05:胸に湧く不安と双子の違い
話し終え店を出る。
マリユスとシャルは市街地の宿に部屋を取っているらしく、宿に向かう彼等にアルベルトが同行を申し出た。その表情はまだ話したりないと言いたげだ。
「そりゃ俺達は構わないが、お前まだ勤めの最中だろ?」
「あぁ、そうだが……」
「大丈夫です、アルベルト隊長。隊の方には私が悟られないよう説明しておきます」
アルベルトの上着の裾をくいと引っ張ってキャスリーンが告げれば、困惑していた彼の表情が和らいだ。
「頼むな」と二言返事で頭を撫でてくる。
勤めの最中に私用を優先させるなど、真面目なアルベルトらしからぬ行動だ。たとえ昔馴染みとの再会だとしても、普段の彼ならば騎士の勤めを優先するはずである。気分的にも、そちらの方が落ち着いて話が出来るだろう。
……よっぽど込み入った話がない限り。
「気の利く部下に恵まれたな、アルベルト。えぇっと、確かキャスだっけか」
どうやら辺境のバクレールにはキャスの正体については伝わっていないらしく、マリユスが気さくな態度で手を伸ばしてきた。アルベルトを見て自分も頭を撫でようとしたのだろう。
だがその手がすんでの所で止まったのは、マリユスの手首が何者かに掴まれたからだ。
何者か……険しい表情のアルベルトである。眉間に皺が寄り、眼光はかなり鋭い。
「マリユス、聖女キャスリーン様に失礼だぞ」
「失礼ってお前が彼女の頭を、待てさっきまでキャスって……いたたたた、折れる、折れる!」
離せ! とマリユスが訴え、解放された己の手首をさする。
次いで彼は改めてキャスリーンに向き直ると「え?」と間の抜けた声をあげた。キャスリーンとアルベルトの交互に視線を向ける。頭上に特大の疑問符が浮かんでいそうな表情だ。
「キャス……だよな? でも聖女って……聖女キャスリーン様?」
「はい。ですがアルベルト隊長のご友人でしたら、キャスで良いです」
「それはつまり、キャスがキャスリーン様で……。駄目だ、混乱してきた。とにかく頭を撫でようなんて失礼しました」
混乱状態のまま頭を下げてくるマリユスに、キャスリーンが気にしないでくれとフォローを入れる。『キャスリーンとキャスが同一人物』だという事はすでに王都では周知の事で、今更な彼の反応は失礼どころか少し新鮮で楽しくもあるのだ。
シャルも言葉にこそしないが驚いているようで、キャスリーンに近付くと改めるように視線を向けてきた。先程までの鋭い視線を思いだし、キャスリーンが思わず緊張して背筋を正した。
「……聖女キャスリーン様?」
「はい、午前中は聖女です。でも今は騎士ですので、キャスと呼んでください」
「聖女と騎士……」
呟くようなシャルの言葉に、キャスリーンが頷いて返す。そうして改めるように彼に片手を差し出した。
何か誤解があって凝視されていたのかもしれないが、事情を話し終えた今ならば理解し合えると思ったのだ。アルベルトの昔馴染みならなおの事。
だがそんなキャスリーンに対し、シャルは差し出された手に返すことなく踵を返して歩き出してしまった。「行くぞ、マリユス」という言葉は冷ややかで、キャスリーンの片手が行き場もなく宙で止まる。
マリユスが慌てて彼の後を追い、どうしたものかとあぐねいていたアルベルトがポンとキャスリーンの頭に手を乗せた。
「誤解しないでくれ、シャルも悪い奴じゃないんだ。その……事が事で、ちょっと気が立っているみたいで」
「だ、大丈夫です……! アルベルト隊長のお友達なら、悪い人なわけがありません!」
困惑しつつもフォローを入れてくるアルベルトに、キャスリーンが行き場の無くなった手を慌てて引っ込めて笑って返す。若干頬が引きつってしまうが仕方あるまい。
そんな強がりに、もちろん他でもないアルベルトが気付かないわけがない。彼は数度キャスリーンの頭を撫で「すまない」と謝罪の言葉を口にしてきた。
「……全て終わったら、ちゃんと話をする場を作るから」
ポンと最後に一度頭を軽く叩き、アルベルトがシャル達の後を追っていく。その後ろ姿を見つめ、キャスリーンが深く溜息を吐いた。
胸の内に言いようの無い不安が湧く。それはシャルから受けた冷たい態度からくるものだけではない。むしろシャルに対しては「失礼な人!」という分かりやすい不満だけだ。
今胸を占めるのは、不満とは何か別の、置いて行かれてしまったような寂しさ。
(アルベルト隊長、いったい故郷で何があったんだろう……)
知りたいが、聞いてはいけないような気がする。そして何より『今まで知らされていなかった事がある』という事実が胸を痛める。
だがそれと同時に湧くのが、他でもない自分が彼の秘密を知ろうとして良いわけが無い、という自虐の念。
聖女である事を隠し、キャスと身分を偽って彼を騙してきた。そんな自分が、いったいどうして彼に問えるというのか。
(全て話して、なんて言えない。でも……なんだか遠くに行ってしまったみたい)
