32:急転する事態
キャスリーンとアルベルトが揃えたように立ち上がり、いまだ盛大なノックの音をたてる扉へと向かう。
扉を開ければそこには息を切らした双子が居り、二人を見ると我先にと話し出した。随分と慌てているようで話は的を得ず、「キャスリーン様が」だの「どこかに」だのと繰り返すだけだ。
「おい落ち着け、順を追って話せ!」
そうアルベルトが双子を宥めれば、ようやく我に返ったのかどちらともなく大きく息を吐いた。次いで最初に話し出したのはローディスだ。
「キャスリーン様はさっきまでキース様と話をしてたらしいんです。その途中で……」
「申し訳ない。やはり全てエルウィズ家が原因でした」
説明するローディスの言葉に遮るように、一人の声が割って入ってきた。
誰もが視線を向ければ、そこにはキースの姿。彼の隣にはブレントが居り、その姿にキャスリーンが小さく息を呑んだ。ブレントの頭部に包帯が巻かれ、キースに支えられながら歩いているからだ。その歩みも、足を引きずっているように見える。
明らかに怪我を負ったと分かるその痛々しい姿に、「お父様!」と名を呼んで駆け寄りたい衝動を寸でのところで抑える。
まるでそれに代わるようにアルベルトがブレントを呼んだ。
その際に周囲に気付かれないようキャスリーンの背にそっと手を添えてくるのは、母の失踪と父の負傷した姿にキャスリーンが倒れ込むと案じたからか、もしくはキャスリーンが青ざめ震えていることに気付いたからか。その両方か。
アルベルトの大きな手が背中に触れ、キャスリーンが己を落ち着かせようと小さく息を吐いた。呼吸すらも震えている。
「ブレント様、どうしました。何があったんですか?」
「情けない話だ。駆けつけたんだが、囲まれて太刀打ちできなかった」
すまなかったとブレントが謝罪する。
曰く、ナタリアの声を聞き駆けつけたは良いが、片手以上の人数に囲まれて彼女を守ることが出来なかったのだという。
多対一では現役の騎士といえど勝てるものではない。とりわけ相手の動きは攻撃よりナタリアを攫うことに徹していたというのだ。どんな騎士でもこれでは苦戦を強いられる。
キースに切りかかる者を制止している間にナタリアを奪われ、奪い返すより先に引き上げられてしまったのだという。追おうとしたが馬は無く、殴打された頭部と痛めた足では碌に動けない。出来ることと言えば声を上げて人を呼ぶだけ。
それを聞きつけた双子が現れ、事態をアルベルトに知らせに来た……。
一部始終を語るブレントの声は冷静さを感じさせる、話も順を追っていてわかりやすい。だが説明し終えると声色を途端に忌々し気なものに変え、唸るような声色で「俺の目の前で……」と呟いた。
相手を憎み、己を悔やむ声。優しい父から発せられたとは思えぬ声にキャスリーンの胸が締め付けられる。
だが目の前で妻を攫われたのだ、その胸中は計り知れるものではない。
周囲もそれを察し――もっとも、事情を知らぬ者からしたらブレントは目の前で娘を攫われた事になるが――労わるように彼を見ている。もちろん多勢に無勢であったのだから咎めるような者も居ない。キースだけでも守れたのだからと口々に彼を労っている。
キャスリーンもまたそんな父を労い、次いでキースへと視線をやった。それに気付いたキースが、今度は自分が話し出す番だと察して深く息を吐いた。
「……あれはエルウィズ家の誰かが手配した者で間違いないだろう」
「何故分かったんです?」
「襲ってきた者達が俺を見てざわついていた。中には俺の名を口にし『話が違う』と騒ぐ者や、顔を隠す者すらいたんだ。元々俺は領地の視察に行くと言って家を出たから、奴らにとっては予想外だったんだろう」
