表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/54

16 記憶の代償

 夜が明けて。

 と言っても太陽が月に名称を変えただけで、周囲の様子に変化はないのだが。

 ともかく、夜を徹して真理の追究に努めたものと、質のいい睡眠をとったものでは顔色が違う、精神状態が違う。

 ちょうど焚き火のあちらとこちら、それは良い見本のような光景だった。


「ラダー、年を考えたら完徹とかまずいんじゃない?」


 味より栄養価を重視したぱさぱさの干し肉で空腹を満たしつつ、ヒナは疲労の色濃い魔女に遅すぎる忠告を送る。


「…誰かさんと違って、世界の危機に真剣なんだよ」


 面白くもなさそうに呟いた彼女は、目に染みる朝日に顔をしかめつつ薫り高いお茶を一口啜った。


「謎を解けと言われれもねぇ…夜が消えたとされる場所は一面荒野で、落ちているのは石ころばかり。魔法陣の一つもない上、アリアンサなんて魔女の名はどの文献にも出てこない」


 ぶつぶつ低いその声は、独り言なのか答えを求めているのか判断に迷うところではあったが、ヒナが口を開くより先にヘリオがずいっと会話に割り込んだ。


「なにせ最古の書で七百年前のものだからな。三百年、伝承話となっていた期間にいったいどんな脚色が施され、どんな事実が削ぎ落とされたのか、想像もつかん」


 何故そこまでわかっていて一晩中思索しなければならなかったんだと、突っ込みかけてヒナは言葉を飲み込む。

 きっと、ラダーもヘリオも手がかり一つ無いこの問題の、取りかかりさえわからなかったに違いない。 違いないからこそまた、考え込まずにいられなかったのだろう。如何にしてアリアンサから与えられた謎をとけばいいのか、と。


(…ちょっと、かわいそうなことしちゃったかな)


 二人の目の下に浮かぶ隈に罪悪感がチリチリ刺激されたヒナは、もう意地悪はよそうとさっさとアリアンサから貰った情報を公開することに決めた。


「あのね、アリアンサがこれを辿れば過去がわかるって、手がかりをくれたんだよ」


 だから晴れやかな笑顔で、もう心配しなくていいんだよという気持ちを込めて、言葉を紡いだというのに。


「なんだって!どうしてそれを早く言わないんだい!」


 その真剣な面持ちの恐いこと恐いこと。

 鬼の形相のラダーを直視したヒナは、同じように迫ってくるヘリオにも怯えた相乗効果で、一瞬飛び上がったくらいだ。

 もちろん、直後に大変強力な人物によって保護されたのは言うまでもないが。


「お二方とも、ヒナを脅してどうします」


 表面は非常ににこやかな分、言外に伝えてくる脅しの迫力は倍増である。

 ゆるりと回した腕で少女の体を引き寄せながら、やるならお相手しますがと背後で闇色の魔力がスパークしているのだから、勢いで問いつめようと息巻いていた2人はこくりと唾を飲んで、表情を引きつらせた。


「いや、そんなつもりはなかったんだ。すまんな、一晩考えても全く手掛かりに行きつけんので、八つ当たった、うん」


 顔の前で激しく手をはためかせながら苦し紛れに絞り出すヘリオの言い訳は、本来は必要ないものである。

 贔屓目に見ても、一時の子供っぽい感情から真実を隠したヒナが悪い。責められて当然だ。

 だが、わかっていても本能で彼女を庇うディールを止める手立ては皆無であるから困る。


「あ、あのね!」


 もちろん原因たるヒナもそこはわかっていて、すっかり殺伐としてしまった場の空気をなんとかしようと大きな背の陰から声を上げた。

 もとよりいつまでも隠しておくことではないし、このヒント、ラダー以外に教えても意味はないとアリアンサに聞いていたからさっさと伝えてしまうのが良いと判断したのだ。

 ディールの腕から這い出たヒナは、慌てて魔女に駆け寄ると耳元に唇を寄せて、零さず言葉を注ぎ込む。


「ディング・バダ・ブラウ」


 この意味のない文字の配列を覚えるのは、対して良くない自分の頭では結構大変だった。なにせアリアンサは一回しか言ってくれなかったのだから。


(どうか、間違っていませんように)


 祈るように一字一字を発音した彼女は、事の成果を確かめようと身を引いてラダーの様子を窺う。

 ヒナの拙い想像では、この一言で簡単に謎は解け、溢れんばかりの情報が公開される、はずだ。

 皆の用意は整っている、さあ、重要な発表をどうぞ。

 微笑んで得意気に言おうとした彼女は、次の瞬間凍り付いて悲鳴を上げながらラダーに飛びつく。隣で様子を窺っていたヘリオも、対岸から成り行きを見守っていたディールも、風のようにラダーを取り囲みその決して大きくない体を押さえ込んだ。


