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36 流れる血

「殺すな」


 不穏を纏いだした空気を切り裂いて、ヘリオの鋭い声が過激に走ろうとするセジューを止める。


「…何故?」


 目の前のゴミを掃討するのに、なんの制約があるというのか。

 真実すらわからぬくせに不確かな権力を笠に着て、ヒナを殺めろなどという不届き者を生かしておく義理はない。まして主ですらない貴様に、命じられる覚えはない。

 言外に語るセジューに答えたのは殿下ではなく、たぎる怒りを必至に理性で抑え込んでいるディールだった。


「ヒナを『夜の娘』であると認めさせるためです。人殺しを救い主だと認められるほど、人心は寛容ではありませんから」


 でなければとっくに、彼自身がこの高慢な騎士を葬っていただろう。

 強く握った拳がそれを物語っていた。


「では、どうします?まさか傷一つもつけるななどと、無茶を言わないでしょうね?」


 ぐるりと視線を回せば、取り囲んでいた騎士達の輪は確実に縮んで、一息に踏み込めばセジュー達の命を奪える位置まで近づいている。

 防戦すると言っても魔力は無限に続くわけでなく、力任せに追い込んでくるであろう兵士相手に戦闘要員がヘリオだけでは分が悪いことこの上ない。


「正当防衛くらいは、許されるさ」


 振り返りセジューを見やったヘリオは、実に人の悪い笑みを浮かべていた。

 構え直した大剣にきらりと光を反射させ、素早く踏み込んでまず一人、手前の騎士の足首を切りつけると鮮血を上げさせる。


「うがぁぁぁぁぁ!!」

「…へぇ、なかなか過激ですね」

「そうでもない。足の腱を切ると動けなくなるんで、足止めに都合がいいだけのことだ」


 飛び散った血しぶきを眺めながらそんな会話ができるのは、彼等だけだと気付いていないからヒナにとっては悲劇だ。


「………」


 衝撃映像というのは、時として目を逸らすことができないから困る。

 ラダーやディールが怪我をした時も血は見ているが、生々しいまでの争いの中、次々犠牲者が出るという状況でなかったから現在繰り広げられているのこれは地獄絵図のようで、彼女から言葉を奪った。


「では、こうすればいいわけですね?」


 セジューの掌から放たれるのは色を持たない力の刃で、真空を生み出し的確に騎士達を襲っていく。その際、甲冑に被われていない肌を切り裂き余計な血を流させるのは、故意であろう。


「ひぃぃぃっ」

「や、やめろっ!」

「おや、すみません。余計なところまで傷つけてしまいましたね」


 申し訳なさそうな顔を作って謝罪して見せても、口元が笑っていたんでは丸わかりだ。白々しすぎる。

 吐き気を催す光景の製造には、もちろんディールも荷担していた。


「ふん、罪人め。貴様もこの機に乗じて葬ってしまいたいところだがが、夜を取り戻すために必要な存在とあればそうもいかんところが歯がゆいな。まあいい。命さえあればいいのなら、いたぶり倒すまで」


 高飛車で鼻持ちならないヒデルは、身の程知らずにも地上一、二を争う危険人物に喧嘩をふっかけ…あまつさえ勝てる気満々でいるらしい。

 五月蠅いくらいに装飾の施された剣の柄を器用に回して、悠然とたたずむディールに突きつけると鼻で嗤うおまけまでつけるとは。


「私は民の代弁者だ。恨むなよ!」


 ご大層なセリフと共に振り下ろされた切っ先は、当然ディールまで届くことはなかった。

 低く詠唱された呪文に喚ばれ、彼の掌から這いだした闇色の帯が、馬上のヒデルを幾重にも縛り上げてしまったのだ。


「…便利ですね、これ」


 しげしげと黒い蛇のごとき力に巻かれ藻掻き暴れる騎士を見て、関心するディールはあくまで他人事。指を握ったり開いたりすることで魔力を締めたり緩めたり、顔まで囚われ口のきけないのをいいことにヒデルを実験体として新しい術を試している。


「最近知り合った年代物の魔女二人が、こういった変則的な術式を使うんですよ。試しに呪文を真似てみたらあっさりできてしまって、拍子抜けですけど放出系の術と違って消耗が軽くすむのがいいんですよ…って、聞いています?」


 逃げようと全力で藻掻いている人間に、その問いかけは無駄というものだ。

 すっかり独り言になってしまった説明に虚しいと吐息をこぼし、彼は一際強く掌を握り込んだ。


「私は、卑屈になることをやめたんです。なすがままに傷つけられていた、夜の罪人はもういません。ヒナを仲間を、そして私を害すというのなら、相応の報復は覚悟しておいて下さいね?」


