21:聖女のお目覚め
翌朝、キャスリーンは規定の起床時刻よりも早く目を覚した。
といっても半ば無理やり起きたに近く、もぞもぞと何度も布団の中で身じろいで『もう一度寝よう』という甘い誘惑に抗う。この誘惑の手強さと言ったらなく、聖女としても騎士としても未だ有力な抵抗作が見つかっていない。
普段ならばこの誘惑と苦戦して――ときに負けて――いると、見兼ねたナタリアが起こしにくる。だが今朝はそれも望めない、そうキャスリーンが自分に言い聞かせ、バッと勢いよく布団から飛び起きた。
(そうだわ、今朝はキャスがキャスリーンを……私がお母様を起こしに行くのよ!)
それを思い出した瞬間キャスリーンの意識がはっきりとしたものになり、朝の身嗜みも手早く済ませる。先程まで布団の中でもぞもぞとうねっていたのが嘘のような機敏さだ。
冷たい水で顔を洗えばもはや眠気なんて綺麗さっぱり消え失せ、布団の甘い囁きも聞こえてこない。仮にもう一度眠れと命じられてもきっぱりと断れるだろう。
「立派な聖女は布団の誘惑にも打ち勝つのよ」
言い聞かせるように布団をたたみ、着ていた寝間着もきちんと畳んで枕元に置いておく。
聖女のために用意された部屋ほどの豪華さは無いが、それでも調度品の整った良い部屋だ。花が飾られ、心地良く眠れるようにと香まで用意されていた。
聞けば『騎士の中に一人女性がいる』と聞いた宿側かわざわざ手配してくれたのだという。
なんとも有り難い話ではないか。第一騎士隊の者達から順に良い部屋を取っていき、結果的に三人部屋を押し付けられたアルベルト達に羨ましがられてしまった程である。
食堂で冷やかされた仕返しに、双子に自慢してやろう。
そんな事を考えつつキャスリーンが部屋を出て廊下を歩けば、道の先にアルベルトの姿があった。
彼もまたすでに着替えを済ませており、まるで時間を潰すかのように窓の外を眺めている。
「アルベルト隊長?」
「あぁ、キャス。おはよう」
「こんなところで、どうしたんですか? まだ起床時刻には早いですよ」
「早く起きたから、時間を潰してたんだ。……というか、起こされたというべきか、起きざるを得なかったというか」
「三人部屋は大変ですね」
「挟まれて寝たのが間違いだった」
参ったと言いたげにアルベルトが深く溜息を吐く。
どうやらあの双子は鼾と寝言まで同じらしく、左右から同じ声で的を射ない寝言を聞かされ、ろくに眠れなかったらしい。それでもなんとか眠りにつき……明け方、揃ってベッドから落ちる豪快な音で部屋を逃げ出したという。
その後軽く村を見て回り、キャスがキャスリーンを起こす時間を待って今に至るという。
そう軽く説明し、次いでアルベルトが手にしていた紙袋を差し出してきた。いったい何か……とキャスリーンが中を覗き込み、パッと瞳を輝かせる。
中に入っていたのはストローの刺さったフルーツ。他でもない、昨夜両親が飲んでおり、キャスリーンが『おまじない代』としてローディスに買わせようとしたものだ。
時間潰しに村を散策していたところ、たまたま見つけて買ってきたのだという。キャスリーンが礼と共に受け取り、一口コクリと飲み込んだ。
朝の爽快感とフルーツの酸味、なんという美味しさだろうか。
「ナタリア様を……キャスリーン様を起こしに行くんだろう? 俺も一緒に行っていいか?」
「えぇ、もちろんです! ……あ、でも部屋に入ってキャスリーン様を起こすのは」
「分かってる。部屋までは入らない。キャスにしか出来ない仕事だからな」
重要な仕事だ、とアルベルトが頭を撫でてくる。
仕事を任せるにしては子供扱いではないか。だがそれが何故かキャスリーンの胸を擽り、照れくさくなってしまう。小さく微笑めば、アルベルトが「そういえば」と話し出した。
「今まで、朝にキャスと会うことはあまり無かった」
「そうですね。いつも午後から訓練に参加してたし、用があっても大体午後からでしたもんね」
「何かあるんだろうと思ってたが、まさか午前中は聖女として仕事をしてたとはな」
予想外過ぎる真相だとアルベルトが笑う。
