14:再び出発
そうして村人達の怪我や痛みを癒し、感謝の品や贈り物を馬車に運ぶ。
元々の手土産とさらには治療の礼もあるのだろう、その量は相当なもので、一人で乗るには十分過ぎると思っていた馬車の半分近くを埋められてしまった。
キャスリーンが感謝の言葉を告げ、馬車へと乗り込む。だがその際にアルベルトが手を差し出してくるので、いったいなんだと小さく首を傾げた。見上げれば、アルベルトがじっとこちらを見つめている。だが何か告げてくる様子はなく、キャスリーンの頭上に疑問符が浮かぶ。
(何か渡すものでもあったかしら……? あ、もしかしてお腹が空いてるの?)
そう考え、キャスリーンが馬車に積まれた贈答品の中からリンゴを一つとってアルベルトの手に乗せた。
もちろん、乗馬中に食べるためにだ。長年騎士として勤め馬上で戦うことさえ苦でもない彼からしてみれば、移動の片手間にリンゴを食べるなど造作ないことだろう。
それでも念のため、
「気を付けて食べてくださいね」
と告げれば、彼の藍色の瞳が丸くなった。
次いで聞こえてくるのは笑い声……。もちろんローディスとロイである。どうしたのかとキャスリーンが彼らを見れば、腹を抱えて笑っているではないか。他の騎士達も唖然としたり、中には見ていられないと顔を背けて肩を震わせている者すらいる。
そんな中アルベルトが小さく溜息を吐くと、受け取ったリンゴを片手に持ち替え、再度手を差し出してきた。今度は念を押すように、キャスリーンのベールの前で一度手を揺らす。
「有り難くちょうだいいたします。ところでキャスリーン様、地面が少しぬかるんでおります。踏み外してしまうかもしれないので、どうぞ俺の手を取って馬車に乗ってください」
「……手を」
「そうです。俺の、手を、リンゴではなく、手を」
やたらと説明的なアルベルトの言葉に――そして次第に苦悶の色を浮かべ始める彼の表情に――キャスリーンが「しまった!」と心の中で声をあげた。
キャスとして騎乗する時には当然だが誰の手助けも無く、ひらりと華麗に乗ることが出来た。そのうえ今は足場のある馬車なのだ、これぐらい手も借りずに乗ることができる。なんだったら足場を飛び越えて乗り込むことだって可能だ。
だが聖女は違う。
というか、年頃の乙女は違う。
足場に上れようが飛び越えられようが、差し出される手を取って優雅に馬車に乗り込むものなのだ。むしろそうしなければならない。
やってしまった……とキャスリーンが内心で悔やみつつ、改めてアルベルトの手を取った。
「ご、ごめんなさいね、アルベルト。貴方が……その、すごく、お腹が好いていそうな顔をしていたから」
だからつい、とキャスリーンが誤魔化すように笑いながら彼の手を取る。――内心では「ごめんなさい!」を何十回と唱えているのだが、果たして何十回の内の一回くらいは彼に伝わってくれただろうか――
そんなキャスリーンに対し、アルベルトもまた訂正することも出来ないのだろう、キャスリーンを馬車の中に送り込むと、
「……さすがキャスリーン様、よくぞお気づきで。道中とても腹が減っていたんです」
と、真剣な顔つきで肯定してきた。彼なりのフォローである。
背後からは「聖女様にはそんな能力が」と驚愕の声が聞こえてくるが、今のキャスリーンの耳には届かない。彼のひきつった笑顔が痛々しくて、周囲の言葉に気を使っている余裕もないのだ。
ひとまず馬車に乗り込み椅子に腰掛け、周囲に声が聞こえないことを確認して彼を呼ぶ。
「……アルベルト隊長、申し訳ありません!」
「いや、気にするな。誤魔化せたようで良かった」
「でもアルベルト隊長に食いしん坊の疑惑が……」
いらぬ疑惑をかけてしまったとキャスリーンが詫びる。
なにせ先程の発言は騎士達以外にも見送りに出ていた村の者達も聞いており、誰もがアルベルトの空腹を気遣いだしたのだ。
