16:聖女としての振る舞い
※双子の片割れローディーの名前をロイに訂正しました※
馬車の振動はその後も続き、時折は木の根か石に乗り上げたのか腰かけるキャスリーンの体が浮き上がるほどに大きく揺れることもあった。
もっとも、聖女としてならばまだしも騎士としてならば乗馬だってこなせるのだ、大きく揺れたところで悲鳴を上げることも無ければ馬車内で転がることもない。
だがそれほどまでに急いでいるのだと考えれば焦燥感が募っていく。
そんな振動もしばらくすると緩やかになり、僅かながら速度を落とし始めたのを感じ取ってキャスリーンが再び窓に張りついた。
隣を駆けるアルベルトが後続や並走する騎士達に何か指示を出している。その姿は普段通りの冷静さを感じさせる、第四騎士隊隊長のアルベルトだ。
(ひとまずはやり過ごせたのかしら……。でも騎士達の人数が少ないわ)
誰か残ったのか、まだ戦っているのか、負傷者はいるのか……。それを考えると速度を落としたからと言って「もう大丈夫」等と一息つくことは出来ない。
だからこそ馬車が停まるや飛び出せば、扉を開けようとしていたのだろうアルベルトの体にぶつかってしまった。今回は先程の逆転のように彼を押し倒し……はせず、彼の体にポスンとぶつかる。
「アルベルト、皆無事ですか? 残った者達は!?」
「キャスリーン様、落ち着いてください」
キャスリーンがしがみつくように尋ねれば、アルベルトが宥めるように肩を押さえてきた。
元より小柄なキャスリーンの肩が、大きな彼の手の中に納まってしまう。普段より熱を感じるのは、戦い、そして馬で駆けた直後だからだろうか。
見れば彼の額にはうっすらと汗が滲んでいる。周りを見回せば、他の騎士達に至っては苦しそうに息を切らせているではないか。
「ご安心ください、残したのは手練れの騎士達です。半数は賊を捕えて王都に引き返すよう伝えております」
「……でも、あんな急に」
「大丈夫ですキャスリーン様、落ち着いてください。……キャス、双子も置いてきたから大丈夫だ」
声色を潜めて告げてくるアルベルトの言葉に、キャスリーンがベールの下で小さく息を呑んだ。
双子、とは言わずもがなローディスとロイの事だ。
性格面を見れば厄介な双子ではあるが、剣の腕は確かである。とりわけ咄嗟の判断力に秀でており、訓練よりも実践でその実力を発揮することが多い。
アルベルトが以前に「一目置いている」と言っていたのを思い出し、キャスリーンがそれならと僅かだが落ち着きを取り戻した。――ちなみに「一目置いている」と言ったものの「本人達に言ったら調子に乗るから言わないけどな」とも言っていた。これにはキャスリーンも「それが良いでしょう」と頷いてしまった――
とにかく、だからこそ大丈夫だと告げてくるアルベルトに、キャスリーンが深く息を吐いて彼からそっと離れた。取り乱してしまったと正装の裾を直す。
「キャスリーン様、まずは宿に行きましょう。そこで少しお休みになられると良い」
「え、えぇ……そうね」
いまだ胸中には不安が残るが、かといってここで出来ることなどたかが知れている。
当然だが来た道を戻ることなど出来ないし、王都に戻って応援を呼ぶことも出来ない。聖女が取り乱し騒ぎでもすれば周囲に余計な心配を掛けさせるだけだ。
現に異変を感じ取った者達が不安そうな表情でこちらを見ている。その表情には先に出た村のような歓迎の色は無く、中には家から出ようとする子供達を制している親さえいる。
当然だ。聖女訪問を待ち望んでいたとしても、それが馬車を駆けさせ、そのうえ息を切らして強張った表情の騎士を連れてならば歓迎より不安が勝るというもの。
それならばと、キャスリーンが深く息を吐いた。
「……アルベルト、宿に案内してちょうだい。他の方々も各自休みを取って、後続の者達が来たら直ぐに知らせてくださいね」
冷静を取り繕い、声が震えないようにと努めてキャスリーンが指示を出す。
そんなキャスリーンの胸中を察したのかアルベルトが恭しく頭を下げ、「こちらへ」と誘導するように歩き出した。他の騎士達も見送るように視線を向けてくる。……それに、いまだ不安そうな表情を浮かべる村の者達も。
キャスリーンがそれに気付き、宿へと向かおうとするアルベルトを呼び止めた。
訝しげに見つめてくる幾多の視線には彼も気付いてはいるのだろう、不思議そうな表情でどうするのかと尋ねてくる。
そんなアルベルトの視線に、なにより向けられてくる不安そうな視線に、キャスリーンはベール越しながらに受け止めるように顔を上げた。次いで正装の裾を摘んでゆっくりと一度腰を下ろして頭を下げる。
視界の隅で金の髪が揺れる。誰かがほぅと息を吐いたのが聞こえてくる。
そうして再び顔を上げた。今度もまたゆっくりと。
「驚かせてしまい申し訳ありません。ですが我が国が誇る騎士達が守りを固めています。そうですよね、アルベルト」
「え、えぇ……もちろんです」
「少し疲れてしまったので一度休ませて頂きます。みなさま、その後改めてご挨拶させてくださいね」
