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11 軟弱な娘と三人の忠臣

 泣き落とし、とまで大げさな手は使わなかったが、取り敢えず赤ん坊のように抱きかかえられて運ばれるのだけはイヤだと、ヒナが誠心誠意だだをこねたら理解は得られた。

 疲れたり限界だと感じたら、必ずディールを頼るという条件付きで。

 だから、どんなに困難でくじけそうでも決して弱音は吐かない…いや吐けないと彼女は黙って静かに体力を温存しつつ歩いていたのだが、休みなく体感で3時間は過ぎた頃、元来ひ弱で軟弱な精神が音を上げた。


「一体いつまで続くの、この道は!」


 山頂からずっと、下りっぱなしである。

 と言ってもまだ昨日の半分も歩いていないのだが、様々なことが起こり、どさくさ紛れの勢いで制覇してしまった登りと違って、平穏に単調にもくもくと足を動かすだけだとやけに時間の流れが遅く感じられるのだ。

 ついでに生まれてこの方、文明社会の恩恵に与りっぱなしのヒナには果てしない苦行であった。


 せめて景色でも楽しめたら、晴れやかな気分になることもあるだろうが、右も左も前も後ろも見渡す限り木。しかも皆一様に枯れて、そこはかとない侘びしさを漂わせている。

 それではと、眼下に荘厳な風景を期待してはいけない。終焉が近い世界だと言うだけあって、赤茶けた大地と歯抜けのようにぽつりぽつり建つ家、極少量の緑が垣間見えるだけなのだ。

 心中が荒涼としてくるではないか。


「日が傾く頃には、街につけると思うぞ」


 先頭を行くヘリオが歩みを止めることなく、さらりと恐ろしいことを言う。

 太陽を振り仰ぐ彼を真似て、天空へと視線を泳がせたヒナは涙した。


「お昼過ぎたばっかなんですけど…」


 ほんの僅か下降を始めたお日様が、地平の彼方に消え入るまで一体どれほどの時を要するのか、想像するのも辛かった。痛む節々に先は長いぞとムチを入れたとて、さして効果はあがるまい。


「お腹空いた、疲れた、足痛い、とにかく休みたい」


 移動手段は限りなく他力本願、自前の立派な足など教師からの逃走とショッピングにしか活用しない女子高生は、肉体労働に極めて不向きだ。

 加えてヒナはローファーを履いている。衣服の類はさすがに浮くのでこちらのチュニックとロングスカートを着用しているが、動物の皮をなめして縫い合わせただけのサンダルもどきはどうにも彼女の生活水準に合わなかったし、何より長旅に向いているとはお世辞にも思えなかったのだ。

履き心地が悪い、クッション性がない。

 当たり前の文句を言ってローファーで歩き出したまでは良いが、いかんせんこれだって山歩きに適しているわけがない。むしろ思いっきり不向き。

 しかして、たぶんというか間違いなくと言うか、踵にマメを製造してしまったヒナは、とにかく休んで手当の一つもしたいのが本音なのである。

 …本当は頭の傷も少々痛んだが、これは口にしたらまずいと自制するだけの理性が残っていた。


「でしたら、私が」


 すかさず攫おうとする腕からひらりと身をかわし、ぷるぷる強固に首を振った彼女は、前を行くラダーの外套を鷲づかんだ。


「怪我人に休みナシは辛いよね?休憩したいよね?」


 必死に縋る瞳に、返ったのは無情の否定と呆れ顔。


「あたしは全然大丈夫だよ。それにお前さんだって、十二分に元気じゃないか。先は長い。悠長なことは言っていられないんだからがんばんな」

「…具体的にどれくらい?何日歩けばつくの?」


 ならばせめて目標くらい教えてくれと、唇を尖らせたヒナにラダーとヘリオは盛大な溜息を送った。

当然、出発前に確認していて然るべきなのに、今更こんな事を口にする辺り、どれだけ脳天気な娘なのだろう。それに彼等が旅を始めてまだ三日だ。こんなところで音を上げていては先行き非常に不安である。


「…殿下と私の足で二十日というところですかね」


 言い辛そうに口を開いたディールが、微妙に視線を逸らしながら答えた。


「あたしなら?」

「怪我もしていますしね…後十日ほど」

「十日?!」


 つまり三十日、ほぼ一ヶ月。

 突然、ヒナは叫び出したい衝動に駆られて、ぐっと奥歯を噛みしめる。

 旅行に片道三十日、しかも全部徒歩なんて事を考える日本人がいるだろうか?ギネスに挑戦してるとか、限界を知りたいなんて優雅な理由ではなく、他に手段がないという切羽詰まった理由で、だ。