宿へと向かうアルベルトの背がこのまま遠い故郷へ帰ってしまうようで、キャスリーンの胸に不安が増していく。見慣れた市街地の道並が、今日だけは酷く殺風景に見える。
今すぐに彼を追いかけたい、だが追えるわけがない。
そう己に言い聞かせ深く息を吐けば、ローディスが「行こう」と背中を叩いてきた。
騎士隊に戻り、通常の訓練や業務をこなし、一日の務めを終えて解散……となっても、アルベルトは戻ってこなかった。
キャスリーンの胸の内で一層不安が増す。だが仲間達に『アルベルトは用事を頼まれていつ戻るか分からない』と説明した手前、不安を顔に出すわけにもいかない。
だからこそ、自分の気持ちと表情を引き締めるため、パンッと己の頬を叩いた。
隣に立っていたロイがそれを見て、いったいどうしたのかと顔を覗き込んでくる。
「どうしたキャス。タコはストレスで自分の足を食べるって言うけど、エビはストレスで自分の頬を叩くのか? 海産物はもっと自分を大事にした方がいいぞ」
「……エビじゃないもん」
「ロイ、さすがに今のキャスをからかうのは止めろよ。ほらキャス、そうチュウチュウ落ち込むなよ」
「だからネズミでもない……」
普段通りの彼等のからかいを咎める気力もなく、キャスリーンが「チュウ……」と呟いて項垂れた。
顔に出すまいと決めても、やはり日中の事が頭の中でぐるぐると回る。
かつてバクレールでアルベルトに何があったのか。
彼は昔馴染みの頼みを聞いてバクレールに戻ってしまうのか。
なぜアルベルトの昔馴染みであるシャルは自分に冷たく当たるのか。
色々と知りたい事が出てくる。
だがそれと同時に思うのは、隠されている事の辛さ。そして自分はその辛さを仲間達に、そして彼に強いてきたのだ。
元より胸の内にあった不安に、さらに罪悪感が加わる。息が詰まりそうで深く溜息を吐けば、ローディスがひょいと三つ編みを掴んできた。軽く揺らしてくるのは、きっと彼なりの慰めだろう。抵抗する気力もなくされるがままで居れば、キャスリーンの視界も合わせて揺れる。
「奢ってやるよ、なにか食いに行こうぜ」
三つ編みを揺らしながら誘ってくるローディスの声は、普段よりも随分と優しい。
気を遣わせてしまっていると察し、キャスリーンがなんとか笑顔を取り繕って答えようとし……バシン! と背を叩かれて出掛けた言葉を飲み込んだ。
誰か? ロイだ。
これにキャスリーンはもちろんローディも驚いて彼に視線をやる。
「おい、ロイ。今は冗談はやめてやれよ」
「キャス、ローディス、行くぞ!」
「ロイ?」
突如宣言するロイに、キャスもローディスも頭上に疑問符を浮かべる。だが当の本人は二人の疑問に答える様子なく、それどころか返事も聞かずに歩き出してしまった。
何かを決意したかのような表情だ。むしろ怒気すら含んでいるように見える。
いったいどうしたのかとキャスリーンが彼を追い、ローディスと共に挟むように彼の隣に並んだ。それでもロイは真っすぐ前を見て歩いているのだからよっぽどだ。
「ロイ、行くってどこに行くの?」
「アルベルト隊長のところに決まってるだろ」
「でもまだマリユス達と話してるかもしれないだろ。俺達が行けば邪魔になる」
「俺達はまだしも、キャスがアルベルト隊長の邪魔になんてなるもんか。あいつらがそんなこと言ったら、張っ倒してやる」
物騒な発言と共に、ロイの歩く速度が増す。その荒い口調も足取りも、普段のおどけた態度からは想像が出来ない。彼の纏う空気は張り詰めており、威圧的な気迫すら感じさせる。
そんなロイをどう止めて良いのか分からずキャスリーンが困惑していると、ローディスが「まずいな……」と呟いた。すっとロイの隣から下がるのはきっと話がしたいからだろう、察してキャスリーンも少しばかり歩く速度を落としてローディスの隣に並んだ。
「ローディス、どうしよう。ロイがなんだか怖いよ」
「キャス、俺とロイは瓜二つの双子だし自他共に認めるほどに性格も似てる。だけどいくら双子と言っても微妙に違うところがあるんだ」
「違うところ?」
「簡単に言うと、ロイは俺よりキレやすい」
ローディスの発言に、キャスリーンが息を呑む。
曰く、ローディスもロイも怒らせる専門で滅多なことでは怒らないが――平然と「怒らせる専門」と言い切るローディスには一言いってやりたいが、さすがに今は聞き流しておく――よっぽどの事があれば二人とて怒る。
そしてそれが大事なものに関わる怒りだった場合、二人の対応は真逆になるのだという。
ローディスは怒りのぶんだけ冷静に、そしてロイは……激昂する。
「あれは間違いなく部屋に飛び込むな。下手すると本当にあいつらを殴るぞ」
「そ、そんな……どうしよう!」
「キャス、先にアルベルト隊長達に知らせてくれ。こうなったロイは止められないが、足止めくらいなら出来る」
「分かった!」
ローディスに指示され、キャスリーンが慌てて……それでいてロイを刺激しないよう、彼に気付かれないようにとそっと別の道へ逸れて走りだした。




