第6章 その3 荻窪でラーメンを!
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断言しよう。
夕方の飲食店は忙しい。
おれ、高校一年の山本雅人は、今まで、学校の成績はいまいちだが身体だけは丈夫だと過信していたのだが、甘かった!
始めてまもないくせに、バイトの忙しさに、早くも疲れを感じていたのだ。
バイト先は、「蓬莱」という名前の中華飯店である。
土曜日の夜だった。
「おーい、新人の兄ぃちゃん! さっき頼んだチャーシュー麺、まだあ?」
「はい、今すぐ持って行きます」
「ねー、新顔のボク、お水のおかわりお願い」
「はい!ただいま」
「おうい、注文頼む! チャーシュー盛り合わせ2人前と蓬莱チャーハン3つ、それから餃子特大盛りね! あ~、腹減った!」
「かしこまりました!」
ラーメン店、蓬莱の店内には、4人が座れるテーブル席が30。カウンター席に20人ほどが座れるくらい。
平日も週末も問わず大賑わいだ。
おれともうひとり、男子高校生バイトが、懸命に注文を取ったり、できあがった料理を運んだりしている。
ちなみに相棒である男子高校生は、清潔感漂う今どきアイドル系?
どこかおっとりのんびりタイプ、なごみ系草食男子枠。常連のOLさんたちにからかわれたりして、だいじょうぶか?
と、心の狭いおれが彼の身を心配するのは理由がある。
それはただ一つ。
気のよさそうな彼が、もしもここを辞めたら、後に残ったおれが更に忙しくなるということであった。
「おーい相棒、おまえだいじょうぶか」
「なんとか。山本くんこそ、疲れてるんじゃない?」
気遣ってくれるのは、汗を押さえるためのバンダナを額に巻いている、おれより少し背が高い、同い年の高校生。
正直、おれより人間できてそうなのだ。
厨房に居るのは店主夫婦と、店主の親戚だという料理人見習いの、これまた男子高校生がひとり。
繁盛しているのは結構なことだが、そのぶん店内スタッフは大忙しなのだ!
ああ、ちょっとでいいから休めたら。誰かヘルプミー!
軟弱なおれが心中、ひとり弱音を吐いたのが天に届いたのだろうか。
まさにそんな瞬間、
奥の暖簾がかき分けられ、1人の女の子が顔を覗かせた。
さらさら茶髪のロングヘア。
笑顔は満点、とびきりの美少女である。
天使? 女神さま?
「ホール担当のコ、十五分休憩とって。運ぶの、私が応援に入るから」
え!?
茫洋とした頭で天の助けかと思ったが、ふと我に返れば、見覚えのある顔。
なんか学校行事があるときとか、全校規模の集会なんかのときに見たよ、見ましたよこの美少女。
記憶に新しいのは文化祭のとき。
我がクラスに来てくれましたよね?
公認のイギリス人留学生の彼氏連れて。
「せ、生徒会長じゃないですか!?」
「あら、後輩くん、見たことある顔ね? ところで、ここは私の家よ」
「えええ!」
「ど~したのぉユカりん?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまったおれに、店内の注目が一気に集まった。
「なんだ、新人くん、ユカりんの後輩?」
「知らなかったの?」
常連のOLさん2人組の、生暖かい声。
「ユカリちゃんは店主の娘さんでね、蓬莱の看板娘なんだよ」
大食いのリーマン青年。
親切に教えてくれる常連さんたち。
「すすすみませんした! 知らなくって」
無知なおれは、慌てるばかり。
すると生徒会長は、余裕たっぷりに笑って、おれと、もうひとりの男子を手招きした。
「いい、いい。ノープロブレム! ちょうどいいから、きみたち男子2人とも一緒に休憩とっちゃいなさい。私の同級生の、繭由ちゃんが来てくれたから、交代よ」
生徒会長の横に顔を出したのは、小柄で日焼けボーイッシュな少女。
確かこの人も先輩で二年生。生徒会役員だ。風紀委員だったような。
小麦色の肌に、真っ白な歯がこぼれるように大胆な、笑顔。
「初めまして。唐沢繭由で~ッス! お疲れさま! 休んできてよ。私たち、お手伝いに慣れてるからだいじょうぶ」
胸を張る女子たち、頼もしい!
