18:心は共に
数え切れないほどの人数の吠える声、そして馬の足音。それらが一瞬にして湧き上がり、何かと判断する暇も与えず乱戦の場に押し込んできた。
その勢いはまるで雪崩のようで、いち早く辞退を察し逃げに転ずる賊達すらも打ち倒し捕えていく。
アルベルトも見覚えのある統率、何度も合同訓練をした騎士隊の動きだ。
「……なんで、王都の騎士が」
突如形勢が逆転し、アルベルトが事態の理解が追い付かないと呆然とする。
第一騎士隊の一人がこちらへと声を掛けてくるのは、きっと乱戦の場から離れた安全な地へ誘導するためだろう。ひとまずアルベルトがそれに従えば、シャルとマリユスも彼等に救助されているのが見えた。
同じようにローディスとロイもいるが、彼等は唖然とするどころか第四騎士隊の姿を見つけて楽しそうに手を振っている。――双子の適応力はさすがだが、仲間と合流しつつも「なんでお前達来たんだ?」「なんかあったのか?」と呑気に話しているあたり、事態を理解しているわけではなさそうだ――
そんな光景をアルベルトが唖然としつつ眺めていると、「アルベルト隊長!」と聞きなれた声が聞こえてきた。先程まで脳裏に蘇っていた思い出の中の声、だが今それは乱戦の騒音に掻き消されつつも確かに耳に届く。
「キャス!」
アルベルトが名を呼べば、キャスリーンが駆け寄ってくる。
そうして目の前まで近付くと、勢いを緩めることなく抱き着いてきた。
「アルベルト隊長……! ご無事で良かった!」
「キャス、なんで……。これは?」
腕の中の彼女を抱きしめつつ、いったいどういう事なのかとアルベルトが尋ねる。
それに対してキャスリーンは涙ぐんだ瞳で彼を見上げつつ、今までのことを話しだした――この際なので、「ほらやっぱりキャス不足だった」だの「補充中の札をかけよう」だのと話している双子や、「戦場であいつらは!」と闘志を更に燃やして乱戦の中に再び向かっていくシャル、それを溜息交じりで追いかけるマリユス……といった面々の事は見ないでおく――
話はキャスリーンがローディス達を見送り、ナタリアに自分の権力に気付かされた直後に遡る。
謁見の間で恭しく頭を下げて指示を待つ面々に、アルベルト達を助けたいと訴えたのだ。必死な説得は果たして国の至高である聖女らしかったかどうかは定かではないが、それでもヘイン達は二つ返事で了承してくれた。
……そして、そこからあっと言う間だった。
物事は目まぐるしく進み、気付けば王宮の外には第一から始まる全ての騎士達が出撃準備を終えていた。その間は本当に僅かという短時間で、まるでキャスリーンが紫の瞳をパチンと一度瞬かせた一瞬のようだった。
だが唖然としつつも王宮を出れば、確かに騎士達が待ち構えているのだ。皆がキャスリーンの姿を見て頭を下げ、いつでも出撃出来ると各騎士隊の隊長が告げてくる。
「まさかあれほどなんて……。危うくまた置いていかれるところでした」
そうキャスリーンが思い返して話す。
目の前であっと言う間に準備が整い、圧倒されているうちに第一騎士隊の隊長が出撃の合図を告げたのだ。騎士達に敬礼され、ようやく我に返ったキャスリーンが慌ててレイピアを手に同行を名乗り出た。
あと少しでも我に返るのが遅ければ、唖然としたまま彼等を見送っていただろう。危なかったとキャスリーンが話せば、アルベルトがそっと頭を撫でてきた。
「置いていってすまなかった」
「本当ですよ。それに私、待ってるだけなんて出来ません。でも騎士としての私は足手纏いになるかもしれない……。だから今は聖女として共に戦います!」
キャスリーンがレイピアを高く掲げる。
そうして前方で戦う騎士達に視線を向けた。数の利は一瞬にして逆転され、憐れ賊は逃げに転じている。増援も居たようだがそれも周囲を探っていた第三騎士隊に捕えられ、もはや彼等に打つ手はない。もちろん、逃げる術もない。
そんな騎士達の活躍を見つめ、キャスリーンがゆっくりと息を吸った。
