33:森の中の屋敷にて
公爵家の別荘だけあり屋敷は大きいが、外壁はツルが絡みつきヒビが入りと酷く老朽化している。本来であれば来客を持て成していたであろう玄関口の彫刻も劣化が目立ち、あちこち欠けてしまっている。
長く手入れがされておらず、それどころか人の出入りすら無かったのかもしれない。不審者が住み着いていないだけ良かったとさえ言える有様だ。
キース曰く、末弟のサイラスは何でも欲しがるわりに手にしたものは直ぐに飽きてしまう性格らしい。それでいて誰かに譲ることも嫌がる。この建物も元々はキースの別荘だったが、サイラスに強請られ彼に譲り渡しのだという。そして長く放置され、今は廃屋に近い。
「美しい屋敷だったんだけどな……」
変わり果てた屋敷を見上げるキースの瞳は切なげで、己の屋敷の現状を嘆いているようにも見える。そっと彫刻に触れ、欠けたカ所をまるで労わるように撫でている。
諸外国に渡った際に一目惚れし、頼み込んで買い取りここに飾ったのだという。自分が買わなければ今もなお美しく磨かれて飾られていただろうと話す彼の声には後悔しかない。
だがいかに彼の胸が痛もうと、かつての記憶に浸って感傷に耽っている場合ではない。キャスリーンが彼の腕を撫で、彫刻を見つめる視線を自分へと誘導した。
「……キース様、参りましょう」
「あぁそうだな。中は広いが造りはシンプルだ、覚えてる」
キースが屋敷内の構造を手早く説明する。
元より別荘として建てられたこの屋敷はさほど難解なつくりはしていないが、それでも来客を泊めることを考えられて客室は多いという。
給仕達の出入口も含めて外に通じる箇所は幾つもあり、全員で一カ所ずつ回っていては時間が掛かる。その最中にサイラスに気付かれたら逃げられる可能性だってある。
「二手に分かれて両端から追いつめて行った方が良いだろ」
「分かりました。ローディス、ロイ、お前達は二人で回れ」
アルベルトの話に誰もが頷いて返し、彼とロイが有事の際の連絡や対応法を確認し合う。さすがに今はふざける気は起こらないようで、あれこれと話すロイはなんとも騎士らしい。
それを見つめていると、キャスリーンの三つ編みがクイと引っ張られた。
驚いて振り返ればローディスの姿。アルベルトと話しているロイの真剣な表情とは違い、こちらは相変わらず悪戯気な笑みを浮かべている。そのうえ三つ編みをぶんと振ってくるのだから、これにはキャスリーンも制止するように身じろいだ。
「キャス、怪我をしないよう気を付けろよ」
「ローディスに言われたくない! いつも怪我するのローディスでしょ!」
「そうだな。でもほら、キャスはちょこまかして危なっかしいから心配なんだ。……だから気を付けろ。頼むから無茶するな」
「……ローディス」
「ネズミ捕りとか引っかかるなよ」
「ちょっと感動しかけたのに!」
真剣な声色で茶化してくるローディスの足をキャスリーンが踏みつれば、それを聞いたロイが自分もと加わってくる。先程の真剣な表情はどこへやら。
普段通りのやりとりにアルベルトが溜息を吐き、「そろそろ行くぞ」とキャスリーンを呼び寄せた。
そうして屋敷内を見て回る。
外観と同様に中は劣化が酷く、本来ならば赤く美しく通路を彩っていたであろう絨毯も端々に破れが見える。埃が積もっている箇所もあり、その中に複数の足跡を見つけてキャスリーンが慌ててアルベルトの袖を引っ張った。
誰かが行き来した痕跡だ。それも足跡は真新しく、キャスリーンの緊張が増す。
アルベルトも気付いていたのだろう一度頷いて返してきた。足跡を見つけて動揺するキャスリーンと違い彼の瞳は冷静で、今は冷ややかにさえ見える。ゆっくりと剣を引き抜き、まるで庇うように数歩先を歩きはじめた。
キャスリーンもまた彼に倣い、レイピアを抜き取ると共にキースを背に庇う。
そんな静まり返った通路に、カタン……と小さな音が響いた。
キャスリーンの心臓が跳ね上がる。
むしろ心臓どころか体まで跳ね上がってしまいそうなほどだ。一瞬にして汗が噴き出て、落としかけたレイピアを握り直す。
今の音は……並ぶ客室の一室からだ。
「アルベルト隊長、今の……!」