あれほどの背格好のある騎士がリンゴ一つで満たされるわけがない、と慌てて家に戻るのは最初にキャスリーンが手当をしてやった子供の母親。きっとアルベルトのために食べ物を用意してくれるのだろう。
危機は去ったとはいえ、これは双方に申し訳ない……とキャスリーンの胸に罪悪感が湧き上がる。とりわけ、その危機は己の失言が招いたのだから尚更だ。
「次からは気をつけます……」
「何かあったらフォローしてやるから、そうしょげるな。それより力を使って体調は大丈夫なのか?」
アルベルトが案じるように見つめてくる。歓迎のお礼にと癒しの力を振る舞い、その反動が出やしないかと心配しているのだろう。
確かに、力を使えば反動で眩暈や疲労を感じる。だが力を使ったとはいえ村人達の申し出はどれも軽度の負傷で、数こそ多いが程度は低い。みんな治療よりも『力を使ってもらうこと』に重きを置き、なによりキャスリーンと会話を交わしたいと考えていたようだ。
それを考えれば力を使う反動も些細なもの。なにより、旅を続けるとはいえ今から次の村までは馬車での移動なのだ。
「自ら馬に乗るのに比べたら、休んでいるようなものです」
「そうか、でもあまり無理はするなよ?」
アルベルトの言葉はいまだ案じるような色が見える。
それに対し、キャスリーンが小さく頷いて返すと手近にあったクッションを取った。上質の馬車に見合った上質のクッション、細かな刺繍がなんとも美しい……が、端が破けており、中の綿は半分近く無くなっている。
言わずもがな、聖女――と見せかけたナタリア――が綿を抜いて投げていたのだ。
それを手に取り、気持ちを新たに意気込む。先程は確かに失敗してしまった、だが旅はまだまだこれから、ここでめげているわけにはいかない。
「次の村までちゃんと聖女らしくします。この綿を投げて!」
「……程々にな」
「はい! 任せてください! 易々と双子にキャッチなんてさせません!」
さっそく一塊手にとって投げやすいように丸めてみせれば、アルベルトが小さく笑みをこぼした。次いで彼の手がキャスリーンへと伸ばされ……何かに気づいたように手を止めた。
中途半端に伸ばされた手が、一度空を掻くと引き戻される。
「アルベルト隊長?」
「……いや、何でもない。駄目だな、見ているだけならキャスリーン様だと思えるのに、こうやって話すとキャスとしか思えない」
「どちらも同じですよ?」
隠しこそしていたがキャスリーンもキャスも同一人物だ。
それを告げるもアルベルトは小さく肩を竦めるだけで、キャスリーンの手元にあるクッションをポンと軽く叩いた。
本来ならばキャスリーンの頭を撫でていたのだろう、それを考えればなんとも惜しく、キャスリーンが彼の手が載るクッションに視線をやった。
(次はお前を……!)
と、そんなことすら考えてしまう。
そうして馬車がゆっくりと走り出す。
キャスリーンが窓を開け、見送りのためにと出てくれた者達に手を振る。「必ずまた遊びに来ます」と、そう告げれば誰もが笑みを浮かべ、とりわけ子供達は全身で跳ねるように手を振り返してくれる
なんと愛おしい光景だろうか。
その目映さに、キャスリーンがベールの下で瞳を細めた。
(儀式を終えて一人前の聖女になったら、小さな村を回っても良いかもしれない。私なら一人旅だって出来るもの!)
王宮での仕事をきちんとこなせば、多少なり融通は利くようになるだろう。
とりわけ聖女は国の中で神聖とされているのだ、今のような半人前ではなく一人前になり、そのうえで我が儘でも無茶でもなく筋の通った意見として訴えれば通るかもしれない。
万年旅をするのは無理でも、年に一度、今のように短期間の旅に出る許可ぐらいは得られるだろう。各地を回り、力を使う。たとえ頻度が限られたとしても、今のような王宮の奥でお飾り聖女をしているよりはマシだ。
「でも、多少なら飾られてあげても良いけどね」
そうキャスリーンが小さく笑みをこぼし丸めた綿をぽいと窓の外へと投げれば「第二ラウンドだ!」と楽しげな声が聞こえてきた。