32:森へ
第一騎士隊は村に残し、キャスリーン達だけでサイラスの別荘へと向かうと決めた。
全員が居なくなれば村の者達も何かしらの事態だと気付くだろうし、余計な混乱を招きかねない。まだサイラスの犯行だと確定していないうちに王都に情報が行けばあちらも動き出しかねず、下手するとエルウィズ家に話がいってしまう。
仮にサイラスが犯人だったとして、事が大きくなれば捕えるより前にナタリアを連れて遠方に逃げられてしまう可能性だってある。
出来る限り秘密裏に事を進める。事態の報告は全てが片付いた後、今は早急に対応することを優先する。それがアルベルトが下した判断だった。
最初こそ同行を申し出ていた第一騎士隊もそれに従い、聖女が攫われたことを悟られないよう努めるとアルベルトに誓った。
彼等にはいざとなったら村を守る重要な役割がある。なにせ攫われたのは聖女といえどキャスリーンではなくナタリアなのだ。相手の狙いが聖女なら、再びこの村に襲撃がくる可能性がある。もちろんそこまでの説明は出来ないが。
「日付が変わるまでに戻らなければ、その時は王都に使いを出してくれ」
「畏まりました。儀式の方は」
「キャスリーン様が戻ってきた際に儀式の継続を望む可能性がある。時間を稼いでくれ」
「はい。どうかご武運を」
馬上からアルベルトが指示を出せば、それを聞いた騎士が畏まった態度で返す。張り詰めた空気が漂い、その態度も空気も村人達の不安を煽るのだろう数人が身を寄せて小声でささやき合っている。
何かあったのだろうか……と、彼等の表情は随分と不安げだ。
聖女が来るというだけでこの村にとっては一大事。そのうえ儀式を直前に騎士達が険しい空気を纏いどこかへ行こうとしているのだ、不安に思うのも仕方ないだろう。
それを察し、キャスリーンが表情をしかめた。
真面目なアルベルトと厳格な第一騎士隊だ、漂う空気は重く、交わされるやり取りは堅い。そして自分達が醸している空気に気付くわけがない。
これは不味いとキャスリーンが心の中で呟き、次いで周囲を見回した。目的の人物を見つけ、彼にだけ分かるようパチンとウインクして合図を送る。
「……よ、夜の警邏なんて初めてだから緊張する! ねぇロイ!」
と、上擦った声をあげると共に背後を振り返った。
ロイがすぐさまキャスリーンの意図を察して「そうだな!」と笑う。キャスリーンの声こそ上擦ってはいるものの、返すロイの声は普段通り陽気なものだ。
彼の隣にいるローディスも理解したと言いたげな表情をしている。唖然としているのはアルベルトと第一騎士隊だけだ。――「真面目過ぎる人達だけ」とキャスリーンが心の中で呟き、次いでそれだと自分と双子が同じ分類なのかと考えて眉間に皺を寄せた――
「こんな時間に出歩くなんてめったにないもんな。それに、ここら辺って……なぁローディス、お前も聞いたことあるよな」
「あぁ、出るんだってな。……森の中で彷徨って死んだ者の幽霊が」
「え、うそ、幽霊でるの? やだ怖い!」
「嘘だよ本気で怖がるなよ。まぁ幽霊はデマだとしても、野生の動物は出るらしい」
「キャス、家族に会えるといいな」
「私の家族は野生のネズミじゃないから!」
普段通り双子に茶化され、キャスリーンが文句を訴える。馬上でなければ彼等の腕を叩いてやったのに。
だがそんなキャスリーンの怒りも双子を楽しませるだけで、どれだけ怒っても咎めても返ってくるのは暢気な笑い声だけ。自ら話を振ったとはいえなんという屈辱、思わずキャスリーンが呻りながら双子を睨み付ける。
そのやりとりは相変わらずで、重苦しい空気は皆無である。そのうえ会話の意図を察したキースが笑いながら――心労を隠しきれぬ痛々しい笑みだが遠目には気付かれまい――話に加わり、ここいらに出る動物の話をしだした。
なんとも緊張感の無い会話ではないか。けして聖女が攫われそれを奪還しに行く直前とは誰も思うまい。……あまりに緊張感が無く警邏とも思われなさそうだが。
だがそのかいがあり、やりとりを見ていた村人達の表情からは不安げな色が失せている。「警邏に行くのか」だの「騎士って大変ね」だのと話し合っており、おまけに「楽しそう」という声まで聞こえてくる。
それを聞いてアルベルトと第一騎士隊が顔を見合わせたのは、今の今まで自分達がどれだけ重苦しい空気を出していたかをようやく理解したからだろう。互いに瞳を丸くさせ、次いで乾いた笑いを浮かべ合った。
「そ、それじゃ警邏に行ってくる。適当に食事でもしててくれ」
