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02:美味しい騎士の警邏

 

 王宮を出てキャスリーンが向かったのは、第四騎士隊の訓練所。

 輪の中にいる一人に声をかければ、労いの言葉と共に迎え入れてくれた。そのうえ、皆が「キャス、こっちに」だの「ほらもっと中に入れ」だのと背を押してくる。半ば強引に、それどころかまるで運ぶかのように。

 そうして通されたのは話し合いの中央。輪の中に放り出されるように進み出れば「キャス」と声をかけられた。

 アルベルトの声だ。顔を上げれば、彼が嬉しそうにこちらを見ている。キャスリーンもまた彼の名を呼び近くに行こうとし……ドンと強く背中を押された。

 今度はかなり強引で、それも背を押す手は二人分と感覚で分かる。


「うわっ……!」


 押された勢いに負け、キャスリーンが前につんのめった。転ばないようにと足を出すが体全体のバランスを持ち直す程にはいたらず、不格好に数歩あたふたと進み、転ぶ寸前でポスンと何かにぶつかった。

 堅い、何か。それにぶつかるとほぼ同時に、自分の腰に何かが触れる。

 いったい何だとキャスリーンが顔を上げ、苦笑を浮かべるアルベルトの顔が近くにあることに気付いて一瞬にして顔を赤くさせた。

 藍色の瞳が愛しそうに細められている。優しくて幸せそうな表情。穏やかな声で「大丈夫か?」と問われ、腰元に回る彼の腕がぎゅっと自分を抱きしめてくる。


「す、すみませんアルベルト隊長!」

「気にするな、キャスのせいじゃない。……あの二人だ」


 穏やかな声色を呆れの色に変え、アルベルトの視線が他所へと向かう。

 その先は……とキャスリーンが彼の視線を追えば、そこに居るのは案の定ローディスとロイ。今日もまたさすが一卵性双生児と言いたいくらいに瓜二つであり、まるで鏡写しのような二つの顔がしてやったりと笑っている。


「ローディス! ロイ! 危ないでしょ!」

「なんだよ、そう怒るなよ。俺達キャスが早くアルベルト隊長に会いたいと思って背中を押してやっただけだ。なぁロイ」

「あぁ、それにアルベルト隊長も早くキャスに会いたそうだったからな。つまり俺達の好意だよ。感謝してほしいくらいだ」


 善行を咎められたとでも言いたげな二人の言い分に、キャスリーンが彼等を睨み付ける。

 だが次いで表情を緩めたのは、ポンと頭の上に何かが乗ってきたからだ。大きくて温かく、適度な重さが心地好い。

 アルベルトの手。宥めるように数度撫でられ、キャスリーンの胸の内に湧いていた怒りがゆっくりと静まっていく。


 改めてアルベルトを見上げれば、キャスリーンの機嫌が直ったと察したのか彼の手がポンと最後に一度頭を叩いて離れて行った。

 そうしてコホンと咳払いし、今までのやりとりを見守っていた部下達に向き直る。キャスリーンもまた彼等に視線をやれば、殆どの者達がニヤニヤと笑っているではないか。

 中には穏やかな表情の者もいるにはいるが、対してヒューと高い口笛を奏でる者も居る。はたはたと己を扇いでいる者は「お熱いことで」とでも言いたいのだろう。

 見守り二割・冷やかし八割といった彼等の態度に、キャスリーンもまたアルベルトに倣って咳払いで誤魔化した。




 今日の第四騎士隊の任務は市街地の警邏。

 もちろん全員で動くわけではなく、数人が市街地をまわり、異変が無いかを聞いたり各地での頼み事をこなす。騎士の仕事らしくはないが、他の騎士隊と違い身分や階級に隔たりなく集められた第四騎士隊らしいとも言える。

 それに、たとえ雑用といえども定期的に騎士隊が市街地を巡邏するのは犯罪を事前に防止し、市民に安心感を与える。

 とりわけキャスリーンが見て回れば効果は大きい。なにせ国の至宝とさえ言われる聖女。そんなキャスリーンが市街地を歩き、市民の頼み事を聞き、些細な声にもこたえようとする。それだけでも有難がられるのだ。

 現に、キャスリーンが市街地を回るとあちこちから名を呼ばれ、手を振り返すと嬉しそうに皆笑っている。「キャスリーン様が見れた、今日は良いことがありそうだ」と口々に話をしており、思わずキャスリーンが照れくささで頬を掻いた。


「嬉しいけど、なんだかちょっと恥ずかしいかな」


 そういった矢先、子供が窓から「キャスリーン様!」と声を上げて呼んでくれる。

 身を乗り出して手を振ってくる姿のなんと愛おしい事か。


「騎士の警邏というより、キャスリーン様パレードだな」


 ローディスに笑われ、手を振り返していたキャスリーンがむぅと唇を尖らせた。


「揶揄わないでよ。今はキャスだから、これはパレードじゃなくて警邏。れっきとした騎士の仕事! ねぇ、ロイ」

「あぁ、第四騎士隊キャスの警邏だ。ねぇアルベルト隊長」

「そういうなら買い食いを止めろ。買い食いは警邏の仕事じゃないからな」


 総菜パンを食べながら歩くロイに、アルベルトが溜息交じりに咎める。

 キャスリーンが「いつの間に!」と声をあげるのは、ロイの買い食いに気付けなかったからだ。そして同時に悔やむのは、またしても彼等の買い食いを見逃してしまったからである。

