26:聖女の結婚
「アルベルト隊長、キャスは?」
ローディスに尋ねられ、アルベルトが一部始終を話す。
といっても長々と説明するようなものではない。キースと同時にキャスリーンを誘い、そして彼女がキースを選んだだけのこと。もちろん立場の違いがあるからだ。
騎士隊長とはいえ第四騎士隊のアルベルトと、公爵家の第二子であるキース。どちらが上かなど誰だってわかる。むしろこの差を無視してキースの誘いを無碍にすれば、世間知らずだの非常識だのと言われかねないほどだ。
……だけど、とアルベルトが内心で呟き、胸の内に沸く靄を発散するように豪快にパンにかじり付いた。宿屋で用意してもらったものだ。どこかで適当に買っても良いかと考えたが、キャスリーンがそうすると言っていたので自分もと彼女に倣った。
(なんだかこう、妙な気分だ……)
そう心の中で呟く。だが何が妙なのか、何故なのか、さっぱり分からない。
だからこそ鬱憤を晴らすように二口目にかじり付く。租借し飲み物で流し込み、またかじり……と、胸の内の靄が祟って雑談する気も起こらず、自然と食べる手は早くなる。
「キャスに振られると氷騎士に戻るのは旅の最中も健在か」
「昔はこの無表情を冷静だの無感情だのと言って怖がってたけど、今になると馬鹿馬鹿しく思えてくるよな」
とは、そんなアルベルトを眺めつつ食事をとるローディスとロイ。
淡々と食事を進める上官からは冷気に似たものが漂っているが、今更それに気圧されるわけがない。それにいくら淡々と食事をしているからといって、八つ当たりをしてくるわけでもなく、話を振れば普段通りのアルベルトに戻るのだ。
となればどうすべきか……答えは簡単、放っておけばいい。
そこまで考え、ふとローディスが「そういえば」と話しだした。
「あの噂って本当なんですかね?」
「噂?」
「えぇ、キース様がキャスリーン様の結婚相手なんじゃないかって噂です」
「……結婚!?」
ローディスの口から出た予想もしなかった単語に、アルベルトが驚きを露わにガタと立ち上がった。
手にしていたサンドイッチを勢いのあまりグシャと潰してしまったが、今それを気にかけてやるものはいない。仮にここにキャスリーンが居れば、慌てて救護鞄からコットンでも取り出して「シミになる!」と彼の上着を拭いそうなものだが、あいにくと彼女は不在だ。
「そ、そんな噂聞いたことがないぞ」
「そうですか? キース様って公爵家の次男であの見目の良さじゃないですか。あちこちから婚約の申し出が来てるはずなのに、いまだ結婚もしないし恋人すら作らない。それでいて女嫌いってわけでもない……って、怪しまれてるんですよ。なぁ、ロイ」
「俺も聞いたことがある。エルウィズ家ならキャスリーン様の結婚相手にも申し分ないしな」
有力候補として噂されている……と交互に話す双子に、アルベルトがそんなまさかと小さく呟く。
だがここで真偽を探れるわけがなく、なによりあくまで話は聖女の事なのだ。現に疑問を抱いたローディスに「どうしてそこまで慌てるんですか?」と尋ねられ、アルベルトが慌てて冷静を取り繕って座り直した。
(そうだ、落ち着け。噂はあくまで噂、それもキャスではなく聖女の話だ。……だが二人は同じ人物……それに、聖女は次代に力を繋げなければならない……)
聖女キャスリーンと騎士キャスは同一人物。となれば、聖女の結婚相手とはつまり……。
そこまで考えればアルベルトの胸の内に靄が湧き、自然と食べる手が早くなる。あれこれ考えれば考えるほど思考が内にこもり、それに反して何故か行動が早くなるのだ。
傍目には無表情で手早く食事を進めているように見えるだろう。内情を知らなければその姿は静観な見目と合わさって冷静さを感じさせる。怒っているのかと思う者も出かねない。
これにはさすがに双子も疑問を抱き、揃えたように顔を見合わせた。
「なんでキャスリーン様の結婚話で隊長の食べるスピードがあがるんだ?」
「さぁな。他人の結婚話に自分も焦りを感じてるんじゃないか?」
「そんなまさか、社交界のご令嬢じゃあるまいし。それに隊長にはキャスがいるじゃないか」
「でもそのキャスはキース様と馬車で二人っきり……。これは楽しくなってきた」
ニンマリとロイが笑う。なんとも悪どい笑みではないか。
それを見てローディスが肩を竦める。双子であっても多少の趣味の差は出てくるというもの、さすがにこれを楽しむ趣味はローディスには無い。
アルベルトが正気であったなら、これもまた双子を見分けるヒントだと考えただろう。だがあいにくと彼は考えに籠り、あっと言う間に食事を終えまるで酒替わりのように飲み物を煽っていた。
「いっそ兄弟の企みだったら良いのに」
そうキースがポツリと呟いたのは、公爵家の馬車の中。二人きりの空間で発せられたこの発言に、向かいに座って食事を進めていたキャスリーンがぎょっとして目を見張った。
馬車の中はさすが公爵家と言えるほど造りが良く柔らかなクッションまであり、窓を開ければ心地よい風が入り込んでくる。これならば安い食堂よりも落ち着いて食事がとれるだろう。
