29:半人前騎士が救ったもの
ふと、目が覚めてキャスリーンがゆっくりと体を起こした。
いつの間に眠っていたのか、ぼんやりとした意識で「お母様?」と微睡んだ声をあげる。だが部屋を見回しても母の姿は無く、返事もない。
次いでキャスリーンがふと視線を己の体に向けたのは、一枚のマントが掛けられていることに気付いたからだ。濃紺のマント。騎士服と合わせて作られたそれは、他でもない……。
「……アルベルト隊長」
マントの主の名を口にする。
小柄なキャスリーンなら包まれてしまいそうなマントは、他でもなくアルベルトのものだ。
だが持ち主が分かってもそれがなぜここで自分に掛けられているかが分からず、キャスリーンがマントを抱きよせて再び周囲を窺った。
今度は母ではなく、アルベルトの名前を口にしながら。
その瞬間、カタンと音がして壁に設けられている扉が開いた。隣室と繋がっているのだろうか、そこから姿を現したのは……アルベルトだ。
「すまない、起こしたか?」
「い、いえ……大丈夫です」
座り直しながらしどろもどろでキャスリーンが告げれば、アルベルトが頷いて返すと同時に隣に腰かけてきた。
手にしていたティーカップを差し出してくる。受け取れば暖かな湯気と共に紅茶の香りが鼻を擽った。
だが一口飲んでも味も何も感じないのは、隣に座るアルベルトが気になってしまうからだ。
いつから居たのか、
どうしてここいるのか、
そもそも今は何時なのか、
ナタリアはどこにいったのか……
そんな疑問が次から次へと頭に浮かんで、何から話して良いのか分からなくなる。そもそも、どのタイミングで話しかけて良いのか……それすらも分からず、出来ることと言えば紅茶とアルベルトを交互に視線をやるだけだ。
そんなキャスリーンの動揺と混乱を知ってか知らずか、アルベルトがコホンと咳払いをした。
まるで今から話をすると言いたげなその咳払いに、キャスリーンがジッと彼を見つめる。だが藍色の瞳はこちらを向くことなく、ただ正面を向いている。
「……話はナタリア様から聞いた」
「お母様から?」
「あぁ。元々キャスに話があってきたんだ。そうしたらナタリア様に話があると言われて……」
そこで聖女についての話を聞いたのだという。
それを聞き、キャスリーンの心臓が跳ね上がった。
聖女に必要なものは『愛』。
それを知りアルベルトはどう思ったのか……。
だがそれを問うより先に、アルベルトが己の頭を掻いた。濃紺の髪が揺れる。普段キャスリーンの頭を撫でる時とは違う、豪快でいて雑な動き。
彼が困った時によくする仕草だ。その癖を知っているからこそ彼がこの話題で困っているのだと分かり、キャスリーンの胸が締め付けられる。
そんなキャスリーンの視線に気付くことなく、アルベルトは数度頭を掻き、溜息交じりに「難しいな」と呟いた。
「難しい……?」
「あぁ、それが聖女の力になると言われても、俺には今一つピンとこない」
「……そう、ですよね。私にも」
分からない、と言いかけてキャスリーンが彼のマントをぎゅっと握りしめた。
強く握ったら皺になってしまうだろうか? だが力を込めていないと手が震えてしまう。
(私もよく分からない。でも……もしも本当に愛が必要なら、叶うならアルベルト隊長と……。なんて、そんなこと考えちゃ駄目、困らせるだけ……)
そう自分に言い聞かせ、ほんの少し浮かびかけていた期待と己の内に目覚めはじめる感情を押し隠す。
今はアルベルトを見ることも辛い……そうキャスリーンが瞳を伏せ、ゆっくりと俯いた。だが次の瞬間パチンと瞳を瞬かせて顔を上げたのは、アルベルトの手がポンと頭に乗ったからだ。
見れば、彼は普段通りの優しい表情を浮かべている。
「たとえキャスが自分に自信を持てなくても、俺はキャスを立派だと思ってる。もちろん、キャスリーンとしてもだ」
「……立派?」
「あぁ、聖女に大事なものは自信なんだろ。人を励ましたり自信をつけさせる術はよく分からないが、それでも良いなら俺の話を聞いてくれるか?」
「自信……」
キャスリーンが告げられた言葉を口にする。
その間もアルベルトは時に言葉を探すように悩み、時にキャスリーンの頭を撫で……と、迷いながらも励ましてくる。
