06:騎士の正体
宿への道は一本ではない。ロイに気付かれずに宿へ向かうのは容易だ。
だが最短のルートを彼が歩いているため、キャスリーンは遠回りせざるを得なかった。そのうえ、怒りに任せて足早に歩くロイより先に宿へ……となれば、当然だが全力疾走である。
息も絶え絶えに宿に飛び込み、その勢いのまま受付カウンターに飛びつく。
「へやっ……! お客さんっ、の……!」
「キャスリーン様? いったいどうしました」
「バクレールからのっ、お客さん、男性二人がっ……!」
「バクレールから? それなら304号室にお通ししましたが」
「304号室! ありがとう!」
受付係から部屋番号を聞き、キャスリーンが踵を返すと再び走り出した。
去り際に何か言われたような気がするが、もちろん足を止める余裕は無い。
遠回りをして時間が掛かった、もうすぐロイ達も着くだろう。それでなくとも走り続けて足が疲れているのだ、これで立ち止まって話をすれば、二度と足が動かなくなってしまう。
(せめてロイが来ることを伝えなきゃ。倒れるのはその後よ!)
そう己と足を鼓舞し、階段を駆け上がる。
二段飛ばして掛ければ三つ編みが揺れてペンペンとリズミカルに背中を叩いてくるが、今はそれすらも己を鼓舞しているように思えてくる。
そうして三階に辿り着き、通路を走る。
301、302……と扉に掛けられたプレートを横目に数え、304の扉の前で足を止めた。
ここだ。弾んだ息のままドアノブを掴む。
(まずは名乗って、でもロイが来る前に事情を説明しなきゃ。だけど最初は部屋に来たことを詫びるのが先かしら。でももしもアルベルト隊長がいなかったら!?)
走っている間は急ぐことばかり考えていたため、いざ扉を前にすると第一声が思い浮かばない。走って呼吸もままならず、落ち着きなど皆無、その瞬間になった途端に一気に考えが湧いてきたのだ。
だがいかに第一声が決まっていなくとも体の動きは止まらず、まるで体当たりするかのような勢いで扉を押し開けた。
……ノックもせずに。
「アルベルト隊長! ロイが! あの、失礼します! ロイが怒って!」
混乱と勢いのまま、わけの分からない事を喚きつつ部屋へと飛び込む。
そうしてキャスリーンが室内に視線をやり……動きを止めた。
シンと静まった室内。居るのはシャルだけ。
部屋着に着替える最中だったのか、下は先程までのズボンを履き、上は……女性用の下着という姿。驚いて硬直しているのか、突然飛び込んできたキャスリーンに目を丸くさせている。
……女性用の下着姿で。
スラリとした体つきに飾りの少ない女性用下着はよく映えており、胸元は緩やかな山を描いている。
……緩やかな山を。
「……え?」
とキャスリーンが間の抜けた声をあげた。
それとほぼ同時に、バタバタと忙しない足音が聞こえてくる。「ロイ、落ち着け!」だの「ここまで来て引き返せるか!」だのと喚く声は確認するまでもなく双子のものだ。
その声が次第に近付いてくるが、キャスリーンはいまだ現状が理解出来ず唖然としていた。「……シャル?」と呟いた己の声はまるで譫言のように細い。
その声に我に返ったのか、それとも双子の気配を察したのか、シャルが己の胸元を庇うように押さえ、
「さっさと扉を閉めろ!」
と、怒鳴りつけてきた。
その声はこれでもかと怒気を感じさせるが、高く澄んだ……女性の声だ。
一室に再び六人が顔を突き合わせて座る。
しゅんと項垂れ、申し訳なさそうに時折シャルに視線をやるのはキャスリーン。対してシャルは眉間に皺を寄せつつ瞳を閉じている。若干彼女の頬が赤くなっているが、今それを指摘出来る者はいない。
アルベルトとマリユスは参ったと言いたげに溜息を吐き、片割れと言えどもこれは庇えないのかローディスは暢気に紅茶を飲みつつ窓の外を眺めている。無関係を装うつもりだろう。
……そして、一人床に座らされているのはロイ。
その哀れな姿に、自分も同罪だとキャスリーンも彼の隣へと行こうと立ち上がろうとした。だがその直前、シャルが盛大に溜息を吐くと共に話し出した。
「確かに、扉に鍵を掛けなかった私も悪かった。不用心なのは認める。……だからって、ノックもせずに飛び込むなんて、いったい何を考えて……アルベルト、なんでお前が額を押さえてるんだ?」
「……いや、なんでもない。ちょっとかつての己の行動を省みてるんだ。続けてくれ」
うぅ……と唸りながらアルベルトが先を促す。
そんな彼の態度に、シャルが怪訝そうな表情で「本当に大丈夫か?」と尋ねた。アルベルトの様子はそれほどまでなのだ。――なぜアルベルトが呻いているのか。それは彼もまたノック無しでドアを開けた前科があるからだ――
そんなアルベルトを横目に、キャスリーンが項垂れつつシャルを呼んだ。
