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30 代償

 豪奢な華と、小さな欠片と、交互に見やってヒナは首を傾げた。

 思うだけで術は発動するとアリアンサに教えられたが、先ほどからそうしているにもかかわらずどちらにも何の変化もない。

 ヘリオからはあからさまにバカにされるし、ラダーからは醒めた眼差しを向けられるし、ディールには生温い目で見られるし、現状、針のむしろである。


「えーと、取りあえず…セジューになぁれっ…とか?」


 口調は冗談だが、心持ちは至って真剣、ヒナは本気そのもので言ったのに、周囲の落胆は広がるばかりだった。

 それも口には出さず態度でやんわりチクチクやってくるのだから、皆性格が悪いとヒナが胸の内で悪態をついても致し方のないこと。


「お前、白昼夢でも見たんじゃないのか?その絵も自分で描いたとか」


 そんな彼女の声なき声が聞こえたのか、やっと口を開いたヘリオは、喋っても性格が悪かった。まるで小学生の低俗な苛めのように、嘲る。


「バカなことお言いでないよ。この花は本物だ。ちゃんと魔力が宿ってる。ただし、魔術というものはそれ相応の修練を積まなければ使えないというだけのこと。だからヒナ、あたしと一緒に術について勉強…」

「しなくていいですよ。そもそも、あんな男を助けようとしなければあなたはどんな面倒事にも関わる必要がないんです。ですからほら、そんなもの捨てておしまいなさい」

「すすす、捨てない!やだ、離してよディール!」


 勝手なことばかり言う外野は、ヒナの意思など無視してとうとうセジューの欠片を取り上げようとまで動き出した。

 と言ってもそんなことをするのはディールだけで、残り二人は傍観者を決め込んでいただけだが、助けてくれないのなら彼女にとって敵も同然だった。

 ヒナはセジューの再生を、真剣に、何より強く願っているのだ。

 人と同じ心を持ちながら、体が作り物だというだけで、歪んでしまった可哀相な彼を救いたい。今度こそ誰憚る事無い人間として、幸せになって欲しい。

 だから、心配してくれているディールには悪いが、ヒナはなんとしても術を発動させるつもりだった。


「だって…セジューは人間だもん…」


 ぎゅっと握り込んだ小さな欠片がヒナを励ますようにピクリと震えて、強き願いに呼応する。

 それこそが、力。

 発動の切っ掛けであったと教えてくれたのは、熱を発しゆっくり色を変えてゆくビエングローザの大輪だ。


「うっ、あっつい!痛いっ!!」

「ヒナっ!!」


 激しく手を振り苦痛から逃れようと藻掻く少女を抱き留めてディールは、肌を焼き赤光を撒きながら深紅に輝く花を見た。

 花芯からゾロリと這い出るのは、一本、また一本と伸びる緋色の蔓で、小枝ほどの太さだったそれは瞬く間に数を増し、丸太のようになると渦巻きうねり、とぐろの中心からノロノロと何物かを造形し立ち上げてゆく。


「いたーいっ!痛いってば、なんなの!!」

「ヒナ、落ち着いて。大丈夫ですから」


 宥め暴れる体を押さえつけるディールは、発動したこの術が既に止められないと知っていて眉根を寄せた。

 おかしい、これほどの痛みを伴うはずはないと。

 それはラダーも同様で、


「殿下、ぼさっと突っ立てないであんたもヒナを押さえるんだ。無駄な体力使うと、あの子の回復に余計な時間がかかる」


 呆けていたヘリオに命じると、次第に悲鳴じみた叫びを上げ始める少女から無遠慮に吹き出す力にギリリと唇を噛んだ。

 秘法と呼ばれる術を使う者達は、それらを後進に伝える時、三つの選択からひとつを選ぶ。


 じっくり時間をかけ修行を重ねさせて慎重に正確に渡すのか、魔力の製法と呪文だけを与え完成は本人の鍛錬に委ねるのか、または…印を刻むことで魔力の性質、成り立ち、呪文を秘し宿主の力を強制的に引き出すことで発動させるのか。


 この世界の人間ですらないヒナに、短期間で最高、最大の魔術を渡すとなれば自ずから方法は決まってくる。本来であればまず宿主が持つ魔力が問題となるこのやり方も、アリアンサ本人が少女を依り代にしているくらいだから障害はなかったのであろう。

 それでも魔術師でもない者が印に頼ることは、著しく体に負担をかける。大きな力を振るおうとすれば代償も比例し、時には数日昏睡状態となることも珍しくはないのだ。


 人間の肉体を創造する術を貰ったとヒナが笑った時、ラダーもディールも彼女がそれを使えばどうなるのかある程度の予想はしていた。四日か五日、下手をすれば十日も目覚めぬかもしれない。この世の理に挑戦状を叩き付けるような魔術だ、通常の二倍は反動があることを覚悟していた。

