14:残されたもの
「いやはや、キャスリーン様は今日も愛らしくお美しい」
にこやかに贈られるヘインの賛辞に、キャスリーンは謁見の間にある椅子に座ったまま、ジロリと彼を睨み付けた。彼の隣にはマーサも居り、「黄金のような髪」とキャスリーンの金糸の髪を褒めてくる。
なんて白々しいのだろうか。
そしてその白々しい誉め言葉には、もちろん言うだけの目的がある。キャスリーンがそれを問うように「それで今日は?」と尋ねれば、ヘインがパッと表情を明るくさせた。
「今日は腰が痛くて辛くて、ここまで来るのにどれだけ苦労したか」
「……ヘイン伯の庭にブランコが建設中らしいわね」
「なんと、キャスリーン様は密偵を放っていらっしゃるのですか」
「トルステア家のメイドが教えてくれたのよ。なんでも、誰かさんは朝から張り切って丸太を担いでいたとか」
「キャスリーン様は情報通ですなぁ」
参った、とヘインが笑う。まったくもって反省の色が無い。
キャスリーンがまったくと言いたげに溜息を吐き……ふっと笑みを零した。
以前にヘインの孫に会った事がある。彼が溺愛するのも分かるほど可愛く、そして元気いっぱいの二人だった。そんな孫達に囲まれるヘインの姿を思い出したのだ。
貴族の家系といった重苦しさや威厳はそこには無く、なんとも微笑ましいものだった。
マーサも……とキャスリーンが視線を向ければ、彼女が待っていましたと言いたげにキャスリーンを呼んだ。
「キャスリーン様、私の腕を見てください。ほらここ、シミが出来てしまったんです。顔の肌も最近調子が悪く、先日は顔色が悪いと言われてしまいました!」
「マーサ夫人は日に当たらなさすぎよ。いくら白い肌が良いと言っても限度があるわ」
不健康だとキャスリーンが訴える。
マーサを始め、社交界に属する令嬢達は『肌が白い女性は美しい』と考えている。だからといって、日中の外出を嫌がり、外に出る時は必ずメイドに日傘をささせて一ミリとて日光を受けようとしないのは如何なものか。
午後は騎士として日の下を駆けまわっているキャスリーンには耐えられそうにない。
「ヘイン伯もマーサ夫人も、今日は治してあげるけど、次からは自分で」
「おぉ、治してくださいますか。さすがキャスリーン様、お優しい!」
「キャスリーン様、まさに聖女!」
「聞いて!」
もう! とキャスリーンが怒りを露わにしつつ、それでも彼等へと手をかざす。
念のために改めて「今日で終わりだからね」と告げておくが、その「今日で終わり」を今まで何度口にしてきたことか……。
孫を溺愛するが故のヘインの腰痛も、美を求めるあまりの公爵の訴えも、どちらも困りものだ。だが本人達を嫌うことなんて出来やしない。
なにより、彼等とこうやって会話をしていると胸中の不安が僅かだが和らいでいく。いつも通りの謁見の間、見慣れた顔ぶれ、緊急性のない嘆願……。長閑さが心地好い。
だがそれを正直に話す気にはなれず、ツンと澄まして聖女の力を振るおうとし……。
「キャス!」
と響いた声と、ノックも無しに勢いよく開かれた扉の音に、ビクリと肩を震わせた。
ローディスとロイ、それにシャルだ。
これにはキャスリーンも目を丸くさせ、立ち上がると慌てて彼等の元へと駆け寄った。日頃ローディスもロイも突拍子の無い事を仕出かし、アルベルトを始めとする上官すらも茶化そうとする困った性格だ。だがさすがに聖女の謁見の間に無断で飛び込んできたりはしない。
よっぽどの事が無い限り。
「ローディス、ロイ! 何があったの!? それにシャルまで」
「キャス、大変だ。アルベルト隊長が」
「ロイ、ちょっと落ち着け」
ロイが話すのをローディスが窘めるように制止する。普段とは違う真剣な表情と口調。
やりとりを見ているシャルもここでは話をするべきではないと考えたのか、「キャス、こっちに」と部屋を出るように促してきた。
元より凛々しい彼女の顔は、今は緊迫感を宿して怒りさえ感じさせる。
