第3章 その4 誕生日はふたりで?
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いよいよ、9月9日の朝になった。
「おはよ、雅人」
洗面所で、パジャマ姿の杏子と顔を合わせると、彼女のほうから、声をかけてきた。
「あたしたち、もう16歳なんだね。なんか変。昨日までは15歳だったのにね」
照れくさそうにはにかんだ笑顔を見て……ドキッとした。
同居を始めてから何ヵ月も過ぎて、このごろでは、ひとつ屋根の下、ごく身近に女の子がいることに、少しは慣れていたのに。
昨日までは15歳。今日からは16歳。そして年々、確実に成長して、おとなになっていくのだと思ったら、急に胸の動悸が激しくなった。
どうしよう……杏子は、どんどん大人になって、キレイになってしまう。
それでも紛れもなく彼女は妹(姉?)なんだ!
そう思うとき、感じる、この胸の苦しさは……
いったい、なんだろう?
「雅人、今夜のこと、みんなに声かけた? どうせなら人数多いのも楽しいよね」
明るく笑う、杏子の笑顔に見とれていると、
……ふたりきりでも、いいのに……
おれの中で、どうにもおさまりのつかない、理屈に合わない声が誘う。
「どうかしたの、雅人? コワイ顔してる」
「ん、いや、数学の宿題、授業中あてられたらどうしようと思ってさ」
ふとした拍子に、おれは思い出してしまうのだ。風呂場からバスタオル一枚で、杏子が飛び出してきたときのことを。
そして、頭を振って、その幻を追い出す。
杏子は、おれの妹なんだから。
*
さて、今夜は家に何人の友達がきてくれるんだろう?
確かめようと思って、かねてから誘っていた奴らに声をかけてみた。
ところが……。
「よう、森太郎。前から誘ってただろ、今夜、来れるか?」
「あっゴメン! 悪いけど、抜けられない用事ができちゃったんだ。また次の機会にお邪魔するよ」
名越森太郎は、気のせいか目を合わせないようにして、急ぎ足で立ち去った。
おかしなことに、声をかけた全員から、用事があると言って断られてしまった。
妙だな……なんか、あいつら最近、付き合い悪いような気がする。
杏子に確認したら、同じ状況だった。来てくれると約束したのは充と並河香織だけで、後はみんな都合が悪いという。
「あ~あ、がっかりだわ」
「用事があるんじゃ、しょうがないだろ」
「だって、寂しいじゃない」
友達にみんな断られたと、杏子は肩を落とす。
「気を落とすなよ、おれがいるだろ?」
「雅人はいいの! いつだってウチにいるんだもん。友達をおもてなししたかったのよ。少しは料理が作れるようになったんだもの。……でも、ま、いっか。香織と充くんに食べてもらお!」
断った奴ら、杏子の料理に怖じ気づいてるんじゃないだろうな……?
帰る足取りは重かった。
せっかく、年に一度の誕生日なのに、家に帰ったって誰もいない。
他に誰がいなくとも『きょうだい』ふたりがいるんだし、充と並河は来てくれるんだから、それでいいはずなのに……でも、やっぱり、少し寂しい。
知らず知らず、下を向いて歩いていたらしい。ふいに、杏子がおれに寄りかかってきた。おれの右腕にすがって、ニコッと笑う。
「早くおうちに帰ろ、雅人! 香織たちが来るから、買い出しに行かなくちゃ」
ああ、いかん。心配させるほど、暗い顔になってたかな?
「そうだな。早く帰ろう」
以前に比べると、日が暮れるのが早くなった。夏の名残りが感じられる町並みの間を、寄り添うように歩いた。
家に帰り、鍵を回して、玄関の扉を開けた、その途端!
目の前がパッと明るくなり、
パン! パーン!
クラッカーが一発、二発、つづけざまに炸裂し、おびただしい紙吹雪と細い紙テープが頭上に降り注いだ。
「これって、」
「なに……?」
茫然とするおれたちの前に、充と並河が登場。
「ハッピーバースデー、山本雅人くん、伊藤杏子さん」
ふたりの他には、秋津直子や名越森太郎、クラス委員の上村洋子、同じ班の奴らなど、10人近くの顔ぶれが揃っていた。
「雅ちゃん、16歳、おめでとう!」
赤いバラの花束を差し出したのは、葉月姉だった。
バラはちょうど16本あった。
「葉月姉……!? なんで、ここに?」
大学の近くにアパートを借りてるはずの、葉月姉まで、どうしてここに?