 おまけに正体不明の敵にいつ襲われるかわからないこの現状、不平不満を言う以前に理解の範疇を越えている。


「公共交通機関を期待したりはしないから、せめて魔法でひとっ飛びとか馬や馬車って発想はない?」


 少しでも楽な方に逃げてしまう現代っ子らしく、代替え案を期待してみるが安直な考えはヘリオに即刻却下された。


「一瞬で距離を超える魔術はないし、この山道をゆくのに馬車は無理だ。まして馬が入り用なら登り始める前に調達しなくては。ここまで来ておいてもう一度戻る気か?」


 ん?っと聞かれれば、当然首を振る。戻るなんて真っ平だ。ラダーもディールも、この意見に否はなさそうなので、ヒナの望みはどう足掻いても叶いそうにない。


「歩いていれば、いつかはつくわけね。はいはい…」


 横から再び伸びかけていたディールの腕をひょいっとかわして、彼女は諦めて再び歩き出した。




 時を同じくして――。

 ヘリオ等、一行の目的地で、額を寄せ合う男達がいる。

 石柱と高い天井、石造りの重厚さに祭殿特有の荘厳さを併せ持つ部屋の中央で、小さな円陣を組み淡い光を放つ月の玉を三対の目が見つめていた。


 一人は夜の神殿司祭、バルザリア。

 一人はガスパ王国将軍、ガグラム。

 一人は国選魔術師、ファーセオン。


 帝国にあって、帝王、皇太子に次ぐ地位と力を持つ彼等は、先だって神殿に入った娘の動向全てを監視し、その真贋を確かめるべく常に神経を張りつめてこの一月を過ごした。

 偽りは身の破滅を招くと知りながら、『夜の娘』を語る者などいない。だから彼女が『夜を知っている』と役所に申し出てきた時、誰も疑いを抱かなかった。


 予言通りの千年目であり、皆が救いを求めていたから。


 しかし、皇子は城を出た。聞こえよがしに『夜の娘』を偽物だと切り捨て、それに異を唱えなかった罪人を伴って真の『夜の娘』を捜す旅に。


「かの方は『夜の娘』ではあり得ません」


 目深に被ったフードの下から、老獪な瞳を光らせ司祭は首を振った。

 唯一、救い主を見極められると伝えられる罪人が目もくれなかった彼女は、日々怠惰に過ごすだけで一つの奇跡も起こさない。

 神殿を取り仕切るバルザリアは、数人の侍女に娘の様子を探らせ、自らの目で確かめもしたが深まるのは疑いばかりだった。


「で、あろうな。曇りさえも示さぬそれが、何よりの証拠」


 老司祭の節くれ立った掌の中、乳白色の光を放つ玉が揺れている。

 歴戦の勇者は日に焼けた無骨な顔に嫌悪さえ覗かせて、国の、いや世界の宝をあごでしゃくった。

 夜の記憶を刻み、闇色に変化するはずの月の玉が染み一つ写さない。いくら魔術は全くの門外漢と自負するガグラムにも、これが意味することはわかった。


「微かに魔術の匂いがします。神殿が静まる『眠りの太陽』に色濃く表れ、日の出と共に消えていく」


 柔らかな風貌に苦渋の表情を乗せた若い術師は、吐息と共に視線を落とす。

 隠されるように漂う、僅かな力の気配。『夜の娘』に万が一のことがあってはならないと、神殿近くに控える数人の魔術師には感じられなかったが、国内随一の力を誇るファーセオンを誤魔化せるものではない。

 彼女が入ってから毎日、この神殿では何らかの力が使われているのだ。

 去り際、皇太子に審判を委ねられていた三人の決を採るまでもなかった。

 偽物だ、極刑を。だが---。


「早朝、殿下から火急の知らせが届いた」


 眉をひそめたガグラムは、その名を口にすることに不快感を露わにしつつも内容を語る。


「ディールが、殿下の見つけられた娘を認めたようだ」


 その身に失われた夜を宿す憎悪の対象。しかし『夜の娘』を探し出せる只一人にもなる存在。

 視界に入れるもおぞましい男を、国家が抱え養うには理由があった。

 口伝によれば--あくまで伝承であって確たる証拠があるわけではない--忌み人は夜を知るものに惹かれるのだという。幼子が本能で母を求めるよう、『夜の娘』を慕い懐く。


 本来王家の直系に、汚れた血を持つ人間を同行させるなど許せるわけもないのだが、短期間で確実に彼女を見つけ出すには最も有効な手だと説得された。熱弁を振るう皇子を嘲笑し、あなた様ならできるであろうと嘲笑った輩もいたが、その言霊に某かの力が宿ったか。


 彼は見事、やってのけたのだ。


 幼少の砌より剣術を教授し、息子より共に過ごした時間の長い殿下が、功績を挙げたことにしばし快哉を叫んだ将軍であったが、協力者があの男であると想像するだけで眉根が寄る。

