15:お飾り聖女
ローディス達と並んでバクレールへ行けたらどれだけ良かっただろうか。
アルベルトのように強くとはいかなくとも、自分の身は自分で守れるぐらいの、最低限の強さでもあれば同行出来たのに。
「……足手まとい、かぁ」
三人が居なくなりよりいっそうの静けさをみせる通路に立ち、キャスリーンがポツリと呟いた。不安と寂しさが胸に湧き、それらすべてがふがいなさに代わって己を責める。
彼等を追うことが出来ないと分かっている、それでも謁見の間に戻る気にもなれないのだ。
騎士として置いていかれた。かといって聖女としても着いていくことが出来ない。一歩も踏み出せない。
そんな胸の内を吐露するように溜息をつき、壁に背を預けるとずるずると崩れるように腰を落とした。通路のはしで小さく座り込み、うずくまるように膝を抱える。
(アルベルト隊長は私が待つと信じて旅立ったのよ。ローディスもロイも、私のためを思って知らせに来てくれた。シャルだって、あえて冷たく突き放してくれたの……。それは分かる。でも、私だけ何も出来ないなんて……)
待つしか出来ないもどかしさが胸を掻き立て、ふがいなさにツンと鼻の奥が痛む。
だが泣いたところで何かが変わるわけがなく、より自分の無力さと弱さを思い知らされるだけだ。だがそれが分かっても胸の痛みはやまず、堪えるようにグズと洟をすすった。
「あらぁ、こんな所にいたのねキャスリーン」
と、暢気な声がかけられたのは丁度その時だ。
キャスリーンが慌てて顔を上げれば、そこに居たのはナタリア。彼女は自分の娘が通路の端でうずくまっていてもなお顔色を変えることなく、それどころかコロコロと笑いながら「そんなところに座ってると、服が汚れるわよ」と歩み寄ってきた。
何一つ変わらない表情。どこまで知っているのかとキャスリーンが潤む視界で彼女を見る。
「お母様、アルベルト隊長が……。ローディス達も」
「置いて行かれちゃったのね」
事情を察したか、それともこうなると踏んでいたのか、ナタリアの口調に驚く様子はない。それどころかキャスリーンのもとまで近付くと、ゆっくりと腰を下ろして顔を覗き込んできた。
潤んだ視界で、キャスリーンと同じ金色の髪がふわりと揺れる。
「私なにも出来ない……。待ってるしか出来ないの。アルベルト隊長は剣を置いても故郷の為に行ったのに、ローディス達も追いかけたのに……」
自分だけがここに残っている。
一人残され、何も出来ずに蹲っている。
そうキャスリーンが涙声で訴えれば、ナタリアがわざとらしく考え込むように「そうねぇ」と話し出した。
「国も騎士隊を動かす事を良しとしなかったし、キャスに出来ることは何も無いわね」
「改めて言わないでよぉ……」
「あら、事実を言ったまでよ。国が騎士を動かさないと決めた以上、それを覆せる人なんていないわ。……一人を除いてはね」
ニヤリと悪戯っぽく笑みを浮かべて話すナタリアの言葉に、キャスリーンが自分の無力さを改めて突きつけられたとグスと洟を啜り……「一人?」と瞳を瞬かせた。
わざとその人物の名を口にせず焦らすようなナタリアの言葉。だが彼女の言葉は裏を返せば、『決定を覆せるものがいる』という意味ではないか。
「お母様、それは誰!」
「あら、知らないの?」
「知らないわ! ねぇ教えて、今すぐにその人のところに行かなくちゃ!」
その人物が誰なのかは分からないが、国の決定を覆す権力を有しているという。ならば今すぐにその人物に会いに行き、全てを話し、そして騎士隊を動かしてもらうよう掛け合わなくてはならない。
それがどれだけ労力を要するのか、そもそもどこに居る誰なのかも分からない。だが僅かながら差し込んだ一筋の希望に、涙で潤んでいたキャスリーンの瞳が輝きだす。
こんなところで蹲っている場合ではない。勢いよく立ち上がれば、ようやく娘が調子を取り戻したと言いたげにナタリアも微笑みながら立ち上がった。
「お母様、どこに行けばその人に会えるの! 早くしなきゃ!」
「キャス、落ち着きなさい。落ち着いて、鏡を見るのよ」
「鏡? 身嗜みに煩い人なの? そうよね、それだけの権力を持ってるなら厳しい人だっておかしくないわ」
「あらまぁ、まだ気付かないのね。嫌だわ、騎士になると人って鈍くなるのかしら」
まったくもう、とナタリアが溜息を吐く。
次いで彼女の手がひょいと伸び、早く行かなくちゃと急かすキャスリーンの鼻をツンと突っついてきた。
キャスリーンがパチンと瞳を瞬かせる。睫毛に着いた涙が一滴零れるが、それでもナタリアは再びキャスリーンの鼻を突っついてきた。
「お母様? 私、直ぐに出発しなきゃ……」
「いったいどこに行くって言うの?」
「だから、その人のところよ。国を覆す権力を持ってる人のところに行かなくちゃ」
急かすようにキャスリーンが訴えても、ナタリアの手は止まらない。ツンツンと鼻を突っつき、「鏡を見なさい」と微笑んでくるだけだ。
鏡とは、顔に何か付いているのだろうか?
