第5章 その4 恋愛メンタリスト
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先日からおれは杏子とぎくしゃくしてしまって、落ち込んでいた。
高校の文化祭の準備で忙しかったので、かえって助かった。
暇をもてあましていたら、ろくな考えにならなかっただろう。
文化祭が終わった当日の放課後。
恋のライバル(おれが勝手に思っているだけだが)川野昭二に相談を持ちかけられ、こうして一緒に歩いているなんて、なんだか妙なことになったなあ。
とりあえず駅近くのファミレスに入る。
「おれブレンドコーヒー」
「カプチーノ」
「ところで、カプチーノって何だ?」
ずっと気にはなっていたが杏子に聞いたらバカにされるかもと思って、尋ねられなかったのだ。
川野は気軽に教えてくれた。
エスプレッソに、暖めたスチームミルクとフォームミルクという、専用マシンを使い蒸気で泡立てたミルクを乗せたものだという。
貴重な豆知識を得たものの、エスプレッソを飲んだこともないおれには、よくわからない次元の話ではあった。
「へー。川野は物知りだな。ありがとう」
「いや、たいしたことじゃないよ」
不思議だな。
こっちが素直に礼を言ったら、川野も突っかかったりしないで応えてくれる。
ちょっと新鮮な感じだ。
「ところで杏子のことで悩みって……だいたいおまえら、付き合ってるんだろう? 何を悩むことがある」
「そんなんじゃないって」
川野はタメイキをついた。
「一対一はまだ早い、友だちから始めよう。そう言ってたよね、杏子さん」
「ああ、おれも聞いた」
杏子の真意はどこにあるのか。おれにもわからない。
「友だちったって、俺さ、杏子さんとふたりきりになったこともないんだ。映画やコンサートに誘っても、ものやわらかに断られちゃうし、プレゼントも受け取ってくれないし。この前、ちょうど本屋でばったり出会って、ちょこっと話をしたくらいで……」
「それは気の毒に」
「せめて、友だちになりたいよ」
川野は、がっくり肩を落としていた。
「ところでおれは川野のイメージ変わったよ」
「え? どういう意味で?」
「おまえ案外、弱気なんだな。おれがおまえくらい顔がいいとかなんとかすれば、もっとこう……人生楽しいだろうななんて、羨ましかったんだが」
「そんなの、俺のほうが羨ましいよ! そうだ、山本から、杏子さんの気持ちを聞いてくれないかな? 少しでも脈があるのかどうか」
おれは杏子と最近うまくいってないのだが、川野はもちろんそれを知らないから、うだうだ頼んでくる。
「……そんなの聞けるか! おまえのせいで、おれは杏子と喧嘩しちまったんだぞ! 銀杏祭のポスター貼りに吉祥寺の書店に行ってただろ! あのときだっ」
川野はきょとんとする。
「え、それって俺のせいじゃないんじゃ……」
「いいや、おまえのせいだ! おれはそのとき、おまえと杏子を見かけたんだ。それで、夜、杏子が家に帰ってくるのが遅かったもんだから、川野と一緒だったんだろうって疑っちまって」
「それは、山本が悪いな」
しらっとして川野は言った。
「そんなわけないだろ。杏子さんはカルい女じゃないぜ!」
熱っぽいくらいに言い切る。
「いつだって一所懸命だし、いたいけで。俺、そこに弱いんだけど……きょうだいとして一緒に暮らしてる山本が信用してくれないんじゃあ、かわいそうだよ」
「か──っ! てめえっ、誰のせいだと!!」
思わず頭に来て、川野を殴り倒そうと思ったところへ、
「きゃーっはっはっはっ、あはは、あーはっははは」
遠慮のかけらもない豪快な笑い声が、背中合わせになっている後ろの席から聞こえてきた。
しばらくして、川野の座っている長椅子の背もたれから伸び上がって、きまり悪そうにごまかし笑いをしたのは……
「葉月姉!?」
「えっ、このきれいなお姉さんは山本の知り合いか?」
「あらぁ~きれいだなんてありがとう! 初めまして。あたしはそこの、雅人くんの近所のお姉さんで~す。どうぞよろしくう」
「あ、はい、よろしくお願いします。川野昭二と言います。山本くんの同級生です」
雰囲気に飲まれるな、川野。
葉月姉は、思いっきり短い黒いレザーのタイトスカートに、臍が見えそうな、丈の短いTシャツ。
シャギーカットにしたショートヘアを、前よりさらに明るく、金髪かと思うほどブリーチをかけていた。
「いっやーっ、ゴメン。ちょっとコーヒー飲みに寄っただけなんだけどさ。立ち聞きじゃないのよ。聞こえてきちゃったのよぅ」
そこまで言って、葉月姉の目が、にーっと細まる。
「杏子ちゃんも罪なコねえ。まぁ、しょうがないやね。ボーイフレンドより女の子の友だちが大事な時期って、あるのよ」
「そんなこと言われても困るよ、なあ山本」
川野が同意を求めてきたが、おれは言葉を濁した。
「いや、まあ、そうだな……それはそれで、いいかなって思うけど」
「よくないったら。いつも肩透かしくらってる俺の身にもなってくれよ。だいいち、友だちから始めようにも、俺にはとっかかりがないんだぜ!!」
心の底では穏やかならぬ気持ちなのを隠して、おれは何度も頷いた。
「うんうん、気持ちはわかるが杏子が決めることだからなあ…」
「面白いわね、あんたたち。青春してるのねえ」
葉月姉は楽しげに口を挟んだ。
「ねえ、あんたたち、わたしのアドバイス、聞きたい?」
コーヒーカップとおしぼりを手にした葉月姉が、こちらのテーブルにやってきた。
「はい! お願いします!」
こう言ったのは川野だ。
「よろしい。このわたくし、恋愛のメンタリストに任せなさい」
ぽんと胸を叩く。
……嘘っぽい! すっげえ嘘っぽい!
