第4章 その6 大学祭
6
大学祭は前夜祭、1日、2日と行われるのだそうだ。
お祭り気分もあるけど高校の文化祭を控え、何か参考になることはないか、全部を見て回りたいところ。
しかしそれでは身が持たないので、行くのは日曜日である11月2日に決めた。
お茶の水の駅から程近い、葉月姉が通っているM大学を目指す。
おれと、充。そして杏子と並河香織の、いつもの顔ぶれだ。
杏子は昨夜から並河の家に泊まっていて、ふたりとはお茶の水の駅で待ち合わせることになっているので、JR中央線快速電車の、オレンジ色の車体に乗り込んだのは、おれと充だけ。
「杏子さんはなんで香織さんちに泊まったのかなぁ?」
充はこのところ、いつだって並河のことばかり気にしているのだ。
「なんだか知らないけど、女の子同士の話があるんだってよ…充、そんなに彼女のことが好きだったら、告白しちまえ」
「そんな勇気あったら苦労しないよ!」
いつも陽気で脳天気が代名詞。そんな充が、彼女のこととなったら、とたんに、何をどう言ったらいいのかわからなくなる、というのだ。
「充にそんな繊細なところがあるとは意外だな」
「おれはデリケートなんだよ! 雅人とは違ってね」
男二人の不毛な言い争いをしているうちに、お茶の水駅に着いた。
待ち合わせは、お茶の水橋側の改札の前で、約束は12時だ。
時間より少し早く着いた。
「あら、意外だわ、雅人が遅れないなんて」
驚いたことに、杏子と並河香織はもう、改札の前で待っていた。
気が向いたらくるわ、なんて言ってたくせに。
杏子はお気に入りらしい透ける生地と小花模様のワンピースを重ね着、同系色の上着を組み合わせ、バッグと帽子の色までコーディネートして決めてる。(さすがに化粧はしてないが)
「山本さん、沢口くん、おはようございます」
並河は、クラシックな感じのする青いバラ模様のワンピース。胸もとには、銀の繊細なチェーンに水晶の結晶を下げた首飾りをしている。
「直接、大学に行くの?」
「葉月姉は持ち場を外せないけど、ここに友だちを迎えによこすって」
「え? その友だちって、どんな人。男なの、女なの?」
杏子は眉根を寄せた。
「……聞いてない」
「雅人って、どうしていつもそうなんだよ……」
充がぼやいた。
「細かいことにこだわらないったって、大雑把すぎんだよな」
ぎくっ!
大雑把? アバウト?
もしかして、おれ、さんざん嫌いだと思ってた親父に、似てるのか?
「やあ、こんにちはー」
そのとき、やけに明るい、爽やかな声が響いた。
交差点を、こっちへ誰か駆けてくる。
背が高くて、もう秋も深まっている11月だというのに、こんがりと日焼けした肌に、白い歯が眩しい。
おれたちは顔を見合わせた。
「いまの……こっちに声かけたのかな」
「たぶんそうだろ」
「あっ、あの人、根岸さんだわ!」
杏子が驚きの声をあげる。
「知ってる人か?」
「プールで杏子が溺れたときに助けてくれた監視員のお兄さんよ」
並河が、どうやら彼女にしては驚いているらしく、眉毛をぴくぴくさせた。
「あっ……おれも思い出したぞ!」
あの日焼けボーイには確かに見覚えがある。
「こんにちは、しばらく」
彼はにこやかに杏子に挨拶をした。
「元気そうだね。伊藤さんは、夏のスイミングスクールに通ってる間にどんどん上手くなっていったから、よく覚えていたんだ」
次に彼はおれのほうを向いて、言った。
「君が山本くんだね。前、プールで会ったね。青山くんから、つねづね話は聞いてるよ。迎えに来たんだ」
あれっ? あれあれあれ?