宿屋で用意してもらった食事は美味しく、旅の疲れを癒すひととき……のはずだったのだが、この物騒な発言にもはや休息どころではない。食事の味も見失ってしまう。驚いてサンドイッチを握りしめなかっただけ誉めてほしい。
「どうしたんですか突然。冗談だとしても物騒なことを仰らないでください」
「冗談じゃない、本音だよ。キャスリーン様や君達には申し訳ないが、いっそ全てが兄弟の企みだったならどれだけ良いか……」
「そんな、そうだったらエルウィズ家だってただじゃすみませんよ」
「きっと相応の罰を受けるだろうな。よくて辺境の地に追いやられるか、もしくは離散か」
淡々と話すキースの声はまるで他人事と言いたげだ。自分の家の話をしているとは思えない。
どうして……とキャスリーンが呟いた。あまりの事態に震える声しか出ず、その声も絞り出したかのように掠れている。
そんなキャスリーンに対し、キースが切なげに笑った。
「キャス、きみは家業を継ぐ勉強のために王都に来てるんだよな。その傍ら、夢だった騎士としても勤めている」
「は、はい。そうです……」
突然自分のことを言われ、キャスリーンが戸惑いつつも肯定した。
といってもそれはあくまでキャスとしての時間を過ごすための偽りなのだが、それをここで言えるわけがない。だからこそ素直に肯定すれば、キースが切なげに笑んだまま「うらやましいよ」と呟いた。
「やるべきことを見据えて、それでも自由に生きてるんだな」
「……いえ、そんな。家業も騎士業も中途半端です」
「それでも立派だよ。何も出来ず、どうしていいのかも分からず、このまま家のために生きるだけの俺よりは何倍もね」
「……キース様」
自虐的な笑みを浮かべるキースに、キャスリーンがどう声をかけていいのか分からずただ名前だけを呼んだ。
エルウィズ家は大きな家だ。公爵家として名を馳せている。その次男となれば背負っているものは相当なのだろう。そのうえ跡継ぎ争いまで起こっており、彼の心労は計り知れない。
本人が意欲的に跡継ぎを狙っているのならまだしも、当人に意欲が無くとも周囲が担ぎ上げて争いを起こすと聞いたことがある。酷いときには社交界を巻き込んで決裂や対立を生み、本人達の意志などお構いなしに激化していくこともあるのだという。
キャスとして行動している時に耳にした噂や、噂好きのナタリアからの伝聞でしか聞いたことがないキャスリーンでさえ、その過酷さには震え上がってしまう。
「キース様は、その……エルウィズ家の跡継ぎには……」
「興味ないな。だからこのまま周囲の良いように扱われて、お家繁栄のためどこかのご令嬢と結婚させられるだけだ。……キャスリーン様と同じだな。きっと彼女も、そう遠くない内にどこかの誰かと結婚するだろう」
「……キャスリーン様が結婚!?」
突然己の名を出され、キャスリーンがガタと立ち上がった。
もちろん今キースが口にしたのは『聖女キャスリーン』の事だ。目の前で共に食事を進めている騎士の事ではない。
それは分かっている。だが実際は同一人物なのだ、この話題は聞き逃せない。
「キャスリーン様が、結婚!? ど、どういうことですか!」
「なんだ、彼女と親しいのに知らないのか? 聖女の力は次代へと繋げられるべきもの。きっともう目ぼしい相手は決まってるだろ」
「そ、そうですけど……でもキャスリーン様はまだお若いし、そんな……」
「社交界じゃよくある話だ。結婚も結婚相手も、全て親が決めるんだ」
きっぱりとキースが言い切る。
だが確かに、十六というキャスリーンの年齢は社交界においては結婚適齢期と言えるだろう。同年代で既に結婚している者も少なくない。そしてその殆どが親が決めた相手とだ。
それが分かっていてもキャスリーンが慌ててしまうのは、今まで自分のことに置き換えて考えていなかったからだ。
聖女としてまだ半人前、次代などもっと先のこと……そう考えていた。
だが考えてみれば、聖女の力が壮大であればあるほど国は力の継続を尊重するはずだ。早く次代を、それも聖女の家系に見合った相手と……。
「キャスや第四騎士隊のように、身分に関わらず仕事を選ぶことができるようになった。でもまだまだ上はお堅いんだ」
「……キース様」
「いっそ何か大きな問題が起こって、すべて壊れてしまえばいいのかもしれないな。俺も、キャスリーン様も」
溜息混じりに告げられるキースの言葉に、キャスリーンがかける言葉が浮かばずただジッと窓の外に視線をやった。
長閑な景色が続いている。もう少し走れば聖堂のある村に着くだろう。そこで一晩を過ごせば儀式は終わる。一人前の聖女となり、しがない少女騎士は田舎に帰る。
それを覆すと決めた。このままお飾り聖女のままでは居ないと決めた、キャスを消さないと決めた。そこにまた一つ新たな目的を追加する。
『国が決めた相手と結婚なんかしない』
それを胸に、キャスリーンが深く息を吸い込んだ。




