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12:氷騎士

 


 バクレールでのアルベルトの生活は『その時』までは順調だった。

 昔馴染みのマリユスとシャル、背中を預けて戦う仲間達。上官や部下にも恵まれている。娯楽が少なく殺風景と言えるかもしれないが、それでも領地を愛するアルベルトにとってバクレールは長閑で平穏な唯一無二の土地だった。

 己の強さをこの土地の平穏に捧げよう、そう心の底から思えていた。


 ……その時までは。


 それはこれといった変わりのない賊の討伐だった。

 バクレールは王都から離れており、そのうえ隣国との境に近い。ゆえに警備の手も薄く、不穏な輩が姿を現すことも少なくなかった。もちろんそういった輩はアルベルトをはじめとする騎士達が退治していた。

 今回もまた同じような討伐依頼だ。辺鄙な土地の騎士らしい仕事であり、アルベルトも特に異論を唱えることなく上官からの指示を聞いていた。


 だがどうにも腑に落ちないことがあった。


 しばらく前から不穏な輩がバクレールに踏み込む頻度が増え、進入の手口も巧妙になっているのだ。そのたびに討伐の依頼が入っていたが、徐々に後手に回り、最近では根城を構えられて初めて近隣から急な助けの要請がはいることがほとんどである。

 警戒を強めているのにこの有様。最初こそ自分達騎士隊の不手際と考えていたが、さすがにそれが続くと別の可能性も考えられる。


(まるで手引きをしている者が内にいるようだ……)


 そんな考えが浮かぶ。

 そしてそんな考えと同時に浮かぶのが、『ならば誰が』という疑問。

 一介の騎士ゆえ領内の事情にさほど詳しいわけではないが、それでもある程度の人間関係は把握している。領主の人柄、人望、他家との関係、領民からの評価、あまり好ましいものではないのが気にかかるところである。

 そこから導き出されるのは……と、そこまで考え、アルベルトがふると首を横に振った。領主を疑うなんて邪推だと己に言い聞かせる。


「おいアルベルト、どうした?」

「マリユス……。いや、なんでもない、少し考え事をしていた。それより手筈は整ってるな」

「あぁ、お前だけ先行させる形になるが、把握してる賊の数なら楽勝だろ。俺達の活躍の場を奪ってくれるなよ」


 冗談めかして告げてマリユスが肩を叩いてくる。緊張や悩みを気遣う彼らしい対応だ。

 だがそれに対してなんと返して良いのか分からず、ただ「戦況次第だな」とだけ返した。マリユスが盛大に溜息を吐き、「つまらない奴め」と非難の視線を向けてくる。


「騎士に面白さを求める方が間違いだ」

「だからってなぁ……。冗談や皮肉の一つや二つ言えるようになれ」

「それが強さに関係するなら学ぼう」

「……あぁ分かったよ。ただヘマだけはするなよ」


 諦めたと言いたげにマリユスが溜息交じりに告げてくる。それに対してもアルベルトは真剣な表情で「手筈通りに動く」と返した。自分が面白くないのは重々承知だ。

 そんなやりとりをしていると、騎士の輪からシャルが歩み出てきた。凛とした佇まい、迷いの無い瞳、気さくなマリユスとは真逆な彼女は、それでも同じようにアルベルトの胸に安堵感を抱かせる。


「アルベルト、準備はできたか?」

「あぁ、そっちはどうだ」

「今か今かと待ってるぐらいだ。今回こそ完璧に叩いて、バクレールを狙う輩に見せつけてやらなきゃならないからな」


 使命感に燃えているのだろう、シャルが昂りを抑えきれないと言いたげに剣の柄に手を掛ける。今この瞬間にも駆け出しそうな闘争心だ。

 それを見てアルベルトが苦笑を漏らせば、マリユスがまったくと言いたげに溜息を吐いた。


「お前達が片っ端から倒すから情報が掴めないんだぞ。多少泳がせるくらいしないとだな」

「泳がせる? 生温いことを言うな。不穏な輩はこのバクレールに一秒足りとていさせてなるものか。なぁアルベルト」

「あぁ、同感だ」

「……お前達がいりゃバクレールは安泰だ」


 反論する気が削がれたのか、マリユスが肩を竦める。

 そんな彼に対してシャルが不満げな表情を浮かべるが、これもまたいつものやりとりだ。他の騎士達も相変わらずだと言いたげな表情を浮かべるだけで制止すらしてこない。

 なんと緊張感のないやりとりだろうか。

 だがこれもアルベルトにとっては心地好いものであり、『彼等だけは裏も無く剣を手にしている』と信頼に代わっていた。


 ……だというのに。


 そんなアルベルトの考えが打ち砕かれたのは、長閑な仲間達とのやりとりから僅か数時間後。

 手筈通り賊の場所を確認し、一気に雪崩れ込むための合図を送った。予定ならば近くで待機していた騎士達が駆けつけるはず。

 合流するまでの僅かな間はアルベルト一人で応戦する事になるが、実力を買われてその役割を任されたのだ。これに臆するようなものは騎士にあらず、むしろ誇りにすら思っていた。

 だが合図の音が高らかに鳴り響いても、いち早く音を聞きつけた賊達に囲まれても、それどころか応戦が続いても仲間達が駆けつけてくる気配はない。まさか聞こえなかったのかと僅かな可能性に賭けて再度合図の音を鳴らすも、むなしく音が響くだけだ。


 一向に味方の姿は見えず、アルベルトの胸に不安と焦りが湧く。


 幸い対峙している賊は苦戦を強いるような相手ではないが、それでも数の利は向こうにある。そもそも、賊の数も事前に報告されていた数よりも多い。これは誤差の範囲に入らないだろう。

 それに、時間が経てば向こうも増援を呼ぶ可能性もある。

 そうなればいかにアルベルトとて苦戦を……それどころか討たれてしまうだろう。どんな騎士であろうと、多勢に無勢で長期戦を強いられれば終いはくる。

 それを予感し、アルベルトの額に汗が浮かぶ。戦闘ゆえの汗ではない、自分の窮地を感じての汗だ。


(なぜ誰も来ない!)


