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35:儀式への決意



「壁の一部だけ色が違うの。目印はそれよ」

「なるほど。そんな秘密があるんですね」

「周りが暗いなら明かりが必要だ」

 

 そんな会話が聞こえてくる。

 聞きなれた声だ。だがこの組み合わせで聞くのは初めてではないか……。そんなことを考えつつキャスリーンがうっすらと意識を取り戻した。

 眩しい。と、明るい視界にもぞと身じろぐ。

 それと同時に聞こえてきたのは「起きた!」という双子の声。眩しい視界に二人の顔が映り込む。相変わらず瓜二つだ。


「キャス、大丈夫か! 聞こえるか!?」

「ん……大丈夫……」

「そうか、大丈夫なんだな。見えるか? 聞こえるか? 俺達の区別はつくか? 俺はどっちか分かるか?」

「見えるし聞こえる……。区別は着かないけどローディスかな」

「当たりだ! 良かった、キャスの意識が戻った。ロイ、皆を呼んできてくれ!」


 矢継ぎ早に問われ、ぼんやりとした意識ながらに答える。

 だがそれで正常と判断されたのかローディスの声に歓喜の色が浮かび、やりとりを見守っていたロイもまた嬉しそうに部屋を飛び出していく。

 次いでキャスリーンはぼんやりと周囲を見回し、ここが村にある宿の一室であることを確認した。ナタリアと話した部屋だ、と、穏やかに笑ってこちらに歩み寄ってくる母の姿を見つめながら理解する。

 ……そう、ナタリアの姿。


「お母様! 無事だったのね!」

「あら、急に起きちゃ駄目よ。キャスリーン、助けに来てくれてありがとう、よく頑張ったわね」


 ナタリアに抱き締められ、キャスリーンの胸に安堵が湧く。それと同時に体が震え、視界が涙で潤み始める。

 頑張ったという言葉が胸に染み込み、それと同時にあの瞬間の不安や恐怖が蘇ってきたのだ。今更ながらに手が震え、それに気付いたナタリアが宥めるように撫でてくれる。

 見たところ彼女に負傷をした様子はない。自分も、あれだけ呻いた激痛も今はない。

 聖女としての治療が出来たのだ。ならば……とキャスリーンがとある人物の安否を確認するように立ち上がり駆け、


「キャス!」


 と勢いよく部屋に入り込んできたアルベルトの姿に瞳を細めた。

 良かった……と安堵が湧く。瞳が潤み、こちらに駆け寄ってくる彼の姿が次第にぼやける。


「アルベルト隊長……。無事で良かった……」

「ああ、お前のおかげだ。ありがとう」


 アルベルトの姿に負傷の跡はない。包帯を巻いている様子も治療の名残も無く、騎士服にさえ血の跡すら無い。今の彼だけを見れば、レイピアで二度も胸元を貫かれたとは誰も思うまい。

 そんなアルベルトはキャスリーンの目の前まで来ると、ゆっくりと手を伸ばしてきた。藍色の瞳が今までにないほど柔らかく見つめてくる。

 頭を撫でてくれるのだと察してキャスリーンが表情を和らげ……グイと抱き寄せられて瞳をぱちんと瞬かせた。苦しいほどの圧迫感を感じる。彼の腕が自分を捕えている。厚い胸板に触れ、キャスリーンが抱き締められていると理解して慌てて顔を上げた。


「ア、アルベルト隊長……?」

「良かった……。無事で本当に良かった」

「あの……その……」


 頭上からアルベルトの声が降り注ぐことが何とも言えず恥ずかしく、もぞもぞと彼の腕の中で身じろぐ。

 そうして数度名前を呼べば我に返ったのか、アルベルトが慌てて手を放した。


「す、すまない! つい感極まって! 傷は大丈夫か、痛くなかったか?」

「いえ、大丈夫です。傷はもう治ってますから」


 慌てて謝罪するアルベルトに、キャスリーンもまた動揺して「大丈夫」を繰り返す。

 そうしてしばらく慌てふためき応酬を繰り返していると、「そろそろいいかしらぁ」と間延びした声が割って入ってきた。見ればナタリアが楽しそうな表情で笑っている。

 その両サイドには双子の姿。これもまた何とも言えぬ楽しそうな笑みではないか。――キャスリーンが心の中で「一番恐れていたトリオが完成してしまったわ……」と呟いた。もちろん声には出さないが――


「聞いてキャスリーン、貴女が意識を失ってから丸一日が立っているの」

「丸一日……そんなに!? キース様は!? 儀式はどうなったの!?」

「公爵はブレントと第一騎士隊が王都に連れて行ったわ。処分は……まだ分からないけど」


 ナタリアが言葉を濁して溜息交じりに告げる。

 だが『連れて行った』という事はキースも無事だったということだ。あの瞬間キャスリーンは力を使うや意識を失ってしまったが、どうやら癒しの力は彼のことも救ってくれたらしい。

 もちろんだからといって罪が許されることはないのだが、それでも奪われた屋敷で自由を夢見て息絶えるという悲劇は免れたのだ。

 良かった、とキャスリーンが安堵の息を漏らす。あれだけの危機に晒された命を奪われかけたが、だからといって彼の死を望むほどは恨めない。彼の取った行動は許し難いが、根底にある自由を切望する気持ちは分かるからだ。


「公爵から伝言よ。『命を救ってくれてありがとう』って」

「……そう」

「首の傷跡も消えたって言ってたわね。そっちの方が感謝してたみたい」


 なんのことかしら、とナタリアが首を傾げる。

 彼女の言葉を聞き、キャスリーンの脳裏に血が出ることも厭わず首を掻きむしるキースの姿が思い出される。苛立ちをぶつけるように、自分の現状を嘆くように、内にこもる憤りの出口を求めるように……。そうやって今日までやってきたのだろう。

