17:氷騎士
敵の数が数十を超えれば、並外れた力量の騎士とて苦戦を強いられる。
せめて離れないようにと固まって戦っていても次第に崩され、一人また一人と姿が見えなくなる。
そんな中、三人を相手に戦うローディスの姿を見つけ、アルベルトが対峙していた一人を打ち倒すと共に彼のもとへと向かった。今まさに切りかからんとしていた男の腹を切りつけ、胴を断ち切らん勢いで振りぬいて男の体を薙ぎ払う。
「ローディス、大丈夫か!」
「……え、えぇ」
「くそ、流石にこの数は堪えるな。ロイはどこだ」
「さっきまでは見えてたんですが……」
片割れを探すようにローディスが周囲を探る。だがその言葉を途中で止めたのは、背後から気配と殺気を感じたからだ。振り返れば、敵の姿より先に自分へと振り下ろされる剣の刃が視界に映る。
その刃が太陽の光を受けて輝く……。
だが振り下ろされる直前、それよりも先にローディスの後方からより強く輝く刃が現れた。
己の視界の隅から、ヒュッと風を切る音が耳に届く。ローディスの髪が揺れ、次いで上がった血飛沫が顔に掛かった。
何が起こったのか?
切りかかられる瞬間、後方から剣が伸びてきたのだ。それが眼前に迫る男の腕を貫いた。
だがそれが分かってもいまだローディスの心臓は落ち着きなく、呼吸が早まる。肺が縮こまったような息苦しさを覚えるのは、一瞬死を覚悟したからだけではない。いや、それゆえの焦りは既に落ち着いた。助かったのだと理化した。
それでも心音は落ち着かず、浅い呼吸を繰り返す。
なぜか?
己の背後から言いようのない冷気を感じ取っているからだ。
体中が凍てつきそうなほどの冷気。
漂う殺気は尋常ではなく、足元で無様に転がる男の腕を一瞥する余裕も無い。背後から聞こえてくる微かな呼吸が、いまだ顔の真横に鎮座する鋭利な刃が、そこを伝う血の筋が、冷ややかな空気を纏って心臓を締め付ける。
「……アルベルト、隊長」
「ローディス、無事だったか」
聞こえてくる声はアルベルトのものだ。ゆっくりと剣が引かれ、それに合わせて振り返ればもちろんだが彼が居る。普段通りだ。戦場で見せる、強く勇猛果敢な騎士の姿。
それでも纏う空気はどこか痺れるような冷ややかさを感じさせ、ローディスがゴクリと生唾を飲むと共に己の無事を伝えた。
「いいか、もしも勝ち目が無いと判断したら俺達を置いてでも逃げろ」
「まだそんな事を……!」
「俺達を置いて逃げて、皆を連れてきてくれ。第四騎士隊の皆なら来てくれるだろ。……それまで必ず持ちこたえる」
覚悟を決めたような声色でアルベルトが告げ、再び剣を握り直す。
その姿から漂う気迫は尋常ではなく、隙を伺っていた者達がたじろいだ。数の利はいまだ変わっておらず、時間が経つにつれて相手の方が有利になる。
だというのに揺らぐどころか不利の色を欠片も感じさせぬアルベルトの気迫に、誰もが一歩踏みだすことも出来ずにいた。もっとも、相手が来なければこちらから行くまでだ。
「過去など最早どうでもいい。第四騎士隊隊長である俺を相手にしたこと、後悔させてやる!」
剣を構え吠えながらアルベルトが駆けてゆく。多勢にも臆さぬ威勢と気迫は流石としか言いようがなく、向かいあう者達の表情に僅かながら怯えさえ浮かび始めた。
そうして放たれる一線は容赦なく、的確に相手の急所を切り裂いていく。迷いを吹っ切れたからか、もしくは今日で故郷の腐敗を断つと決めたからか、普段以上の気迫である。
味方だと分かっていても気圧され、ローディスが呆然と立ち尽くし敵の群の中に消えていくアルベルトの姿を見つけ……ポンと背を叩かれた。
ロイだ。それにマリユスも居る。二人共この乱戦に若干息を上げ、それでもすぐさま立ち向かってくる一人を打ち倒した。
「ローディス、立ち尽くしてどうした。大丈夫か?」
「……いや、大丈夫だ。ただアルベルト隊長が」
「アルベルト隊長? 俺には元気に戦ってるようにしか見えないけど」
「一瞬、寒気がした。……なんだか本当に氷騎士って感じで」
背後から漂った恐怖とさえ言える殺気を思い出してローディスが話せば、ロイが「ふぅん」とだけ答えた。あの場に居なかったからピンとこないのだろう。
だがマリユスには覚えがあるのか、剣を振るうアルベルトに視線をやり、「昔はああだったんだ」と呟くように答えた。それどころか、今よりも酷かったと話す。
