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第2章 その4 恋のプールサイド?


  4


 ジ──ッ、ジ──ッ、ジ──ワ、ジ──ワ……

 どうやら庭の木に、油蝉がとまっているらしい。一日中うるさい。

 世間は、夏の真っ盛りだった。

 あれから数日が過ぎた。

 家出から戻ってきた杏子と、話し合った。

 きっかけは桃絵さんのことかもしれない。

 だけど、おれが杏子の悩みを受け止めてやれなかったからこそ、彼女は出ていったのだろうから。

「頼むから、こんなことになる前に、おれにも打ち明けてくれ」

「雅人には関係ないことだったからよ」

「関係なくない! なんのために一緒に暮らしてるんだ。きょうだいなんだから……頼りにならないかもしれないけど、少しでも、杏子の力になりたいんだ」

「どうして……あたしのために、そこまで?」

 杏子は首を傾げた。

「あたしの我が儘なのよ。雅人まで巻き込むワケにいかないじゃない。そんな迷惑、かけたくないわ」

「そんなこと、いいんだ!」

 おれは杏子の手を握っていた。

「杏子のこと、好きだから……悲しい顔、見るのつらいんだ」

 言ってしまってから、急に、ドキドキした!

 好きだから。

 杏子はこの言葉を、どう受け止めただろう?

 迷惑に思われたら……?

「……雅人」

 彼女は驚いたように目を丸くして、しばらくの間、じっとおれを見つめ……

 そして、ニコッ、と笑った。

 ほのかに、頬を染めて。

「ありがとう。あたしも雅人がスキよ」

 途端に、おれは心臓をどかんと殴られたようなショック!

「す……スキ!? き、杏子も、おれを?」

 しどろもどろで尋ね返すと、杏子は極上の笑みをたたえて、うなずいた。

「うん。大好きだよ。雅人ってさ、頑固で心が狭くてうまいことお世辞とか言えなくて不器用だけど、そのぶん正直じゃない。あたし、そんな人、好きよ。いろいろ怒ったり困ったりするけど、やっぱり頼もしいお兄ちゃんだなって思う。……あっ、でもあたしは『妹』なんかじゃないんだからねッ」

 ……そうだよな。お兄ちゃんか……

 おれは胸をなで下ろした。

 ホッとしたような、残念なような。

 ともあれ……

 心配をかけた充や並河に、おれたちは『なんとかこれからも一緒にやっていけそうだ』と報告した。並河には電話で。充には、会って話した。

「迷惑かけたな」

「ごめんね、充くん」

「家ぐるみの長い付き合いだろ。そんなの気にしないでよ。あっ、そうだ、いいこと思いついた」

 充が顔を輝かせた。

 おれは心構えをする。

 こいつ、時々突拍子もないことを言い出すからなぁ。

「みんなでプールにでも行こうよ!」

 はぁ~!?

「なんだい、呆れた顔して。杏子さんだって、なんかストレス溜まってたと思うんだよね。一緒に暮らしてるのはこんなニブい雅人だし。悩むこともあるだろうけどさ、このさい、身体を動かそうよ。せっかく夏休みなんだしさ!」

 めちゃくちゃな論理だが、まあ一理ある……ような気もしないでもない。

「そうねぇ。あたしも、思いっきり、外で遊びたい気分」

 杏子は賛成して、自分が並河を誘うとまで言い出した。

 そうだな……。

 おれも、思いっきりスポーツしたくなってきた!


 こうして、おれたちは、4人で泳ぎに行くことに決めた。

 場所は、都内の大きな某プールにした。プールに入って、ついでに遊園地にも行きたいなんていう杏子の希望を入れて、決定したのだ。 



 約束の、8月1日。

 おれたちは連れ立って、プールに出かけた。

「混んでるねえ」

「毎日、暑いからな」

 ロッカールームは男女別だから、着替えを終えたおれと充は、プールサイドのベンチで阿呆のように野郎ふたりで並んで待つことになった。

 ここには屋根つきの屋内プールと、水が対流しているという評判の大きな屋外プールがある。そっちに行ったら、水族館を泳ぐ回遊魚の気持ちがわかるかな?

