11:出発Ⅱ
聖女代役を任されたナタリアは、自分の置かれている状況を考えてか慎重に周囲を伺いつつゆっくりと二人の前に姿を現した。
キャスリーンと同じ金糸の髪を揺らし、同じ紫の瞳で。普段キャスリーンが来ている聖女の服を纏い……はせず、
なぜかやたらと裾の短いドレスを纏って。
露わになった足は美しいが大胆が過ぎる。胸元もかなり開いており、谷間がやたらと強調されている。
突然のナタリアのセクシーな格好に、キャスリーンがビクリと肩を振るわせ、アルベルトがらしくなく盛大に吹き出した。
「お母様!?」
「一度は退いた身なのに再び聖女を名乗るなんて、なんだか恥ずかしいわ……」
「名乗る以前の恥じらいを持って! その格好は何!?」
「でも愛するキャスリーンのためだもの、恥ずかしいけれど、この聖女の正装を纏うわ!」
「何勝手に覚悟を決めてるの!? アルベルト隊長、そんな『これが聖女の正装……キャスも着てるのか……?』っていう表情で私を見ないで! 着てませんから!」
慌ててキャスリーンがナタリアを怒鳴り、アルベルトの誤解を解く。それを受け、先程まで羞恥と戸惑いを浮かべ己を抱きしめていた――恥じらっていると見せつつ胸元を寄せていた――ナタリアがけろっとした表情で「いやね、冗談よ」と言ってのけた。
そうして一度建物の陰に戻ると、今度はちゃんと聖女の正装に着替えて戻ってくる。もちろん長い裾に足を隠しており、それを見たキャスリーンとアルベルトが揃って安堵の息を吐いた。
「失礼な態度ね、二人共。緊張していると思って冗談で気を楽にさせてあげようと思っただけじゃない」
「お母様の冗談は質が悪すぎるのよ……」
キャスリーンが呆れを露わに溜息交じりに告げ、咎めるように睨み付けた。
もっとも、ナタリアがその程度で己を省みるわけが無い。現にキャスリーンが咎めてもニンマリと笑うだけで、アルベルトに対して「良い反応だったわ」と上機嫌だ。
(最大の愉快枠はお母様だわ……)
キャスリーンが心の中で呟く。もちろん、口に出しては言わないが。
そんなキャスリーンの胸中を知ってか知らずか、聖女の正装を纏ったナタリアが「それで」と話題を改めてきた。
先程までの悪戯っぽい笑みはどこへやら、途端に真剣な表情に戻られ、キャスリーンも慌てて彼女に向き直る。
「キャスリーン、私は貴女のふりをしていればいいのね?」
「えぇ、私がキャスでいる時はお母様が聖女キャスリーンになって」
そうキャスリーンが頼めば、ナタリアが頷いて返してきた。金の髪がふわりと揺れる。キャスリーンと同じ色の髪。背格好も差は無く、ベールを被って顔を隠せば誰も気付くまい。
ナタリアは冗談好きで人を振り回す困った性格だが、行動力に溢れていて機転が利く。なによりキャスリーンを大事に想ってくれている。味方にするには誰より心強い人物だ。
現に「任せて」とパチンと一度ウィンクするやベールを被った。その姿のなんと頼りがいのあることか。
……もっとも、
「胸がきつくて腰が緩いわ! まだまだねキャスリーン!」
と勝ち誇った宣言と共に颯爽と去っていくあたり、キャスリーンにとって完璧に味方とは言い難い。――そもそも、キャスリーンの為とはいえここまで引っ掻き回したのは他でもないナタリアである――
キャスリーンが慌てて「お母様!」と咎め……、はたと我に返るや「キャスリーン様、品の無い発言は控えてください!」と言い直した。
そうしてナタリアが去っていけば、残るのは「まったく!」と怒るキャスリーンと、その隣でクツクツと笑うアルベルト。
この状況下で笑っていられる彼をキャスリーンが恨みがましく見上げれば、まずいと思ったのか口元を押さえて「すまない」と謝ってきた。
だがその謝罪の声もどこか震えており、キャスリーンがじっと彼を見つめる。
「……アルベルト隊長、何か楽しいことがありましたか?」