信じるのは川野みたいな純情少年くらいだろう。
昔から葉月姉を知っているおれは、頭から疑ってかかっていた。
「まず第一に、まだあまり親しくない女の子を誘うときは、用心されないようにしなくちゃダメ」
「はあ……」
「この人は安心かしら、いざってときに襲ってきたらやだな、お断りしたら乱暴なことしないかしら……ってな感じで、警戒心を持ってるものなの。信用が第一ね」
「信用ですか……」
あやしい勧誘に引っかかってるみたいに素直にうなずきながら拝聴する川野。
危険なニオイがぷんぷんするぞ。
「そっ、つまり日々の積み重ねってことね。気長にやるのもひとつの方法だわ」
「でも俺、そんなに気長にしていられません」
「ふふん、青いな少年。結論を急ぎたいなら、また別ね」
葉月姉は、コーヒーカップの中身を一気に飲み干した。
ここはブレンドに限り、おかわり無料である。コーヒーサーバーを手にしたウェイトレスのお姉さんが、『コーヒーのお替わりはいかがですか』とやって来ると、
「はい、お願いします」
葉月姉は、ニッコリ。
「ついでにサンドイッチとカレーもね」
「よく食うなあ」
「コーヒーとサンドイッチとカレーは、もちろんおごってもらうわよ。恋愛アドバイスのお礼はそれでいいわ」
「年下にたかるなよ!」
ほとんどサギに等しいとおれは思っているが、川野は熱心に聞き入って「はい、もちろんです。あ、山本も、ここ、奢らせてもらうから!」という。
……すまん。
「そうねェ……川野昭二くん、デートに誘ってみたら」
「もう誘ったんです! でもOKしてもらえません」
泣きそうである。川野。
せっかくイケメンなのに、残念な……
「はは~ん。原因がわかったわ。一対一のデートに誘ったんでしょ?」
「そうです。ダメとは言われなかったんですけど、そのうちにねとか、はぐらかされて、いつになっても日にちも決まらなくて」
「ダメなお誘いの典型ね!」
ばっさり断定する葉月姉。
「杏子ちゃんみたいな繊細な子は相手に気を遣うから、緊張するのがイヤでしり込みしちゃうの」
川野はショックを受けていた。
「いやがられて? おれ…いや僕は、どうすれば…」
「だいじょうぶよ。個人戦がダメなら、団体戦があるわ!」
「葉月姉、スポーツの試合じゃないんだぞ?」
「同じようなものよ!」
自信まんまんな葉月姉。
だが考えてみたら年上女子大生のくせに彼氏もいなかったのでは?
っていうか彼氏に立候補したそうだった根岸さんの気持ちに気づいてないのでは。
だんだん、相談する相手を間違えたような気がしてきた。
おれの心配をよそに葉月姉は「いいこと教えてあげる!」とノリノリ。
「友だち同士でディズニーランドに誘うといいわ、女の子は何度でも行きたがる所よ。休日には人出が増えるから、冬休みより前に行くのがよさそう。ま、それでも断られたら、見込みは薄いかもね……試してみたら?」
「わかりました! やってみます」
川野は感激して、葉月姉の手を固く握りしめた。
「そうそう。当たって砕けちゃえば、いっそ諦めもつくし、再出発もできるわ!」
……それで応援してるつもりなのか、葉月姉……!?
義理の兄としては杏子と川野のことを応援しなくちゃいけないんだろうが……そうなんだろうが、おれは、納得できないでいた。
……なんで、他の男と杏子の仲を取り持ってやらなきゃいけないんだ!
*
割り切れない気持のまま、おれは、翌日、葉月姉に教えられた通り、
『クラスの有志で、文化祭の打ち上げをやろう』という提案をクラスのみんなに持ちかけた。誰でも参加自由だ。
しかしこのプランには落とし穴があった!
確かに誘いやすいし女子たちも軽い気持ちで参加してくれそうだ。
だが、こういう名目だから、『目的外の』女子の参加希望を断るわけにはいかなかったのだ。
気がつけばついうっかり打ち上げの方がメインになってしまった。
結局、男子はおれと川野昭二、沢口充、名越森太郎に、宮倉宗一。
女子は杏子、並河香織、秋津直子、上村洋子、中野靖子、神崎美穂。
総勢11名のグループになったのだ。
ちょっと多すぎないか?
このグループ、誰がまとめるんだ?
もしや、言い出しっぺの、おれ?
先行き、はなはだ不透明であった。




