ。親離れねぇ」
「寂しいなぁ」
「嬉しそうに言わないで!」
レイピアを腰から下げ、キャスリーンがツンと澄まして扉へと向かう。そうして一度くるりと振り返れば、白を基調とした美しい正装の裾が翻る。
「行ってきます」と告げれば、ナタリアとブレントが寄り添いながら手を振ってくれた。
王宮の外は眩しい程に日の光が降り注ぎ、まさに出発日和である。
少し強めの風は心地好く、キャスリーンの金の髪を揺らす。
(きっとマーサ夫人は日が強いとか日傘が揺れるって文句を言うわね。日傘をさす暇もなく彼女を日の元に引っ張ってみようかしら)
日焼けすると悲鳴をあげるだろうか、それとも案外に日の光が気持ち良いと自分の考えを撤回するだろうか。もしかしたら日の光を浴びる美容法を開発してしまうかもしれない。
そんな事を考えつつ、キャスリーンが予定の場所へと向かう
その途中で見覚えのある姿を見つけ、堪らず駆け出した。高い身長、鍛えられてはいるもののすらりとしたしなやかな体つき、強い風が藍色の髪を揺らす。……アルベルトだ。
彼はキャスリーンに気付くと穏やかに笑い、「キャス」と愛し気に名前を呼んでくれた。
「アルベルト隊長、どうしたんですか?」
「シャルに迎えに行けってせっつかれたんだ」
「シャルに?」
「あぁ。見送りの場に行ったらキャスはどこだと聞かれて、今は王宮で聖女の職務だと答えたら『さっさと迎えに行け!』って。なんだか分からないが、凄い勢いだった」
「なんでしょうね?」
よく分からないとキャスリーンが首を傾げれば、アルベルトも同じくと言いたげに頷いた。――仮にここにローディスが居れば盛大に溜息を吐いただろう――
だがシャルがせっついた理由は分からずとも、アルベルトが迎えに来てくれたのは純粋に嬉しい事だ。キャスリーンが小さく笑みを浮かべ、彼の隣にちょこんと立った。
バクレールの件で後始末を任され、アルベルトはしばらく忙しくしていた。第四騎士隊の訓練や任務にも顔を出せず、キャスリーンも彼とあまり過ごせなかったのだ。
日課であるトルステア家までの見送りも出来ず、ここ最近はローディスとロイが送り役を担ってくれていた――キャスリーンとしてはローディスとロイにはあまりトルステア家に近付いて欲しくなかった。もちろん、彼等がナタリアと組めば自分の手に負えなくなるのは目に見えて明らかだからだ――
だが今は違う。アルベルトと二人きりだ。もちろん周囲に人はいるが、キャスリーン達を冷やかしたりはしない。
見送りの場まで僅かとはいえ、二人で歩く今の時間はまるで会えずに居た時間を取り戻すかのようではないか。アルベルトも同じことを考えたのだろう、彼も嬉しそうに微笑み、「行こう」と声をかけるとゆっくりと歩き出した。




