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3 一目で執着されまして

 『夜の娘』を捜して一月も彷徨った挙句、風の噂で拾った有力な手がかりを頼りに人影すらない草原をひた歩いてきたヘリオとディールは、ようやくたどり着いた目的地をしばし呆然と見つめた。


「ここが、か?」


 人家というより納屋に近いあばら屋に、希代の魔女が住むとは到底思えない。

ヘリオがつい訝しんでも、仕方あるまい。


「間違いは無いでしょうね。言葉通りの”草原の一軒家”ですし」


 対してディールはといえば、飄々としたものだ。

 滅多に感情を露わにしない彼は、闇色の肌に心の内を隠して静かに首肯する。

 近くの、とはいっても徒歩で優に3時間はかかる街で仕入れた情報は、大ざっぱだが正確だった。

 他に建物が無いのだから、草原の中の家を探せ、は正しい。目的地はここ以外にないだろう。

 また徒労に終わらなければいいが。

 ヘリオほどのこの世の終わりにも、『夜の娘』にも興味のないディールは、ただ只管にこれまでの苦労が無駄にならないことを祈っていた。


 不思議な力を持つ娘を知らないかと尋ねて回っていた彼らに、境界の魔女が最近共に暮らしている若い娘が、おもしろいことを言うと教えてくれたのは行商の男だった。

 彼女は『眩しい月なんておかしい。夜は暗いものだ』と彼にこぼしたのだと言う。

 闇を失って千年を数えようと言うのに、知った風な口をきく娘だと男達は笑っていた。妖怪変化でもあるまいに、遙か昔に消えた夜をまるで知っているかのようだったと。


 だが、彼等が捜しているのは正にその妖怪変化。この世の誰もが忘れてしまった夜を記憶する、唯一の存在。

 すぐさま変人だと有名な境界の魔女の元を訪ねたのだが、この小屋に住んでいるのかどうか、どうにも心もとない。


「ともかく、会ってみませんと」


 本物であれ偽物であれ、全てはそれからだとディールに促されたヘリオは、乱暴に頭を掻くと諦めの溜息と共に頷いた。


「そうだな。空振りでも、次がある」


 声音が慰めの響きを持つのに薄く微笑み、罪人は古い木戸をゆっくりノックする。

 もとより大した期待はしていないと思っていたはずなのに、その拳に妙に力が入っていたことに驚きながら。


「はい、はーい!」


 元気な返事がして、程なく開いた扉から顔を覗かせたのは、若い、どこか異国風の容貌をした娘だった。

 彼女は警戒心の欠片もなく扉を全開にした後、2人の姿に目を留めると一瞬で笑顔を凍り付かせる。

 金髪の皇太子からゆっくり移動した瞳が、漆黒のディールの肌で見開かれる様は、彼等にとって見馴れた光景だ。 次には恐怖と驚愕で息を飲み、ひどい場合には悲鳴が上がる。

 罪人がいる。我らを苦しめる元凶がいる、と。


「いやーん!黒!夜の色!!」


 しかして、彼女が上げた悲鳴は予想していたものでなどなく。

 歓喜に彩られ、大げさなほどの抱擁までつけて、彼等の予想を裏切っていた。

 

「え…?」


 狼狽えたのは、遠慮会釈無く抱きつかれたディールと、事の成り行きを見守っていたヘリオだ。

 胸の辺りに張り付いた小さな体をどうしていいのかわからず両手を挙げた彼は、彼女に自ら触れぬよう細心の注意をはらいながらヘリオに視線で助けを求める。

 禁忌の存在との接触を、人々は本能で嫌悪するもの。視線を合わせる者も、まして触れる者などありはしない。

 物心つくころには既に、これらの事実を身を以て知っていたディールは、現状に言い表せないほど混乱していた。

 きちんと自分を認識していたのに、何故この少女は平気で接触してくるのであろうと。

 当然それは助けを求められたヘリオも一緒で、理解の範疇外の光景に為す術なく立ち尽くすしかない。


「ここに来てから、ろくに見てないんだよね、黒。木陰とか日は遮れてもやっぱ明るいし、地下とかないから真っ暗とか有り得ないし。絵の具やインクの黒はどことなく、夜とは違う色でしょ?明るくて眠れない時も、夜色見たら眠れるんじゃないかなぁとか考えたんだけど、中々近い色がなくてねぇ…ん?地下がないなら作ればいいじゃない?そんでそこに住めば暗い中で眠れるんじゃない?」


