18:癒やしの聖女に必要なもの
「俺にも教えてくれないか?」
そうアルベルトが尋ねてきたのは、再び宿に戻ってきてから。
人気の無い廊下を歩いている最中、改まった様子で尋ねてきた。
真剣な彼の表情に、キャスリーンが「何をですか?」と首を傾げて彼を見上げる。
「双子の見分け方だ。剣を交えたりしばらく話をすれば分かるんだが、どうにも咄嗟には見分けがつかなくて……」
上官として情けない、とアルベルトが頭を掻く。
確かに、部下の見分けがつかないなど隊を率いる者として許されることではない。
だがあの双子は別だ。なにせ容姿も髪色も背の高さまでまるで鏡に映したように瓜二つで、彼等本人もそれを利用して区別をつかなくさせているのだ。間違えて名を呼ばせようとしたり、入れ替わって混乱する様を楽しんだり、これでもかと双子に生まれたことを謳歌している。
その酷さと言えば、彼等を生んだ母親でさえ見分けがつかず間違えてしまう程だという。
だからこそ見分け方があるのならと考えたのだろう。アルベルトの瞳には期待の色さえ見え、キャスリーンが小さく息を吐いて肩を竦めた。
「あれは咄嗟に言っただけで、見分け方はありません」
「でもキャスはいつも一目で双子を見分けてるだろ?」
「どっちでも別に良いと思ってるので、適当に名前を呼んでるだけです。間違えても私に何か被害があるわけでもありませんし。アルベルト隊長も適当に呼んでみたらどうですか? 確率は半々です」
「……確率って。だけど俺が呼ぶと必ず間違えるんだ。この間もローディスだと思って呼んだらロイで、ならばと向かいから歩いてくるのをローディスと呼んだらそっちもロイで……待てよ」
おかしい、とアルベルトが足を止めて考えを巡らせる。
事実、彼の話はおかしい。ローディスだと思って呼んだらロイならば、向かいから来るのこそローディスである。だがそれもロイということは……。
怪奇現象? 双子が四ツ子に増殖……?
違う、たんにからかわれてるだけだ。
「……やられた。あの時は間違えたと慌てて謝ってしまったがどっちかはローディスだよな」
しまったと言いたげにアルベルトが唸る。真面目な彼らしい話ではないか。きっとローディスもロイもしてやったりと笑ったことだろう。
だが悲しいかな、からかわれていると分かっても双子を見分ける術はないのだ。
キャスリーンも呼ぶときは勘だけを頼りにし、そして何故か毎回言い当てている。
それがまた双子の悪戯心に火をつけるのだろう、より見分けをつきにくくし……と悪循環だ。
「喋ったり動けば見分けるのは簡単ですよ。私をネズミと馬鹿にするのがローディス、エビと馬鹿にするのがロイ。私が見当たらないとまずポケットを探すのがローディス、鞄を漁るのがロイ。私の三つ編みを掴んで右に引っ張って右折させようとするのがローディス、左に引っ張って左折させようとするのがロイです」
「……キャス、いじめられてるなら俺に言えよ? 上官として、というか騎士として、むしろ人として見てられない」
「あと、私がレイピアを抜いて追いかけると右に逃げるのがローディス、左に逃げるのがロイです」
「そうだったな。やられっぱなしじゃないよな」
さすが騎士だ、とアルベルトが苦笑を漏らす。
次いで楽しそうに「今度からはちゃんと観察しよう」と言ってのけるのだ。もちろん冗談なのは言うまでもないが、これにはキャスリーンが聞き捨てならないと彼へと視線をやった。
普段ならば、双子にちょっかいを出されてキャスリーンが怒ると決まって彼が間に入ってくれるのだ。双子を叱咤し、キャスリーンを宥める、仲介役と言えるだろう。
それが観察に徹するというのは大問題である。
「アルベルト隊長、観察なんてしないで助けてください」
「騎士のくせに助けを求めるのか? キャス、だらしないぞ?」
ニヤリとアルベルトが笑う。
それに対し、キャスリーンはコホンと咳払いをし、「アルベルト」と彼を呼び直した。今度は敬称を着けず、先程までの責めるような声色を潜めて落ち着き払った声に変えて。
「アルベルト、聖女の命令です。今後か弱い騎士がいじめられていたら直ちに助けなさい」
「はい、かしこまりました」
キャスリーンが聖女として告げれば、途端にアルベルトが恭しく返す。
傍目から見れば二人の間にこれといった変化はない。キャスリーンはいまだ聖女の正装を纏い、アルベルトは騎士の服を着ているのだ。
だというのに途端に関係が逆転してしまう。
それが面白くキャスリーンが笑みを零せば、アルベルトもまた柔らかく瞳を細めた。