いるはずのないキースの姿を見て、襲い掛かってきた者達の中に混乱が生じた。彼が居るはずないと思っていたのだろう。そのうえ顔を隠したとなれば、顔見知りの可能性がある。
そこまで説明し、キースが再び息を吐いた。身内の問題に巻き込んでしまった申し訳なさ、まさかと案じていたことが現実になってしまった心労、彼の負担は相当だろう。
だがここで彼を労わって「辛いならもう話さなくても良い」とはいかない。エルウィズ家の跡継ぎ争いが根底にあるとなればナタリアの命までは脅かされないだろうが、それでも悠長に構えていられる事態ではないのだ。
それでもとキャスリーンが彼の隣に並び、そっと腕を擦った。先程までアルベルトが自分を支えてくれていたように。彼のような安堵感は与えられないかもしれないが、せめてこちらに敵意も恨む気もないと心の中で訴える。
(ここで聖女として振る舞えたらいいのに。ただ一言でも『兄弟の罪は貴方の罪ではない』と言ってあげられたらいいのに……)
そう思っても今はキャスとして話を聞いており、聖女であるナタリアは攫われているのだ。
出来ることはただ腕を擦ってやるだけ。それでもしないよりはましだろうと続ければ、キースがこちらを見つめてきた。
翡翠色の瞳に以前の精悍さは無く、ほんの数十分の間で酷くやつれたように見える。
「……キャス」
「大丈夫です。キース様、落ち着いて話してください。キャスリーン様は必ず私達が助けますから」
「あ、あぁ……そうだな。頼りにしてる」
キースの声はいまだ疲労を感じさせ掠れているが、痛々しいながらにも笑んで返すあたり多少は気が晴れたのだろうか。
ゆっくりと一度瞳を伏せるその表情は、まるで己の動揺と迷いを断ち切ろうとしているように見える。
次いで彼は瞳を開けると共に顔を上げ、話を促すように見つめてくるアルベルトに視線をやった。
「……俺は、もしかしたら仕組んだのは末弟ではないかと思ってる」
「末弟というと、サイラス様ですか」
「あぁ。サイラスは俺達より少し年が離れている。兄妹みんなで可愛がって、両親も末の子だと甘やかしてしまった。強請れば何でも与えて、言えばどんな要望も応えていた。そのせいで我儘を言えば何でも通ると思っている」
「それで跡継ぎを?」
「あぁ、いつからか跡継ぎになりたいと言い出した。今までは何でもサイラスの思うようにしてやったが、さすがに跡継ぎまでは譲れない。あいつにとっては初めて手に入らないものなんだろう。だから強硬手段に出たのかもしれない」
曰く、エルウィズ家の末弟であるサイラスは家族や周囲に甘やかされて育ち、そして甘やかされたがゆえに跡継ぎの座も欲しているのだという。自分は後を継ぐ気はないとキースが何度説明しても聞かず、自分より優位な兄たちを妬んで虎視眈々と跡継ぎの座を狙う……。
そこに家名を背負う覚悟があるのかは定かではなく、兄であるキースでさえ「皆が欲してるから自分のものにしないのかもしれない」とまで言っている。随分と手が焼ける性格らしい。
そこまで話し、キースが肩を落とすように溜息を吐いた。
エルウィズ家のせいだ……と己を含めて一族を責める。
確かに問題を起こしたのは末弟かもしれないが、周囲は彼を甘やかし道を正そうとしなかったのだ。キースを含めた一族皆に責任が無いとは言い切れない。誰よりキース本人が自覚しているのだろう。
「きっと聖女と婚約出来れば自分がエルウィズ家の跡継ぎになれると考えたんだろう。ブレントを前に言うべきことではないが、末弟のサイラスが逆転するには確かな方法ではある」
聖女の力は一子相伝。そしてトルステア家にしか聖女の力は宿らない。
そんな聖女を家系図に加えれば、その家の地位は一気に飛躍する。