 しかしこの際委細は棚に上げ、紛い物の処遇に関する殿下の考えを伝えねばならない。2人の協力如何で、策の成否が決するのだから。


「と同時に術師から襲撃を受けている。『夜の娘』には護衛として殿下、忌み人の他に境界の魔女がついているのだが、彼女が術戦で負けたと言うのだ」

「境界の魔女が…!」

「まさか…!」


 世界に名だたる魔女が、対抗するには術師を百人集めても足りないと噂される妖女が、敗北を喫したと言うのか。

 バルザリアはともかく、同じ魔術師のファーセオンなどは顔色を失っている。


「一体相手はどれ程の力を持っていたというのです。それとも手に負えぬほど大人数を相手にしたとでも?」


 百人は誇張され過ぎだとしても、十人やそこら束になった程度で、魔女を屠れるとは思わない、いや思いたくないと、詰め寄る魔術師に将軍は伝えられた真実のみを淡々と語った。

「年端もいかぬ少女が一人で襲ってきたそうだ。狙いは『夜の娘』のみ。忌み人がそれを阻止しようと放った力で撃退はできたようだが、その後少女は忽然と姿を消し、何の情報も得ることができなかったとのこと」

「…一体誰がそんな真似を…」


 そう言ったきり考え込んだのは、ファーセオンだけではなかった。一様に口を噤み、目的が判然としない敵の存在に眉根を寄せる。

 夜を望むのは、この世界に生きる全ての生物だ。

 そこには政治的思惑も、国家間の争いも入る余地はない。命があってこそ権力にも金にも価値が出るのであって、全てが荒野に呑まれた後では無意味であるからだ。

 だからこそ、不確かな候補であっても『夜の娘』を害す者はいない。真贋を見極めるまで、容易く糾弾もできない。

 それを襲うなど。ましてや護衛に目もくれず、彼女の命だけを欲するとは。


「『夜の娘』を騙ることは、無意味。嘘はすぐばれよう」

「はい。そして殿下が見いだした娘を亡き者にしようとする行いは、逆に彼女が本物であると証明するようなもの」

「だからこそ、殿下のお考えはわかる」


 頷き合った男達は、静かな命を聞いた気がした。

 ────泳がせ、必ず糸引く人物を捕らえよ────


「やれやれ、人使いの荒いことだ」


 深く息を吐くと将軍は背を向け、のそりと広い祭殿を横切り始める。

 面倒そうな口調と裏腹に、何故かその背は厄介な命令に従うことに喜びを見いだしているようだった。


「お待ち下さい!殿下の元に応援を手配なさらないおつもりですか?」


 立ち去ろうとするガグラムに、慌てたのはファーセオンだ。

 正体不明の敵が、今後も皇太子達を襲う可能性は高い。いや、必ずまた現れるだろう。なのに時期帝王と世界の救世主の守人がたった二人では心許なさ過ぎる。

 記憶を手繰った彼は、己の手の内から救援に送れる者達を急ぎ論った。


「四人…いえ五人、国を離れても困らない術師がいます!ああ、けれど腕が悪いとかそういったわけではなくて、充分皆様のお役に立てると…」

「落ち着きなさい」

「司祭様、けれど…!」


 やんわりと肩を掴まれ、それでも勢いの収まらない魔術師に、振り返りもせず将軍は笑う。ヒラヒラと大きな手を振り、高らかに。


「余計なマネは殿下の不興を買うだけだ。実力は充分、頭の回転も良い、最強の魔女も味方にいて、不本意この上ないが忌み人も一緒と来ればワシらがなんの心配をすることがある」

「ガグラム殿の見解は、私的な意見が随分含まれているようだが、真実であるのもまた事実。実戦に不慣れで知識だけが豊富な術師など、殿下には邪魔にこそなれ、喜ばれることはありますまい」

「大人しく、ワシ等が命を遂行することをこそ、あの方は望まれるだろうよ」

「…はあ…」


 当然、ファーセオンに二人の言い分が納得できたわけではない。ないが、年嵩の司祭と将軍に意見できるほど彼の地位は高くなく、なにより殿下との付き合いが深いわけではないからしぶしぶ引き下がるしかなかった。

 皇太子に対する忠誠心では彼等に引けは取らないと自負しているが、ヘリオの心の内深くまで汲むことは、まだ難しい。こればっかりは幼少の頃より傍近くに仕えている彼等に、一日の長がある。

 ぐっと拳を握りしめたファーセオンは思う。できるなら自分こそが殿下のお側に飛んでいきたいと、敬愛してやまない彼の方をお守りしたいと。


「お怪我を負ってお帰りになられたら…あの男、殺してやる」


 ちょっと危ない忠義に燃えるファーセオンに逆恨みされたディールが、遠く離れた空の下、くしゃみをしたとかしないとか…。


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