第8章 その3 罪作りな義妹(カラーイラストあります)
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本当は今夜、川野と二人でいたとき何があったのかと、ものすごく聞きたくてたまらないのに、なんでハッキリ言えないんだ!
もやもやする気持ちを呑み込んだまま、おれは風呂に浸かっていた。
風呂場に入ったときには、すでに浴槽に湯が張ってあったのだ。
あれっ。
っていうことは、も、もしや!?
杏子が浸かっていた湯そのままか!?
こんなときでも思わずドキドキしてしまう。
いやいや、そんなことないよな。自分のあとに若い男子高校生であるおれが浸かると、わかっているんだから。
きっと湯をいったん落として、入れ直したのにちがいない。おれなら面倒くさがるところだが杏子ならやる。
……たぶん。
……いやあんまり自信は無いな……
なんてことを考えて乱れる気持ちを落ち着け、ざっとシャワーを浴びてから、湯に入ったおれだった。
熱い湯が気持ちいい!
肩まで浸かった。
ふう。なんか良い匂いがするなあ。
まるで花のような
…杏子の髪のような…
ん? 杏子の?
なんでこんなにいい香りがしてるんだ?
そのとたん、杏子の声がした。
「雅人ー! タオル忘れたでしょ。ここ置いとくから。着替えは自分で出しなさいよね。湯加減はどう?」
浴室の手前にある洗面所の引き戸を開けて、洗濯籠にバスタオルを掛けてくれる杏子の姿が、扉の磨りガラスに映った。
「あ!? ああ、ち、ち、ちょうど良いよだぜ」
おれはぎくっとして、ずいぶん珍妙な返事をしてしまった。
「あはははは。やっぱり雅人って、おかしい!」
杏子の楽しそうな笑い声が、心地よく響いた。
おれのどこにウケたのか、まったくわからないが。
それでも、杏子の明るい笑い声が聞けて、安心した。
ときたま見せる物憂げな表情もきれいで、悪くないけど、おれは、杏子に楽しそうにしていてほしい。
「ところでねえ、お風呂、良い香りしない?」
わくわくしている子供みたいに杏子が弾んだ声で言う。
「え? ああ、言われてみれば、これって……バラの匂いか?」
「そうなの! よくわかったわね」
「いやーバラぐらいはわかるよ」
「うふふっ。きのう、香織にもらったんだー。ブルガリア産のダマスクローズっていう、香水のもとになるバラを100パーセント使った高級なエッセンスなんだって。香織のお父さんの会社で輸入してるのよ」
「へえ」
「それをお湯に少し垂らしたわけよ。そうしたら、このとおり!」
「ほうほう」
「美人になる湯のできあがり!」
「……待て待て。杏子、おれが入る前に風呂の湯入れ換えたか?」
「なーにをいまさら」
ガラス戸ごしの会話なのだが、杏子が自慢げに胸をはるのが見えた、気がした。
「貴重な外国産の100パーセント高級バラのエッセンスを入れてるのよ。そんなお湯を雅人が入るくらいでそうそう入れ換えるわけないでしょ。雅人も、あたしとおそろいで、バラの良い匂いになればいいんじゃない?」
おれと杏子と、おそろいの香り? ペアルックならぬ、ペア香り?
いやいや、ツッコミどころはそれじゃない。
なんでそういうこと言うのか!
おれの煩悩爆発させてどうすんだ!
「杏子の、ばかもーん!」
「ええ!? なによそれ!」
「もうだめだぁ。誰かこの子に常識教えてやって……」
湯に浸かっただけでまだ髪も身体も洗ってないけど、ともかくおれは風呂を出て杏子に説教しなくては!
「だから! ただでさえ同居してるってみんな知ってるのに、おれたちが同じ香水みたいな匂いになってちゃ、いろいろとイケナイだろ!」
「……腰にタオル巻いて裸でいわれてもねえ。いちばんイケナイのは、雅人のおなかよ」
「はあ?」
「若いのに、ちょっと、ぽっこり出てるわよ~。スポーツやってて途中でやめた人って、太るんだって。知ってた?」
「えっっ! そ、そうなのか!?」
あわてて風呂場に戻り自分の姿を鏡に映してみた、おれ。
風呂場の外で響き渡った杏子の大爆笑に、「かつがれた」ことに気づいたのだった。
「腹なんか出てないじゃないか!」
「でもっ、でもっ。あはは、はははは! おなかの贅肉気にしてるんでしょ!? だから、信じちゃったんじゃないの!?」
もういいよ。
笑ってくれよ。
それで杏子の気持ちが明るくなるなら、喜んで道化でもなんでもやってやるよ。
でも……
川野のことは、どうしても、気になってしかたがなかった。
やっぱり。
聞いてみるしかない。
おれは心を決めた。
あ、その前に。
風呂に戻ってちゃんと身体を洗っておこう。
バラの香りのおそろいも魅力的だが、できるだけ洗い流そうっと。
つくづくヘタレな、おれなのだった。




