プロローグ後
前回から時間をかけてしまい、すいませんでした。
少し思うところがあって前回のタイトルを変更しております。内容の変化はありません。
※序盤の方に加筆修正しました。
ワールドブレイクと打って予測変換で禁呪詠唱と出るのは自分だけじゃないはず。
盛大なため息を押し殺して、真里谷一姫はその会場に足を踏み入れた。
赤や金で煌びやかに飾られ、シミ一つない純白のテーブルクロスの上には装飾に勝るとも劣らない料理が隙間なく置かれていた。
……夜の色や落ち着いた青色が欲しくなるな。そう言えば、昔は眠らない街とも呼ばれたことがあった都市があったわね。
外の景色を遮断するクリーム色のカーテンを眺めながら、そんなどうでもいいことを考える一姫。それをおくびにも出さず彼女が歩いているのを見るや、男達があっという間に駆け寄ってくる。
「おぉ、これは一姫様! 先日の晩餐会以来でありますか!」
それの先頭に立つ男に、一姫は言葉を返した。
「まぁ、ご無沙汰しております、仙波様。その件につきましては、大変楽しい時間をありがとうございました」
「いえいえ、拙い歓迎で申し訳なかった。何か至らぬ点は無かったかと夜も眠れなかったのだ」
「ふふ、そんな、とんでもございません。むしろ、こちらが何か非礼をしていないか心配しておりました」
「それこそあり得ませんな。……ただ、もう少し砕けた態度で接してくださると嬉しいのですがね」
……そうすれば、私とあなたがデキてるという噂が発生してしまうではないか。
内心それを指摘して毒づきたいのを堪え、適当な相槌と笑みで返しておく。
「ところで、本日はお美しい衣装でございますな」
「えぇ、万里小路様から頂いた衣装です。あまり着慣れないので、似合っているのかとても不安ですわ」
「とてもよくお似合いですよ。私は和装が似合う女性は大変好ましく思うので」
「まぁ。ありがとうございます」
安心したように嘆息して見れば幾らか口角の上がった口からそんな言葉が飛んでくる。まるで見世物にでもなったかのようだ。
「俺は先日のドレス姿も素敵だと思いましたよ」
と、横槍を入れるようにかかる声に、あぁ、またこのパターンかと辟易する。
「あら、須郷様」
当然、それを軽くできた人だかりを割って入ってきた男に微笑むことで隠す。
「須郷殿、それでは私が一姫様にドレスは似合わないと言っているかのようではないか」
「俺はそう受け取ることもできるように聞こえたのですがね」
やれやれ、と肩を竦めて笑うのが様になっており、周囲の女性から黄色い声が上がる。
「一姫嬢の着る服はどれも全て美しいが、あくまで彼女の付属品さ。その服が美しいのは、つまり着ている一姫嬢が至高の美であることに他ならない」
言っていることが一々壮大で、劇役者のような立ち振る舞いも、王子様のような整った顔立ちだからできることか。
現にそれに対して完全に陶酔している女性もここから何人か見えた。一姫も「おぉ」と思わなくもないが、見慣れたものだ。見飽きたと言った方が良いかもしれない。態度ばかりが先行して、最早言っている内容が耳に入らない。思うがままに褒めてるんだろうな、とは分かるのだが。
……思ったことを言える素直な人間であることはいいのだが、視線は少し謙虚にした方が良いのでは。
とはいえず、さりげなく胸元に手を置いて微笑みを返す一姫。
――美貌という言葉すら生温く、美しいや可憐などという特定の言葉に収めることなどできない。
黄金律の体現だ何だと大言壮語も甚だしく――と本人は思っており――、正直恥ずかしくてやめてほしいのだが、それが周囲の真里谷一姫に対する評価である。
過剰であっても褒め称えられることに嫌なことは何も無いのだが、そこに付随するやっかみや下心、その他諸々が中々のストレスも、しかし仕方のないことである。
真里谷という家は、かつて日本で巨大な害獣が大繁殖し住居圏が大幅に狭まった時から支えている大家であり、そこの長女である一姫にはそうした事情が常について回る。これは生まれた時から決まっていることで、一姫もそのように育てられてきた。
一姫としても、自分が政略結婚の道具となることに否やは無い。特別お慕いする相手もいないし、実家の権威が上がることで究極的に国防がより一層強まるようになるのなら万々歳だ。
ただ、目の前の二人はちょっとなぁ……。と、表面上にこやかに言葉で殴り合う二人に、年頃の乙女的に思うのである。
いい加減うんざりしてきて、どう抜け出したものかと思案していると、ふと令嬢型の会話が耳に入る。
「そう言えば、北西からの害獣被害が多いそうですわよ」
「まぁ、恐ろしい。内陸へ侵攻してこないか不安だわ……」
「そう言えば、あなたの婚約者は柏で……」
「えぇ……。何故そんな辺境に、と私も反対したのですが……」
「最近、政治家の方でローテ―ションということを言う方がいらっしゃるとか……」
「まぁ、何てことを……それで誰かがお亡くなりにでもなられたら……」
と、その後それぞれその政治家とやらの悪口を語っていく。自身の近しい人で軍属の者が心配でならないようだ。