「サプライズ・パーティーよ。ご感想はいかが? こっそり準備しておいて、驚かせるの。わたし、夏休みで実家に帰ってきてたときに、みっちゃん(充のことだ)に出会って、ふたりがささいなことでケンカしちゃってるって聞いてね。仲直りにパーティーをやろうって、密かに計画を練ってたのよ。ねぇっ、驚いた!?」
……なるほど、葉月姉の発案だったのか……
昔っから、人をからかうのとイタズラが大好きだったもんな~。
「ごめん、黙ってるのは心苦しかったんだけど……」
名越森太郎は済まなそうに、手を合わせた。
「驚かそうと思ってな、みんなで計画しとったんじゃ」
エプロンを着けた秋津直子が、森太郎の後を引き取った。
はて、両手にひとつずつ握っているのは、お好み焼きのコテ? お好み焼き屋に置いてあるやつより、さらに一回りも二回りも大きい。
台所の奥からは、トントンと、リズミカルな包丁の音が響いていた。
「靖子ちゃんや美穂ちゃんが、キャベツの千切りをしてくれとるんよ。今夜はウチが腕によりをかけて、自慢の岡山風お好み焼きを作ったげるけん、いっぱい食べてや」
秋津は腕まくりをして、ポーズをきめた。
「僕は自家製ヨーグルトを持ってきたよ。ヨーグルト菌と牛乳から作ってるんだ。市販のものほど長持ちしないけど、旨いんだよ」
と、森太郎。充は、
「オレは料理下手だけど、おふくろの手料理があるぜ!」
「とにかく、ふたりとも中へ入った、入った!」
みんなが、寄ってたかっておれたちを奥へ引き込む。
台所と居間は、モールや紙テープ、花束で賑やかに飾られ、模造紙を張り合わせて『誕生日おめでとう』とでかでかと書かれたものが、壁にピンで留められていた。
「よくまあ、こんなことを……黙って用意したもんだ」
嬉しいやら、呆れるやらで、言葉が出てこない。
「しばらく前から、準備してたのよ」
「だってさァ、杏子と山本クンが家族になってから、初めての誕生日じゃん。記念になること、何かしようって、うちら話し合ったんだ」
キャベツ千切り班の中野靖子と、神崎美穂が言った。
それで、充も森太郎も、最近、付き合い悪かったのか?
「ごめんね、杏子」
並河がぺこっと頭を下げた。
「わたし、杏子から預かってた、この家の合鍵、充くんに貸してあげたの。貼り紙ができそうかとか、テーブルの大きさとか調べておこうと思って」
「……えっ、それじゃ、もしかして」
「そうなの。いつだったか杏子が『空き巣が下見に来たかもしれない』って言ったのは、それだったの。ドキドキしちゃったわ。バレたらどうしようって」
確かにあのとき、充も並河も、ちょっと態度が妙だったな。
「そいじゃ、みなさん、よろしいかな? もう一度、せーの!」
充が音頭を取った。
「ふたりとも、誕生日おめでとう!」
おれたちは見事にかつがれたのだった。
嬉しい、驚きだった。
「さて、キャベツも用意できたし、お好み焼きを作るけんの!」
家から持参のカセットコンロに、ぶ厚い鉄板を乗せて、秋津がおごそかに宣言した。
「お好み焼きとひと口に言うけど、関東、関西、広島・岡山は全然、違うんじゃ! 名前は同じでも、まるきり別物じゃとウチは思う。ウチでは、お好み焼きをご飯のおかずにして食べたもんじゃ」
「関西には、お好み焼き定食があるよ」
森太郎はすごく興味深そうに、秋津の手もとを覗き込んでいる。
「まず、皮じゃ。よそは知らんけど、ウチの家は小麦粉と水、卵」
ステンレスのボウルに小麦粉を入れて水で溶き、塩をひとつまみ。卵1個。
それを溶いたタネだけを、杓子でひと掬い、鉄板に薄く丸く広げ、表面が乾かないうちに、茶色い粉状のものをふりかけた。
「これを乗せると、味がぐんと違うけん。鰹の粉じゃ」
「クレープみたい……」
食いしん坊の葉月姉はもうお皿を膝に乗せて、鉄板に目を奪われていた。
薄く広げた皮が乾いてきたころに、キャベツの千切り、トンカツに添えるような、ごく細く切ったキャベツを山ほど乗せる。それから、『つなぎ』だと言って、小麦粉の溶いたものを上から少しかけ、一番上に、薄切りの肉を広げる。
頃合いをみて、秋津は両手にコテを一本ずつ握り、『はーっ!』とばかりかけ声一発、見事に引っ繰り返す。
その瞬間、お好み焼きは宙を舞った!
