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09:騎士の一騎打ち

 

 いかにバクレールに反乱の芽が芽生えていようと、アルベルトが首謀者の疑惑を掛けられていようと、キャスリーンは聖女である。今すぐにでも彼のもとへと向かってこの事実を伝えたいところだが、午前にある聖女の務めを蔑ろにするわけにはいかない。

 だが表情には出てしまい、ふとした時に考えこんでは「キャスリーン様、どうなさいました」と名を呼ばれてはたと我に返った。

 これで何度目だろうか。慌てて取り繕い、心ここにあらずだったことを詫びる。もっとも、しばらくすればまた考え込んでしまうのだが。

 久方ぶりに顔を隠すベールが恋しい。あれがあれば、どんなに悩んでいても声さえ取り繕えば気付かれなかったのに。


「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたの。……えっと、次は誰かしら?」

「私です、キャスリーン様」

「ヘレナ夫人、この間は薔薇の棘に指を痛めてしまったのよね。今日は何かしら?」

「今度は黄色い薔薇に刺されてしまいました」

「貴女のお庭の薔薇は随分と活きが良いのね」


 一度躾をするべきよ、と告げてキャスリーンが片手を夫人に差し出した。

 軽く振って癒しの力を使えば彼女の顔がパッと明るくなる。

 そうして次は……と隣に立つナタリアを見れば、書類を眺めていた彼女がその視線に気付き「今日は終わりよ」と笑った。


「終わり? でもまだ早いわ」

「申し出が少なかったの。こんな日もあるわ」

「でも、ヘイン伯は? それにマーサ夫人も」


 いつもなら、孫を抱きかかえただの一緒に走りまわっただのとヘインが体の痛みを訴え、マーサが美容への拘りを見せてくる。だというのに二人共今日は何も言わず、見れば静かに謁見の間の一角に並んでおり、キャスリーンと目が合うと穏やかに微笑んできた。

 ヘインの口元の皺が濃くなる。伯爵というより優しい祖父といった表情だ。


「孫達は数日旅行に行ってましてね。いやぁ、今朝は穏やかな朝でした」

「そうなのね。……それならマーサ夫人は?」

「今日は髪の調子も肌の調子も良いんです。今日の私は完璧なほど美しいわ」

「そうね。ならヘレナ夫人、指以外にもどこか」

「大丈夫です、キャスリーン様。薔薇以外はとても優しい花ですから」

「他は、本当にみんな他になにもないの?」


 普段ならば次から次へと――それもどれも緊急性を要するものではない――申し出が出てくるというのに、今日に限ってはもう終わりだという。

 今までにない事にキャスリーンがパチンと目を瞬かせ、壁に掛けられている時計を見上げた。まだ随分と時間が早い。鐘の音も当分鳴りそうにない。

 そんなキャスリーンの驚く様がおかしかったのか、並ぶ者達がクスクスと笑い出した。


「キャスリーン様、以前はそれはそれは面倒くさそうに私達の話を聞いていらしたのに。まさか次は無いのかと言い出すなんて」

「……そ、それは。あの時はごめんなさい」

「いえ良いんです、責めているわけではありません。ですが残念ながら今日の私達は普段より元気でして、怪我も痛みも無いんです」


 そうヘインに言われ、キャスリーンがふと考えを巡らせ……「それは良いことね」と笑った。癒しの力で傷や痛みを治せるが、元々それらは無い方が良い。健康が一番である。

 なにより、彼等の考えが分かったのだ。見ればいつの間にかナタリアがレイピアを手にしている。

 いつも通りだ、時間は早いが。


「キャスリーン、聖女としての仕事はお終いよ。たまには午前中にキャスになっても良いんじゃない?」

「そうね、ありがとうお母様。みんなありがとう」


 レイピアを受け取り、腰元に収める。

 そうして立ち上がれば、謁見の間に並ぶ面々が深々と頭を下げてきた。だが頭を垂れているものの表情は柔らかく笑んでおり、まるで娘や孫を見送るようだ。


「それじゃ行ってくるわ!」


 彼等の気遣いへの感謝も込めて告げ、キャスリーンが謁見の間を飛び出した。



 王宮を出て向かうのは、もちろん第四騎士隊の訓練所だ。

 キャスリーンのみ午前中は王宮で聖女として務めているが、騎士隊の仲間達は午前中だろうと午後だろうと変わらず騎士としての仕事をしている。訓練、遠方での討伐や警備、とりわけ身分も爵位も関係なく雑多に集められた第四騎士隊の仕事の幅は広く、これは騎士の仕事かと首を傾げたくなる雑用もこなす。