「いや、なんでもない……。ところで、ナタリア様がいらっしゃるなら常に聖女をやってもらえば良かったんじゃないか?」
わざわざ入れ替わらなくても良いのでは、そうアルベルトが尋ねてくる。――無理に話題を変えようとしているため若干白々しいが――
だが確かに、ナタリアは聖女としての力も使えるし、ベールを被って顔を隠せば誰も正体に気付かないだろう。そのまま往路を旅した方が無理に入れ替わるよりバレる可能性は低い。
儀式の時だけキャスリーンが聖女に戻ればいいだけだ。その儀式だって、ただ司祭の話を聞いて一晩聖堂で過ごすだけ。全てナタリアがこなしてしまっても問題は無い。
でも……とキャスリーンが心の中で小さく呟いた。
「確かに聖女としての役割は全てお母様に任せて、私はキャスとして旅をしたほうが安全です。入れ替わる必要はない。でも、私ちゃんと聖女としての役割もこなしたいんです」
「キャス……」
「もしかしたら二つとも中途半端になっちゃうかもしれない。皆にバレちゃうかもしれない。でも、騎士の仕事も聖女の役割もどちらも大事にしたいんです。どちらかを蔑ろになんてしたくない」
そう訴えるようにキャスリーンが告げれば、アルベルトの藍色の瞳が丸くなる。だが話を受け入れたのか次第にその瞳を細め、ポンとキャスリーンの頭に手を乗せてきた。
大きな手がゆっくりと頭を撫でてくる。
「キャスらしいな」
「私らしい……?」
「あぁ、色々と考え込むけど前向きで、どんな事でもひたむきに励む。キャスらしい決断だ。俺も協力するから頑張ろう」
「はい!」
アルベルトの言葉にキャスリーンが頷いて返す。
彼が認めてくれた、協力すると言ってくれた、それだけで鋭気が満ちていく。きっと大丈夫だと、そう安堵が湧きあがる。
頭を撫でてくれる手のなんと優しいことか。
キャスリーンがその心地好さに瞳を細めた。だが撫でていた手がピタリと止まり、どうしたのかと見ればアルベルトが眉間に皺を寄せている。
「アルベルト隊長?」
「……いつもの癖で、キャスリーン様の頭を撫でたら大問題だな」
「不敬罪に問われるかもしれませんね」
正体を知ってしまえば同じキャスリーンとはいえ、片や騎士、片や聖女である。アルベルトにとっては、騎士隊の部下と、対して国の至宝であり手の届かない存在。その差は大きいどころではなく、上下関係が一転する。
つまり、聖女から騎士へ、騎士から聖女へ、入れ替わるたびに関係も変わり態度も変えねばならない。ついいつもの癖でうっかり、等という失敗は許されないのだ。
これは気を付けなければ……そうキャスリーンとアルベルトが顔を見合わせ誓い合う。
「アルベルト隊長、そろそろ出発ですよ」
「キャス、準備出来てるか?」
と、二人を呼ぶ声が聞こえてきたのはちょうどその時だ。言わずもがな双子である。
それを聞き、そしてローディスの発した『出発』という単語に、キャスリーンの心臓が跳ね上がった。いよいよ出発だと、上手くやれるのかと、そんな不安が一瞬にして湧き上がる。
だがそんな不安が弾けるように消えたのは、アルベルトの手が再び頭を撫でてきたからだ。
「今はキャスだから、頭を撫でても問題ないな」
そう告げる彼の声は穏やかで、キャスリーンを見つめて柔らかく微笑む。
「国から任された聖女の警備だ。頼りにしてるぞ、第四騎士隊のキャス」
改めるように騎士と呼ぶのは、『今は何をすべきか』を説いているからだろう。
これから先何度も入れ替わるが、今のキャスリーンは騎士のキャスだ。第四騎士隊に所属するアルベルトの部下。聖女の力は使えないが、代わりに腰から下げたレイピアはいつだって抜ける。
(そうだわ。今はキャスなんだから、キャスとして出来ることをしなきゃ)
そう自分に言い聞かせ、キャスリーンもまたアルベルトと並ぶように歩き出した。
「任せてください!」
威勢よく答えれば、アルベルトが笑いながら再び頭を撫でてきた。