第7章 その4 スプラッシュ!
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「ごめんね。みんなちょっと興奮してるの」
杏子が、すまなそうにおれたちを見る。
入場から五分もたたないうちに、主導権はすっかり女子たちの手に握られていた。
買い物の後は、お土産の荷物を抱えて、大移動。
新しくできたアトラクションは人気で、行列が長いからと主張する女子の要望に押されて、とりあえず定番らしいスプラッシュマウンテンに並んだ。
洞窟の内部の細い水路を、丸木舟を再現したボートに乗って進むのだ。
川野はなんとか杏子の隣に並ぼうとがんばっていたが、彼は運が悪かった。
他の入場者も列に混じっていたので、4列のベンチにふたりが並んで座るボートの定員8名は、おれと杏子の後ろで途切れ、川野は後続のボートに回されてしまった。
なんか気の毒な気がして、替わってやったほうがいいかな、なんて、
一瞬そう思いはしたが……
前の席に座っている並河が振り向き、おれを冷ややかに見つめたのである。
この優柔不断が!
なじられた! 目線で!
はいわかってます! 並河様!
大事なのは杏子の判断。
杏子が楽しめることが第一だっ!
おれと並河の間の緊張も知らず杏子はおれの腕を掴んで急に顔を寄せてくる。
「ねえねえ雅人! あたしたち後ろの席よ。よかったわ。いちばん前の席だと落ちるときに水しぶきを浴びちゃうのよ」
いたずらっぽく囁く。
おれは正直になることにし、幸運に感謝しながらボートに乗り込んだ。
……うっ、しまった!
「ん? 雅人どうしたの? 顔色、悪いわよ」
「うっかりしてた。おれは生まれて初めて乗ったときから、ジェットコースターと名のつくものは大の苦手なんだ!」
杏子はくすっと笑う。
「これはきっと大丈夫よ」
「ひぃっ! どどどどこが、だいじょうぶなんだよ~」
ボートが大きく揺れて動き出す。
「だ~いじょうぶ、だって、昔、パパとママとよく来たのよ。途中に出てくるウサギとかカエルとか、ヘンテコで可愛いのがいっぱいいるから、洞窟の中をよく見てて。ちっとも怖いとこなんてないし、落ちるのは洞窟を出るときだけだし」
「やっぱり落ちるんじゃないか!」
「……そうだけどぉ。うふふふふ」
杏子は楽しげに笑う。
「確かに落ちるときはちょっとすごい…かな。でも一瞬だもの、平気よ」
「お、おまえは平気なのか?」
「えへ! 実は、大好きなの!」
大好きなの!
大好きなの! …なの…
エコーがかかって聞こえた!
おれに向かって言われたのではないのに。
瞬間、おれは天にも昇るような心持ちになっていた。
ここに、遊園地に来てよかった。
ふつうに話せる。
ここしばらく、お互いに声をかけづらくて、ぎこちなくなっていたことも、嘘みたいに解消した。
川野のため、なんて立て前は、おれの心の中からすっかり消え去っていた。
カタン、カタン……
ボートは人口の小山の内部につくられた洞窟を巡っていた。
杏子の言ったとおり、ちょっぴり変わっていて味のある動物キャラクターたちが岸辺に次から次へと姿を見せる。
前の席では充が楽しそうに笑ってて、いやまあそれはどうでもいいんだけどね。
杏子の笑い声が、おれの耳に心地よい。
「そろそろよ! 気をつけて雅人」
杏子が耳元で囁く。
ぞくぞくする。
前方が明るくなってきた。洞窟の人口のあかりではない、外から差す自然光だ、と思った直後。
ボートは、ふいに屋外に出た。
まわりの景色がよく見える。
水が冷たく、風は涼しくて、心地よかった。
やがていったん洞窟に戻ったボートが、ゆっくりと思わせぶりに、最後の傾斜をのぼっていく。
「こっ、これから、お、落ちるのか?」
「だいじょうぶよ、雅人。ほんと、一瞬だから」
ボートの行く手から、派手な水音が聞こえてくる。
傾斜の頂上に出たボートが、外に出たと思うと、いきなり一気に落ちた!
「キャアァ──ッ!!」
平気そうなことを言っていた杏子が、その瞬間、左隣にいたおれにしがみついた。
ボートを下りると、洞窟の内部のような通路をたどって出る。
「見て、さっきの写真よ」
滝壺に落下するボートを撮った写真が、洞窟の壁ぎわに展示されているのを指して、杏子が無邪気な笑い声をあげた。
おれと杏子が並んで写真におさまっている。
ボートを降りてからも、杏子はずっと、おれの袖をつかんでる。
身近にいるきょうだいだから、安心してそうしているんだろう。そう考えて、心を静める努力をした。
まだ心臓が激しく動悸を打ってる。
スプラッシュマウンテンの落下のショックだったのか、杏子に抱きつかれたせいなのか。わからなかった。
後続車の先頭に乗るはめになってずぶ濡れになったに違いない川野の胸中……それも、どうでもよくなっていた。