「香織さんの水着、どんなかなあ」

「杏子はこの前の日曜日、新しい水着を買ってたぞ。競泳用のやつだったな」

「なんで知ってるんだぁ?」

「いや……見たから」

 おれは思わせぶりにほのめかし、あとは口をつぐむ。

「え~っっ!? なんでさ、どんな状況だったんだよ!?」

 充がどんなにせがんでも、答えてやらない。

 正しくは、『見せられた』のだなんて、情けなくて、言えるもんか。

 杏子は新しい服を買うと、必ずといっていいほど、鏡の前であれこれ着替えてみたあげく、とどめにおれに見せに来る。

「ねえねえ、見て、雅人! これ似合う?」

 なんて、いつものようにワンピースかなんかだと思って振り返ったおれは、思わず、口に含んでいた麦茶を噴きそうになった。

 身長164センチ(ちょっと伸びたかもしれない)43キロ(推定)。

 ずばり、上から85・56・88の見事なボディラインが、あからさまにわかってしまう、ハイレグの競泳用水着だったのだ。


 なっ、なんで、こーゆーのを平気で見せられる!?

 水着なんて、おまえ、下着みたいなもんじゃないかっ!?


 ……なあんてコトは、口が裂けても言えない。

「に、似合うぞ。よく似合う」

 しどろもどろで答えれば、

「えーっ、つまんない。雅人なんか、何着てもおんなじように『似合う』しか言わないんだもん。服なんてどれでも同じだって思ってるんでしょ」

 とばかりに臍を曲げる。

 ……そういう問題じゃ、ねえって……


 おれは、この水着を着た杏子が、海辺に佇んでいるところを思い浮かべた。

 青い空、白い雲、砂浜で波と戯れる彼女。

 目を引くよなあ……。

 やばいよなあ。

 可愛くて生意気な、おれの妹。(杏子には怒られるけど、おれは心の中ではつい『妹』だと考えてしまうのだった)

 ああ、この調子で、彼氏ができたりなんかしたら、おれは……ああっ!

 祝福なんか、絶対できない!

 ……まったく、なんて虚しい妄想だ……

「お待たせーっ!」

 例の新しい水着に着替えた杏子と、大柄の花模様の水着の並河香織がプールサイドにやってきた。並河は背が高いから、派手めの水着もよく似合う。

(う~ん、胸はあんまり大きくないな。杏子と同じくらいだ)

 水着姿を見ればついそんなことを考えてしまうのは、サガか。

 心に思うことが筒抜けにならない方が、世の中は平和に保たれるのかもしれない。

「香織さん、よく似合うよ」

 うがったことを口走りつつ、充の奴、だらしなくにやけた顔をしてる。

 おれもきっと、こいつみたいに、恥ずかしいくらい締まらない顔をしてるんだろうな。

 ザッブ──ン!!

 盛大な水音を立てて、充がプールに飛び込んだ。

 腕にはしっかりリード板を抱えている。あいつは板がないと10メートルも泳げない。

つづいて、おれもプールに入る。

「気持ちいいよー! おいでよ! あれっ、香織さん?」

 充の素っ頓狂な声。

 後に続くはずの杏子と並河の姿はなかった。

 プールの端で、黄色い歓声が上がった。

「キャ──ッ、ひさしぶりぃ!」

「杏子ちゃん、香織ちゃん、泳ぎにきたの?」

 クラスの女子たちが来てたらしい。

 秋津直子や、同じ班の神崎美穂や、中野靖子もいる。赤、青、緑に白。女の子たちの着ている鮮やかな水着で、花が咲いたよう。

 彼女たちと何やらキャーキャー言って騒いでいた杏子が、こっちに大きく手を振った。

「雅人ぉ、あんたたちは、そこにいてもいいわよ! あたしたち、みんなと一緒に、あっちの流れるプールに行ってくるわ」

「ええっ!? おい、待てよ!」

 止める間もあらばこそ。

「そんじゃあ、山本くん、後で会おうな」

 秋津が、赤いビニール製の浮輪を振り上げる。

「冗談じゃない。おれはあがるぞ」

「置いてくのか、雅人」

「バカ、おれは外に行く。来たいんだったら後からこい」

 リード板にすっかりなついてる充を置いて、おれはプールの端に向かって泳いだ。女の子たちだけにしとくなんて、できるもんか!

