08:先代聖女の貴重な話
アルベルトと別れたキャスリーンが向かったのは、もちろんナタリアの部屋である。
怒りに任せて部屋へと飛び込めば――もちろんノックはしたが――紅茶を片手に本を読み、キャスリーンを見てコロコロと笑う彼女の姿のなんと優雅なことか。とうてい娘のキスシーンを覗いていたようには見えない。
だが机の上にはオペラグラスが置かれており、キャスリーンはそれを睨みつつ室内へと入ると、怒りの度合いを示すように半ば乱暴に彼女の向かいに腰かけた。
「お母様、門限ってなによ!」
「不埒な娘に門限を設けようと思ってるのよ」
「ふ、不埒!? そんな風に言わないで!」
キャスリーンが喚くように訴える。娘の恋路を不埒と揶揄うなど、なんて酷い母親だろうか。
だがキャスリーンが喚いても睨んでもナタリアは優雅に笑い、それどころか「さて」とさっさと話を切り替えてしまった。次いでゆっくりと立ち上がり、窓辺へと向かう。
夜風を楽しんでいたのか窓は半分ほど開かれカーテンを揺らしていたが、それをパタンと閉じてしまった。
わざわざ見せつけるように窓を閉められ、シンと室内が静まり返る。妙な緊張感を覚えてキャスリーンが改めるように母を見つめた。
だが彼女は何も言わず、窓にしっかりと鍵を駆け、それどころかカーテンを閉めてしまう。
まるで室内を隠すように……。
誰かに聞かれることを危惧するかのように……。
「お母様……?」
「さすがにトルステア家には来ないだろうし、そもそもここは二階だもの、誰も聞けやしないわね。でも念のためよ」
「ねぇ、どういうこと……。何の話?」
「キャスリーン、落ち着いて聞きなさい。バクレールから二人の騎士が来ているのは知っているわよね?」
「え、えぇ……。シャルとマリユスよね。どうしてお母様が彼等のことを?」
「バクレールでは今エネット家が不穏な行動をしているわ」
ナタリアの言葉に、キャスリーンがぎょっとして彼女を見る。まるで日中の話をそのまま言い直されているかのようではないか。
だがシャル達の話はレストランの個室で聞き、もちろんアルベルトに言われた通り誰にも言っていない。普段は人の恥ずかしい失態や言わなくていいことをペラペラと言いふらす双子だって、この話題に関しては別だと分かっているはずだ。
バクレールの事を知っているのは自分達だけ、そう思っていた。あとはシャル達の訴えを聞いた王宮の関係者か。それだって極一部なはずだし、そもそも訴えは黙示されている。
だからこそナタリアの口から話が出たことが信じられずキャスリーンが目を丸くさせていると、彼女はクスと悪戯っぽく笑ってキャスリーンの耳をちょんと突っついてきた。
「いずれ分かるわ。そうね……キャスリーンが聖女の力を皆に使った時にね」
「聖女の力? それならいつも使ってるわ。皆の怪我を治してるもの」
「その『力を使う』じゃないのよ」
「聖女には別の力があるの? でもそんな話聞いたことが無いわ」
「そうねぇ、私の時は平和だったから一度も使わなかったものね。だって面倒な事に口を挟みたくないんだもの。でもキャスリーンは必要とするかもしれない。それに、今はその事を話している場合じゃないの」
徐々にナタリアの声色が真剣なものになり、キャスリーンの緊張が増していく。
バクレールに関する話なのだろう。それも改まって、聞かれるのを危惧して窓を閉めてまで話すような事だ。
それ程までのこと……と考えキャスリーンがじっとナタリアの続く言葉を待てば、彼女はテーブルの上に乗せられたキャスリーンの手をぎゅっと握ってきた。
普段は優しく、そして時には意地悪に笑う唇がゆっくりと動く。そうしてナタリアが言い聞かせるように、
「バクレールの反乱に関して、アルベルトが首謀者ではないかと話が上がってるの」
と告げてきた。
その言葉に、キャスリーンは頭の中で渦巻いていた思考が一瞬にして真っ白になるのを感じた。
バクレールの不穏な行動について、国は気付いていないわけではなかった。もちろんシャル達の訴えにも、一部の者達とはいえ目を通している。
だが確証がもてず、あぐねいているのが現状である。
不正に気付いた時には既にエネット家は手を広げ、迂闊に手を出せない状況にまで陥ってしまったのだ。それどころか王都にもエネット家を支持する者がおり、バクレールを調べるどころか内部がごたついてしまっている。
そのうえ自国内ならばまだしも、国家間の問題になりかねないのだ。だからこそ慎重にいかねばならず、調査も全て後手に回ってしまう。
そんな中、いつしかアルベルトの名前が上がり始めた。バクレールから単身王宮へと参じた騎士となれば、彼の名前が上がらない方がおかしいだろう。