「国に使える騎士達よ、聖女キャスリーンも共に戦います! 怪我したものは私自ら癒しを与えましょう! 恐れることなく戦いなさい!」
声を張り上げて告げれば、騎士達の威勢のよい声が返ってくる。
キャスリーンはキャスとして日々第四騎士隊の一人として生活し、他の騎士隊と合同訓練を行うこともある。その際に怪我をすれば、正体が知られる以前であれば手当てとおまじないと称して聖女の力を少し、そして正体が知られた今はちゃんと聖女の力で怪我を癒している。それでも騎士達にとって『戦場で得た聖女の癒し』は誉になるのだ。
それを踏まえてのキャスリーンの鼓舞に、アルベルトが褒めるように頭を撫でてくる。
だが次いではたと我に返ると慌てて手を引いた。そうして恭しく「失礼いたしましたキャスリーン様」と頭を下げる姿のなんと白々しいことか。
これにはキャスリーンもツンと澄まして対応した。もちろん、今すぐに笑いそうになる口元をなんとか我慢しつつ。
「聖女に対して失礼ですよ、アルベルト」
「申し訳ありません。では、俺も闘いに行ってまいります」
「私はここで負傷した者の対応に当たります。……一緒には行けないけど、どうか気を付けて」
最初こそ冗談めかして聖女らしく澄まして告げたものの、キャスリーンの声は次第に語尾が弱くなり、最後には縋るようにアルベルトを見上げた。彼の濃紺の瞳がじっと見つめてくる、その瞳がゆっくりと細められ、再びキャスリーンの頭に彼の手が乗った。
ゆっくりと指先で髪を撫で、三つ編みを揺らす。普段通りの手の動きだ。心地好いが、直ぐに離れてしまうのだと分かると切なさが湧く。
だからこそ僅かな時間を堪能しようとキャスリーンが大人しく彼に頭を撫でられ……離れる間際、彼の手に傷跡があるのを見つけた。痛々しい赤い線から血が垂れている。
「アルベルト隊長、手が……!」
「あぁ、さっきヘマをした。これぐらいなら後で治療すれば」
「駄目です!」
ぎゅっと彼の手を掴めば、アルベルトが参ったと言いたげな表情を浮かべた。キャスリーンの断言と、そして己の手を掴む強さから、治療をしないと戦場に戻してもらえないと察したのだろう。
そんな彼に対し、キャスリーンはそっと彼の手に触れ、痛みを与えないようゆっくりと擦った。聖女の癒しを込めて……否、意識せずとも彼を思えば癒しの力が湧く。
「……アルベルト隊長、以前にバクレールから逃げてきたって言いましたよね」
「あぁ……。それもエネット家の策略だ。俺はみすみす奴らの策にはまって逃げてきたんだ」
「どうかそんな風に言わないで。アルベルト隊長は逃げてきたんじゃない」
傷の消えた手を握り、キャスリーンがじっと彼を見上げる。
癒しの力で目に見える傷は癒えた、だが心の傷までは癒しの力は使えない。
だからこそ告げるのだ。ぎゅっと強く手を握り、彼の藍色の瞳を見つめ、聖女の癒しの力ではなく心からの言葉で、彼の傷を癒す。
「私に会いに来てくれたんです」
「……キャスに?」
「えぇ、バクレールから王都に、私に出会うために来てくれたんです」
そう断言して告げれば、アルベルトが僅かに目を丸くさせ……次いで穏やかに微笑んだ。
握っていた彼の手をそっと離せば、去り際に優しく頬を一度拭ってくれた。
「そうだな。俺は逃げてきたんじゃない、キャスに会うために王都に来たんだ。キャス、待っていてくれとはもう言わない。離れていても、心はいつでも一緒に居る」
「はい、私も一緒に戦います」
キャスリーンが返せば、アルベルトもまた頷いて返してきた。そうして踵を返し、剣を手に駆けてゆく。その背中には恐れも疲労も無く、それどころか鼓舞を受けて勇み立っているようにさえ見える。
氷騎士とは思えない熱い姿だ。それを見届けようとするも「キャスリーン様!」と他所から声を掛けられた。
呼んだのは数人の騎士。負傷者を連れているようで、キャスリーンは自分の活躍の場はここにあると考え、「任せてください!」と返事をすると共に駆けだした。
戦地に向かうアルベルトとは別の方向、それでも寂しさも不安もないのは、心は共にあると誓ったからだ。