 今日は確か訓練のはず……そうキャスリーンが聞かされていた予定を思い出しながら走れば、向かう先から賑やかな声が聞こえ始めてきた。

 随分と盛り上がっている。これは第四騎士隊だけの声ではない。


「今日って合同訓練だったかしら? でも、なんだかいつもの声と違うような……」


 聞こえてくるのは訓練時の掛け声や剣戟ではなく、もっと楽しそうなものだ。まるで見世物でもあるかのような盛り上がりに、キャスリーンが首を傾げつつ足を進める。


 そうして辿り着いたそこで繰り広げられる光景に、キャスリーンが唖然として立ち尽くした。

 聞こえてくる激しい剣戟は、たった二人の騎士が放ったもの。

 幾度となく互いに繰り出しては受け止めあう様は見事としか言いようがなく、見ているだけでも手に汗を握ってしまう。熱気とすら言える気迫が漂ってくる。

 囲むように観戦するのは第四騎士隊の仲間達。それどころか他の騎士隊の者まで姿を見せ、皆口々に剣を交わす二人の騎士を鼓舞している。

 職位が高く普段は澄ましている騎士達も、この戦いを前にするとらしくなく興奮し、騎士の性で声をあげてしまうようだ。

 だがそれほどまでに、二人の騎士の剣技は熱く激しい。


「アルベルト隊長と……それに、シャル?」


 艶のある長い髪を揺らしながらアルベルトの一撃を受け止めるのは、間違いなくシャルだ。

 その動きは見事としか言いようがなく、周囲もあの見知らぬ騎士は誰だと口々に話している。なにせあの氷騎士アルベルトと剣を交わし続けているのだ。それだけで注目の的なのに、凛として麗しい風貌をしている。となれば、皆が口々に身元を問うのは当然だ。

 そんな中、のんびりと観戦しているローディス達を見つけキャスリーンが慌てて駆け寄った。マリユスの姿もあり、彼はこちらに気付くと「お勤めご苦労さん」と労ってきた。

 だがキャスリーンはその労いに返す余裕も無い。……もちろん「午前中のキャスだ、尻尾はちゃんと隠したか?」だの「午前中のキャスとは珍しい、海水は拭いたか?」だのと三つ編みを揺らしてくる双子を咎めている余裕も無い。


「なんでアルベルト隊長とシャルが?」

「さぁ? 訓練してたら突然こいつらが入ってきて、シャルが『腕が鈍ってないか見てやる』ってアルベルト隊長に言い出したんだ。なぁロイ」

「あぁ、それで始めて見たら殆ど互角で、決着のつきようがない。いつのまにか外野が増えてこの通りだ」


 ローディスとロイが説明し、次いで顔を見合わせて肩を竦める。

 彼等からしてみれば、訓練中に割って入られ、その挙句にこの騒ぎなのだ。アルベルトの指示が無いため勝手に訓練を終えることも出来ず、観戦するほかどうしようも無いのだという。おまけに他の騎士隊まで集まり出し、ひとまず終わるのを待って今に至る……と。

 その話を聞き、キャスリーンが再び剣を交わす二人へと視線をやった。いまだ激しい戦いを見せており、どちらも力尽きる様子はない。

 かつて氷騎士と呼ばれ恐れられるほどの実力を見せていたアルベルト、そしてそんな彼と互角に戦うシャル……。二人の実力を知るマリユスは「アルベルトが加減してやっている」とは言うものの、傍目にはそれが分からぬほどシャルの動きは力強く見事だ。

 他の騎士並……などではない。全ての騎士団を交えても、彼女の右に出るものはそういないだろう。


「凄い……。あんなに強いなんて……」


 見惚れるように呟けば、ローディスとロイが同感だと頷く。マリユスだけがまるで自分の事のように「そうだろ、シャルは強いよな」と二人の闘いを眺めている。

 だがそんな闘いも、一際高く大きな剣戟を最後に幕を閉じた。

 誰もが一瞬息を呑む。先程までの喧騒が嘘のように周囲が静まり返った。

 そんな張り詰めた空気の中、小さく呻いたのはシャル。彼女の手には剣が……無い。数歩後ろを行ったところに無造作に転がっている。

 最後となった一撃。互いに満身の力で放ち合い、彼女が押し負け剣を手放したのだ。


「……私の負けだ」

「また腕を上げたな。正直、今回は不味いと思った」

「手加減していたくせに良く言う。でもお前の腕が訛ってなくて良かった」


 そう互いを称え合い握手を交わす姿はまさに騎士だ。周囲から拍手と歓声があがり、アルベルトはもちろん名の分からぬ騎士の検討を称える声も上がる。

 キャスリーンもまた彼等を称えるように拍手を送れば、気付いたアルベルトがシャルと共にこちらに向かってきた。額にはうっすらと汗を掻き、息が上がっている。それほどまでに過酷な闘いだったと分かる。


「キャス、早かったな」

「はい。今日は申し出が少なく早く終わったんです」


 話さなければならない事もあるし……とキャスリーンが心の中で呟いた。流石に今の状況で昨夜ナタリアから聞いた話をする事は出来ない。

 昨夜のナタリアの様子を見るに、盗み聞きに注意する必要があるだろう。とりわけエネット家の息のかかった者が王都に居る可能性があるのだ、迂闊な事は口走れない。

 だからこそ、どうにか人気のない場所に行かなくては……とキャスリーンが考える。だがアルベルトはそんな考えを知る由もなく、聖女の仕事を終えたことを労ってくれた。

 次いで頭を撫でる為だろう、手を伸ばし……直前で止める。

 いつも通り頭を撫でて貰えるのだろうと思っていたキャスリーンが、どうしたのかと彼を見上げた。――頭を撫でて貰っている場合ではない、とは言うなかれ。どんな事態でも頭を撫でて貰えるに越したことは無い――