そう告げて、キャスリーンが再び頭を下げた。
次いでアルベルトに向き直り「いきましょう」と促した。
不安げに様子を窺っていた者達が各々自宅に戻っていくのが視界の隅で見える。その表情は多少なり不安が和らいでいるようで、キャスリーンはベールの下で安堵の息を吐いた。
案内された宿は王都の宿泊施設や王宮に比べれば明らかに見劣りするものだが、それでも歓迎の意をこれでもかと示してくれていた。
周囲は綺麗な花で飾られ、入れば施設の者達が歓迎の言葉と共に迎えてくれる。聞けばこの日のためにと磨き上げ、花に至っては宿の関係者どころか村中で用意してくれたのだという。
その話にキャスリーンが感謝を示し、アルベルトを連れて部屋へと向かう。
宿の廊下も綺麗に清掃されており、真っ赤な絨毯まで敷かれている。その絨毯も、等間隔に飾られた花も、綺麗に磨かれた窓も、すべてがキャスリーンの胸を暖かくさせる。
そうして案内されたのは、三階建の宿の最上階にあたる三階、その最奥にある一室。
宿の中で一番広いというその部屋がキャスリーンに用意された部屋だ。宿の者達はしきりに「王宮の部屋とは比べものになりませんが」と言っていたが、きっとこの廊下のように歓迎の想いが込められた部屋なのだろう。
そんな廊下の人通りの無い場所にさしかかり、キャスリーンがほっと深く息を吐いた。
「……アルベルト隊長、私うまく振る舞えたでしょうか?」
「キャス?」
「なんだか動転しちゃって」
そうキャスリーンが先程までの自分の行動を振り返る。迂闊な性格をしていると自覚しているからこそ、なにかヘマをしたのではないかと不安が過ぎる。
それでもキャスリーンなりには聖女として振る舞った……つもりである。
だが改めて考えれば、いろいろと後悔が湧き上がる。
あの場できちんと説明をすべきだったのかもしれない、後回しにせずちゃんと挨拶をすれば良かったのもしれない、咄嗟のことに慌てて馬車から飛び出してしまったが、もっと落ち着いた態度を見せれば良かった……。
もしかしたら騎士達の中には負傷した者がいたかもしれない。それを治してやり、数人は後続を迎えに行かせるべきだったのかもしれない……。
自分が立派な聖女だったなら、もっと上手く対応出来ていたかもしれない……。
それを呟くように告げれば、ポンとキャスリーンの頭にアルベルトの手が載った。大きな手で柔らかく撫でられる。
「大丈夫だ。ちゃんとやれていた」
「……本当ですか?」
「皆が心配にならないように振る舞っただろう。立派だったし、キャスらしいと思ったよ」
穏やかな口調のアルベルトの言葉に、キャスリーンがベール越しに彼を見上げる。
彼の言葉で一瞬にして不安が掻き消え安堵に変わるのだ。「それなら良かった」と返せば、キャスリーンが落ち着いたと察したのか頭を撫でていた手がそっと離れていく。
だがその手がピタと止まったのは、背後から「あら」と声が聞こえてきたからだ。
キャスリーンとアルベルトが揃えたように振り返る。だがそこに声の主はおらず、代わりに一室の扉がキィと音をたてて開いた。
「誰が来るのか分からないんだから、そういうスキンシップはキャスになってからにしなさい」
咎めるというよりは茶化すような色合いが強い、この楽しげ声は紛れもなくナタリアの声だ。
余裕を感じさせるその声を聞き、キャスリーンの胸に安堵と歓喜がわき上がる。
「お母様、良かった無事だったのね!」
「不穏な輩が道を駆けていったと聞いて心配していたのよ。無事についたと知った時はどれだけ安心したか……」
そう告げてくるナタリアの声にも安堵の色が含まれている。その声を聞き、キャスリーンが早く母の無事な姿を見たいと扉に視線をやった。
ゆっくりと、まるでじらすように扉が開かれる。その隙間から人影がのぞき……、
そして、サングラスをかけ、ストローの刺さったフルーツを片手に持つ母の姿に絶句した。
「心配したのよキャスリーン」
「その割にはだいぶ謳歌していたように見えるけど!?」
「そりゃ謳歌するわよ。せっかくの二人旅なんだもの、ねぇブレント?」
ナタリアが同意を求めれば、続くようにブレントも姿を表す。こちらもまたサングラスに片手にはフルーツ。騎士服とのギャップが激しい。
二人が並ぶ姿はなんとも陽気ではないか。むしろ陽気を通り越して浮かれ過ぎているようにさえ見える。これで「心配したぞ」と感慨深く言われても信憑性は皆無だ。
(心配してくれたのは嘘じゃないはず。でも釈然としない、なんだか釈然としない……)
思わずキャスリーンが心の中で不満を訴える。
だがそんな訴えを一瞬で忘れてしまったのは、バタバタと駆けてくる足音を聞いたからだ。――その瞬間にナタリアがブレントを押し込むようにして部屋に戻っていった。その動き、判断力、思わずキャスリーンが「隠れ慣れている……」と呟いてしまう――
「アルベルト! お前の部下が戻ってきたぞ!」
そう声をあげ、一人の騎士が曲がり角から現れ廊下を駆けてきた。