 聖女の力はその傷跡すらも消し去ったのだ。

 もっとも、傷跡が消えたとしても彼の心まで癒されるわけではない。これからの彼の人生は過酷なものになり、もしかしたら再び首を掻きむしるような生活を強いられるかもしれない。


 それでも仕切り直す切っ掛けにはなっただろう。傷跡も背負うものも無くなり、そして罪を償った後、そこから広がる人生をどうするかは彼次第だ。

 連れていかれる割には穏やかに笑っていた、そう不思議そうに話す双子の話を聞き、キャスリーンが小さく笑みを浮かべた。


「それでお母様、儀式はどうなったの?」

「儀式をどうするかは貴女が決めるのよ、キャスリーン。これだけの大事になったんだもの、王都に戻って日を置いても良いわ」


 一度王都に戻り、全て片付いて万全な状態で再度戻ってきてもいい。そう話すナタリアに、キャスリーンが首を横に振った。

 確かにこれほどまでの大事になれば誰も無理強いはするまい。キャスリーンが「もう少し待って」と言えば誰だって了承してくれるはずだ。

 儀式を待ち望んでいた王宮の重役達も同様。彼等がキャスリーンのことを大事に想ってくれていると知ったからこそ、事情を話せば理解し充分な時間を与えてくれると分かる。

 ……だけど、いやだからこそ。


「大丈夫よ。ちゃんと儀式を行うわ」

「……キャスリーン、良いのね?」

「決めたの。私ちゃんと聖女であることと向き合うって。それに、もう騎士としては生活出来ないかもしれないけど、ローディスとロイにもバレちゃったし」


 キャスリーンがナタリア越しに双子を見れば、彼等がニヤリと笑った。


「あのね二人共、私……本当は聖女なの」

「まさかキャスがキャスリーン様だなんて驚いた。なぁロイ」

「あぁ、まさかキャスが……エビじゃなくて聖女だったなんて」

「……まだエビって言うの?」

「俺はまだネズミの可能性は捨ててないぞ。キャスはキャスリーン様で聖女でネズミだ」

「そうか。となるとキャスがキャスリーン様で聖女でエビの可能性も残ってるな」

「そんな可能性は元から無いよ!」


 双子の軽口にキャスリーンが喚いて返した。

 だが相変わらず二人は笑うだけで、ふんと怒りを露わにすればローディスが三つ編みを掴んで揺すりだした。三つ編みをロイに向けてぽんと放り、それを受け取ったロイが再びぽんと弾いて返す。まるでキャッチボールのようではないか。

 その楽しそうな表情と言ったらない。傍目には宥めているように見えるのかもしれないが、キャスリーンにとっては茶化されているだけだ。――いや、傍目にだって茶化しているように見えるだろう――

 それがまたキャスリーンの怒りを買い、彼等を睨みつけ……次いでふっと笑みを浮かべた。

 なんて失礼なのだろうか、これは聖女に対して許される態度ではない。

 ……そう、聖女に対する態度ではないのだ。事実を知っても、彼等はいまだキャスとして接してくれる。


「……黙っててごめんね」

「全くだ。キャスリーン様がキャスだって知ってたら、あんなに畏まって旅に出なくて良かったのに」

「ローディスの言う通りだ。俺達あんなに仰々しく旅に出て、借りてきた猫だったよな」

「そうね、畏まって仰々しかったと思うよ。……最初の数分は。いや、数秒かな」


 冗談めいて告げる双子にキャスリーンも乗じて返せば、彼等の笑みがより強まる。

 彼等は相変わらずで、その相変わらずが嬉しく、だからこそキャスリーンもまた変わらずに返すのだ。


「キャス、儀式に行くんだな」

「うん、行ってくる。ちゃんと儀式を終えて、一人前の聖女になって、キャスとしても居られるようにする」

「そうか。それなら俺達も準備があるからもう行くな。……ロイ、急ぐぞ」

「あぁ。それじゃキャス、儀式頑張れよ。……また後でな」


 ニヤリと笑みを浮かべて部屋を去っていく双子を見届け、キャスリーンが首を傾げた。

 これから行うことは聖女の儀式、キャスリーンが聖堂に行って一晩過ごすだけだ。その間彼等は村の宿で待つだけ。なのにいったい何の準備があるというのか。

 それとももう帰路のことを話しているのだろうか。だとすると双子らしからぬ準備の速さではないか。

 いったい何の準備なのかとキャスリーン彼等が去っていった扉を見つめていれば、ポンと頭に手が置かれた。アルベルトだ。


「キャス、儀式の最中に何かあれば呼んでくれ。聖堂だろうがどこだろうが、必ず行くから」

「……アルベルト隊長」

「聖堂に行くのは司祭とらしいが、翌朝の迎えは自由だっていう。朝一に迎えに行くよ」

「私、その時はちゃんとした聖女になれてると思いますか?」

「あぁ、キャスは立派な聖女になってる。信じてる」


 穏やかに告げてくるアルベルトの言葉と優しく撫でてくる手の動きに、キャスリーンが瞳を細めて頷いた。

 聖女として儀式を迎えようという決意に、彼が信じてくれていることへの安堵感が加わる。たとえ儀式が無理難題なものであっても、今ならば何でもこなせそうではないか。

 そんな安堵感と期待を胸に、キャスリーンがアルベルトを見上げた。藍色の瞳がジッと見つめてくる。

 その瞳には迷いも案じるような色も無い。キャスリーンの事を信じているのだ。それに答えるよう、キャスリーンが胸を張って、


「必ず儀式を終わらせます。任せてください!」


 と答えた。




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