 眼前の敵を倒しつつ、仲間達の名を心の中で呼ぶ。

 だが幾度と彼等の姿を思い出したところで影一つ見えず、足音もしない。

 誰も来ないのだ。合図の音は彼等が待機している場所に届いたはずなのに。

 ……いや、もしかしたら待機している場所には誰もいないのかもしれない。


「もしも誰もいないなら、誰も来ないなら……俺はこれから誰を信じればいいんだ!」


 怒声のように吠え、それでもアルベルトは剣を振るい続けた。

 ……たった一人で。



 その後アルベルトが仲間と合流したのは、数時間後。

 満身創痍ながらに難を逃れ、朦朧とする意識で帰路を歩いていた時だ。否、むしろ歩いていたというよりは足を引きずり進むに近く、足跡代わりに血が線を引いている。

 致命傷ではない。だが辛くないわけがない。

 そんなアルベルトを見つけたのが、マリユスとシャル。馬上に居た彼等はアルベルトを見つけるや手綱を操り駆けつけ、倒れる寸前のアルベルトを抱き起こそうとし……、

 それをアルベルトが拒否した。

 痛々しい傷が残る腕で、自分を支えようと伸ばされたマリユスの手を叩き落としたのだ。


「……答えろマリユス、何故来なかった」

「お前が行った後すぐに作戦中止の伝令が来たんだ。お前にも伝令が行ってると言われた」


 それを信じ、仲間達と撤退をした。だが領土に戻ってもアルベルトの姿は無く、異常を感じてマリユスとシャルが戻ってきたのだという。

 そして今に至るのだ。それを騙るマリユスの口調に嘘をついている様子はない。シャルも同様、それどころか今の彼女は普段の凛々しさが嘘のように青ざめ、悲痛そうな表情を浮かべている。弱々しい表情は年相応の令嬢のようだ。

 彼等は事実を話している、彼等も騙されたのだ。長く付き合ってきたからこそ分かる。

 ……だけど、それでもアルベルトの胸中に僅かな疑惑が浮かぶ。彼等の顔を直視することが出来ず、俯く事で視線から逃げた。


「先に戻っていてくれ……」

「だがアルベルト、その傷じゃ……!」


 シャルが悲痛そうな声をあげる。それに対してもアルベルトは顔をあげることが出来ず、絞り出すような声で「たいしたことない」と答えるだけに止めた。

 余計な口を開けば、疑惑を正面から彼等にぶつけてしまいそうになる。


「少し頭を冷やしたい。騎士隊には適当に話をつけておいてくれ」

「あぁ、分かった……。行くぞ、シャル」

「でも……! それならせめて馬を」

「いや良い、時間が欲しい」


 食い下がろうとするシャルの言葉をアルベルトが制する。もはや拒絶とすら言えるその断言に、シャルが青ざめた表情のまま小さく頷いた。

 そうして二人が再び馬上に戻り、手綱を握り馬を操る。遅い歩みで進みだすあたりアルベルトを気遣っているのが分かる。一言でも「待ってくれ」と言えば、彼等はすぐさま振り返って手を差し伸べてくれるだろう。

 だがそれが分かっても今のアルベルトは彼等の気遣いに応える気になれず、ゆっくりと去っていく背中を見つめるしか出来なかった。


(マリユスとシャルは味方だ。それは分かっている。……だけど、それでも)


 本当に信じて良いのかと己の中で疑問が浮かぶ。抱いていた信頼が揺らぐ。胸を占める息苦しさは疲労や負傷のせいではないだろう。

 なにより辛いのは、昔馴染みの彼等さえも疑っているという事実だ。揺るぎなかったはずの信頼が疑惑に浸食され、「あいつらを疑うのか」と自分自身を責める。


 そうして一度抱いた猜疑心は止むことなく、騎士隊に戻っても、今回の件を【伝達ミス】と処理しても、以前通りの日常に戻っても、いつまでもアルベルトの胸の中に残り続けていた。

 平穏を取り繕っても以前のように接することが出来ず、次第に距離を置き始める。

 いつの間にか信じられるのは己の強さだけになってしまっていたのだ。ならば強さを極めればいいと半ば自棄になり、それがまた周囲との溝を深めていく。

 マリユスやシャルとさえ言葉を交わすのが躊躇われ、必要な伝達と、当たり障りのない白々しいやりとりだけになっていた。


 そうして、いつしかついた渾名が【氷騎士】。


 アルベルトの髪と瞳の色、そして見る者が寒気を覚えるほどの強さ、仲間さえも信頼しない冷酷さ……それらを氷に例えられたのだ。

 風の噂でそれを聞いたアルベルトは自虐的に笑い、もはや訂正する気も無いと聞き流していた。氷騎士と恐れるならそれでいい、誰が裏切るのか分からないのなら、誰も近付いてこないほうがいい、誰も近付かないなら誰も疑わずにすむ。

 ……そう考えるようになっていた。



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