「シャル、本当にごめんなさい……。貴女の秘密をこんな形で暴くなんて。突然部屋に飛び込まれて秘密を暴かれる衝撃は、私が誰より分かってるはずなのに……」
「うっ……!」
「だからアルベルトはなんで苦しんでるんだ。そもそも、私は別に性別を偽ってるわけじゃない。バクレールには男用の騎士服しかないからこれを着てるんだ。身分を偽るなんてそんな卑怯な真似しない。もちろん、ノック無しに部屋に飛び込むなんて真似もしないがな」
「うっ……!」
「うぅ……!!」
「なんで二人して苦しむんだ」
キャスリーンとアルベルトが同時に呻けば、シャルの口調に呆れが交ざり始める。
ローディスとロイが「それ以上は!」だの「これは手痛い……!」だのと口々に言っているが、シャルを止めようとしているのか煽っているのか半々だ。
そんなやりとりの果てに、キャスリーンが改めるようにシャルに視線をやった。
黒い艶のある長い髪、切れ長の瞳は長い睫毛に縁どられ、凛とした美しさを感じさせる。背はアルベルトやマリユスに並ぶほど高いが、体つきはしなやかで腰のラインは女性的だ。
どうして勘違いしてしまったのだろう……とキャスリーンが心の中で恥じ、再び彼女に対して頭を下げた。
「隠していてもいなくても、着替えている最中に部屋に入るなんて失礼だわ。ごめんなさい……。もっと考えて行動すべきだった」
いったい何が原因でシャルに冷たい態度を取られていたのかは分からないが、もしかしたら彼女は自分のこの思慮の浅さを見抜いていたのかもしれない。
なにより、原因がなんであれ、自分は失礼なことをしてしまったのだ。これはもう修復出来ない……そう考えるキャスリーンに、シャルが気まずそうな表情を浮かべた。
「そんなに何度も謝らなくても……。それに、私も確かに態度が悪かったし反省してる」
「そうだよな。同じ騎士なのにキャスが小動物みたいで可愛いから、つい冷たい態度を取っちまったんだよな」
「それはあるけど……でも……マァーリィーユゥースゥー?」
「そうやっかむなって、俺はお前の方が可愛いと思うぞ。シャーロットちゃん」
なぁ、とマリユスがシャルをシャーロットと呼ぶ。それに対し、シャルがこれでもかと眼光鋭く彼を睨み付け「その名前で呼ぶな!」と彼を咎めた。
果てには剣を抜こうとしだすのだからよっぽどだ。だというのにマリユスは臆することも無く彼女を「シャーロットちゃん」と呼び、可愛いと愛でている。もちろん、そのたびにシャルの怒りが増していくのだが。
怒りの矛先が一瞬にして自分から移り変わり、キャスリーンがパチンと瞳を瞬かせた。えぇっと……と呟きつつどうしたものかとアルベルトを見上げれば、彼はこのやりとりを苦笑を浮かべて見守っているではないか。
「アルベルト隊長、シャルが怒ってますけど……」
「本当にシャルが剣を抜いたら教えてくれ、俺が止める」
「そんなぁ」
「いつものやりとりだから大丈夫だ。むしろ変わってなくて安心した」
クツクツと笑いながらアルベルトが眼前の昔馴染みのやりとりを懐かしむ。そんな彼を見上げ、キャスリーンの胸がチクリと痛んだ。
アルベルトが懐かしんでいる過去を、自分は知らない。
「キャス、どうした?」
「いえ、大丈夫です……。ただ、その……バクレールでの生活は、楽しかったのかなって……」
そうキャスリーンがしどろもどろに話す。
それを聞いてアルベルトが僅かに目を丸くさせ、次いでポンとキャスリーンの頭に手を載せた。藍色の瞳が柔らかく細められている。
「悪かった。言葉足らずで不安にさせたな」
「……アルベルト隊長」
「大丈夫だ。キャスの隣にいる。キャスの時もキャスリーンの時も、かわらずそばにいる」
頭を撫でながら告げてくるアルベルトの言葉を聞き、キャスリーンの胸に安堵が湧く。
そばにいる、それはかつて彼が誓ってくれた言葉だ。その約束を、他の誰でもないアルベルトが違えるわけがない。
「アルベルト隊長、私もう大丈夫です」
「そうか? でもあと少しくらい撫でても良いだろ」
「視界の隅でシャルが剣を抜いた気がしますけど。それにマリユスが助けを求めてこっちを見ています」
「もう少しぐらい」
「でもそろそろロイとローディスが巻き込まれそう……巻き込まれました」
「よし、止めてくる」
最後にポンと一度キャスリーンの頭を軽く叩き、アルベルトが立ち上がった。
そうして「シャル、落ち着け。マリユスも揶揄うな」と止めに入る。なんとも慣れを感じさせるその対応に、バクレールでの彼等の関係が分かる。
きっと今のやりとりを昔から繰り返していたのだろう。
(いつかバクレールでの話をたくさん聞かせてもらおう)
そう心の中で呟き、キャスリーンが深く息を吐いた。