「広島風のお好み焼きって、焼きそば入れるんじゃなかったっけ?」
杏子や並河、他の女子たちは、そわそわ、落ちつかない様子で見守っている。
「基本はこれじゃ。あとは卵を乗せたり、そばを入れたり」
裏側を焼いている間に、秋津は鉄板の上で目玉焼きを作りはじめた。またもう一枚のタネを広げ、これにはキャベツの千切りの上から、ざっと軽く炒めた中華そばを乗せた。
香ばしい、いい匂いが漂い始める。
裏返したお好み焼きに、ウスターソースとケチャップを混ぜたものを塗り、二つ折りにして、半月型にしたものを、予めソースを塗っておいた皿に乗せてでき上がり。
焼いておいた卵を乗せたのと、焼きそば入りは二つに折れないので、円形のまま。
「さあ、食べてな! ウチ、いつかこれ御馳走したげようと思うとったんじゃ」
杏子が最初に、秋津の力作を口に運んだ。
「……ん! 美味しい! すごく美味しいっ」
途端に顔をほころばせた杏子は、みるみるお好み焼きを平らげていった。
「よかったあ!」
ほっとしたように、秋津は腰を下ろした。
「ウチなあ、岡山で生まれて、それからけっこう、あちこち転校したんじゃ。今じゃ岡山弁もちょっと怪しくなってしもうたけど、お好み焼きの味だけは忘れられんかった。いつか、誰かに作ってあげたいって思うて。よかったわあ」
「じゃ、こんどは僕が関西風のを作るよ。おじさん家が大阪なんだ。教えて貰ったんだけど、タネに山芋のすりおろしたのを混ぜるんだって」
名越森太郎が、秋津の作ったお好み焼きの皿を抱えて、笑った。
……あれっ。
こいつら、ちょっといい雰囲気になりそう。
それにしても、モデルに引けを取らないくらい背が高くてスタイルのいい並河と、クラスでも背の低い順に数えたほうが早い充と。超・健康優良児の秋津に、細くて身体の弱そうな森太郎。人の縁って、わからないものだ。
その後は、みんながてんでに、持ち寄った料理をテーブルに出した。
洋風、和風、中華に、デザート、飲み物!
クライマックスは、バースデーケーキだった。
みんなが騒いでいる最中、玄関で『すみません、ケーキ屋です』と声がした。
おれに内緒で、杏子が近所の洋菓子店にデコレーションケーキを頼んでおいたのだ。
「だって、ふたり分だし」
照れたように、杏子は顔を赤くして、言い訳する。
山ほどあった食べ物も、いつしか、みんなの胃袋に消えていった。
テーブルの上が片づきだすと、
「音楽、いいかな」
いつもは後ろのほうの席で、目立たなかった川野昭二が、持参のCDをプレーヤーに入れる。軽快なリズムに合わせて、愛用のドラムスティックで床を叩いた。
すぐに、足取り軽くステップを踏み始めたのは、杏子だった。
「サンバね。川野くん、ラテン系好きなの? 他のもある?」
「あるある、タンゴもチャチャ、ルンバもね。俺、昔の曲が好きでさ。今ふうのだったら、クラブ向きのもあるけど」
話が弾んでいるのを見て、おれは……なぜだか、落ちつかない気持ちになった。
運動はわりと得意だと思うけど、音楽やダンスは苦手で、やってみる前から避けていた。今でも、苦手だ。だけど、おれはじっとしていられなくなり、飛び出していた。
「どう踊るんだ?」
杏子の手を握る。
「ふふん。ニ・ガ・テなくせに」
くすっと笑って、杏子はおれの手を引いた。
上手に踊らなくてはと焦ったのがかえって災いした。ステップについていこうとして追いつけず、リズムにも乗れないで、右往左往の羽目に陥る。
「だめねえ、こうだってば、雅ちゃん」
突然、後ろから手を取られた。
おれより背が高い。葉月姉だ。
体操選手だっただけあって、音感が素晴らしい。ぐいぐい、おれをリードする。おかげで、ダンス音痴のおれも、どうにかステップが形になる。
ふと振り返ると、杏子は並河と一緒に壁際に立って、こちらを見ていた。
……え……なんで、睨むんだ、杏子?
どうして? おれのどこが悪い?
わけがわからなかった。
そんな宴もたけなわの、折りも折り。
カツン! コンコン、コンコンコンッ。
居間の窓ガラスを、はじめは遠慮がちに、やがて激しく叩く音が聞こえてきた。
「あっ、あれ、なんだ?」
川野が窓を指さす。
窓の外に、何かが、人影らしきものが立っていた。
よくよく見れば、それは……
バーバリーのコートを着た長身の中年男と、薄紫色のコートを羽織った女の人だった。
「親父!?」
「ママっ!?」
おれと杏子の叫びが、見事に重なり合った。
「なんで親父が、ここにいるんだっ!?」
「なんでママが、ここにいるのよっ!?」
「やっほー、おお、我が息子よ、娘よっ」
窓の外でひとしきり騒ぎ立てたあげくに、親父たちは中庭を回り、あらためて玄関から中に入ってきた。
「誕生日だってのに、ひとことも、なんにも言ってくれなかったじゃないか!」
親父は被っていた黒い帽子を取って、にやり、と笑った。
「おう、驚かせてやろうと思ってな! 休暇を取って帰ってきた」
「えっ……わざわざ、このために?」
杏子は驚いたようだった。
「そうよ。忙しがってばかりで、ごめんなさい。ふたりとも、誕生日おめでとう」
「杏子さん、雅人をよろしく頼みますよ」
ふたり揃って、プレゼントの大きな箱を差し出した。
……ちぇっ、やられたぜ、親父!