 人の胸に張り付いたまま、独り言とも説明ともつかない言葉を零していた娘は、思いついた己の名案に顔を輝かせてディールを見上げてきた。

 黒目がちなその瞳が再び真正面から夜を纏った男を捕らえたというのに、彼女はどんな些細な変化も見せず自分の問いに対する答えをじっと待っている。

 だが、未だこの不思議な娘の行動を理解できない男達は、上手い言葉も見つけられずに黙りを決め込んでいた。


「ねね、そう思うでしょ?あ、それとも、この世界には夜だけじゃなく地下もないの?地下室作って住もうとか言う発想自体が、ない?」


 しびれを切らした少女が矢継ぎ早に質問を投げつけてやっと、ディールの重い口が開く。


「あー…その、地下があるような大がかりな建物は、建築に値が張ります。それに、いつ賊に襲われるか他国に侵略されるかわからない現状で、外界から隔絶された空間に身を置くのはお薦めできません」


 目を白黒させるほどの混乱状態ではあるが、長年培った鉄壁の精神力が彼に妥当な答えを探させ、落ち着いた声音で淡々と事実だけの返答を紡がせる。

 だが一つ、いつもと違うことがあった。それは滅多に見せることのない微笑みで、柔らかにその端正な表情を綻ばせたことだ。

 それほどに、彼には彼女の体温が嬉しかったのだ。棘のない言葉が、嬉しかったのだ。これが、他人(ひと)の温もりなのかと、胸が震えるほどに。


「ぞ、く?賊って、あの、山賊とか海賊とか盗賊とか?うっそ、ここそんな治安が悪いわけ?他国の侵略って、戦争中?」


 そして、自分の質問に丁寧に答えて貰ったことで調子に乗った少女は、更に畳み掛けた。

 ディールの心の内など気にも留めず、彼のむき出しの腕に指先を乗せて。


「いえ、幸いなことに現在帝国は、いずれともと事を構えてはおりません。過去には大きな戦も何度かありましたが、今は平和そのものですよ。しかし、最近の食糧不足や民の焦りを考慮すれば、いつ何が起こってもおかしくはありませんがね。それより、その ……貴女は私に触れることに嫌悪なさらないんですか?この穢れた肌を見ても、憎しみを抱かないとおっしゃる?」


 夢ではないのかと、不幸慣れしたディールは落ち着かない様子で彼女の細い指先を見やった。長衣からのぞく漆黒に、躊躇いなく触れるその手を。

そして、少女はその不安を見開いた瞳で受け止め、ほんの僅か考えを巡らせて発した言葉は。


「”けがれた”って、これ、汚れ?別に臭わないから、違うでしょ?それともわざわざ黒く塗ってんの?」


 至極、的はずれな疑問。両手に彼の腕を取って、匂いをかいだり擦ってみたり、だが表情を見ればからかっているわけではなく、真剣なのだ。


「あ、の?」

「おい?」


 初めて出会う反応に、彼等がもうどう対応したらいいかさえわからなくなったところで、救いの手は伸べられる。


「はい、そこまで」


 ひょいっと伸びてきた掌に襟首を持たれた少女が、おかしな声を発しながらディールから引きはがされたのだ。

 事をなしたのは苦笑いを浮かべた四十絡みの女で、燃える巻き毛に背を覆わせ、全身黒ずくめという、いかにも・・・・な風体をしていた。


「長旅ご苦労だったね。あたしがここの主、ラダー」


 そう、いかにも魔女。彼女こそが探していた境界の魔女だろう。


「そして、これがヒナ。お前さん方がお探しの『夜の娘』だ」


 ああ、やはり。

 二人がこんな風に納得したのは、この世の誰にも有り得ない反応を、目の当たりにしたからに他ならない。

 それはきっと、目の前で人の悪い笑みを浮かべている魔女の思惑通りに、事が動いた証拠なのだろう。


「論より証拠。話しが早くて良いね…」


 楽しげに踊る微かな呟き声に、答えはあった。




 粗末なテーブルに饗された申し訳程度に香りを付けたハーブティで、多少の落ち着きを取り戻したヘリオとディールは、長らく探し求めた存在を前に全く真逆の感情を抱いていた。


