表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/62

34:真っ赤な自由


 目の前の光景にキャスリーンの中で一瞬にして血の気が引き、慌てて駆け寄ろうとし……アルベルトに制止された。


「そこにいろ」


 そう告げてくる彼の声は、庇われているキャスリーンでさえも背筋が震えるほどに低く鋭い。

 右手で剣を構え、左手で己の右胸を押さえる。出血を押さえるためか、もしくは痛みを堪える為か、押さえる手には力が入っており指先が食込んでいる。


「アルベルト隊長……」

「大丈夫だキャス、落ち着け。キース様なぜこのような事を?」


 呻きつつもアルベルトが問えば、キースの表情が僅かに歪んだ。

 痙攣しているのか目元が震えている。初めて顔を合わせた時には精悍だと思ったその顔つきも、今は絶望と困惑しか宿していない。刺されたのはアルベルト、庇われているのはキャスリーン。だというのに誰よりキースが悲痛で苦し気な表情ではないか。


「すまない、だけどもう自由にさせてもらう。これは……キャスリーン様のためでもあるんだ」

「キャスリーン様の……?」

「あぁ、そうだ。俺も彼女も窮屈な生活を強いられていた。生まれた時から自由なんて一つも無く、決められた人生を決められた伴侶と歩かされる。お前達はみんな自由にしてるのに、理不尽じゃないか。だから、だから……」


 だから、と繰り返し訴えるキースの口調がじょじょに早くなっていく。

 レイピアを持つ彼の手は震え、左手でガリと首筋を掻きだした。首元に巻かれたスカーフがずれ、露わになった肌に爪先が食い込んでは引っ掻いていく。何度も繰り返されるそれは見ているこちらが痛くなりそうだ。

 無心で首を掻きむしる彼の姿に、そして彼の首筋に幾つもの傷跡があるのを見て、キャスリーンが小さく息を呑んだ。あれは一度や二度ではない、何度も、長く、何かあるたびに掻きむしったあとだ。


「……キース様」

「本当は二人で攫われるはずだったが、計画が狂ってしまった。……でも俺とキャスリーン様は自由になるんだ。邪魔しないでくれ。自由にならなきゃいけないんだ。ようやく、やっと……キャス、きみだって言っていただろ、人生を切り開くって。だから僕は……」

「貴方と一緒にしないで!」


 キースの言葉に、キャスリーンが声を荒らげた。

 彼の瞳がこちらに向かう。淀んだ瞳だ。自由を得ようとしている者の瞳とは到底思えない。

 周囲に追いつめられ、そして自らもまた崖へと足を進めた者の瞳だ。己の足元のもろさに気付き、それでも認められずに盲目的に己を肯定する、何も見えていない瞳。

 彼は全てを壊すと決めた。そしてその先に自由があると言う。


「私は貴方とは違う。こんな方法で得たものを自由だなんて言わない」

「……キャス?」

「こんなの人生を切り開いたなんて言わせない!」

「キャス、まさか……」


 キャスリーンの訴えに、キースの表情がじょじょに変わっていく。

 絶望から驚愕へ、そして次第に憎悪を宿す。翡翠色の瞳が淀み、ギラギラとした歪な輝きを持ってキャスリーンへと向けられる。引っ掻き続けた首筋が赤く染まり、彼の指先に血が着いているのが見える。爪先がまるでマニュキュアを塗ったかのように赤い。

 その光景は異様としか言いようがない。だがそれに対してもキャスリーンは臆することなく睨み返し、震える足でゆっくりと立ち上がった。


「こんな方法、切り開くなんて言わない。周りを見ずに、周りを傷つけて、それで得られる自由なんて本当の自由じゃない! そんなもの私はいらない! 押し付けないで!」

「キャス、君が……なら彼女は……なんで騎士の恰好を……! どうして!」


 吠えるように声を荒らげ、キースがレイピアを手に駆けだした。

 それを制したのはアルベルトだ。彼は構えていた剣を振ると迷うことなくキースの脇腹を切り裂いた。赤い絨毯に血飛沫が飛ぶ。

 だが衝突する瞬間に負傷した胸元を押され力が削がれたため、その一撃はキースの動きを止めるまでには至らなかった。いや、本来であれば足を止められたのかもしれないが、獣のように呻る今のキースに最早痛覚など関係ないのだろう。狂気さえ感じる気迫である。

 己の負傷を気に掛ける様子は無く、それどころかアルベルトを振り払うと共に止めと言わんばかりに彼の右胸を再び貫いた。アルベルトが苦し気に呻き声をあげ、今度こそ立っていられないとその場に頽れる。