そう考えてキャスリーンが手で軽く顔を拭うも、返ってきたのは呆れたような「鈍いわねぇ」という言葉。どうやら違っていたらしい。
「ねぇお母様、何が言いたいの? 私急がなくちゃいけないのよ」
「キャス、確かに今あなたが出来ることは無いわ。……キャスにはね」
悪戯っぽくナタリアが笑う。なんとも裏を含んだような、それでいて答えをはぐらかす意地悪な言い方ではないか。
痺れを切らしたキャスリーンが彼女に詰め寄ろうとし……そして小さく「キャス」と騎士の名前を口にした。
ナタリアは先程から「キャス」と呼んでくる。置いて行かれたのはキャスだと、今ここで何も出来ずにいるのはキャスだと……。
キャスリーンではなく、キャスだと……。
それはつまり、キャスリーンにはこの状況で出来ることがあるということだ。
「私、なの……?」
キャスリーンが譫言のようにポツリと呟けば、ナタリアの笑みが愛しむような柔らかなものに変わっていった。満足そうに一度頷き、最後に一度と強めに鼻を突っついて手を離す。
正解だと言いたいのだろう。だがキャスリーンはいまだ実感がわかないと言いたげに己の胸元をぎゅっと抑えた。
「……でも、私にそんなこと。国の決定に意見なんてしたこと無いもの」
「私だって口を挟んだりしなかったわ。難しい話に加わるのは面倒だし、門外漢が口を挟んでも碌なことにならないわ。だけど今は別よ」
「私に出来るのかしら……」
「キャスリーン、思い出して。謁見の間に居るのは、普段貴女が聖女の力で癒しているのは誰?」
「誰って……」
ナタリアに問われ、キャスリーンが先程まで謁見の間で共に過ごしていた面々を思い出した。
孫にせがまれたと笑いながら腰だの足だのと痛みを訴える伯爵家のヘイン。美しさを求めて肌や髪の些細な痛みも許さない公爵家のマーサ。庭に咲く薔薇の美しさについ手を伸ばして棘を指すヘレナ夫人。
それに、三人ほどではないがあれこれと理由をつけて癒しを求めてくる者達。彼等の些細な嘆願はキャスリーンに会いたいがためだと、そう言ってくれたのはアルベルトだ。
今この胸に湧く友愛を、ヘイン達はずっと昔から、それこそキャスリーンがベールの下で退屈な表情を浮かべていた時から抱いてくれていた。
優しくて、温かくて、そして聖女の力を求める時には少し我儘な……。
国の権力を握る貴族達。
王宮の最奥にある絢爛豪華な謁見の間、そこに臆することなく出入りする彼等の姿を思い出し、キャスリーンの視界がパッと煌くように開けた。
いや、キャスリーンの中の彼等が、そしてナタリアが、涙で潤んで閉じかけていたキャスリーンの視界を開かせてくれたのだ。
(そうだわ、伯爵に公爵、他にも社交界で名を馳せている人ばかり。それに国の重役を担う人だっているわ……!)
かつて自分を『国のお偉方に囲まれるだけのお飾り聖女』と自虐めいて感じていた。だが逆に考えれば、キャスリーンの周りには常に『国の至宝である聖女と謁見出来る身分の者』が居たのだ。
彼等の役割や地位はバラバラで、権力を有していたとしても一丸となって動くことは無いだろう。だけどもし、彼等を先導できるものがいるとしたら……。
「私行かなきゃ! いえ、戻らなきゃ!」
キャスリーンが踵をかえして扉へと向かう。
そうしてノックをする余裕も無いと勢いよく扉を開け……そこに広がる光景に瞳を瞬かせた。
絢爛豪華な謁見の間。そこに並ぶ者達が深く頭を下げている。
誰に? もちろんキャスリーンに。
その証に、まるで代表するかのようにヘインが顔を上げ、じっとキャスリーンを見つめるとゆっくりと口を開いた。
「キャスリーン様、ご命令を」
そう告げる彼の声は、普段の孫に甘い祖父のものではない。
現役を引いてもなお威厳を感じさせる伯爵の声だ。
「キャスリーン様、私共はいつでも動く準備が出来ております」
やんわりと微笑みながらマーサが告げてくる。
彼女もまた纏う雰囲気は普段のものとは違い、追及し続ける美しさもあってか妖艶な威圧感を感じさせる。
彼女は公爵家。社交界でも上位に君臨する家の婦人だ。そのうえ彼女の家系は広く、分野も手広いと聞いたことがある。この謁見の間にも、王宮の重役達にも、彼女の遠縁にあたる者が何人もいる。その涼やかな一声だけで、いったいどれほどの人数が動くのか……。
他の面々もヘインやマーサ同様、多くの者を従わせることの出来る者達だ。そんな彼等が、まるで指示を待ち望んでいるかのようにキャスリーンを見つめている。
そんな視線を一身に受け、キャスリーンが逸る気持ちを押さえるようにぎゅっと胸元を掴んだ。
今すぐに駆け寄って「みんなお願い! 助けて!」と声を上げたい。だが彼等が頭を垂れているのは『聖女キャスリーン』だ。無力さに嘆く騎士でも無ければ、置いていかれた寂しさに涙する少女でもない。国の至宝、聖女キャスリーンだ。
ならば彼等の期待に応えるよう、そして彼等が力を貸したくなるように振る舞わねば。
そう己に言い聞かせ、キャスリーンがスッと息を吸い込んだ。
落ち着いて、威厳を持って、聖女として彼等に命じるのだ……。
「聖女キャスリーンが命じます。私に力を貸して……!」
最後の最後で胸を締め付ける焦燥感に負けて懇願すれば、それを聞いたヘイン達が穏やかに笑い、
「仰せのままに、我らが聖女様」
と、愛し気な笑みを浮かべて再び頭を下げた。




