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16:バクレールにて


 建物も何もない、見渡す限り開けた土地が広がる。

 広大とでも言えば聞こえは良いが、実際は最低限の手入れ程度しかされていない無駄な土地だ。冬は寒々しさが漂い、夏場は遮るものなく日の光が降り注ぐ。

 それでもアルベルトにとっては故郷であり、帰ってきたのだと懐かしさが胸に湧く。かつてはこの地で生き、この地を守ろうと剣を振るっていたのだ。


「……懐かしいな」

「お前がそう思ってくれて嬉しいよ」


 胸の内から自然と零れたアルベルトの言葉に、隣で馬を進ませるマリユスが穏やかに笑った。

 だがその笑みすらも消え失せてしまったのは、広大に広がる土地の先に不穏な影を見つけたからだ。アルベルトも気付き、懐かしむように遠くを見ていた表情を険しいものに変える。


 何もない土地に、不必要に佇む数十人。

 騎士の勘か、それとも緊迫した空気が遮蔽物の無い土地に充満しているのか、肌に刺すような敵意さえ感じられ、アルベルトがふっと小さく息を吐いた。

 驚きも慌てもしない、覚悟していた事だ。


「あんなに大勢で迎えてくれるなんて有難いな。酒でも用意してくれているともっと有難いんだが」


 吐き捨てるように言い切れば、並んでいたマリユスが意外だと言いたげに目を丸くさせてアルベルトの方へと向いた。


「お前がそんな皮肉を言うようになるとはな」

「そうか?」

「あぁ、昔のお前なら皮肉を言うどころか今この瞬間にも剣を抜いて駆けだしてたぞ」


 その姿を想像したのか、マリユスがクツクツと笑う。

 きっと彼の脳裏では強い正義感と忠誠心ゆえに駆け出そうとするアルベルトと、それに釣られて闘志を昂らせるシャルでもいるのだろう。……あと、慌てて制止するマリユス自身もいるかもしれない。

 昔の自分を思い出されるのはなんとも歯痒く、アルベルトが「昔話に興じてる場合じゃないだろ」と彼を制した。


 ここに双子が居なくて良かった……と思う。もしも居たら「最近は堅物隊長も冗談を言うんですよ」だの「面白くないけど」だのと便乗して好き放題言ってきたに違いない。そもそも、皮肉を言うようになったのは彼等の影響だ。

 日頃から双子の皮肉や冗談を聞き、咎めるキャスリーンを宥め、そしていつしか彼女を揶揄うために自分も冗談を口にするようになった。

 味方だと思っていたアルベルトに冗談を言われると、キャスリーンはきょとんと眼を丸くさせて見上げてくる。そうしてはたと我に返ると「アルベルト隊長まで!」と頬を膨らませて怒りを露わにするのだ。

 その姿も、声も、全て思い出せる。


「……キャス、必ず帰るからな」


 記憶の中のキャスリーンに告げ、アルベルトが馬上で剣を抜いた。前方に溜まる者達との距離もだいぶ縮まり、今では顔や身形の判断もつく。

 他国から流れてきたのか見慣れぬ衣服を着ている者や、風変わりな武器を手にしている者もいる。皆一様にアルベルトに対して敵意のある視線を向けているが、その迫力や威圧感はピンからキリまで。寄せ集めといったところだろう。

 殆どはアルベルトには初見の者達だ。

 ……殆どは。


「なんだ、思ったよりは少ないな」

「……それは冗談か、皮肉か? それとも俺への慰めか?」


 達観した口調のアルベルトとは対極的に、マリユスが盛大な溜息を吐く。剣を抜く動きもどこか緩慢で、彼の気落ちが良く分かる。

 だがそれも仕方あるまい。前方で待ち構える者達の殆どは顔も分からぬ者だが、殆どであって全員ではないのだ。中には数人、見覚えのある者も居る。


 言わずもがな、バクレールを守る為に仕えている騎士だ。見れば顔に覚えはないが騎士の剣を下げている者もいる。きっとアルベルトがこの地を去ってから騎士になったのだろう。

 果たして騎士になってからエネット家と組んだのか、それともエネット家の息が掛かっているから騎士になれたのか。

 どちらにせよ自分が思っている以上にバクレールは腐敗しきっているようで、見たくなかった故郷の一面にアルベルトが溜息を吐いた。懐かしさはいつの間にか消え失せてしまった。