 だが、まさか発動中に人事不省になるほどの激痛が襲うなど想像すらせず、またそんな前例があると聞いたこともない。

 だから、彼女が術を使うのを静観してしまった。それどころか、知的好奇心から古代の最高魔術が見られると喜んですらいた。

 人外の力を行使する身なれば、誰より先に危険性を予見し制止する側でなければラダーはならなかったのに。


「痛い…寒い、よぅ…」


 蒼白な顔をして小刻みに全身を震わせるヒナは、すでに半分意識を失っているように見える。

 僅か前まで男二人がかりで押さえつけねばならぬほど暴れていたというのに、もうディールにしがみつくことで精一杯のようだった。


「…なんだって、こんなひどい…」


 ぐったりした少女は、刻一刻と体力を削られてゆくというのに、皮肉なことに彼女が紡ぐ魔法は確実に人間を、セジューを作り上げていく。


「ヒナの血を、使っているからですよ。この術は我々の常識を凌駕する法で成されている。…ご覧なさい」


 嘆き悔やむラダーとは違い、ディールは冷静に状況を判断していた。何故、ヒナがこれほど苦しむのか、理由はなんなのか、見つめて考えて、案外答えは簡単に出たのだ。

 手の甲を通して伸びる蔓が赤いのは少女の体から血液を吸い上げているからで、それを媒体に風を巻き込み土を喰らい、グロテスクなまでにゆっくりと人が生成されている。

 始めに現れたのはまばゆいまでに白い骨、ついで赤黒い内蔵が目玉が宙に浮きながら形を成す。


「気味が悪いな…魔法とは呪文ひとつですぐに結果を出すものじゃなかったか?わざわざ課程を見せる必要はないだろう」


 人を斬り慣れているヘリオでさえ眉をひそめる光景に、ディールは小さく首を振った。


「一瞬で完成させることができるほど単純な術ではない、ということですよ。人を作るとは、それほど易いわけはありませんから」


 そして、見返りもまた。

 苦悶を滲ませヒナを見やったディールは、汗で張り付いた髪を少女の額からそっと除け、己の無力に唇を噛む。

 (おこり)のように体を震わせるほどヒナの血が急激に失われることも、限界を超えた魔力を絞り出されることで悲鳴を上げた体が激痛に苛まれることも、彼は止めることができない。

 いっそ消えてしまえばいいとさえ思える男の体を再生するため彼女が骨身を削るのを、指をくわえてみているよりできないとは。


「寒い…」


 掠れ声で呟いたヒナに、もう生気は残っていないのではなかろうか?

 色を失った頬も、口付けた指先も氷のように冷えて、紙のように白い。

 なのに彼女の命を吸い上げた作品は赤黒い肉の上に白磁の肌を掃き、生き生きと人としての色を宿していくのだ。


「ヒナ、ヒナ…」


 かき抱いた少女にせめてもの温もりを移したいのに、吐息さえも凍るように冷たくて、悔しくて。ディールは無意識に伸ばした指で禍々しく色を変えた狂気の花から伸びる蔓を手繰ると、力任せに引き寄せた。


「ディールっ」


 グラリと揺れたセジューになってゆくもの(・・・・・・・) にヘリオが上げる声も聞かず、たわむことも切れる気配もない蔓をもう一度、強く引く。


「おやめ、ディールっ!無理にこれを傷つけでもしたら、ヒナだってどうなるか…」

「もう、おかしくなっているではありませんか」


 腸詰めのように奇妙な感触を持つこれが、際限なく彼女の命を削るから。

 言外に告げると虚のような海色の瞳を深くして、ディールは恭しく凍えた唇に口付ける。固く閉じられしまった瞼にも、頬にも、首筋にも。


「どこもかしこも冷たい。触れても触れても、ヒナは指一本動かしてはくれない」


 つっと彼が零した涙が、合図だったのか。

 ぐるりとセジューの足下を覆っていた蔓が急激にしぼみ、巻き付いたのと反対の課程を辿って糸ほどの太さになった後、深紅の花心を通りヒナの内へ消える。

 そんな一瞬の出来事を呆然と見送っていたヘリオとラダーは、崩れ落ちた空っぽの体が倒れる音で正気に返り、慌てて少女の安全を確認しようと振り返った。


「ヒナ…?」


 呼びかけに、返る声はない。力の抜けた体が、抱きしめるディールの腕から零れて、不吉な気配を放つだけだ。


「…息はしているんだろ…?」


 呼吸をするたび上下するはずの肩が揺れることもないから、魔女は恐る恐る確かめた。

 刻んだ印を発動させて、死んだはずの宿主などいないと、己を落ち着かせながら。

 だが、ディールは微かに首を振るのだ。ヒナを強く抱き、ハラハラと涙を落ちるに任せて。


「……いいえ…」


 小さな、囁くような返答だったのに、二人にはやけに大きく聞こえた。

 枯れた木々を渡り、乾いた大地を伝って辺り一帯に届き、耳に木霊して頭の芯を痺れさせる。

 誰も動けない、動かない。

 そんな風だったから、ヒナの右手から滑り落ちた黒い欠片が数度弾んで器に吸い込まれた事に、誰も気づけずにいた。



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