「行くぞ。気を付けろ」
アルベルトの声は潜めてはいるものの警戒を感じさせる。音の先に何かいると、そしてそれが好ましくない者の可能性を危惧しているのだろう。
剣を手にいつ何時なにが来ても対応できるようにと構える彼の姿に、対してキャスリーンの心臓は跳ね上がったまま落ち着きを取り戻せずにいる。レイピアの柄を握る手が震えている。
これで仮にサイラスや彼の息のかかった者が襲い掛かってきたとして、まともに応戦出来るだろうか。それどころか突如扉が空いただけで腰を抜かしてしまいそうだ。
(怖がる自分が情けない……。でも、応戦出来なくてもせめてキース様だけは守らなきゃ)
いざとなればアルベルトが剣を振るうだろう。そうなった場合、下手な手助けは足手纏いになりかねない。自分がすべきことはキースを守ることだ。
半人前な騎士でもそれぐらいは出来るはず。いや、半人前だなどと言い訳せずに彼を守らなければならない。
自分を奮い立たせるように言い聞かせ、キャスリーンが横目でキースの様子を窺った。屋敷内を歩き出してしばらく経つが、彼は殆ど喋ることなく時折思い出したように道の案内をするだけだ。
刻一刻とサイラスに近付いているのを感じているのか。もしくは心のどこかでまだ弟を信じ、事実を突きつけられることを恐れているのか。スカーフ越しに首元を押さえる彼の表情は随分と強張っている。
「大丈夫ですよ、キース様」
「キャス?」
「何があっても私が守ります。これでも騎士ですから」
小声で告げてキャスリーンが笑ってみせる。
頬が引きつっているのを感じるが、それでも多少なりは余裕を感じさせられただろう。現にキースが小さく笑みを零し「頼りになるな」と告げてきた。
だがその表情が一瞬にして強張ったのは、前を行くアルベルトが「ここだ」と呟いたからだ。見れば、一室の扉にアルベルトが身を寄せ中の様子を窺っている。
「……話し声はしないな」
「さっきの音はお母様……いえ、キャスリーン様でしょうか?」
「中に人がいる気配は無いが……。これだけ廃れた屋敷だ、もしかしたら人じゃなくて動物が入り込んでいる可能性もあるからな。なんにせよ。入ってみないと分からないことだ」
緊張を含んだ声で告げ、アルベルトが扉のノブに手を掛けた。
キィ……と金具が錆びた音が静かな廊下に響く。まるで緊張をより高めさせるようなその甲高い音に、キャスリーンが体の震えを押さえるように一度深く息を吐いた
だが次の瞬間に息を呑むと共に振り返ったのは、手にしていたレイピアを何かに奪われたからだ。……いや、何かではない、キャスリーンの背後に立ちレイピアを奪えるのなどただ一人。
キースだ。
先程まで顔色を青ざめさせていた彼が、どういうわけかキャスリーンの手からレイピアを奪い……そして目にも止まらぬ速さでキャスリーンに迫ってきた。
銀色の刃が光る。まるで流星が流れるような速さ。
「キャス!」
その瞬間に聞こえてきたのはアルベルトの声だ。
それと同時にキャスリーンの体がグイと後方に引かれる。寸前まで迫っていたレイピアの先端が騎士服に掛かり、質のよい頑丈な布を易々と切り裂いた。
呼吸する間も、瞬きする間もないほどの一瞬の事だ。
後方に引き寄せられたキャスリーンがバランスを崩して尻もちを着き、その痛みで我に返ると慌てて顔を上げた。それと同時に口にするのは、自分を助けたアルベルトの名前。
その名前を言い終わらぬうちに小さな悲鳴に変えたのは、キースとの間に割って入った彼の胸をレイピアが貫いたのを見たからだ。細身のレイピアが体格の良い彼を貫く光景は異質としか言いようがなく、まるで騙し絵を見ているような錯覚さえ覚える。それほどまでに信じられない。
だがいかに信じられずとも目の前の光景は事実でしかない。白を基調とした彼の騎士服にポツと赤い染みが浮かび、それが浸食するように広がっていく。
レイピアが抜かれれば尚更浸食は早まり、ついには服を伝って床に落ちた。真っ赤な絨毯に一滴また一滴と落ちて吸い込まれていく。
何か? 血だ。
何故か? レイピアで貫かれたからだ。
誰が?
……アルベルトが。