「アルベルト隊長?」

「……思った以上に手に力が入ってたようだ」


 気まずそうに笑い、アルベルトが上着の裾で己の手を拭く。照れ臭そうなその表情は先程までシャルと剣を交えていた時の気迫ある表情とは違い、温かく、そしてどこか可愛く見える。

 キャスリーンも笑みを零し、腰元の鞄からハンカチを取り出す。そうして白いハンカチを彼に差し出そうとし……ペシン、とその上に別の白い布が被せられ目を丸くさせた。

 いったい何か……。手に取って広げれば、それは人の手の形をしている。ハンカチではない、手袋だ。だがどうして手袋が自分の手に被さってきたのか。

 キャスリーンが疑問を抱きつつ顔を上げれば、そこにはアルベルトと……その背後にいるのは、先程まで彼と剣を交えていたシャル。アルベルトと戦い終え握手を交わしていた時こそ清々しく笑っていたというのに、今はどこか不機嫌そうな表情をしている。


「シャル?」

「キャス、私と一戦しよう」

「……え!?」


 突然のシャルからの申し出に、キャスリーンが驚愕の声をあげる。――その瞬間にマリユスが盛大な溜息と共に額を押さえ、そんな彼の肩をローディスが叩いた――

 これにはアルベルトも驚き、キャスリーンとシャルの交互に視線をやった。


「おいシャル、何を言ってるんだ」

「アルベルト、どうして私がお前に挑んだか分かるか?」

「俺の腕が鈍ってないかって話だろ。それがどうしてキャスにまで」

「前にお前が戦ってるのを見て、お前の腕が鈍っていると思ったんだ。他所を気にして、以前のような鋭さが無くなっていた。その理由はキャスだ」


 はっきりと名指しされ、キャスリーンがビクリと肩を震わせる。

 彼女の言わんとしている事が分からないわけではない。

 確かに、先日の市街地での騒動はおろか、どんな戦場でもアルベルトは自分を気にかけてくれている。敵と対峙し危機に陥った時は必ず駆けつけてくれる。――それゆえに『過保護騎士』と陰で呼ばれているが、生憎と当人は気付いていない――

 それが彼の負担となり、かつてのような強さを発揮できていない……。

 それはつまり……。心の中で浮かびかけた言葉にキャスリーンの胸が痛んだ瞬間、シャルがきつく睨み付けてきた。


「キャスが騎士として戦えるのか、それともただ騎士ごっこをしたいだけの『足手纏い』なのか、私が見てやる」


 オブラートどころか気遣い一つ無い言葉で言い当てられ、キャスリーンが差し出そうとしていたハンカチと投げつけられた手袋をぎゅっと握りしめた。足手纏い……その言葉が重くのしかかる。

 それでもと顔を上げ、「分かったわ」と応戦の決意を見せた。


「キャス、やめておけ危ないぞ」

「大丈夫です。それに、騎士として挑まれたなら応えなければなりません」

「だがシャルの腕前はお前も見ただろ?」

「はい。でも……大丈夫です。私だって戦えます!」


 任せてください! とキャスリーンが腰元のレイピアを抜く。

 それを見たシャルが不敵に笑い、再び剣を抜いた。元より彼女は戦う気満々なのだ、制止しようとしてくるアルベルトを「騎士の手合わせを邪魔するな」と一刀両断してしまう。

 次いで彼女はキャスリーンに向き直ると、応戦的な笑みを浮かべた。凛とした麗しさのある彼女が応戦的に笑えば、同性だと分かっていてもドキリとしてしまいそうな蠱惑的な魅力がある。だが今はそれ以上に無言の圧力を感じる、気迫だけで既に圧倒しようとしているのだ。

 ここで気圧されてはいけない……!

 そう考え、キャスリーンもきつく彼女を睨み返した。


「意外だな。怖気づくかと思った」

「私だって第四騎士隊の騎士ですから。貴女に勝つ……とまではいかなくても、一矢報いることぐらいは出来ます。それに、貴女には話して和解するよりこっちの方が良いと思ったの」


 ツンと澄ましてキャスリーンが告げれば、シャルが「期待してる」と告げて歩き出した。外野の輪の中、先程まで彼女とアルベルトが戦っていた場所だ。

 充分なほどに開けたそこは、まるで舞台のように見える。ライトは太陽の光、観客は満員御礼。再び一戦見られると湧きたっている。

 そこに向かうシャルの後ろ姿は勇ましくさえ見え、キャスリーンもまたレイピアを握り直すと共に歩き出した。




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