「でも、だからって……」
「アルベルトはバクレールでの事をあまり話したがらないらしいから、余計に疑われているのかもしれないわ」
「そんなの酷いわ。そもそも、王宮側がアルベルト隊長を呼んだんじゃない」
「それも、バクレールでの不正を隠すために、誰かが手引きして潜り込ませたんじゃないかって言われてるの」
「そんなわけない! だってアルベルト隊長は……」
言いかけ、キャスリーンが言葉を飲み込んだ。アルベルトが王都に来た理由、バクレールを去った理由、それが分からない。はっきりと否定をしたいのに言葉が出てこない。
氷騎士の異名と強さを買われたから、そう彼は言っていた。
だがそれだけではない、バクレールから逃げてきたという。それはシャルが口にした『あの事』と関係しているのだろうか。
「私、分からない……分からないけど、アルベルト隊長はそんなことする人じゃない……」
力なくキャスリーンが訴える。
彼を信じている、疑う気持ちなど欠片も無い。だが『分からないけど彼ではない』等という訴えが通るとも思えない。
これもまた確証がないゆえだ。そう考えると、エネット家の不正もアルベルトの潔白も、なにもかも決定打が無く宙に浮いているようにもどかしい。
そんな胸の内を察したのか、ナタリアが穏やかに笑い、握っていたキャスリーンの手を優しく擦り出した。
「大丈夫よ、私も信じてるわ。だってキャスリーンが決めた相手ですものね」
「……お母様」
「だからこそ私がその話を聞いて、貴女に話したのよ。キャスリーン、貴女がアルベルトを守りなさい」
そう優しくナタリアに手を握られ、キャスリーンがじっと彼女の瞳を見つめる。
自分がアルベルト守る……。その言葉が深く胸に溶け込んでいく。
「でも、私なにが出来るのかしら……」
「なんでも出来るわ。だって聖女ですもの」
「聖女って言ったって、傷を癒すだけよ」
「そうね……。癒しの力はそれだけね」
「それだけ?」
他にもあるのかとキャスリーンが尋ねる。だがナタリアはクスクスと悪戯っぽく笑うだけだ。
この表情のナタリアには、いくら尋ねても回答は得られない。はぐらかされ、「今度教えてあげる」と後回しにされ、果てには別の話題で冷やかされて終わってしまう。彼女に教える気の無い時の笑みだ。
過去幾度とこの表情のナタリアに話題をはぐらかされた事のあるキャスリーンは、せめてと「教えてお母様」と一度強請ってみた。
普段より甘えた声で訴える。もちろん、それが効くような相手ではないのは分かっているが。
「屋敷の前でキスするような不埒な娘には教えられないわ」
「もう! その話はやめて!」
「次はブレンドと観覧しようかしら。双子も呼んで……」
「絶対にやめて!」
キャスリーンが悲鳴じみた声で慌てて制止する。アルベルトとキスしているところを、両親に、それどころか双子にまで見られるなんてたまったものではない。
絶対に他言しないで! と念を押して、今度はキャスリーンからきつく手を握りしめた。約束するまで手を離さないわ……とじっとりとナタリアを睨み付ける。
この期に及んでもナタリアは「あらまぁ捕まったわぁ」と呑気な声を出している。だがキャスリーンがじょじょに力を込めて行けば、「キャスリーン? 可愛いキャスリーンちゃん?」と様子を窺いだした。
「騎士隊で培った握力、お母様に見せてあげるわ……!」
「我が娘の成長をこんなところで見たくないわね。いたたた、分かったわ、誰にも言わない、もう覗かない」
解放を求めるナタリアに、キャスリーンがふんと息を吐いて彼女の手を離した。
次いで改めて彼女に向き直る。ナタリアもキャスリーンの表情を見て本題に戻ったのだと察し、手を擦りながらも見つめ返してきた。
「お母様、私になにか出来ると思う?」
「えぇ、思うわ。だって聖女だもの」
「聖女の力を過信し過ぎよ。……でも、信じてくれるから教えてくれたのよね。ありがとう、私頑張る」
ゆっくりと立ち上がり、キャスリーンがナタリアの傍へとよる。
アルベルトとのキスを不埒だ等と言われたり揶揄われたりもしたが、ナタリアはこんな大事な事を打ち明けてくれたのだ。どういった経由で事情を知ったかは分からないが、娘相手と言えども易々と話せる内容ではない。
託してくれたのだ。
そう考えれば感謝が募り、同時に活力が湧く。その思いのままキャスリーンがナタリアに抱きつこうとし……グイと片手で体を押し返された。
見ればナタリアが露骨に鼻にハンカチを当てている。もっとも、その表情は相変わらず悪戯っぽいものに戻っているのだが。
「……汗臭くないもん」
というキャスリーンの訴えは、もちろん彼女の楽し気な笑い声に圧されてしまった。