「俺達でさえ近付くのが怖かった。騎士の中には、敵よりもアルベルトの方が恐ろしいって言い出す奴さえ居たんだ」
「俺にはピンとこないけどな。味方は強いに越したことないだろ。なぁローディス」
「お前はあのアルベルト隊長に背後に立たれたことがないから言えるんだ」
ローディスだって今までは「どこが氷騎士なんだ」と彼を揶揄ったりしていた。
確かに彼が隊長に任命された直後は臆して距離を置いていたが、キャスリーンを通じて彼を知り、抱いていた印象が全て誤解だと分かったのだ。
冷ややかで冷徹な氷騎士などとんでもない。冷静沈着だが人情に厚く、そして面倒見が良い騎士だ。確かに強いが、キャスリーンに何かあるとすぐさま駆けつけてしまう過保護騎士。
それがローディスの知るアルベルトだ。
あれほど冷ややかな空気を纏う彼は見たことが無かった。確かに氷騎士だと、そんな納得さえしてしまう。
「まぁなんにせよ、アルベルト隊長なら良いじゃないか」
「……ロイ、お前なぁ。双子の俺でさえ呆れる楽観主義だぞ」
「アルベルト隊長はきっとキャス不足だ。連れて帰って補充させればいつもの隊長に戻るさ」
なぁと笑いながらロイに同意を求められ、ローディスが溜息交じりに肩を竦めた。片割れながらにロイの楽観主義は呆れてしまう。
自他共に認めるほど瓜二つで、性格も似通っていると分かる。だが自分達の違いを実感することも多々あるのだ。
もっとも、ロイの楽観主義に呆れるのは一瞬だけ。
「そうなるとキャスもアルベルト隊長不足に陥ってる可能性があるな。巣穴に籠ってたら引きずり出してやらなきゃ」
ロイの言葉に便乗してローディスも冗談めかして返す。
これに対してロイが楽しそうに笑い、剣を構えると駆け出した。もちろんローディスもそれを追う。氷騎士アルベルトには、それどころか第四騎士隊長アルベルトにだって劣るが、それでも双子のコンビネーションは彼にはない強さだ。
「ロイ、さっきアルベルト隊長に助けられて借りがある。王都に戻って冷やかすために、その借りを返しておきたいんだ」
「よし任せろ。アルベルト隊長を救って、恩着せがましく夕飯にありつこう」
ケラケラと笑いながらロイが剣を振るう。それに合わせてローディスも敵対する相手を薙ぎ払った。同じ顔に挟まれ、同じタイミングで切りかかられれば、常人では太刀打ちできまい。
多勢に無勢とはいえ乱戦は双子の得意とするもの。楽しそうとさえ言えるやりとりで戦う瓜二つの騎士の姿に、残されたマリユスが溜息交じりに肩を竦めた。
「そりゃアルベルトも皮肉の一つや二つ言うようになるな」
と、その言葉は生憎とアルベルトにもローディス達にも届かず、唯一聞き取った賊の一人はすぐさま打ち倒された。
乱戦が続く中、アルベルトの剣がまた一人を打ち倒した。
頽れる男を前に、息苦しさを覚える。これが顔も知らぬ異国の者であれば良かったが、今アルベルトが打ち倒したのはバクレールの騎士。かつて共に戦っていた、仲間だった男だ。名前も思い出せるが、今その名を呼んでも辛いだけだろう。
なにより、今は嘆いている場合ではない。そう己に言い聞かせ、剣を手に次の敵へと向かおうとし……「悉く思い通りにいかない男だ」と呟かれた言葉に足を止めた。
今打ち倒した騎士が、かつての仲間が、忌々し気にこちらを見ている。
「どういう事だ?」
「気付いているんだろ……。あの時の討伐、お前が邪魔で……」
「だから仕組んだのか。俺を騎士隊から追い出すために!」
「追い出す? 馬鹿言うな、追い出すどころかお前を……」
殺す手筈だった、と。そう最後に呟き、次いで男が盛大に咳き込んだ。吐血し、苦しそうに蹲る。
話すことはもう無いのか、それとももう話せないと言いたいのか、もしくはアルベルトの姿を見るのも嫌だと言いたいのか、震える手がゆっくりと伸び、向こうへ行けと揺れた。
アルベルトがそれを受け、剣を手に襲い掛かってくる敵を切り払う。だがその一線は致命傷とまではいかず、逆に相手からの一撃を手に受けた。
刃先が手の甲に触れ、赤い線を描く。致命傷ではない、むしろ気にするほどの怪我ではない、剣を握るのも支障はない。軽傷だ。
だが痺れるような痛みが響く。はたしてそれは傷からか?