 魅力的な女の子たちを、野郎どもが放っておくわけがない。

 ある意味では、その危惧は決して的外れではなかった。


 屋外に出たおれは、『流れるプール』を目指した。

 さすがは夏休み。

 親子連れやカップルがやたら多い。

「……なんだか、変だな?」

 プールのまわりは、もっと賑やかなはずなのに、プールに近づくにつれて、あたりが妙に静まり返っていることに気づく。

 プールサイドに人だかりがしてる。急に、胸騒ぎがした。

「山本くん!? 早く、早く来てぇ!」

 おれを見つけて、秋津が懸命に走ってきた。

「どうしたんだ?」

「き、杏子ちゃんが、大変なんじゃ!」

 急に、あたりの気温が一気に数度も下がったように思えた。

 時間が止まったような気がした。

 次の瞬間、おれは血相変えて、人だかりの方に駆けだした。

「誰か溺れたらしいよ」

「女の子だって。女子高生」

 人々のざわめきが、急に意味を持って耳に飛び込んでくる。

 杏子……!

 人垣をかき分ける。視界が開けた。

 プールサイドに見えてきたものは……

 茫然と立ちつくしている並河香織を始めとする、クラスの女子たちの足もとに、死んだように横たわっている少女の姿だった。

「杏子! 杏子っ!?」

 駆け寄って揺り起こそうとしたおれの肩を、がっしりとした手が抑えた。

「だいじょうぶだよ、君。ほとんど水は飲んでないと思う。人工呼吸するからね」

 日焼けした顔に、白い歯を見せて、背の高い男が立っている。

「雅人くん、あの人はプールの監視員よ。だいじょうぶ、落ちついて。杏子はちょっと足がつって溺れかけたの。でも、すぐに助けられたから、安心して。あなたの方が顔色悪いわ、死にそうよ」

 おれは、ずいぶん青い顔をしてたんだろうか。

 並河香織が、おれの手を握った。

「だいじょうぶ、助かるわ」

「じゃあ、寝かせて」

 監視員のお兄さんの声に、ハッと我に返った。

 ……人工呼吸!?

 たった今まで絶望のどん底に叩き落とされていたくせに、おれの脳裏には瞬時に、TVや映画で見た『マウス・トゥ・マウス』の映像が大写しに浮かび上がった!

 ちょっと待て!

 杏子はまだ彼氏もいないのに、こんなことでファーストキスが奪われていいのか!?

 おれは焦った。

 そんな日焼けボーイにおれの杏子の口唇を奪わせてたまるか──!!

 そ、それぐらいなら、それだったら、

(なんでおれは杏子に殴られるとしてもキスぐらいしとかなかったんだーっ!)

 おれの心の叫びも虚しく、大学生とおぼしき好青年は、杏子の傍らに膝をついた。

 そして、肩に手をかける。

 うわあああああ!!

 やめてくれえ!

 おれが今にも叫びだしそうになったときだった。

「じゃあ君、お兄さん? 足の方を持って。うつ伏せにするから」

 日焼けボーイが、おれに指示をした。


 ……はい? うつ伏せですか?


 監視員の日焼けお兄さんは、てきぱきと杏子をうつ伏せにして、その背中の真ん中あたりに、両手の手のひらを当てて、軽く、押した。

「1、2、3、はいっ」

 規則正しく、杏子の背中を押しては、離す。

 それを繰り返しているうちに、ふいに、杏子の口から、

 ごぼっ。

 と音を立てて、水がこぼれ出た。

 あ、そうか!

 おれは赤面した。

 人工呼吸ったって何もマウス・トゥ・マウスばかりじゃなかったんだ。咄嗟にそれしか思い浮かばなかったおれ!