「マリユス、さっさと終わらせるぞ」

「一人残らず捕えて今度こそ尻尾を掴みたいところだな。王宮が気付いてるとなると、上手くすれば一気にエネット家の不正を報告出来る」

「俺の話を信じて貰えるかは定かじゃないがな」

「それは皮肉と取っておこうか。……ん?」


 ふとマリユスが何かに気付いて後方に視線をやった。

 次いで彼の手が止まる。それどころかパタと手綱を落としてしまった。主が突如手綱を落としたことに違和感を覚えたか、彼の馬が歩みを止める。


「どうしたマリユス?」

「……おい、あれ」


 絞り出したとでも言いたげなマリユスの言葉に、アルベルトがいったい何だと彼の視線を追うように後方を見て……唖然とした。

 後方から物凄い勢いで何かが近付いてくる。地鳴りとさえ言えそうな音をたて、土煙を上げ、「馬鹿隊長が!」だの「馬鹿共が!」だのと叫びながら……。

 もちろんローディスとロイ、そしてシャルである。

 ちなみに「馬鹿隊長」と怒鳴っているのはロイ、「馬鹿共」と罵っているのはシャル。そんな二人の後方では「頼むから喚きながら走って舌噛むなよ」と一人冷静なローディスが馬を走らせている。


「な、なんであいつらが!」

「シャル……あの馬鹿ついてきやがった!」


 アルベルトとマリユスが慌てて馬から降り、揃って声をあげる。

 だがその声も、罵声と轟音とさえ言える馬の足音に掻き消されてしまった。もっとも、届いていたところで馬も騎手も止まるわけが無いのだが。

 そうしてあっと言う間に距離を詰めると、ロイがまるで飛び降りるかのように馬上から降りた。一瞬にしてアルベルトに近付くと、ぐいとその胸倉を掴みあげる。


「なんで俺達を置いてった!」

「……ロイ、すまなかった。だがバクレールの事はお前達には関係ない」

「確かに俺達の故郷じゃない、だけど!」


 怒鳴るように声を荒らげてロイが訴える。だがそれを制するようにアルベルトが彼の手を掴み、「分かっていた!」と声をあげた。


「お前達なら着いてきてくれると分かってた! 故郷も騎士隊も関係無く、力になってくれると信じてた! だから置いて行ったんだ! お前達も……キャスも……」


 次第に語尾を弱め、言い終わるやアルベルトが手を離した。

 ロイの怒気も削がれたのか、掴んでいたアルベルトの胸倉を離す。

 二人の間に流れる空気は重く、見兼ねたと言いたげにローディスが溜息を吐いた。仲裁するように間に割って入り、まずはロイの肩を叩いて宥める。次いでアルベルトに向き直った。


「アルベルト隊長、確かに貴方の言い分は分かります。現に俺達はこうやって着いてきた」

「ローディス……」

「だけどやっぱり考えが甘いんですよ。俺達が着いてくることは分かっても、追いかけてくることは予想しなかったんですから」

「……すまない」

「俺達より先に謝る人がいるでしょ。さっさと帰らないと、怒り過ぎて誰かさんがチーズの自棄食いを始めちまう」


 普段通りの軽い口調に戻り、ローディスがニヤリと笑う。

 言わずもがなキャスリーンのことだ。「王宮中のチーズが無くなる」だのと冗談めかし、そのうえ「なぁロイ」と続くように片割れを促した。

 ロイもまたこれには悪戯っぽい笑みを浮かべ、「今頃真っ赤な湯でエビだ」と笑った。

 なんとも彼等らしいやりとりではないか。仮にここにキャスリーンが居れば「ネズミでもエビでもないよ!」と怒り、更に揶揄われていただろう。

 その光景を思い浮かべ、アルベルトが僅かに笑みを零した。


「戻ったら何より先にキャスに謝ろう、その後はお前達に謝らせてくれ。……なにかあったのかも全て話す」

「別に貴方に何があろうが興味ありませんね。ただ他の騎士が隊長になられると、規律を守れだのサボるなだのと煩くて困るんです」

「俺も規律を守ってサボるなと日々言ってるんだが」

「そんなことより、前方にいるのがエネット家に買収された奴らですね。さぁ戦いましょう!」

「……そうだな」


 あっさりと、それでいて白々しく話題を切り替えるローディスに、アルベルトが溜息交じりに苦笑を浮かべた。ローディスも、そして「俺達は謝罪だけじゃすみませんからね」とより悪戯気な笑みを浮かべるロイも、依然と何一つ変わらない。

