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4 保護者と幼児

 そもそも、なぜ夜は消えたのか。

 愚かな魔術師が神をも恐れぬ術を放ったためだと、人々には伝承されている。


 柔らかな光りをたたえていた月が恐ろしい勢いで輝きを増し、太陽に勝るとも劣らない熱を発し、大地を焼く。

 この世の闇は瞬きする内に消え去り、大罪を犯した魔術師の肌は夜を吸って漆黒に染まった。


 人々は突然消えた安らぎの夜に均衡を失い、すさんだ心が戦乱を呼んで、戦火に大地が荒れる。

 生い茂る草木に水が不足し、冷えることのない地熱が世界を常夏に変えた。

 順応すれば生きられぬことはなかったが、命は激減し千年も経てば絶えず飢餓が生活を脅かすようになる。

 安らぎを取り戻せるのは、闇に畏敬と尊敬を抱く者。

 罪にその身を染めた生き残りの魔術師が最後に心血を注ぎ作り上げた、月の(ぎょく)を操れる『夜の娘』。

 千年の贖罪と、月の寿命。期日はもうそこまで迫っている。




「へぇー。不思議な昔話だね」


 呑気に街道を歩きながら、ヒナはディールが語る伝承に適当な相づちを打っていた。

 ずっと人里離れた小屋に隔離されていたせいで、旅で目にする全てが新鮮、全てが楽しくてしかたない彼女は、堅苦しい歴史など聞いていられない、というのが本音なのだろう。

 忙しなく視線を動かして、己の好奇心を満たすことに余念がない。


「…お前さん、前にあたしが同じ話しをしてやっただろ?」

「…そうだっけ?」


 頭を抱える魔女など、知ったことではなかった。それより気になるのは、道端に咲いている巨大な花の方だ。

 ひまわりに酷似しているくせに、茎は人の手首ほどもあるし、花弁は驚くなかれ真っ青。種に至っては食べたら死ぬのではないかと思われる紫なのだ。それで軽く3メートルは背丈があるときたら、ゲームのモンスターに見える。

 理解不能な昔話より、余程ヒナの興味をひいた。


「無知なお前にディールが親切に説明してるというのに、なんだその態度!」


 誰が選んだのやら、あまりに緊張感も責任感もない『夜の娘』にヘリオの我慢は切れたが、


「いいんですよ、殿下」


 不気味なまでに機嫌の良いディールは、無視されようがバカにされようが、無条件で親鳥を追う雛のように、彼女の無駄の多い動きに付き従っていた。

 罪人だとわからないよう頭からすっぽり外套で包んだ姿では暑かろうに、そんなことをおくびにも出さず、外界に晒されている目元もずっと細められたままで、ヒナ至上主義の男は健気極まりない。


「…なんだって、あんなのがいいんだい」


 腑に落ちないと呟いたラダーは、取り立てて美しいわけでない容姿、メリハリのない体、知性を感じられない言動、どれ一つとっても男心をくすぐるモノのないヒナをしげしげと眺めた。

 ディールの過去を考えれば、初対面から抱きついてくるほど自分に負の感情を持たない娘というのは、希有かも知れない。嬉しさのあまり、他の人間より大切にしてしまうのも頷ける。


 しかし、あれは恋する男だ。盲目的に相手を愛し甘やかし仕える、溺愛の類だ。


 何故、一日足らずのうちにあれほどヒナに入れ込めるのか、全く理解できなかった。こう言ってはなんだが、一月近く共に暮らしたラダーでさえ、彼女の他人より優れたところ、というのを見つけられずにいるのだから、ディールはどこかのネジが飛んだとしか思えない。