『氷騎士』の異名からは想像もつかないほど穏やかで、それでいてキャスリーンにとっては何よりアルベルトらしい表情。
聖女としている今でも彼が変わらず微笑んでくれていることが嬉しく、キャスリーンの胸が温まっていく。
「……アルベルト隊長が変わらず接してくれて良かった」
「ん? 俺がどうした?」
「聖女であることを知られたら、もっと距離を置かれたり、それか今まで騙していたのかと怒られるかと思っていたんです」
罪悪感とすら言える後ろめたさを抱いていた。それをキャスリーンが吐露すれば、アルベルトが穏やかに笑ってそっと手を伸ばしてきた。
ポン、とキャスリーンの頭に彼の手が置かれる。ゆっくりと撫でられるのは普段通りだが、それに合わせてベールが揺れるのはなんとも不思議な感覚だ。
「相変わらず色々と考える、俺にとっては変わらずキャスだよ」
「……アルベルト隊長」
告げられる言葉が優しく胸に溶け込み、キャスリーンがじっと彼を見上げた。
藍色の瞳が見つめ返してくれる
そうして宿の部屋へと向かったのだが、先程ナタリア達が隠れた部屋に二人の姿は無かった。
「もしかしてどこかへ行ったんでしょうか?」
「かもしれないな。部屋を分かっているから、待っていれば戻ってくるだろう」
そう話しつつ、ならばとキャスリーンの為に用意された客室へと向かう。
最奥の一室だ。ようやく一息つけると考えれば安堵が湧き、そして同時にどんな部屋なのかと期待も湧いてくる。宿に泊まるのは初めてだ。
「外泊なんて初めてです。枕が変わって寝れるかな……」
「キャス、お前よく訓練の休憩中に転寝してたじゃないか。どこだって眠れるだろ」
「口を慎みなさい、アルベルト」
「失礼いたしました」
そんなやりとりを交わし、ドアノブに手を掛け扉を開く。
ゆっくりと開けばキィと高い音が鳴り……それに続くように聞こえてきた声にキャスリーンが手を止めた。ブレントの声が聞こえてくる。
どうやら先に部屋に入っていたらしい。だが今のキャスリーンにはそれを考えている余裕は無い。なにせ聞こえてきたブレントの声はどこか深刻な色を感じさせ、そしてはっきりとキャスリーンの名を口にしていたのだ。
「キャスリーンは聖女としてどうだ?」
と。もちろん尋ねる先にいるのはナタリアだろう。この場合、母というよりは先代聖女に尋ねているという方が正しいか。
思わずキャスリーンが続く言葉を待ってしまう。
盗み聞きが悪いとは分かっているが、自分の話となれば誰しも気になってしまうもの。
とりわけ『聖女として』という話題なのだ。半人前だと自覚しているからこそ、他者からの評価が気になってしまう。それも先代聖女であるナタリアからの、お世辞も何もない評価となれば尚の事。
心臓が締め付けられるような息苦しさを覚え、ドアノブに掛けていた手を胸元に持っていく。ギュウと握りしめれば、肌越しに心音が早くなっているのが伝わってきた。
「あの子は……」
ゆっくりとしたナタリアの声が聞こえてくる。
キャスリーンが生唾を呑み、続く言葉を待った。
「あの子は確かに力は半人前かもしれない。でも聖女にとって必要なものはもう手にしているわ。あとは本人がそれに気付くだけ」
そう話すナタリアの声色は落ち着きを感じさせる。母としても先代聖女としても何も心配することはない、そう言いたげな声色だ。
きっと穏やかな表情で、愛でるように瞳を細めて話しているのだろう。
その声にキャスリーンがほっと胸を撫でおろした。
それと同時に湧くのが、ナタリアが言った『聖女にとって必要なもの』が何かという疑問だ。
癒しの力について、力の使い方、聖女としての立ち振る舞い……学ぶべきことは全てナタリアから教わってきた。だが今まで『必要なもの』など何一つとして教わっていない。
それも、『既に手にしているが気付いていない』とは、まるで謎かけのようではないか。キャスリーンの頭上に疑問符が浮かぶ。
「……お母様は今までそんなこと一つも言ってなかった。でもそれがあればもっと力を使えるのかしら」
「キャス、そろそろ中に入らないか?」
「立派な聖女になれば、きっと周囲も私の話を聞いてくれる。その必要なもの……お母様は既に持ってるのよね。でも何なんだろう……」
「キャス、キャス? 駄目だ、聞いてない」
『大事なもの』とはいったい何なのか、考え込むあまりキャスリーンの耳にアルベルトの声が届いてこない。
ポンポンと頭を軽く叩かれても、ひらひらとベールを揺らされても、それどころかアルベルトがキャスリーンの髪を手にし「三つ編み……こうやるのか? これだと四つ編み?む、五つになった」と独創的な編み方を始めても、深く深く考え続けていた。