今は闘いに集中すべきだと分かっていても痺れるような痛みが意識を揺るがせ、男の言葉が脳裏で繰り返される。その言葉につられるようにアルベルトが考えを巡らせ……、
「なにボーっとしてるんだ!」
と、響いた叱咤の声にはたと我に返った。
眼前に迫っていた敵を既のところで振り払い、鳩尾に一撃入れる。考えるよりも先に体が動き、目の前で蹲る男に剣で止めをさしてようやく自分が窮地に陥っていたことを察した。
次いで周囲を見回せば、シャルの姿があった。彼女の足元には腹を押さえ蹲る男が一人。今まさに切り倒したのだろう。バクレールの騎士だ。
かつてどころか王宮に来る直前まで共に過ごしていたであろう仲間を切り倒したというのに、シャルの瞳には迷いも後ろめたさもない。
「良いかアルベルト、迷いは捨てろ。私は誰が相手だろうと迷わず戦う事にした。たとえ騎士であろうとエネット家に心を打った以上は仲間とは思わないと決めた」
「シャル、やっぱりお前は立派な騎士だな」
「置いていったくせに良く言う」
不満げに告げ、シャルがアルベルトの背後に回る。とんと触れるのは彼女の背中だ。
心強さにアルベルトが小さく笑みを浮かべた。なんて頼りになるのだろうか。
「あの時は誰を信じて良いのか分からなかった。だが今は分かる。かつての仲間が敵であろうと、お前とマリユスは信じられる」
「……アルベルト」
「今度こそ共にバクレールを守ろう」
「あぁ、そうだな。そうしたら、お前もまたバクレールで……!」
言いかけ、シャルが切りかかってきた男の一撃を受けた。
案じるほどではないが続きを話すことは出来ないだろう、アルベルトもまた眼前に現れた一人を前に、それでもチラと横目で彼女に視線をやった。
シャルはあの瞬間、「またバクレールで」と言いかけた。その先にある言葉が何か、鈍い自分でも――鈍いのは認める――察しないわけがない。この地に残り、また以前のように共に戦おうと誘おうとしたのだろう。
再び受け入れてくれる、それはアルベルトにとって喜ばしい事だ。
……だけど。
(帰ると誓った。バクレールで何があろうと、この地が再び俺を受け入れてくれようと、俺の帰る場所はお前の隣だ。……キャス)
そう心の中で告げる。
脳裏に過ぎるのは、乱戦の最中と言えどキャスリーンの姿なのだ。今の言葉を告げたら彼女はどんな反応をしてくれるだろうか。
待っていると微笑んでくれるのか、それとも不安そうな表情をさせてしまうだろうか。もしくは自分を置いていくなんてと怒るかもしれない。
そうしたら頭を撫でて宥めようか。彼女の金糸の髪は手触りが良く、指先で軽く撫でるだけでもその柔らかさが伝わってくる。三つ編みを揺らすとくすぐったいのか小さく笑う、その表情もまた愛おしい。
遠く離れているというのに、まるで目の前にいるかのようにキャスリーンの姿を鮮明に思い出せる。
姿も、声も……。
『アルベルト隊長!』
嬉しそうに自分を呼ぶ声。
『聞いてください、またローディスとロイが!』
怒りながら頬を膨らませて報告してくる声。
『私ちゃんと聖女と騎士としてやれていますか?』
不安そうに問いかけてくる声。
それになによりアルベルトの脳裏に蘇るのが、
『アルベルト隊長、大好き』
と照れ臭そうに、それでいて嬉しそうに告げてくる声。
……それと、
「第一騎士隊は救助を優先! 第二騎士隊は敵の捕縛を! 第三騎士隊は周辺を探って増援の撃破! 一人たりとて逃がしてはいけません!」
という、勇ましい声。
……勇ましい声?
「こんな声聞いたことが無いぞ!?」
どういうことだ! とアルベルトが慌てて周囲を窺い……そして聞こえてくる轟音に息を呑んだ。