 キャスリーンがアルベルトの名を呼ぶが返事は無く、キースだけがグルリとこちらを向いた。

 濁り切ったその瞳にキャスリーンの背に悪寒が走る。足を引こうにも力が入らず、せめてと伸ばされる手から逃げようと身を捩り……。


 そして腹部に走った熱に悲鳴を上げた。


 まるで熱した鉄を押し付けられたような激痛。視界の隅で銀色のレイピアが輝くのが見える。

 深々と腹を貫くレイピアにキャスリーンが視線をやり、次いでその刃先を辿るように己を貫く相手を見た。キースの瞳が揺らいでいる。

 青ざめた唇が微かに震えているのは、己の仕出かしたことへの恐怖か、もしくはアルベルトに脇腹を切り裂かれ激痛が今になって訪れたか。


「なんで、どうして。俺だって。どうして、何が違う……。俺だって自由に生きたかった……」


 ヒュ……とキースの喉から軽い音が漏れる。

 怒りを宿していた彼の瞳が揺らぎ、次いで大きく見開かれた。驚愕の表情を浮かべ、そして数度短く呼吸をするとゆっくりと頽れていく。

 彼の動きと共にレイピアが腹から抜かれ、抉るようなその動きがより強い熱と痛みを呼びキャスリーンが悲鳴を上げた。声を上げることすらも今は痛みを呼ぶ。

 だが今のキャスリーンにはその痛みに呻いている余裕は無い。頽れたキースの背後に立っていたのは……青ざめた表情のアルベルト。らしくなく苦痛を露わにし「キャス」と掠れた声で名前を呼んでくる。胸元を染めていた血は先程より浸食を広げ、出血の酷さが分かる。

 剣を握る力ももはや無いのか、彼の手から剣が落ちる。刃先は血に染まりきり、その傍らには倒れ込むキース。彼の脇腹と腰元の二カ所に血だまりを作っているのを見て、ようやくキャスリーンはアルベルトが彼を切り倒したのだと理解した。


「ア、アルベルト、隊長……」


 彼の名を呼ぶと同時にキャスリーンの足から力が抜け、トサと音を立てて床に落ちた。貫かれた腹部を押さえればヌルリと滑る。白い騎士服が真っ赤に染まっており、それを見ればより痛みが増してくる。

 呼吸が浅くなり、意識が揺らぐ。足元の感覚が無くなり、ぼんやりとした視界でそれでもアルベルトを見上げた。彼がゆっくりと、そして緩やかに崩れるように自分の前に跪く。青白い彼の顔、普段は穏やかに笑ってくれているのに今は苦痛で歪んでいる。


「キャス!」

「アルベルト隊長!」


 聞きなれた声が聞こえてくる。双子の声だ。だがキャスリーンもアルベルトもその声に応えることも振り返る事も出来ない。

 そんな二人の姿に、いったいどうしたのかと双子が混乱を露わにする。


「ローディス……お母様、は……?」

「キャス、お母様って……。キャスリーン様のことか? キャスリーン様なら大丈夫だ。眠らされているが無事だ」

「そう……よかった……」

「もう喋るな。今医者のとこに連れてってやる。ロイ、アルベルト隊長を!」

「……待って」


 抱え込もうとするローディスの腕を取って制止する。ゆっくりと息を吐いたつもりが、苦痛と朦朧とする意識では呼吸が上手く出来ない。浅い呼吸を繰り返すだけだ。

 それでもと己を落ち着かせ、震える手を伸ばした。指先が血で赤く染まっている。その手をそっとアルベルトへと伸ばそうとし……その前に彼の手に掴まれた。彼の手はひやりと冷たく、加減が出来ないのか痛いくらいに強く掴んでくる。


「キャス、自分を治せ」

「でも、隊長の方が。だって、胸に。私じゃ、二人は……」

「……駄目だ。二人は治せないんだろ。それなら自分を治せ」


 アルベルトが訴える。彼の呼吸も浅く、声は酷く掠れている。二度も胸を貫かれたのだ、呼吸をするだけで苦痛を呼ぶのだろう。

 そんな彼の訴えに、キャスリーンが震える声で大丈夫だと告げた。

 彼の手をそっと解き、両手で包み込む。指先が冷たくなっている。

 その冷たさを暖めるように強く握りしめ、キャスリーンがゆっくりと息を吐いた。


「大丈夫です……私、出来るから……信じて」

「……キャス」

「アルベルト隊長、私のこと信じてくれますか……?」

「……あぁ、信じてる。信じてるよ……」


 青ざめつつもアルベルトが柔らかく笑い、胸元を押さえていた手をそっとキャスリーンへと伸ばしてきた。力無く、それでもポンと頭に手を置いてくる。

 撫でているつもりなのだろう、だが実際はズルズルと滑るようなぎこちない動きだ。だが彼が普段通り撫でようとしているのが分かり、キャスリーンの胸に安堵が湧く。彼の手が頭を撫でるたび痛みが和らいでいく気がする。

 その感触を胸に、キャスリーンはゆっくりと意識を集中させ、そっと瞳を閉じた。


(大丈夫、私信じてる。出来るって、私のことを信じてる……)


 そう自分に言い聞かせ、意識を集中させる。

 胸に湧く不安を宥め、自分自身を信じて……。


「信じてるよ、俺のキャス……」


 穏やかなアルベルトの声と共に唇に柔らかなものが触れるのを感じた瞬間、キャスリーンの意識がゆっくりと薄らいでいった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