幸い謁見の最中は謁見の間に近付く者はおらず、周囲はシンと静まっている。扉を閉めれば室内にも声は聞こえないだろう。
長い通路は見通しも良く、誰かに盗み聞きをされる可能性は低い。
だというのにローディス達は周囲を窺うように見回し、声を潜めてキャスリーンを呼んだ。用心深い彼等の様子に、キャスリーンの胸に湧いた不安が嵩を増す。
ローディスとロイが王宮内に入る時は、決まってアルベルトも一緒に居る。――もちろん二人が王宮内で良からぬ事をしないよう監視のためである――
シャルもまた、何かあればマリユスと行動するはずだ。
だというのにアルベルトの姿もマリユスの姿も無く、キャスリーンが小さくアルベルトの名前を口にした。掠れる自分の声は我ながら弱々しくか細い。
そんなキャスリーンの胸中を察したのか、ローディスが諭すように声色を落ち着かせて話し出した。
「キャス、落ち着いて聞け。……アルベルト隊長がバクレールに帰った」
「……えっ?」
「いつまでもアルベルト隊長がこないから、俺達で呼びに行ったんだ。だけど姿が無くて、バクレールに向かうって置き手紙が……」
「そんな……」
ローディスから告げられた言葉に、キャスリーンが息を呑む。
脳裏をよぎるのはアルベルトの姿。普段の頭を撫でてくれる優しい姿、戦う時の勇ましい姿、そして、昨夜ほんの一瞬見せたどこか遠くを見るような表情。
あの時アルベルトは何を言おうとしていたのか……。
夜の闇の中こちらを見つめる彼の姿を思い出し、それでもキャスリーンがはたと我に返ると首を横に振った。今は昨夜の事を思い出している場合ではない、なにせ今ここにアルベルトが居ないのだ。
いったいどうしてとキャスリーンが鼓動を早める胸元を押さえれば、シャルが盛大に溜息を吐いた。曰く、彼女もまたマリユスに置いて行かれたのだという。
「昨夜マリユスの様子がおかしかった。じっと私を見つめてきたかと思えば、なにか尋ねても答えず誤魔化してくる。夜中に物音がしたからきっとアルベルトと抜け出したんだろう」
悔しげにシャルが話し、「私を置いていくなんて」とここには居ない中間を恨んだ。表情は険しく、今ここにマリユスが居たら怒鳴りつけていてもおかしくない程だ。
これにはいったいどういうわけかローディスが「汲んでやれよ」とフォローを入れた。
「……この状況で、何を汲めって言うんだ?」
「だからな、ほら、お前を置いていったマリユスの気持ちをさ」
ローディスが言葉を濁しつつシャルを促す。
だがシャルはもちろん、ロイもキャスリーンも彼の言わんとしている事を理解出来ず、きょとんと目を丸くさせた。
そうして三人揃って頭上に疑問符を浮かべ……シャルが「まさか!」と声を荒らげた。
「私が足手まといという事か!」
「……あー、もう、それで良いんじゃないかな。よし、本題に戻ろう」
あっさりと話を諦め、ローディスが溜息混じりに話を戻す。
次いで彼は手にしていたものと手紙を差し出してきた。アルベルトの部屋に残されていた、キャスリーン宛の手紙だという。シンプルで飾り気の無い便箋は彼らしいが、今この状況で見ると酷く物悲しい。
キャスリーンがそれを受け取り、震える手でそっと折り畳まれた便箋を開いた。綴られているのは、見慣れたアルベルトの字。
『必ず帰る、待っていてくれ、愛してる』
と、それだけだ。
だがそれだけでもキャスリーンの脳裏に彼の声を蘇らせるには十分で、まるで隣に居て囁かれるように彼の声が反芻される。深く、落ち着いた、優しい声。
だがその声の主は今ここに居ない。残された手紙はいくら彼の声を記憶に蘇らせても、問いかけには答えてくれない。綴られた文字を確認するように指でなぞれば、自分の指先が震えているのが分かった。
「アルベルト隊長の部屋に、これも置いてあった」
「それは?」