「アンタがこいつに、妙な術をかけたんじゃん無かろうな?」


 ヘリオが寄越した疑いの眼に、不本意だと憤慨した魔女は、道ばたに座り込んで何かを一心に観察するヒナの姿に、知らずこめかみを押さえた。


「そこまで人でなしじゃないよ」


 頼まれてもそんな悪辣なことをするモノか。

 ただでさえ、罪人の末裔と蔑まれて生きてきた彼に、更なる試練を与えようとは思わない。

 むしろ魔術を行使する彼女は、魔術者の傲りの報いを生まれながらに負う彼の幸福を、誰より願う人間だ。

 なのに…と、吐息が零れた。


「ディール!ちょっと、これ何?何?」


 他愛もない虫を手のひらに、子供の如く駆け寄るヒナにこそ、彼は己の幸せを見いだすらしい。

 あれでは救世主でなく、足手まといではないのかと疑いたくなるヒナが、大層お好きらしいのだから、世の中なにか間違っている。

 そう、ディールは間違っている。

 殿下と魔女が飛んでいってヒナから引っぺがして諭したいと、内心拳を握るほどに大間違いだ。


「ああ、グノムですよ。花につく害虫を食べてくれる良い虫です」

「嘘!ヤバげな色してるのに、いい奴なの。じゃ、戻してあげなきゃ」


 だが彼は。

 さして距離もないのに、全力で駆け戻るお馬鹿さんを眺めるのが嬉しいのだと、背中で語る。


「幼子だ、あれでは。…果てしなく馬鹿に見えるぞ」

「ああ、だがそんなのに恋してる、らしいよ。錯覚だと信じたいがね」

「そうだな。子供に恋する大人など…変態だ」

「変態でも相手は選ぶんじゃないか?人形のような美少女とか、作り物のような美少年とか、ほらいろいろあるだろ」

「確かに。しかし、あれはそういった表現とはかけ離れているな」

「平凡、凡庸、十人並み…この辺が妥当か」

「…そこに幼稚、未熟をつけると完璧だ」

「2人とも、そこまでに。でないと本気で怒りますよ?」


 ヒソヒソボソボソ。

 結構声は殺したはずなのに、耳聡く聞き止めて心臓に良くないオーラをバックにしたディールがゆっくり振り向いた。

 大人げない大人2人を見る目が、笑っていない。

 冷笑だ。剣呑だ。緊急事態だ。彼等は喉元に見えない切っ先を突きつけられた状態、とでも言おうか。


「…承知した」

「わかったよ」


 皇太子も、比類無き魔力を有すと恐れられる魔女も、彼には逆らえず大人しく口を噤むよりなかった。

 生き残りの魔術師の血は、半端ないのである。その気になれば眼差し一つで人を殺せるほどに膨大な魔力を秘めているディールは、その力のおかげで誰の庇護も必要とせず生きてこれたのだ。


「…しかし、ヒナでなくとも相手はいように」


 だが解せないと、ラダーはしつこく食い下がる。命は惜しいが、正しい道を示してやるのは先人の務めだと。


「……私を自分と同じ人間であると認める者が、彼女の他にいますか?」


 視線はヒナに据えたままのディールの声は、自嘲に満ちていた。


「今はいなくとも、その呪いが解ければいくらでもいるさ」

「救いが欲しいのは、今です。呪いが我が身を被うこの時、なんですよ。全てが許された未来ではない」

「ああ、そうだろうね。…だが、異世界から現れたヒナがお前さんに嫌悪感なく接するのは当然のことだ。あの子の当たり前をアンタが特別に感じるのは勝手だがね、恋情でなく付きまとってはならない。ヒナを母親代わりにはしないどくれ」


 思いもかけず強い調子で発せられたラダーの言葉は、意外にも少女を気遣ってのもので、ヘリオはあからさまに驚いたと魔女を見やる。


「…あたしがあの子を心配するのは当然だろ?あんた達より付き合いは長いし、そりゃあんまり出来のいい子じゃないがね、慣れない世界で必死にやってるのを見てきてるんだ」


 それは一瞬、ラダーが見せた憐れみの表情で、先刻までヒナについてあれこれ並べ立てていたとは思えないほど、彼女を案じているのがわかった。


「突然、見も知らない場所に放り出された挙げ句、自分には縁もゆかりもないことを成せといわれて、その上甘えてくる男の面倒まで見させるんじゃあんまりだからね。あの子の傍には、寄りかかるんじゃなく支えてくれる相手を置いてやりたいのさ」


 魔女はディール同様、ヒナにも幸せでいてもらいたかった。

 もう帰れないのだと知った瞬間の彼女を、覚えている。表情を消して床にくずおれた、あの顔を。

 あれ以来、口にはしないが故郷を思慕する気持ちが消えたわけではないはずだ。ただ虚勢を張り陽気に振る舞うことで誤魔化している、そう見えて仕方ない。

 だからこれ以上の負担をかけることは、ディールといえども許すわけにはいかないと、自称ヒナの親代わりであるラダーは思っていたのだ。

 しかし、覗いていた目を綺麗な三日月にしたディールは、いとも簡単に請け負った。


「私は、真綿でくるむようにヒナを大切にしますよ。甘やかして、誰からも何からも守ります」


 夢見るように謳うように、一歩間違えると危険な言動は続く。


「ふふ、腕の中で愛しんでも許される存在がいる、この幸福がわかりますか?彼女は『夜の娘』、罪人のために遣わされた少女。私が触れても良いんです。抱きしめて、外界から隔絶して…そうだ、いっそ誰の目からも隠してしまったら、危険がありません」

「待て待て待てっ」

「方向が違うだろっ」


 お前が危険だと、殿下と魔女からこちらの世界に引き戻されたのは、言うまでもない。


「それは恋愛じゃなく、偏愛、妄執の類だ。間違いなく嫌われるから、間違っても表に出すんじゃないぞ」


 絶対に人の色恋には口を出さないと決めているヘリオが、たまらず口を挟むくらいディールの目はいっていた。


「お前さんがヒナを世界中の全てより愛してるのはよーくわかった。だけど、その感情は何よりあの子を苦しめるだろうから心の奥底にしまっといとくれ」


 口を出すんじゃなかったと、げんなり項垂れるラダーも懇願する。


「そうですか?愛情表現は、加減が難しいですね」

「「どこがっ」」


 小首を傾げたディールに突っ込みが入っても仕方がなかろう。彼はずれている。1人の時間が長すぎたせいか、何かが決定的に、常識外だ。


「ねっ!あれ見たい!!」


 けれど、何も知らない無邪気なヒナは、道端の露天でなにやら見つけて不用意に彼の腕を取る。


「おいっ」

「お待ちっ」


 そうして、心配する外野などそっちのけで、2人はいそいそ手を繋いで行ってしまった。2人の世界に、消えてしまった。

 ああ、全く…。


「…忠告してやった方がいいか?それは危険人物だと」

「…聞きゃしないだろ。今んとこ、あの子にとって最も便利な男なんだから」


 彼等はただただ祈らずにおれなかった。

 どうか、ディールが犯罪者になりませんように、と。


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