昨今、軍人という職業は花形と呼ばれている。人類を明確に害するようになった他生物からの防衛という明確な理由があるのだが、実際にそれを行っている人間は最前線で使い捨てられている。
ここで目立っているのはそんな兵士たちを置いて比較的安全な場所でふんぞり返っている金持ち達だ。前線を経験せず実家の権力にものを言わせたボンボン達ばかりである。
まぁ、それが言うところの彼女達の婚約者様方でしょうね。そう推測し、一姫はその政治家なる者に素直に感心した。この手の問題は世界崩壊後から根深いものであまり手を付けづらいことであるから。真里谷家の性質上、その手の話題の裏側まで知っている一姫としては聞き捨てならない問題である。
……逆に、強硬策に出なければならないほどだということに頭が痛い。
内心嘆息しながら、「えぇ、そうですわね」と時折振られた話題に相槌を打っていく。ここまで来るともう彼らが一姫に意識をしていることが明確だった。
その後、適当に彼らの相手をした後、適当に他の参加者達と相手をし、「少し頭が痛い」と言ってその場を辞した。
薄暗い廊下は夜の外気で仄かに肌寒い。が、男を惹きつける街灯となっていた一姫にとってはむしろ心地がいい。
「……綺麗」
窓際から眼下を見下ろして、一姫はそっと溜息をついた。
斜め後ろに息をひそめて待機していた侍従兼護衛の男から笑う気配がする。
「……お嬢様も、大変お綺麗でありますよ」
「あら、お上手」
傍付きが断りも無く唐突に話しかけてきたことはさておいて、一姫はそのまま景色の鑑賞に耽る。
疎らに光る蛍の様な風景は、かつての東京には及ばなくとも十分な発展が見られている。夜空に広がる天然のプラネタリウムも相まって、ある種の芸術作品だ。
よくぞここまで、と一姫は祖先に尊敬の念を抱く。千葉新都初期、整備も何もままならない激動の時代を生きた父祖の念は計り知れない。
……それだけに、今の自分のおける現状に我慢がならない。
繰り返すが、一姫は御家の為になることに特別反対は無い。ただ道具の女として政略結婚に使われることが納得できないのだ。
窓に映る自らと手を合わせ、行儀が悪いと思いつつも擦らせた。内心の苛立ちをせき止めるように摩擦でうまく指が滑らない。暗い窓に映る男の顔がやや歪んで見えるのは見間違いではないだろう。
やがてそこから視線を外し、歩き出す。宛がわれていた部屋へたどり着くと、男は「何かあればお申し付けください」と扉の脇で待機。それに頷きを返し、一姫は一人部屋に入った。
寝室にバスルーム、洗面所と基本的な施設が広めに設計された部屋。シンプルで無駄な飾りが好きではない一姫にとってはむしろ好ましかった。
「……菖蒲」
「はい、お嬢様」
一姫は着物を若干緩めながら、いつの間にか後ろにひっそりと立っている同年代の少女に声をかける。
少女はすぐに首を垂れ、一姫に恭順を示すよう片膝をつく。
大げさな。まるで武士の様で、思わず苦笑したくなる一姫だが、続く内容には気を引き締めねばならなかった。
「外の様子は?」
「姫様の傍にいた男と、たった今一人合流した模様です」
「無力化できる?」
「迅速に」
「そう。……荷造りは?」
「整っています。――いつでも、出発可能です」
「……分かったわ」
チラリとドアを見て、
「このことは?」
「私と姫様のみでございます」
「そう。……よかった」
「しかし、もしどこかで……」
「それは承知の上よ。何事にも絶対はないもの。確信が持てるまで動かないなんて、身動きが取れなくなっちゃうわ」
本当にこの子は、と生真面目な目の前の人物に微笑する。昔から何も変わらないことに嬉しく思うべきか心配するべきか……。
ふと、その生真面目な表情が心配そうに歪む。
「本当に、よろしいのですか?」
「野性を忘れた籠の鳥では、子供の世話もままならないでしょう?」
真里谷の人間として、出しゃばるつもりはないけれど。
それでも、無知のままでいたくはない。
装い新たにする準備をしながら、一姫は目を強くして言う。どんな苦難も厭わないと表情が物語っている。
菖蒲は不覚にも見惚れ、我を忘れてただ一姫を仰ぎ見た。
勇壮にして典雅、どんな画家も匙を投げる美しさ、またそれに劣らぬ折れぬ心の強さに改めて絶対の恭順を誓う。
――この先生涯を賭して、この身は我が主の絶対不変の楯にして剣である、と。
改めて覚悟を決めた菖蒲は、一姫が準備を完了するのを見届ける。
絢爛たる振袖から、暗所で目立たない色合いの紬へ。しかし、着ている人間の魅力が損なわれることはなかった。
最後に軽く袖を払って、準備を終えた一姫が表情を引き締める。
「行きましょう。菖蒲」
「はい。……お嬢様、こちらで」
菖蒲が先んじてドアの前に立ち、息を潜ませる。
一拍の静寂をおいて、菖蒲が視線を一姫へ転じると、頷きをもって返される。菖蒲は一息の間にドアを開け外へ出た。
軽い物音がドア越しに聞こえる。眉間に皺を寄せ、耐えるように一姫は聞いていた。
やがて再びドアが開くと「お嬢様」と菖蒲が声をかけてくる。足元には男達が倒れている。
「っ……」
足元を見る。乳白色の玄関から、褐色の地面とを区切る境界線。それを越えようとしている自分の足。
もう後戻りできないことを改めて悟りながら、一姫は一歩足を踏み出した。