果てには数度キャスリーンの頭を撫で、はっと息を呑むと「これは子供扱いじゃないからな」と慌てて手を放した。頭を撫でられたキャスリーンが子供扱いされていると思い、自信を失うかもと危惧したのだろう。慌てて説明するアルベルトをキャスリーンが小さく笑んで見上げた。
真面目で、そして少し不器用な彼らしい。
(お母様は愛とは言わなかったのね……)
はたしてそれはいつものナタリアの揶揄いなのか、それともアルベルトには話す必要は無いと判断したからか。もしくは、アルベルトには……アルベルトにだけは、キャスリーン自ら告げろということなのか。
ナタリア本人がいない今、それを確かめることは出来ない。
ならば自分が……とキャスリーンが心の中で自分に言い聞かせ、アルベルトの名前を呼ぼうとした。だがそれより先に彼に名前を呼ばれてしまう。
出掛けた言葉を飲み込んで彼を見れば、藍色の瞳がじっとこちらを見据えてくる。
「キャスリーン、俺はお前を立派だと思ってる。そりゃ頭を撫でたり戦場では心配しすぎたりするが、別に子供扱いしてるわけでも半人前だと思ってるわけでもない」
「……アルベルト隊長。でも、私なんて」
「そんなに自分を卑下するな。それに、俺はお前に救われたんだ」
「隊長が私に?」
アルベルトの話にキャスリーンが首を傾げる。
キャスとして彼の部隊に入って数年経つが、どれだけ思い返しても彼を救った記憶はない。仕事を手伝ったり雑用をこなしたり、せいぜいがその程度だ。逆に彼に助けられたことならば数え切れないくらいある。
だがそれを訴えてもアルベルトは穏やかに笑うだけで、「子供扱いじゃないからな」と念を押すと共にポンとキャスリーンの頭に手を置き、ゆっくりと話し出した。
それはキャスリーンがまだキャスになる前、アルベルトが第四騎士隊に配属されたばかりの頃。
アルベルトは元々王都から遠く離れた地で騎士として務めていたが、その地での活躍が評価され、なにより『氷騎士』の異名が知れ渡り王都に呼び寄せられたのだという。
配属先は、爵位も身分も関係なく雑多に集められた第四騎士隊。王都にくるなり彼等を率いるように言われ、馴染む間もなく隊長の任を与えられたのだという。
遠方から単身訪れた騎士が隊長に。それも氷騎士となれば、周囲が打ち解けられるわけがない。アルベルトも周囲とどう接して良いのか分からず、隊長の任こそこなすが大きな溝を感じ、それを埋める術なく過ごしていたという。
あの双子でさえアルベルトを敬遠していたのだというからよっぽどだ。
「どうしていいか分からず、どうにもしなかった。そんな態度がまた『氷騎士』と言われて、周囲から恐れられる。悪循環だ」
「そんな、でも今は……」
「あぁ、今はもう違う。キャス、お前が来てくれたからだ」
当時を思い出しているのか、アルベルトが瞳を細めて見つめてくる。
かつてを懐かしむその表情は穏やかで、頭を撫でてくる手は温かい。とうてい氷騎士とは思えない。
常々彼には似合わぬ異名だと思っていたが、まさかそこに自分が関与しているとは思わず、キャスリーンが話の続きを促すように彼を見つめた。その視線の意味を察してか、アルベルトが再び口を開く。
アルベルトが第四騎士隊の隊長に着任して数年後、周囲と打ち解けることも出来ず諦めていた頃、彼に託されたのがキャスだ。
家業を継ぐための勉強として王都に来たが、昔からの夢であった騎士への道も諦められずにいる。だからこそ二つをこなそうとする小柄な少女。
任されたアルベルトが困惑したのも仕方あるまい。自分より適任がいるのではないかと、それこそ双子のような親しみやすい者の方が良いのではと訴えたという。
……それを聞き、キャスリーンが「双子に!」と悲鳴じみた声を上げた。もちろん、双子に預けられたら今よりもっと玩具にされたはずだからだ。
もしそうなっていた場合、今頃キャスリーンは騎士の制服ではなくネズミの着ぐるみを着て、三食シーフードサラダを食べる生活を送っていただろう。そんなキャスリーンの訴えにアルベルトが慌てて「当時は双子の性格を知らなかったんだ」とフォローを入れてきた。曰く、他の騎士はもちろん双子とも仕事以外の話をすることが無く、あれほど厄介な性格とは知らなかったのだという。
そんな状況だが、それでもと押されてアルベルトはキャスを預かることにし……、
そしてアルベルトの生活が一変した。