 波が引くように消えていった闇色の帯から、白目を剥いて転がり出てきたヒデルがディールの宣言を聞いていたかどうかは疑わしい。けれど、


「ああ、忘れるところでした」


 爪先を弾いて作り出した幾筋もの風が、足首と生身の肌を深く切り裂いていく痛みで意識を取り戻したヒデルは、見下ろす罪人が零した言葉を今後、忘れることはないだろう。


「大切な彼女を護るためなら、私は月を落としますよ」


 至極真面目にそう言いきった表情に、恐怖が背中を舐め上げたから。


「き…気持ち悪い…」


 自分が怪我をしたわけではないけれど、他人の傷というのは見てしまうとこちらまで痛くなるということがある。

 ほんの数分で周囲をそんなけが人に埋め尽くされてしまったヒナは、ラダーの肩に縋って同調してしまった痛みと貧血に耐えることを余儀なくされていた。


「だらしないねぇ。しっかりおし」


 青い顔をしている少女の背をさすってやりながら、魔女がくれる叱責はなんの役にも立たない。


「そんなこと言ったって…」


 血の臭いがむせるほど濃いのだ。痛みに転げ回る姿が痛々しいし、逆にピクリとも動かない人間には死んでるんじゃないのかと戦くし、なのに男三人と来たら普通の顔をしてそんな人達を見下ろし、笑ってさえもいる。

 なんと言おうか、普通じゃないことが普通でヒナにはついていけないのだ。

 凄惨な光景も血の気を引かせる原因だけれど、悲鳴を上げているのは神経だ。


「怪我とかさせたらお巡りさんで、正当防衛が過剰防衛だったら有罪なワケじゃない?痛いじゃん、血が出てるじゃん、有り得ないじゃん!笑ってるとか、変でしょ?自分がされてやな事は、人にもしちゃダメっしょ??」


 掴みかからんばかりにラダーを問いつめて、答えが出るなどとヒナ自身も思ってはない。

けれど、なんとなく、十八年間培ってきた常識とか良心とか善悪とか、全てを否定されているようで落ち着かなかった。

 いい加減、この世界になれなければならないと思うのだが、こうも衝撃的な光景を目にしてしまうとパニックを起こしてしまう。


「あ~わかったから、深呼吸でもして」


 本当は少しもわかっていないが、ぽんぽん背を叩いて目配せで保護者を呼んだラダーは、ともかく蝉のように張り付いたヒナを引き離すと視線を合わせる。


「いいかい、誰も死んでないんだから、大丈夫だから」


 大怪我ではあるけれど、死人はないんだと繰り返し繰り返し諭されて、少女は少し平静を取り戻して。


「どうしました、ヒナ?」


 背後から近づいたディールに抱きしめられてようやく、人心地つく。

 目に見えるほとんどが、血色に染まっていることに変わりはないけれど。


「…ディール…」


 包んでくれた人は温かくて。


「はい。…怪我は、ありませんね?」


 優しい彼等は皆、ヒナを護るために戦ってくれたのだと、思い出したから。


「ないよ。ディールこそ、平気?」


 振り返って頬に触れ、あちこち確かめても傷は見つからない。


「ヘリオもセジューも、大丈夫?」


 近づいてくる二人も微笑んで無傷を教えてくれる。

 冷静になれば、三十騎近くに囲まれて、かすり傷ひとつなくいられることが、どれほど大変なことか理解できた。

 あまりにあっけなく、絶対的な力量の違いがあったからこそこうしていられるが、ヒデルが自信満々で彼等を殺すの捕らえるのと言えたのも当然なのだ。

 多勢に無勢で喧嘩して負けると思う人間が、どれほどいるというのだろう。

 まして彼は、本気になったディールとセジューの力を知らなかったのだ。


「あたし…死にたくないし、痛いのもいやなんだよね。人を傷つけたり殺したりするのも嫌だけど、やっぱり自分の命の方が大事で…あの人達には悪いと思うけど、みんな無事で良かったとも思うんだ」


 いつだったか、ディールに言われたことがある。やらなければやられるのだと。

 あの時、納得できなかった事実が今ならあっさり飲み込めた。どれほど偽善的なことを言っても、ヒナは聖人ではなく生きることに貪欲な人間に過ぎない。

 初対面の人間を助けて自分が死ぬハメに陥るのは、ごめんだ。


「ごめんね、世界を救うはずの『夜の娘』がこんなので」


 命汚い凡人ですいません。

 なんとも情けない気分でヒナは謝ったのに、見渡した四人とも微笑んで首を振る。


「お前は神じゃない。生きたいと戦って何が悪い」


 それは、人が生物である以上、当然の本能だとヘリオが微笑んだ。


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