第4章 その3 告白!
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「ちょっといいかな、伊藤さん」
帰り支度をしていた杏子に、川野が近づいた。
「なにかしら?」
にこやかに杏子が応える。
途端に奴はものすごく嬉しそうな顔をして、
「伊藤さん、チアリーダーでしょ。応援合戦に使う音楽のこととか、打合せしたいんだ」
「川野。先に、おれたちとリレーの打合せをしようぜ」
おれはわざとらしく大声で、奴の肩を叩いてやった。
「じゃあ、また後でね」
上の空の返事をする杏子に、秋津直子が話しかける。
「ねえねえ、杏子ちゃん、それでな、こんどケーキバイキングに行かん?」
「隣りのクラスの子がね、ひとりで20個食べたんだって」
「やだーっ、ウソ!」
「わたしたち、そんなに食べられるかな?」
杏子は同じくチアガールに決まった並河や秋津たちと、新宿のホテルのケーキ食べ放題の話題で盛り上がっていた。
おれは充に声を掛ける。
「おい、充! それに宮倉も、竹内、進藤、小林……白井はいるか?」
「え~ッ、そんなの、まだ決めなくていいじゃんか」
ぶつぶつ文句を言いつつも、充がやってきた。
無口で背の高い宮倉宗一。
精悍な身体つきをした竹内司。
テニス部の進藤佑太郎。
バレー部の小林七生。
運動部に入っていないが足の早い白井豊。
おなじみ、沢口充。
以上に、おれと川野を加えて8人のメンバーが、クラス対抗リレーの選手だ。
おれも本当はまだ何も考えてはいなかったが……川野が馴れ馴れしく杏子に話しかけているのを見たら、急にむかっ腹が立ってきたのだった。
「リレーなんて、何を話し合うんだ?」
最初から、川野は挑戦的だった。
「気乗りしねえんなら、最初から選手に立候補なんかするなよ。女子に混じって、チアガールやってるか? スカートはいてな」
おれの物言いは、自分でもわかっていたが、かなりとげとげしくなっていた。
「だいたいおまえ、男子の応援合戦のスタッフには名乗り出なかっただろう。それなのに女子のチアガールに、音楽の相談たぁ、筋が違うんじゃないか」
「……あんたにゃ関係ないね」
川野は首をすくめて、苦笑いを浮かべた。
妙に悟ったような表情が、さらにおれの神経を逆撫でする。
「関係ない? なんだこの野郎、人が真面目に言ってんのに、すかしてんじゃねえ!」
おれはカッとなって、思わず川野につかみかかった。
「わ~っ、待って! ふたりとも、ちょっと待ったぁ!」
あわや殴り合いになろうとする寸前、充が間に割って入った。
「ったくぅ、どぉ~ぅしちゃったのさ! 雅人も昭二も、今まで、んな険悪ムードじゃなかったじゃん。なんかワケでもあんの? オレたち、チームメイトなんだからさ」
「別に、なんにも」
川野のクールな物言いが、よけいにカチンとくる。
「理由なんかねえ。こいつが、筋の通らないことを」
「あ~っ、もう。雅人、落ち着きなよ。カッとなっちゃったらダメだよ。そうなった方が負け。冷静になんなきゃ、ねっ。どうどう」
充は、おれの胸板をぽんぽんと叩いた。
暴れ馬じゃあるまいし。
宮倉宗一はおれと川野を見やって、
「事情はよくわからんが、川野と山本、お互いに、心当たりあるんじゃないか。そいつを先に解決しておかないと、リレーなんて無理だぜ」
そのころになると、教室に残っていたクラスメイトたちも、リレーのメンバーに何か起こったらしいと気づいたようだ。遠巻きにして、おれたちを見ている。
「……わけなら、ある」
ちらちらと、教室の端にいる杏子の姿を気にしながら、川野は言った。
「俺は、伊藤杏子さんが好きだ」
キャ──ッ!!
その途端、女子たちが色めき立った。
「ちょっと、川野くんたら、なんて大胆な告白なの」
杏子のまわりの女子たちが、特に大騒ぎをしていたが、このときのおれには、それを気に留めるゆとりもなかった。
「なっ、な、なんだと!?」
おれの大切な……杏子を、好き……!
このニヤケ野郎が!?
目の前が真っ赤になったような気がして、目眩を感じた。
そのままでいたら、おれはどういう行動をしたか、わからない。川野の告白を引き取って、充が、こう言わなかったなら。
「なぁ~んだ、そうなんだ! バッカでー、昭二。あはは、ははははっ」
さもおかしそうに、腹を抱えて大声で笑いだす。
すると、その場の緊張が、すーっとほぐれていった。
「笑い事じゃないんだぞ」
鼻白む川野に、充はこう言った。
「だって、バカじゃん。雅人は杏子さんの兄貴なんだぜ。ってことはさ、雅人はもしかしたら昭二の未来のお兄さまになるんだから、妙に意識してつっかかったりするなんて、逆効果以外の何ものでもないだろ?」
周りからも、そうだそうだと唱和する声があがる。
すると、川野昭二はいらいらした様子で叫んだ。
「だけど、山本は伊藤さんに他の男子を寄せつけないじゃないか!」
「別に意識してなかったけどな」
黙っていられなくなって、おれも口を挟んだ。
「可愛い妹に、変な男なんか近寄らせたくねえ!」
「そいつは当然だな」
意外なことに、いつも口数の少ない宮倉宗一が、力強く賛成してくれた。
そういえば、宮倉には2つ違いの妹がいたっけ。
「……俺が悪かった、山本」
しばらくして、川野昭二はぎこちなく頭を下げた。
普段、そう簡単に謝る奴じゃない。
どうしたんだ? かえって変だと思っていたら、案の定。
緊張した面持ちで、やつは言った。
「俺、伊藤さんが本当に好きなんだ。もしよかったら! お、お付き合いしたいと思ってます!」
「なっ、なにぃーっ!」
おれの脳細胞は、パンク寸前。
川野は生意気だし女にモテて、皮肉屋だけど、決して悪い奴じゃない。
そんなのわかってる。わかってるけど賛成なんかできない! だが杏子に強制することもできない。
そんな権利は、誰にもない。
理性と、許せないという、理不尽な感情がせめぎあい、おれは何も言えずに、その場に立ちつくしていた。
窓際に立っていた杏子が、静かに近づいてきた。
「い、伊藤さん……ゴメン、俺……」
「ありがとう、川野くん」
優しい微笑みをたたえて、杏子は川野の前に立った。
「…少し、考えさせて」
「迷惑、だった?」
川野は困っていた。焦っていた。いっぱいいっぱいだった!いつも格好つけてるくせに。
とにかく奴が一生懸命だということは、おれにもわかった。
「ううん、嬉しかった。でもね、あたし、やりたいことが今いっぱいあって困ってるの。毎日、時間が足りないくらい」
杏子は極上の笑顔を、川野に向けた。
「だからね、一対一っていうより、ねえ、お友だちから始めようよ!」