 それが嬉しく、次いでアルベルトがシャルへと視線を向けた。

 割って入ることこそしなかったが、彼女は随分と不満そうだ。鋭く睨み付けてくる瞳はアルベルトとマリユスの勝手な行動を責めており、迂闊なことを言えば今この瞬間に剣を抜いて襲い掛かってきかねない。

 彼女にも謝らなければ……そうアルベルトが謝罪しようとする。だが口を開くより先に、マリユスが彼女を呼んだ。


「シャル、お前までどうして来たんだ」

「どうして? それは私の方が聞きたいくらいだ。……いや、私を置いて行ったお前の気持ちは分かってる」

「えっ、それって……お前ついに」

「私を足手纏いと判断して置いて行ったんだな。いいだろう、今ここで私の実力を証明してみせる! 剣を抜け!」

「なんでそうなる……!」


 マリユスが額を押さえて天を仰ぐ。全身から絶望が漂っている。

 だがこれに対してもシャルは「早くしろ!」とせっついており、アルベルトが慌てて彼女を宥めた。――ローディスが溜息交じりにマリユスの肩を叩いているが、漂う絶望オーラは当分収まりそうにない――


「シャル、置いて行ってすまなかった」

「……アルベルト、お前まで私を足手纏いと思っていたのか」

「いや、俺はてっきりお前も一緒に行くもんだと思っていたが」

「なるほど、つまり全てはマリユスの仕業……」

「違う! 俺もだ、俺もお前を置いて行ったから同罪だ!」


 剣を抜いてマリユスへと近付こうとするシャルを慌ててアルベルトが止める。この目は本気だ……! とアルベルトの額に冷や汗が伝うが、幸いシャルはマリユスに剣を向けるより先に怒りを収めてくれた。

 一件落着……などとは勿論言えないが、それでもアルベルトが安堵の息を吐く。これから多勢に無勢で挑み苦戦を強いられるのだ、その前に仲間割れなんて笑えない。

 だからこそ改めてシャルに向き直り、彼女の肩を叩き、置いて行った事を詫びた。じっと瞳を見つめれば、彼女も見つめ返してくる。


「力を貸してくれ……というのは違うな。今度こそ俺達の手でバクレールの不正を絶やそう」

「……アルベルト。あぁ、そうだな、私達の故郷だものな!」


 アルベルトの話に、シャルもまた決意と闘志を宿して威勢を示すように返した。その姿は相変わらず凛々しい騎士だ。剣を抜く姿は様になっており、何色も混ざることのない黒一色の髪はまるで彼女の揺るぎない正義感のようではないか。

 なんて頼もしいのだろうか。そうアルベルトが昔馴染みの凛々しさを眺めれば、げしと足を蹴られた。見ればロイが剣を抜いている。


「安心しろ、ロイ。お前も頼もしいよ」


 シャルにライバル心を抱いているのか、それとも自分だってと訴えているのか、分かりやすいロイにアルベルトが苦笑を浮かべる。

 だが長閑なやりとりをしていられるのもここまでだ。ふいに殺気立った空気が漂い、誰もがそれを察して警戒の色を浮かべた。

 前方で群をなしていた者達がこちらを睨み付けている。痺れを切らしたとでも言いたげで、ギラギラとした瞳が開戦を待ち望んでいる。

 闘いを求めているのか、それともアルベルト達の首に懸賞金でも掛けられているのか、どちらにせよ貪欲さを露わにした瞳は品が無い。


(だが感動の再会を待っていてくれたなら、礼の一つでも言うべきか。……あぁ、俺もこんな皮肉を考えるようになるとはな)


 自分の中で浮かんだ皮肉を己で笑い飛ばし、アルベルトが「来るぞ」と周囲に声をかけると共に剣を抜いた。



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