第4章 その5 金木犀と招待状
5
体育祭が終わってから、おれと杏子の間は、少し縮まったような気がした。
リレーのとき、はっきりと彼女が好きだと意識した。
それは間違いないことだけれど。
あのキャンプファイヤーの夜、つないだ手から伝わってきた、温かな思い。
ひとりの女の子として。それとも、妹として?
おれはまだ迷っている。
確かなことは、ふたりは、家族なんだ、ということ。
好きでも嫌いでも。
川野と交際しているのかとは、やっぱり聞きにくい。
様子を見ている限りでは、そんなこともないようだ。
どうすればいいんだろう。
おれはよく、夜中、眠れずに部屋でひとり考えにふける。
彼女が好きだ。誰にも渡したくない!
……でも、彼女はまぎれもなく、義理の妹なワケで。
いくら考えても、答えは見い出せなかった。
秋の気配が日ごとに深まっていく10月。
体育祭が終わったと思ったら、学園では早くも文化祭へ向けて準備が進行していった。
このぶんだと一年なんてあっという間だな…
「ねえ雅人! いい匂いがするわ」
ある月曜の朝、おれは杏子に叩き起こされた。
「いいにおいって…」
「キンモクセイよ、金木犀! すてき、あたし大好きなの。ねえ、どこから香ってくるのかしら?」
「そういえば毎年…こんなにおいがしたかな」
よく考えてみる。
一年に一度の、香りの洪水。
「ねえねえ、すごいと思わない? 昨日までは匂いなんてしなかったのに。空気が香水みたいだわ」
思い出した。この季節、親父、なんか浮かない顔してることが多かったな。
なんだったんだろう。
いつもアホかと思うほど脳天気で不真面目だった親父が?
けれどおれはそのとき、ゆっくり回想なんてしていられなかった。
杏子が今にも飛び出していきそうだったからだ。
金木犀の木をさがすんだという。
「待て待て! ちょっと待て! 学校行かないと」
「あら?」
セミロングの栗色の髪を翻して振り向いた杏子は、いたずらっぽく笑った。
「入学式をサボっちゃおう、って誘った雅人が、そんなマジメなことを言うなんて」
えっ!
ドキッとしたのは、杏子の笑顔のせい。
神様、どこの神様でもいいから、おれはどうしたらいのか教えてくれ!
嬉しいけど、杏子は妹で!
どうにもできないんだから!
まったく拷問に等しい毎日なのだ!
「覚えてたのか」
「忘れるわけないでしょ。そんな面白いこと」
くすくす笑う。
「あんなユニークなお誘いしといて、忘れるも何も、強烈な印象だったんだから。今さらきょうだいだなんて…そりゃないわよ」
最後に「そりゃないわよ」とつぶやいたとき、彼女は顔を伏せてしまった。だから表情が見えなくて。
どういう気持ちでつぶやいたんだ?
「わかりましたであります! 軍曹!」
急に杏子は顔を上げた。
「軍曹ておまえ」
「今朝のところはカンベンしてあげる。学校行きましょう。ね、雅人」
金木犀の香りに包まれて、おれはますます混乱に陥る。
「雅人がぐずぐずしてるから、朝ごはん食べる時間がなくなっちゃったじゃない! 早く用意してよ!」
「やつあたりかよ!」
その日の夕方、帰宅したおれたちは、郵便受けに、思わぬ人からの便りを見つけた。
葉月姉からの手紙だった。
おれは杏子を呼んで、ふたりで手紙を見た。
《拝啓、雅ちゃん、杏子ちゃん、お元気ですか。
わたしは毎日、忙しくやってるよ。
誕生日パーティ、楽しかったね。
また、何かやりたいな。
ところで、雅ちゃんの学園の文化祭はまだだよね?
うちの大学の大学祭はもうじきです。
わたしは、模擬店の担当になったの。
焼きそばとタコ焼きの店だよ。
よかったら、杏子ちゃんとおいで。もちろんみっちゃんも誘ってるから。
みっちゃんも彼女と来るかな?
タダ券、あげちゃうねっ。》
封筒の中に、何か入っている。
逆さにして振ると、『焼きそば』と『タコ焼き』と手書きで描かれた券が、数枚、ひらひらと落ちてきた。
「……葉月姉……いったい、いくつだよ、小学生みたいな文章書きやがって」
ところが、杏子はその券を拾い上げて、
「あら、素敵じゃない!」
楽しそうね、と軽やかに笑う。
「雅人、大学祭に行くの?」
あんまり嬉しそうに笑うから、おれも、むげにできなくなる。
「杏子は、その日、予定あるか?」
なに聞いてんだ、おれ!
「え、いっしょに行ける?」
一瞬、顔を輝かせた杏子は、ふと、視線を落とす。
「あたしの予定はないけど…、雅人は、いいの?」
「い、いいの? って、なんだよ」
垣間見せた表情がなんか切なくて、おれはいつにもなく動揺してしまった。
「なに言ってるんだよ」
「もう! 鈍いにもほどがあるわ。もしかして、わかってないの? こういうイベントはね、彼女を誘って行くものなのよ! デートに誘ういい機会でしょ?」
「彼女~!? いねえよ、そんなもん」
おれは何故だか無性にいらいらした。
「杏子が嫌なら、おれだって、行かなくてもいいんだ」
「バカね。嫌とは言ってないでしょ!」
慌てたように杏子は言って、一呼吸。
「そうねえ。雅人は世間知らずだから、ひとりで行かせるのは心配だわ。気が向いたら、ついて行ってあげても、いいわよ」
機嫌よさそうに身を翻し、足取りも軽く、階段を登っていく。
ハミングまで聞こえてくる。
「……?? なんだ、あいつの機嫌ってのは、どうなっているんだ」
おれはまるで、キツネにつままれたような気がした。なので、ものはついでに、軽い調子をよそおって、二階に向けて尋ねてみた。
「おーい、それで杏子、あれから川野とは付き合ってるのかあ」
言いながら心臓はバクバクだったのだが。
答えはあっさりと降ってきた。
「何言ってるの」
階段の上から杏子は顔を出し、くすくすと笑った。
「あたしたち、ただのお友だちよ。雅人だって、教室で聞いてたじゃないの」
それを聞いて、おれは少しほっとした。
よし決めた。
川野には絶対、教えてやらん!
充と並河は誘ってやろう。
4人で大学祭に行くんだ。
限りなく心の狭いおれは、そう決意したのだった。