だが事実、キャスリーンがキャスとして活動出来るのは午後からと限定されている。午前中に聖女として謁見を済ませるからこそ、午後の自由を許されているのだ。
おかげでどんな用事を言い渡されても、非番の時に誘われても、いつだって「午後から」と答えてきた。
……それに、
「朝に予定を入れるとローディスとロイが嫌がるんですよね。あの二人、噂だと相当寝起きが悪いらしいですよ」
「……起こすように頼まれてるんだが」
「頑張ってください。アルベルト隊長にしか出来ない仕事ですよ!」
先程のアルベルトの言葉をそのまま返せば、彼の手が再びポンとキャスリーンの頭に乗ってきた。普段より少し念入りに撫でてくるのは、手伝ってくれという応援要請だろうか……。
ただでさえ厄介な双子が揃いも揃って寝起きが悪いとなると、アルベルトでも手を焼くことは間違いない。いかに氷騎士と謡われた男だろうとこれは無理難題だ。
そうキャスリーンが話せば、アルベルトが「頼りにしてる」と告げてきた。
「あの双子の扱いならキャスが部隊一だからな」
「……これはあんまり任されたくないですね」
思わずキャスリーンが不服を訴えるように答えれば、アルベルトがクツクツと笑った。
そうして聖女が泊まっている部屋へと着き、数度ノックをする。
だが返事は無く、もしやまだ眠っているのだろうかとキャスリーンが首を傾げた。
「お母様……じゃなくて、キャスリーン様。キャスです。入りますよ?」
先程より少し強めに扉を叩き、声を掛けると共にそっと扉を開ける。
窺うようにゆっくりと中を窺い……、
「おはよう、キャス」
という穏やかな朝の挨拶に反して、黒いネグリジェにベールという奇怪な組み合わせで待ち構えるナタリアの姿に盛大に噴き出した。
ネグリジェは丈こそ膝下まであるものの、太もも半ばまでスリットが入ったセクシーなデザイン。透けはしないが黒一色という大胆さ。
それでいて顔はベールで隠している。その落差は滑稽を通りこしてもはや奇妙の粋。隠したいのか見せたいのか。
思わずキャスリーンが言葉を失えば、少し離れた場所で様子を見守っていたアルベルトが異変を感じ取り「どうした?」と近付いてきた。
そうして扉の隙間から続くように中を覗き……、
ゴフッ
と噴き出した。
「ナタリア様……いえ、キャスリーン様、その恰好は……!」
「あら、アルベルトもいたのね。これは寝る時の聖女の正装よ!」
「お母様、いえキャスリーン様! そんな嘘つかないでください! 私、いえ、聖女はそんなの着ません! いつも普通のパジャマです!」
キャスリーンが必死で訂正すれば、ナタリアが優雅に笑う。なんとも楽しそうな表情ではないか。これはきっと早くから起きて仕込んでいたに違いない……。
まんまと慌てふためき思惑通りに楽しませてしまったことに気付き、キャスリーンがキッと彼女を睨み付けた。これ以上なにか言いだす前にと部屋に入って扉を閉める。
もちろん、アルベルトを廊下に残して。扉を閉める間際に彼が「聖女の寝間着? キャスも……?」と混乱していたので「私は着ません!」とはっきりと宣言しておくのも忘れない。
「お母様、朝から悪ふざけはやめて!」
「寝起きの悪い貴女を起こしてあげようと思ったのよ。どう? 目が覚めたでしょ?」
ニンマリと笑いつつ聖女のドレスに着替えだすナタリアに、キャスリーンが頬を膨らませる。
次いで既に十分目が覚めていること、そもそも今朝はちゃんと一人で起きれたことを告げれば「まぁ、一人で起きれたの!?」とわざとらしい反応で返されてしまった。
そのうえ「キャスは誰かさんと違って寝起きが良いのね」とまで言ってくるのだ。
なんとも腹立たしい……のだが、日頃起こして貰っているだけに碌な反論が出来ない。
ならばと着替えを急かし、自分を落ち着かせるためにフルーツのジュースを一口飲んだ。
「それどうしたの?」
「アルベルト隊長が買ってきてくれたんです」
「あら、随分と可愛がられてるじゃない」
「そ、そう……?」
ナタリアの言葉に、キャスリーンの頬がポッと赤くなる。なんとも言えないむず痒い気分だ。
それを誤魔化すようにもう一口と飲み進め、ナタリアが身支度を整えると二人揃って部屋を出た。