「はい、畏まりました。お気をつけて……その、野生の動物が出るかもしれませんので」
「あ、あぁ、分かった」
こういった空気は苦手なのか馴染みが無いのか、第一騎士が取り繕ったように「野生のネズミも出るらしいので」と冗談めかして告げてくる。
随分と苦しい声色の冗談ではないか。これにはさすがにキャスリーンも喚く気にはならい。
今のは聞き流しておこう、と他所を向いた。もっとも、第一騎士の冗談は聞き逃すが、馬上から手を伸ばして三つ編みを引っ張ろうとしてくる双子の手は容赦なく叩き落としておく。
そうして村を発つ。
見送りの姿があるうちははゆったりと馬を進め、それが見えなくなると共に誰からともなく走る速度を上げた。
曰く、サイラスの別荘はここから走った先の森の中にあるのだという。通常の馬の速度ならば数時間。だがそれでは遅い。到着する頃には夜になる、とりわけ森の中ならば暗くなるのはより早く、道を間違える恐れだってある。
誰もがそれを案じ、何を言うでもなく手綱を握りしめて馬を駆けさせた。キャスリーンもまた同様、村の中では双子と共に軽口を叩いていたが、今はその余裕などない。
手綱を握り、愛馬が足を踏み外さないよう落馬しないよう意識を集中させ、先陣を走るキースとアルベルトの後を追う。
(お母様、どうか無事でいて……)
そう心の中で願う。
もしもナタリアに何かあればと考えれば不安が過ぎり、この旅に巻き込んでしまったという罪悪感さえ湧く。
彼女に聖女の代理を頼まなければ、あの時すぐに入れ替わっていれば、眠らなければ……攫われたのは自分だった。半人前とはいえ騎士として戦えるのだから、襲われても攫われずに済んだ可能性だってある。
そんな後悔が矢継ぎ早に浮かぶ。
だがそれを一度掻き消すようにふると頭を振り、キャスリーンが手綱を握り直した。風が頬を叩く。馬が掛けるたびに体が揺れ、三つ編みが背を叩く。
(……余計なことを考えちゃ駄目よキャスリーン、後悔してる暇はないの)
今は不安で心を揺るがせている場合ではない、雑念は手綱の操作を誤らせる。
とにかく今は馬を駆けさせ、サイラスの別荘を目指すべきだ。騎士のキャスとして出来る事、それを見失ってはいけない。
己を叱咤するように胸に湧く罪悪感と後悔を押し隠して走れば、じょじょに周囲が暗くなり始めた。前方に意識を向けたまま視線だけで空を見れば、既に日が落ち始めている。
暗くなりつつある空のその先に森を見つけ、キャスリーンがゴクリと生唾を呑んだ。
木々が生い茂っている。その中に突き抜けるように見えるのは人工の屋根。なにか、誰の家屋か、そんなこと考えるまでも無い、キースが話していたサイラスの別荘。
それを見れば緊張が湧き上がり、キャスリーンが恐れを抱き始める己を叱咤し決意と共に睨むように前方へと視線を向けた。
森の中に入れば周囲は一気に暗くなり、道こそあるものの補正はされておらず足場も悪くなる。馬の揺れは激しく、小柄なキャスリーンは馬具の上で跳ねているかのようだ。
今まで騎士として務めて討伐に出ることもあったが、それでもこれほどまでに急を要して森の中を走ることはなかった。体が跳ねるたび馬の首にしがみついて悲鳴をあげたくなる。
「キャス、大丈夫か?」
とは、巧みに手綱を操り馬の速度を緩めてキャスリーンの隣に並んだアルベルト。
真剣な表情の彼に案じられ、キャスリーンが頷いて返した。本来であれば「大丈夫です」と返したいところなのだが、生憎と今は喋れそうにない。揺れが激しく喋れば舌を噛みそうだ。
そんなキャスリーンの返答に、アルベルトもまた一度頷いて返してきた。小柄なキャスリーンにこの速度が辛いことは分かっているだろう。
案じるように見つめてくるが、それでも「後からついてこい」という妥協案は口にしない。着いてこい、そう彼の瞳が告げているような気がする。
(いいことキャスリーン、いえ、キャス。ここは騎士としての意地の見せ所よ!)
そうキャスリーンが己を鼓舞し、横目でアルベルトを一瞥した。喋ることさえ出来ないのだ、彼の方へと向き直ることなど出来るわけが無い。
藍色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。その瞳に見つめて返せば、アルベルトが「あと少しだ」とだけ告げて馬の速度を速めた。
彼の愛馬が嘶くと共に足を速め、先陣を走るキースの馬に並ぶ。
なんと頼もしい背中だろうか。その背中越しに建物の影が見え始め、キャスリーンが汗で滑る手綱を強く握った。