「それじゃ、お言葉に甘えて。山本くん、休憩に入ろう」
「あ、ああ。そうだな。観月くん。じゃあ、よろしく!」
おれたち新人が引っ込むと、入れ替わりにユカリさんたちが、常連さんたちの拍手に迎えられたのだった。
*
東京都杉並区、荻窪駅北口から徒歩で十五分圏内の一画に、その店はあった。
中華料理店。
名前は、「蓬莱」。
東京都内にはラーメン激戦区と噂される場所がいくつもあるが、ここ、荻窪も古い歴史を誇るラーメン聖地のひとつである。
よって、ラーメン店は数十軒以上あって、そのどれもが昔からある人気店揃い。
そんなライバルの多い立地ながら、「蓬莱」は健闘している。
若い頃、香港で修行をしてきたという店主が作る数々の料理と店主夫婦の人柄は、古くから地元の人に愛され会社帰りのサラリーマンやOLさんも含めて常連客も多く、中華飯店「蓬莱」はグルメ情報誌にも取り上げられ繁盛しているらしい。
らしいというのは、おれ、山本雅人は、高校1年である今の今まで、まったく食文化に詳しくなかったからだ。
すべて幼なじみ沢口充の受け売りである。
おれにとって情報通の充にして、自分なんかよりずっと詳しい知り合いが西荻にも新宿にもごろごろいるんだ、こんど紹介するから、なんて常々言っているのだ。
世の中は広い。
だけど、実は結構、狭いのかもしれない。
……と、いうのは。
話は数日前にさかのぼる。
*
何度も言うようだがおれは万年金欠である。
親父が小遣いをくれないわけではない。
学費や生活費以外のところで、親父に金をくれというのが、なんだか嫌になってきたのだ。杏子に対して格好をつけたかった、のかもしれない。
バカだよ、おれ。
ほんと、意味ねえのになあ。
相も変わらず、杏子に言えないまま金欠の悩みを抱えているおれに、充が声をかけてきたのだった。
なんだか嬉しそう…いや、面白がっている顔で。
「雅人~、肉体労働的なバイトさがしてるんだって? 葉月姉から聞いたぞ。それでさ、おまえに会いたいって人がいてさぁ」
「いや、バイトは探してるけど特に肉体労働に限定してねえけど?」
「な~に言ってんだよ。杏子さんや香織さんならともかく、おまえやおれに、頭脳労働ができるわけないだろ!」
「言い切るな!」
*
充に案内されて行ったのは、第2調理室。
同好会家庭科クラブが使っているところである。
しかし今日の放課後は、部活の日ではなかったようだ。女子部員たちの姿はなく、男子生徒が一人、いるだけだった。
顔を見たことがある。一学年上の先輩だ。
年齢は一つしか違わないのに、ずいぶん大人っぽいというか、たたずまいに落ち着きを感じる。
読みかけていたらしい本をテーブルに置いて、顔を上げた。
「急に呼び出してごめんな」
さわやか笑顔は反則だ。
「え、いや、はい」
「山本雅人くんだね。俺の名前を知ってる?」
「ええと、なんかつい最近、会った気がします」
「バカ雅人!」
充がおれの背中を小突いた。
「滝野川リョウ先輩だよ! 生徒会副会長。ほら、影のばんちょ…じゃない、生徒会の影の実力者って言われてんだぞ」
「えーと沢口充くん? それはただの噂だから」
興奮気味にまくし立てる充を、滝野川先輩は両手を広げて、押し止めるようにする。
「えっでも! 香織さんもそう言ってたんで…」
「あるんだよねー噂の一人歩き。俺は単なる一般生徒。従姉妹が生徒会長やってるんで、その付属品みたいなもんなんだけどねー」
照れくさそうに、あるいは困惑の表情で、滝野川リョウ先輩は、ポリポリと鼻のあたまを掻いた。
「……そうだ、思い出しました! 先輩、今年の文化祭のとき、クラスの催しに来てくれましたよね?」
「嬉しいなあ、覚えてくれてたんだ。ほら俺って生徒会長とか他の役員に比べて地味で目立たないから」
さらっと自分で言う。
天然ボケ担当?
これじゃ突っ込めないじゃないか。
そうですねとも、そうでないとも上手く応えられず、なんとリアクションしたものかと迷っていたら、先輩のほうから話を始めてくれた。
「実はね、頼みがあるんだよ」
「はい? 先輩がおれにですか?」
「俺の叔父さん夫婦が、荻窪で中華料理店を営んでいるんだけど、忙しくて人手が足りないんだ。でも、信用できる人じゃないと困るし。で、ちょうど、知り合いの青山先輩からきみの話を聞いたんだ。バイト探してるって」
「は、はぁ、そうです!」
「もし、よかったらだけど、手伝ってくれないかな」
「えっ! それは、こちらもありがたいですけど」
青山先輩?
葉月姉のことだよな。
一抹の不安を感じないでもなかった。
だが、信用できるバイト先、というところに、おれは心引かれたのだった。
この日の対面は、面接であったらしい。
滝野川先輩は、経営者である叔父さんたちからよほど信頼されているのだろう。
「昨年までは俺もホールスタッフやってたけど、今年から厨房に入れてもらえることになったんで、料理を運んでくれる人が必要なんだ」
将来は中華の料理人になりたいのだと、リョウ先輩は言う。
「はあ、そっすか。喜んでやらせてもらいます!」
断れない流れだった。
それにありがたい申し出だ。
おれが承諾すると、先輩は笑顔になった。
「助かるよ! ああ、それから、もう一人、新しく、同じ高校生バイト入ったから。労働量の負担はそれほどじゃないと思うよ。彼は違う高校の生徒なんだ。仲良くやってくれると、ありがたいな!」