 すっげえ恥ずかしい奴じゃないか。


「ううっ……」

「気がついたね、よかった」

 うめき声をあげる杏子を、監視員のお兄さんがやさしく抱き起こす。

「もう、だいじょうぶだよ」

「あ……ありがとうございます」

 うっとりした表情で、杏子は微笑んだ。

 しまった!?

 杏子、おまえ、もしかして……そいつに。

 プールサイドで芽生えた恋。

 週刊誌の見出しみたいな大文字が、おれの頭の中で踊りはじめた。

 そのときだ。

「ねえ、雅ちゃんじゃない?」

 呆然としていたおれの背中を、誰かが叩いた。

「え?」

 20歳ぐらいの、若い女の人が後ろに立っていた。

 流れるように毛先を削いだシャギーカットにした茶色の髪が、日に焼けた細めの顔のまわりを包み込んでいる。

 くっきり弓形に整えた濃いめの眉、二重の大きな目と、つんとわずかに上を向いた鼻、大きな、存在感のある口唇に、オレンジ系のルージュを引いていた。

 ふくよかな胸、スタイルのいい身体を誇示するかのような、鮮やかなピンクのビキニを颯爽と着こなしている。

 んん? どこかで、見たことのあるような……

「やぁーだ、雅ちゃん、わかんない? わたしよ、葉月! しばらくじゃない」

「ええっ! 葉月姉はづきねえ!?」

 おれは目を白黒。

「見違えちゃったよ。そんな格好して」

「あはははは。この水着、いいでしょ。ほんとひさしぶり! わたしが大学に入って以来じゃないかな」

 このお姉さんの名前は、青山葉月という。

 おれや充と同じ町内に住んでいた、4歳年上の『近所のお姉さん』で、小さいころは、カギっ子だったおれと、よく遊んでくれたものだ。

 昨年の春に4年制の私立大学に進んでからは、顔を合わせたことがなかった。

「溺れかけた子、雅ちゃんの彼女?」

「えっ、ちがうよ」

「でも、青くなって心配してたなあ~?」

「事情があるんだよ。話せば長くなるんだけど、あの子は、おれの……その、妹なんだ」

「妹? だって雅ちゃん、ひとりっ子だったじゃない」

 葉月姉は目を輝かせて、身を乗り出した。

「親父、再婚したんだよ……」

「じゃあ、義理の妹ができたってこと? かわいい子ねえ。雅ちゃん、いいな、うらやましい。わたしも妹が欲しかったなあ」

「へえ、そうなんだ……」

 懐かしくて、おれは葉月姉の顔を見つめた。

 高校生の時もやっぱり日焼けしてた。背が高くて痩せていて、体操部に打ち込んでいた葉月姉が、こんなに女らしいなんて、あのころには気づかなかった。

 ……葉月姉も、すっかり大人の女の人みたいになったんだ。

 そう思うと、妙にドキドキした。

 杏子の傍らにいた並河香織が呟いた内容を、おれは知らなかった。


「ルーンは『ペイオース』ね。抗いようのない大きな変化のきざし……」


「えっ、香織さん、何か言った?」

 おれが葉月姉と、杏子がプール監視員の青年と話し込んでいるとき、充は香織を見あげ、自販機で買ってきた紙コップのソーダを差し出していた。

「いいえ、なんにも。ありがとう、沢口くん」

「おれのことも、充って呼んでくれると……その、嬉しいんだけど」

 充の顔が、赤くなった。

「香織さん、もしかして、ルーンストーンを使わなくても、占える?」

「……どうして」

「いや、なんとなく」

「わかるときもあるし、そうでないときもあるわ。例えば……充くんのこと」

 香織の言葉がとぎれた。

 形のいい口唇が、その先の言葉を形づくる。かすかな声で……

 囁きは、充には聞こえなかった。

 プールサイドに、人々の喧騒が戻ってきたからだった。

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現在、全面的に見直してます。
高校入学前のエイプリルフールでのお花見事件から始まり、
4月、5月のエピソードを追加して書き込んでいったり、文章の見直しをした
「妹なんかじゃないっ」というタイトルにしたものを、新たに連載始めました。
どうぞよろしくお願いします!
妹なんかじゃないっ
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