そういえば、あのプールにも、葉月姉はいたな……。
「お兄さん、葉月姉のお友だちなんですか」
尋ねてみると、日に焼けた人の良さそうな顔が、はっきりと赤くなった。
「ん~、一応……僕はそう思ってるけどね。彼女のほうは、どうかなあ」
少しばかり自信なさそうだった。
……相手が葉月姉じゃなあ……
その気持はわかる気がした。
根岸さんに連れられて、大学の構内に入った。
正面入り口のすぐ脇で、公式案内パンフレットが無料で配られていた。
近代的な校舎、広大なキャンパス。
大学生らしい人も、ご近所の親子連れや、おれたちと同じような高校生っぽいグループも見学に訪れているようだ。
広い構内に、大勢の人達が溢れかえっていた。
賑やかな呼び込み。
ライブやパフォーマンスバトル、校内の各学部案内、パネルディスカッション、映画上映会などの貼り紙。
自由で、活発で、多種多様。
そして雑多で、むせかえるような熱気に包まれていた。
いろんなものが、ごった煮みたいに溢れている。
……そうか。自分で選ぶんだ。
これはおれの勝手な解釈だけど、なんだか、そんな気がした。
選択の自由。
自らがどういう人間になりたいかも、自分の手で探さなくてはいけない。
それが、大人ってもんなのだろうか、と。
「あそこですよ」
模擬店が並んでいる一画で、根岸さんが手を振った。
近くにあった『焼きそば』ののれんをくぐって、葉月姉が出てきた。
「よく来たわね! ゆっくりしてってよ」
さっそく、焼きそばとタコ焼きを大盛りにした皿を差し出した。
「雅ちゃんたちの誕生日に、クラスの子が作ってくれてたお好み焼き、美味しかったよ。あれを食べて闘志が湧いたわ! わたしのも、結構いけるんだから、試してみてよ」
「はい、いただきまーす」
杏子と並河は屋台の前のベンチに腰掛ける。
根岸さんが自販機から飲み物を買ってきてくれた。
「昨日のライブのステージ、かなり盛り上がってたわよ。うちの大学のパフォーマンス企画も評判いいしさ。校内体験ツアーやバザーもやってるみたい。もう少ししたら店番を交代するから、案内したげるね」
葉月姉は、そのあたりのコンクリートの固まりに腰掛けて、ふうふういいながら、山盛りにした焼きそばを平らげ始めた。
これじゃ……小さいころと全然、変わってない。
相変わらず食いしん坊だし、大口開けて笑うし、遠慮ない。
プールで会ったときは、ずいぶん大人っぽくなったと思ったのになあ。
今はコドモみたいだ。
女の人は不思議だ。
しばらくして、交代の店番の人が来ると、葉月姉は、構内をいろいろ案内してくれた。
「大学って広いんだねー」
葉月姉には充もいつものように気軽に話しかけている。
「あの、青山さん? さっきの根岸さんと、お付き合いしてらっしゃるんですか」
気になっていたのか、杏子が尋ねる。
「あたしのことは葉月って呼んで♡ あたし妹がいないから、実のお姉さんだと思ってくれたら嬉しいな!」
「本当ですか? あたしも嬉しいです!」
「これからもよろしくね! えっと、何を話してたっけ?」
「根岸さんのこと…」
「そうそう、ネギシくんね。付き合ってるのかなあ。う~ん、他には、そういえばいないわね。考えたことなかったわ」
あっはっはっ、と大声で笑う。
こういうところも、小さい頃と全然変わってない。
「葉月さん、いいなあ」
杏子がニコニコして言った。
「ん~っ? どこが?」
「落ち着いてて、大人って感じがするもの。あたし、早く大人になって、独立したい」
おいおい。
杏子の言葉は、穏やかでなかった。
「ははあ、そうかあ」
葉月姉は、ちょっと考えて、うなずいた。
「その気持ちはわかるわ。わたしもそう思っていたもの。家も好きだけど早く独り立ちしたいって思ってた。でも、大きくなってみるとさ、それはそれで不自由なこともあるの。まずは足元を固めることね! 毎日の積み重ねが大事」
「……はい、そうも思うんですけど」
「でも、気がはやるのよねえ……」
葉月姉は、ニッと笑って、杏子の肩に手を置いた。
「だいじょうぶよ。杏子ちゃんには、強い味方がいるじゃない」
「強い味方?」
「雅人よ」
うえ!? 急におれの名前が出てきて、驚いた。
「わたしは雅ちゃんが生まれた時から知ってるけどね。ずいぶん、大きくなったじゃない。みっちゃん(充)も、前はもっと身体が細くて、町内の美少年なんて言われてたもんよ。それが、ちゃあんと大人っぽくなっちゃうんだもんね」
「美少年!?」
「葉月姉! よけいなこと言わないでよ!」
真っ赤になって慌てる充。
「わたし見たかったなあ。そんなかわいい沢口くんのこと」
並河がこう言うので、ますます焦り、しどろもどろ。
「そそそそんな! 見られたら困るから!」
「そうだわ! わたしたちの高校の文化祭で、クラスは執事カフェをやることになってたでしょ。沢口くん、メイドしてみない? 二週間先だもの、準備はだいじょうぶよ」
「えええええ! やめて~! 雅人、笑ってないでなんとか言えよ! 助けろ!」
「いやしかし、面白そうだ」
充は人生最大のピンチに陥っていたが、それを見ていたおれは、不思議な感覚に捕らわれた。
杏子と並河。
彼女たちにも、今よりずっと幼いときがあったんだ。
幼稚園のころの杏子は、どんなだっただろう。
きっとすごく可愛かったろうな。
ひとりひとりで生まれて、大きくなって、こうして出会って。
おれたちの出会いには、どんな意味があるのだろうか……。
そんなことを、あらためて考えさせられた。
「ねえ、今日はみんな、遅くまで大丈夫?」
葉月姉が明るく笑う。
「夜までイベント盛りだくさんだからね! しっかり見て、体験していって! そして、これがカンジンなのよ。楽しんで!」