ローディスが布でくるまれたものを差し出してくる。丈で言うならばキャスリーンの腰辺りまで、重そうには見えないが、それでもローディスが両腕で抱えているあたり見た目に反して重さがあるのか、それとも大事なものなのか。
まさか……とキャスリーンの胸がざわつく。
無意識に自分の腰元に手をやるが、そこには普段さげているはずのレイピアは無い。謁見の間に飾られているのだ。それがまた不安を増させる。
「ローディス、それ……」
「調べたら、アルベルト隊長は国にバクレールへの出陣を願い出ていたらしい。だが却下された……。だから騎士としてはバクレールには戻れないと考えたんだろうな」
話しながらローディスの手が布をめくっていく。そうして重なり合う布の隙間から姿を現したのは……騎士の剣。鞘に描かれた美しい彫は一級の芸術品にも勝る。国への忠誠を意味しており、騎士になる時に授けられるものだ。
キャスリーンの表情がさっと青ざめる。誰の剣かなど分かり切っているが、それでも願うような気持ちでローディスとロイへと視線を向けた。当然、彼等の腰元には彼等の剣が下げられている。
間違いなく、そして疑いようもなく、これはアルベルトの剣だ。
彼が騎士としてはバクレールには戻れないと考え、だからこそ騎士の証である剣を置いていったのだ。
「……アルベルト隊長、なんで」
「キャス、俺達はこれから隊長を追ってバクレールに向かう」
「わ、私も!」
私も行く! とキャスリーンが声をあげる。だがそれに対してはローディスもロイも頷くことはせず、それどころか苦しげな表情でこちらを見つめてくるだけだ。眉間に皺を寄せ、ロイに至っては言い難いのかふいと視線をそらしてしまった。
仮にこれがバクレールの一件でなければ、それこそ市街地での騒動や、日頃第四騎士隊に課せられる賊の討伐といった任務であったなら、ローディスもロイも二言返事で返してくれただろう。それどころか「いつまで聖女やってるんだ」と冗談混じりに急かしてきたかもしれない。そもそも、アルベルトが同行させていたはずだ。
だが今回は今までのようにはいかない。だからこそアルベルトは自分とマリユスだけで片を付けようと秘密裏に発ったのだ。
それがどれだけ危険な事か。……そして、どれだけの危険が待ち受けているのか。
キャスリーンもそれが分からないわけではなく、咄嗟に自分も行くと言い出したもののすぐさま言葉を詰まらせた。
「キャス、貴女は連れていけない」
「でも、シャル、私も……」
「双子が言えないなら私が言おう。足手纏いになるだけだ」
気遣うことのないシャルの言葉に、キャスリーンも反論出来ずに俯いた。
彼女の言うことは事実だ。いくら日頃第四騎士隊の一人として勤めていても、キャスリーンの実力は騎士の半分にも至らない。無理に着いていっても足手まといになるのがオチだ。
聖女の癒しの力も同様。怪我をしたら治せるだけで、それがキャスリーンの戦力になるわけではない。怪我をすれば治療出来るが、実質的なキャスリーンの剣の実力があがるわけではないのだ。
なにより、アルベルトは騎士の剣を置いてバクレールへと向かった。それに聖女であるキャスリーンが着いていき取り返しの着かない事態になれば、すべての責任は単独行動を取ったアルベルトに向かうだろう。
だからこそシャルは着いてくるなと言いたいのだ。視線を逸らすロイと、どう声をかけるべきか分からずにいるローディスの姿からもそれを察し、キャスリーンが小さく一度頷いた。
分かった。と、言わざるを得ない。
「……みんな気をつけて。こっちは何とかしておくから」
「キャス……」
「絶対にアルベルト隊長を連れて帰ってきてね。待ってるから」
「あ、あぁ。必ず帰ってくる。行こう、ロイ、シャル」
あまり長居をすべきではないと考えたのだろう、ローディスが二人を急かして去っていく。その背中も、ロイの申し訳なさそうな表情も、シャルの覚悟を決めた表情も、どれもがキャスリーンの胸を締め付けさせた。