仮にサイラスが聖女と結婚しその間に次代を授かれば、エルウィズ家はその成果を称えて彼を当主にするだろう。家の繁栄が確約されたも当然なのだ。
聖女の影響はそれほどである。人の怪我を癒すだけではなく、社交界の勢力図を引っ繰り返しかねない。悪用しようとする者が出てもおかしくない。
むしろ今まで出なかったのが不思議なくらいだ。……いや、もしかしたら。
(……だから国が結婚相手を決めるのかしら。次代に繋ぐためじゃなくて聖女を守る為に)
そうキャスリーンが心の中で呟いた。
今までは結婚相手すらも国が勝手に決めてしまうのかと考え、聖女の気持ちなど欠片も組んでもらえないのかと嘆いていた。だが今では別の角度からとらえられる。
アルベルトに諭され、周囲に愛されていたのだと知った。周りは自分を『お飾り聖女』等とは考えていないと知った。
だからこそ考えるのだ。結婚相手を決めることで聖女を守ろうとしていたのか……と。
安全で、聖女の立場を利用しない相手を。
こんなことが起こらないように。大事な聖女が傷つかないように。
そしてきっと、聖女自ら相手を見つめたのならそれを認めて祝ってくれるのだろう。ブレントとナタリアが出会い結婚したように。なによりも聖女の幸せを優先して……。
だが今はそれを確認している場合ではない。そう考えてキャスリーンがキースへと視線をやった。青ざめ悲痛そうな表情を浮かべているが、それでも絞り出すような声で話し続けている。
「もしも全てが済んでしまえば、たとえそこに合意が無かったとしても、エルウィズ家は罰せられるのを恐れて事実を隠すだろう。子供さえ作ればそれを盾に出来る」
「そんな……!」
「事が進めばエルウィズ家の問題ではなく国自体の問題になる。諸外国に知られたら国の恥だ、誰もが隠し通すはず。そうすればサイラスの一人勝ちだ」
キースが忌々し気に言い切る。
愚考だと分かっていても、それでも事実であることは認めざるを得ないのだろう。見れば彼の手はきつく握りしめられ、力を込めるあまりに白んで震えている。
キャスリーンがそれに気付き、彼の腕を再度擦った。
今の彼は実の弟を憎み、愚行が通ってしまう自らの家をも憎んでいる。そしてその中には自分も含まれているのだろう。
「兄として、公爵家の一人としてこの事実を隠すわけにはいかない。この村から少し離れた先にサイラスの別荘がある。そこに匿われているはずだ」
「案内してくれますか」
「もちろんだ。俺もあいつを甘やかしていた。兄として、道を間違えているなら正してやらなきゃいけない」
キースの言葉には決意の色が見える。
たとえそれがエルウィズ家の没落に繋がるとしても、それでもと考えているのだろう。いくら彼が解決に導いたとしても、ナタリアが傷一つ負うことなく無事に帰ってこれたとしても、仕組んだのがサイラスならばエルウィズ家への咎は免れない。
それでもと訴えるキースに、アルベルトがその決意を汲んだと頷いて返した。
「参りましょう。サイラス様の別荘まで案内を願います」
「あぁ、誰か馬を貸してくれ。馬車で行けば気付かれる可能性がある」
「ローディス、俺達の馬を連れてきてくれ。ロイ、お前は第一騎士隊の召集を頼む」
話が終わるや指示を出すアルベルトに、双子が返答をしてそれぞれの方向へと走り出す。
キャスリーンも出発の準備をすべく行動しようとし……最後に一度キースの腕を擦った。双子を見届ける彼の瞳が、いまだ揺らいでいるように見えたのだ。
「……キャス、これで全てが壊れると思うか?」
「いいえ壊れない、私達が壊しません。キャスリーン様は必ず救い出しますし、きっと説明すれば許してくださいます」
「……そうだと良いが」
溜息のように返すキースの言葉にキャスリーンがもう一度彼の腕を擦り、自分の愛馬を迎えに厩舎へと向かった。