「もう少し、気品とか美貌とか知性とか、副産物はつけられなかったのか…?これでは、ただの子供だ。帝都に連れ帰っても、ジジイ共に『夜の娘』だと納得させる間に、月が燃え尽きるぞ」

「彼女こそ『夜の娘』です。ええ、間違うものですか。私に躊躇いなく触れる人などただ1人。これほど私を幸せな気持ちにしてくれるのも、ヒナ1人だけです」


 彼女が本物であることを疑ってはいないが、立場上認めたくない(神秘性云々など大人の事情で)ヘリオと、反論する相手を抹殺しかねないほど幸福に酔っているディールと。

 狭間でお茶を啜るヒナ本人は、どちらの反応も当然だろうと妙に冷静に2人を観察していた。

 先見さきみをすると水盤を覗き込んだラダーから、彼等が何れここに現れるであろう事は、自分が背負わされた運命と共に聞いていた。


『夜を知るあんたは、夜を取り戻せる唯一の存在、希望だ』


 バカげていると、笑い飛ばせたらどんなに良かったか。月が燃えさかるのを止める力を、一介の女子高生であるヒナが持つはずないと、言い切ってしまえれば。

 けれど、切なる願いを彼女に託すラダーを、無碍にすることはできなかった。月の罪人を連れた帝国の皇太子が、ヒナを迎えに来ると言われても、曖昧に頷くしか。


(あたし、なんにもできないんだけどな…)


 毎日、かまどに火をおこすことさえ苦労する彼女は、ラダーと暮らした一月で己の無能さにほとほと嫌気がさしていた。

 文明の利器に頼りきりだったせいで、水道もガスも電気もない生活では食事を作ることさえままならない。

 かといってラダーが教えてくれる魔法が使えるわけでもなく、異世界に来たからといって突然超能力者になったわけでもない。

 元から並だった容姿がこちらの感覚では美人に見えるという奇跡も起こらず、学校で学んだ科学知識程度では未知の事柄を知る天才に列せられることもないヒナは、あまりに凡人だった。

 この点に於いて、皇太子が零した愚痴には全面的に同意する。彼女自身、選ばれた人間には特別な何かを求めてしまうのだから、なんの取り柄もないヒナが『夜の娘』ではたまったものではないだろう。


(気の毒に…)


 この先の苦労を見据えて溜息混じりに嘆く殿下に、いたく同情する。

 そして、ラダーの話しによれば千年前の責任を未だ一心に受ける”罪人”と呼ばれる人物は、ひどく不幸なのだという。

 幼い頃から忌み嫌われ、誰からも触れられることなく育ったという彼は、夜を宿した肌で罪を人々に知らしめ、憎悪をだけ与えられてきた。だから、人の温もりに飢えている。

 だが、扉を開け放って立ちつくす彼を見た時、ヒナの中からそんな予備知識は綺麗さっぱり消え失せていた。

 黒曜石のように深い夜色が懐かしくて、うっかり抱きついてしまった彼女は、ハタと浮かんだ疑問についつい彼を引っ張り込んで、気がついた時にはドツボ。

 穢れているとの表現を取り違え、ラダーに耳打ちして貰ってやっと、己の間違いに気付いた時には、さすがに顔から火が出そうだった。


(そりゃ、生まれて初めてべたべた触られたら、感動しちゃうよね。遠慮なく抱きついちゃったし…)


 幸せいっぱいで微笑みを向けてくる彼に、目を合わせられない。

 そこで、三者三様の思惑をもって、沈んだり浮かんだり忙しい若者を纏めるのは、年嵩の者の責務となる。


「まあ、それぞれ考えるところはあるだろうが、言動、状況、どれをとってもヒナが『夜の娘』であることは間違いがない。ここはいいね?」


 ゆるりと一同を見回した視線に、否はなかった。誰もがラダーに同意する。


「時間がない。では、一刻も早く帝都に向けて発つとしようか」


 やれやれと魔女が重い腰を上げた、それが長い旅の始まりだった。



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