 双子の買い食いは第四騎士隊名物であり、キャスリーンの警邏と並んで市民に愛されている。

 その愛されようと言えば、通り掛かりの市民がロイに「美味そうだな、どこの店だ?」と尋ね、店名を聞くやいそいそとそちらへと向かってしまうほどだ。

 ただでさえ瓜二つという容姿で目立つ彼等が、美味しそうに何かを頬張る。それだけで目立ち宣伝になるのだ。……

 もっとも、第四騎士隊の他のメンバーからしてみれば許せる事ではない。騎士隊の名誉にかけて何とか阻止しようと決意し合って今に至る。


 ……いまだ阻止出来ず、ロイが総菜パンを頬張っている今に至る。


 なにせローディスと話していればロイが買い食いをし、ロイを警戒していればいつの間にかローディスが菓子を頬張っている……と、双子の巧みなコンビネーションと買い食いへの貪欲さに誰もが翻弄されてしまうのだ。

 また今回も阻止できなかった……とキャスリーンとアルベルトが顔を見合わせて肩を落とすも、それを見る双子の得意げな表情といったらない。


「でも、キャスは俺達のどっちかでも止められるんだから大したもんだよな。他の奴らだと買い食いし放題だし。なぁロイ」

「あぁ。みんな俺達の区別がつかないから『何言ってるんだ、食べてるのは俺じゃないだろ』って言えばすぐに騙される」

「だから私が二人と組まされるの。皆から『俺達の仇を討てるのはキャスしかいない』って託されてるんだから。次こそは買い食いさせないからね!」


 二人共とめてみせる! そうキャスリーンが宣言すれば、ローディスとロイが不敵に笑った。普段の悪戯気な笑みとは違う、まるで煽るかのような挑戦的な表情。

 それを睨み付けるキャスリーンの瞳にも闘志が宿っている。金の髪が気迫でふわりと浮かび上がりそうなほどだ。

 これぞまさに騎士の睨み合い。緊迫した空気が漂い、誰もが気圧され言葉を飲み込み……などするわけがない。なにせ話題は買い食い、それもロイの片手にはいまだ食べかけの総菜パンがある。

 おかげで周囲も穏やかに笑ってこのやりとりを見守っている。それどころか祖父母の年代に至っては「相変わらず元気で良いねぇ」とやんちゃな孫を見るかのようだ。


 そんな空気の中一瞬にして周囲がざわつきだしたのは「誰か来てくれ!」と助けを求める声が聞こえてきたからだ。鬼気迫ったその声に誰もが息を呑み、キャスリーンがビクリと肩を震わせる。

 一瞬にしてアルベルトが剣の柄に手を掛けたのは、さすが騎士の反射神経と言えるだろう。先程までふざけていたローディス達もアルベルトに負けず劣らずな反射神経で剣を手にし、声の主を探るように周囲に視線をやっている。

 先程までのゆるいやりとりが嘘のように、三人とも警戒を露わにした表情で声の主を見つけるや駆け寄った。


「何だ、何があった!」

「その制服、王宮の騎士か! 良かった。市街地の外れで柄の悪いのが集まってるんだ。女性が一人捕まっていて……」

「分かった。俺達が行く、任せてくれ」


 助けに来た男の肩を叩いて、アルベルトが彼の瞳を見つめて頷く。落ち着かせるためだ。騎士の中でも背が高く勇ましいアルベルトの「任せてくれ」という一言に、青ざめていた男の表情に僅かながら安堵の色が浮かぶ。

 そうしてアルベルトは男が来た方向へと視線をやり、「行くぞ」と声を掛けると共に駆けだした。もちろんキャスリーンもローディス達と共に彼の後を追う。


 だがもとよりキャスリーンとアルベルト達には脚力の差があり、徐々に距離が出来てしまう。なにせキャスリーンは騎士の訓練こそ受けているものの、身体能力はただの少女程度、対してアルベルト達は騎士。

 それもアルベルトはかつて氷騎士と謡われる程で、双子もまた身軽さでは騎士隊の中でも抜きんでている。

 そんな彼等と共に走れるわけがない。最初こそ手を伸ばせば届きそうな程だったのが次第に遠くなり、彼等の背が小さくなっていく。


「キャス、後から着いてこい!」


 振り返ることすらせず投げかけられるアルベルトの言葉に、キャスリーンの胸に不甲斐なさが湧く。

 だが今はその不甲斐なさに足を止めている場合ではない。そう己に言い聞かせ、せめて見失わないようにとアルベルト達の背中を見つめ……。


 スッ……と、左右を挟むように擦り抜けて行った二つの影に、煽られるように金糸の髪を揺らした。


 早い。

 キャスリーンより、それどころか前を走るアルベルト達に負けぬほどに早い。 

 二人共灰色の上着を来ており、それがたなびくように翻る。銀の髪と黒色の髪は対局的で、とりわけ黒髪の方は長い髪を一つに結わき、揺らす様はまるで流星の尾のようだ。

 迷いなく駆けていく二人の後ろ姿に、キャスリーンが虚を衝かれたと言いたげに走る速度を緩めかけ……、


「ま、待って……! 危ないですよ!」


 と、慌てて声を掛けて再び走り出した。

 アルベルト達には先行を託した。待たれて足手纏いになるくらいなら後から駆けつけて出来る事をするべきだ、そう考えられる。

 だが市民は別だ。彼等にどんな目的があるのか分からないが、危険な場所に向かう市民をみすみす見逃せるわけがない。


「でも早い……! 待って、危ない……待って、聞いて! 置いてかないでぇ!」


 そんなキャスリーンの悲痛な制止の声が響いた。

 ……誰も足を止めなかったが。




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