「ぐっ、ああああ、あぁ!!」


 唸りに近い声を上げ、どんな障害物も気にせず転げ回ろうとする魔女を、三人で必死に一所へ縫い止める。

 苦悶の表情のまま、やたら目ったら振り回される腕に何度も叩かれて、それでもヒナは回した腕を決して離さなかった。

 こんな風にしてしまった責任は、自分にある。あの言葉は、一体なにを意味していたのだろう。

 意識がすれ違う瞬間、


『大切な言葉よ、忘れないでね』


 と微笑んだアリアンサはこんな事になるなんて教えてくれなかった。

 ただ、あなた達を助ける情報になると、微笑んでいたのに。


「ごめん、ごめんね、ラダー。痛い?苦しいの?」


 ヒナは流れそうになる涙を必死に堪えて、強くラダーを抱きしめ続けた。ディールもヘリオも、おおよそ女性とは思えない力を発する彼女を、口々に宥めながら押さえ込んでいる。

 どれ程そうしていたのだろう。

 諫める調子のヘリオの声も、珍しく慌てた口調で喋るディールも沈黙して、辺りに静寂が戻る頃、ヒナの髪をくしゃりと撫でる優しい指があった。


「…もう、大丈夫だよ」


 疲れを滲ませているが、それは紛れもなくラダーのもので、弾かれたように顔を上げたヒナは魔女の無事を懸命に見て取ろうとした。

 少々埃で汚れた髪と、暴れたせいで頬に擦り傷が残っているが、取り立てて問題はない。目の光りも正常だ。

 どちらかといえば引っかかった爪で頬に血を滲ませたヒナの方が、怪我人といえるかもしれない。


「ラダー…ごめんなさい~」


 良かったと、心底、あの状態で彼女がどうにかなってしまわなくて良かったと、そのまま胸に顔を埋めたヒナは子供のように泣きじゃくる。

 なんでこんな事になってしまったのか、さっぱりわからない。アリアンサにいじわるでもされたのだろうか?そうだとしたらなんて質の悪い事をするのだろう。

 激しくしゃくり上げながら遅きに失した自己反省を繰り返すヒナを、ディールがそっと抱き取った。

 ラダーから引き離されるのは本意じゃないと小さく首を振る少女に微笑んで、彼は大儀そうに体を起こす魔女に視線を投げる。

 それを追ってヒナは沈黙すると、大人しく外套に涙を吸わせる為広い胸に顔を埋めた。

 自分が乗っかっていたせいで、ラダーは起きあがって体勢を整えることができなかったのだ。アレでは満足に話すこともできななかったろう。

 何しろヒナは魔女の体の上に、全体重を預けて前後無く泣いていたのだから。子供みたいに。


「やれやれ、ひどく乱暴な術をかけてくれたもんだ」


 忙しなく埃を落としながら、限界を超えて暴れた代償に痛む節々をなでさする。

 口調は投げやりなのに、その実ラダーの顔は実に晴れ晴れと嬉しそうで心配を浮かべながらいつ手を貸そうかと身構えていたヘリオなど眉を寄せたくらいだ。


「獣のごとき咆哮を上げ、意識が飛ぶほど暴れることのなにがそんなに喜ばしいと言うんだ。やっぱり、どこかおかしくしたんじゃないのか?」

「…失礼な。お前さんそんな浅慮で、よく一国の皇太子が務まるもんだね」


 辛辣とはいえ一応の気遣いをしたつもりの殿下に返されたのは、軽く数倍返しのイヤミで、いきり立って反論しようとした彼の耳には不遜な配下の押し殺した笑みまで聞こえる始末。


「…ディール」


 殺気を充分にまぶした声に、けれど反応は冷ややかだ。


「殿下、ラダーが『術』と言ったのをお聞きになったでしょ?必死に千年前への手掛かりを捜している現状で、ヒナが囁いた言葉に苦しみながら彼女が笑う理由がおわかりになりませんか?」


 言葉を切ったディールは、腕の中の少女に甘美な視線を落として首を傾げる仕草で問う。


”あなたには、わかりますね?”


 と。

 こくりと唾を飲み込んで、彼からラダーへと目をやったヒナはうっすら微笑む魔女にややおいて、破顔した。

 答えはその穏やかな顔が示している。アリアンサは、ちゃんと答えをくれたのだ。


「役に立ったんだね、あれ」


 苦しめただけかと、思っていたのに。


「ああ、どうやら長いこと、師から弟子に受け継がれた呪いを解く呪文だったようだ」


 そう言ったラダーは、こめかみの辺りをひとさすりすると、これ見よがしに盛大なため息をついてみせる。

 大げさに肩を竦めるジェスチャーまでつけて、食えない連中だと一人ごちる様子からも、彼女が膨大な情報を得た様子が見て取れ、誰もが安堵の吐息を漏らした。

 足がかりを得たと。…ただし、未だ理解できない殿下を除いてだが。

 掴んだ真実を拝聴するために、ディールが元いた場所へ戻りヒナごと腰を下ろしたのに対し、突っ立ったままのヘリオはその様子を顔を顰めて眺め降ろすだけだ。


「そうだね、どこから話そうか…」


 冷めたお茶を啜りながら、ラダーが口火を切るその瞬間まで、微動だにせず。


「ちょっと待てっ!!」


 完全に置いて行かれた、殿下だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