11:夜の公園
「……あれ?」
とキャスリーンが意識を戻すと共にゆっくりと目を開けた。
浮いているような気がする。いや、実際に足は着いておらず横になって揺れている。
それが分かっても思考が追い付かず、ぼんやりとする意識の中で自分に何があったのかを思い出そうとすれば、「気が付いたか?」とアルベルトの声が頭上から聞こえてきた。
導かれるように顔を上げれば、いつもより近くに彼の顔がある。
星が浮かぶ夜の闇に、藍色の髪が揺れる。同色の瞳に心配そうに見つめられ、ようやくキャスリーンは自分が彼の腕の中にいるのだと理解した。
彼に抱き締められて運ばれている。所謂お姫様抱っこというやつだ。
「す、すみません私……! もう大丈夫です、歩けます!」
「いや良い、無理するな。トルステア家まで運んでやるから」
「でも、重いし、それに自業自得ですから!」
だから! とキャスリーン訴える。だがアルベルトは聞く耳持たずで、「大丈夫」を繰り返すだけだ。もちろん歩く足を止める事も無い。
そのうえ穏やかに笑って「俺にだけは気兼ねなく運ばれてくれ」とまで言って寄越すのだ。これにはキャスリーンも抵抗する気が削がれ、せめてと彼の服を掴んだ。
大人しく運ばれる意思表示だ。察したアルベルトが嬉しそうに笑う。
「もう暗い……。私、どれだけ気を失ってたんですか?」
「結構な時間だな。あんまり目を覚まさないからナタリア様をお呼びしてみて貰ったんだが、『夜まで起きてこなかったら運んでね』って台車を置いて帰られた」
「お母様、酷い……!」
キャスリーンが母からの扱いに嘆く。
いくら己の力量を弁えず戦った挙句に気絶したとはいえ、台車はあんまりだ。昨夜はあれほど優しく諭してくれたというのに――そう嘆きつつ昨夜の優しいナタリアを思い返すも、同時に不埒だの汗臭いだのと言われたのも思い出した。訂正しよう、昨夜もさほど優しくなかった――
そんなキャスリーンの嘆きに、アルベルトがクツクツと笑う。「無事だったからこそだ」という彼の言葉からどれだけ心配させてしまったかを察し、キャスリーンが彼の服をぎゅっと強く掴むと共に謝罪した。
「調子に乗って癒しの力を使い過ぎました。シャルに大口叩いたのにこの様で恥ずかしいです」
「気にするな。むしろ気絶するまで挑んでくるのをシャルが褒めてたぞ。……まぁ、戦場でやられたら困りものだが」
「……気を付けます」
訓練での事ならば根性を買われて褒められるものかもしれないが、戦場で無茶をして気絶など迷惑でしかない。それこそまさに足手纏いだ。それが分かってキャスリーンが項垂れれば、アルベルトがそっと顔を寄せてきた。
そうして額にキスをしてくる。突然の事にキャスリーンが目を丸くさせれば、照れくさそうに彼が笑った。
「頭を撫でて慰めてやりたいが、生憎と両腕が塞がってるからな」
「……だからって」
己の頬が赤くなるのを感じつつキャスリーンが訴えれば、つられたのかもしくは自分の行動を省みて恥ずかしくなったのか、アルベルトの頬も赤くなっていく。
次いで彼はふっと視線を逸らし、呟くように「少し話がしたい」と告げてきた。
「話ですか……?」
「あぁ、トルステア家に向かう前に、少し良いか?」
「はい」
断る理由もなく、そして自らも話すことがあるとキャスリーンが頷いて返した。
そうして向かったのは、トルステア家までの道程にある小さな公園。
日中は賑わっているものの、周囲が暗くなった今はシンと静まり返っている。周囲を見回しても人の気配はなく、キャスリーン一人であったならば不安と恐怖を抱きかねない程だ。
そんな公園のベンチに腰掛ける。街灯が灯ってはいるものの頼りなく、時折は消えかけて揺らいでいる。
暗さもあって肌寒さを覚えれば、気付いたアルベルトが上着を掛けてくれた。頭一つ以上身長差があり、体格も違う彼の上着だ。小柄なキャスリーンは肩に羽織るというより包まれるに近い。
その温かさを堪能していると、アルベルトが深く息を吐いた。見上げれば、隣に座る彼は酷く深刻な表情をしている。
「キャス、バクレールでの反乱の話だが、俺が思っている以上に事の進みが早い。悠長に悩んでいる場合じゃないみたいだ」
「そんな……」
「故郷に対して未練があるのか分からない。だがシャルとマリユスの頼みは断れない……。俺は一度バクレールに戻ろうと思う」
「それなら第四騎士隊として、皆で行きましょう。アルベルト隊長の故郷の事なら、みんな協力してくれるはずです!」
「……あいつらが協力してくれても、国が許可しないだろ」
溜息交じりにアルベルトが首を横に振る。「俺は……」と小さく呟かれた言葉は弱々しく、キャスリーンが彼の顔をじっと見つめた。
もしかして彼は知っているのだろうか……。そんな疑問を抱けば、キャスリーンの視線に気付いたアルベルトが僅かに口角を上げた。心配させまいとしているのだろう、だが随分と痛々しい笑みだ。
「俺は国に疑われている。その俺が騎士隊を率いてバクレールに戻りたいなどと許可が下りるわけがない」
「……知ってたんですね」
「最近やたらと視線を感じていたが、昨夜のナタリア様の行動で確証を得た」
「お母様の?」
「あぁ、俺は着けられている。だからナタリア様は俺がバクレールに関する事を言い出す前にと割って入られたんだ」
「そう、だからあの時……。今も付けられているんですか?」
キャスリーンが伺いつつ周囲を見回す。
といっても暗い公園では視野などあって無いようなもの。アルベルトならまだしも、キャスリーンが人の気配など探れるわけがない。国がアルベルトの監視として付けた者なら尚の事、キャスリーン程度では気付けまい。
だが案じて周囲を見回すキャスリーンに対し、アルベルトは酷く落ち着き払っている。それどころかキャスリーンを宥めるようにポンと一度頭を叩いてきた。
「大丈夫だ。双子に監視の邪魔するよう頼んでおいた」
曰く、アルベルトを監視していたのは王宮から秘密裏に任命されていた騎士だという。もちろん第四騎士隊以外の騎士だ。
詳細はナタリアが教えてくれたらしく、台車をアルベルトに押し付ける際に「うちに運ぶのは第四騎士隊だけにしてね」と言って寄越したらしい。
それはつまり、アルベルトが第四騎士隊以外の者をトルステア家に連れて行きかねないということ。正確に言うのなら、アルベルトが第四騎士隊以外の者に後を着けられ、トルステア家まで連れいきかねない……ということだ。
ナタリアの言わんとしていることを察し、アルベルトは己が付けられていることを双子に伝えて対策を頼んだのだという。
同じ騎士ならば双子も顔を知っており、近付くと見せかけて妨害するのは無理な話ではない。
その光景がありありと想像でき、キャスリーンが着けられていない事にほっと安堵した。やましい話をする気はない、それでも盗み聞きされているのは気分が悪い。
「ローディス達がただ邪魔するだけで終わるわけがありません。今頃、その騎士はきっといいお酒を奢らされてますね」
キャスリーンがわざとおどけてみせれば、アルベルトが苦笑を浮かべて頷いて返してきた。同感だと話す口調は先程よりかは幾分楽そうになっている。
それでも次の瞬間には深く溜息を吐いてしまった。表情は暗く、藍色の瞳はどこか遠くを見つめている。
隣に座っているはずなのに、彼の心はまるで遠い場所に行ってしまったかのようだ。
どこか? ……バクレールだ。
このままふわりと彼の体が消えてしまいそうな気がして、キャスリーンがそっとアルベルトの腕に触れた。身を寄せ、逞しい肩に頭を載せる。
「キャス?」
「バクレールで何があったのか、話してください。私ちゃんと聞きますから」
「……あぁ、ありがとう」
穏やかに微笑んでアルベルトが話し出そうとする。
だがその直前、キャスリーンは「ちょっと待ってください」と彼を制した。周囲を見回す。相変わらずシンと静まった薄暗い公園だ。自分達以外には誰も居ない、誰も来そうにない。
「誰もつけてきてないんですよね?」
「あぁ、今は誰の気配も感じないな」
「そうですか。それなら……」
念のために最後に一度周囲を見回し、キャスリーンがそっとアルベルトに近付き……彼の唇にキスをした。
唇が触れるだけの軽いキス。それでもキャスリーンからするのは始めてで、恥ずかしさで頬が熱くなっていくのか分かる。ゆっくりと離せばひんやりとした風が頬を撫で、椅子に座り直して慌てて己の頬を押さえた。……熱い。
チラと横目でアルベルトを見れば、彼は不意打ちのキスにきょとんと眼を丸くさせているではないか。唇が触れている最中も彼は目を開けていたのかと考えれば、キャスリーンの中で恥ずかしさが増していく。
(私からキスなんて初めてだわ。突然で驚かせてしまったかしら。……でも、どうしてもアルベルト隊長に伝えたかったの)
そうキャスリーンが心の中で訴え、再びアルベルトの肩に頭を載せる。恥ずかしさと頬の熱を吐き出すようにふうと一息吐けば、ようやくキスをされたと実感したのかアルベルトが笑みを零した。
嬉しそうな表情だ、見ているとキャスリーンの胸が温まっていく。
「キャスからキスをしてくれたのは初めてだな」
「勇気を出したんですよ、改めて言わないでください」
「いや、なんだか嬉しくて」
「だってアルベルト隊長に教えたかったんですもん……」
なんとも気恥ずかしく、キャスリーンが拗ねるように訴える。
それに対してアルベルトが「教える?」と尋ねてきた。そんな彼に身を寄せ、無造作に置かれた手に自分の手を重ねた。
男らしいアルベルトの手。
普段は包むように握ってくれるその手を、今夜はキャスリーンが包む。もっとも、体格同様に手の大きさも違うのだ、包むというよりは乗せるに近い。
普段は暖かな彼の手が、今夜は少し冷たく感じる。まるでこのまま凍ってしまいそう……そんな事を考え、キャスリーンが自分の熱を彼に与えるように強く握った。
「どんな話を聞いても、私はアルベルト隊長が好きです。バクレールで何があったとしても、今ここで私の隣にいるアルベルト隊長の事が好きです」
「キャス……」
「約束します。アルベルト隊長がどんな話をしても、私は話し終えた隊長にもう一度キスをします」
だから、とキャスリーンが彼の手を握りながら話を促す。
彼の胸中はさぞや複雑だろう。バクレールでの過去、エネット家の不穏な動き、忠誠を誓った国に疑われる辛さ……。それらが綯交ぜになり、話をするのも辛いはずだ。
そんな中にもしも『話をしてキャスリーンに嫌われたら』等という心配があったなら、それは余計な心配だ。無駄な心労は早々に省くに限る。
アルベルトへの想いは変わりようが無いのだから。
それを示すためのキスだったのだ。伝わったのだろうアルベルトが小さく感謝の言葉を口にし……そしてゆっくりと、過去を思い出すように話し出した。




