第一章2
「ヒトシ様! ヒトシ様!」
「うわああぁぁぁ!」
俺は恐怖に声を上げてその身を起こした。辺りを見れば、薄暗闇に包まれた荒野と残り火が燻る焚き火痕。そして青髪の美少女の姿だ。
「はぁ・・・はぁ・・・夢?」
「大丈夫ですかヒトシ様、大層うなされていらっしゃいましたが」
「ミト・・・か。あ、ああ、大丈夫だ」
どうやら先ほどのは夢だったようだ。冷静に考えてみれば、俺は魔王を倒してすぐにこの世界に飛ばされたのだから、王国に帰った後のことなど実際に遭ったことじゃない。この世界に来たことが夢だったらとも思わないでもないが、今はこれが現実なのだ。だが・・・。
「ありえないことじゃない・・・」
そうだ、仲間だと思っていたあの魔法使いにも裏切られたのだ、俺を召喚した王国の奴らが俺をどう思っていたかなどわかりようがない。夢のように、俺をたんなる道具のように思っていて、役目が終われば捨てられていた可能性だって無いことはない・・・。
「何を信じればいいんだっての・・・」
「ヒトシ様・・・」
俺のぼやきにミトが少し悲しそうに困ったような視線を向けている。詳しい事情を話さない俺に、何か思うところがあるのだろうか。同じ人間だってわからないのだ、アンドロイドの思考などわかるはずがない。
「そろそろ夜も明けそうだな、さっさと出発するか。今日こそ都市に着きたいしな」
「はい」
地平線の向こうが明るくなってきたのを感じ、俺は焚き火の処理をして立ち上がり、ミトを促して再び道無き荒野を歩き出すのだった。
この世界に飛ばされ、ミトと会ってからすでに三日ほど経っている。あれから俺達は、ガラクタ置き場になっていたジャイアントワームの巣から抜けて、この近くにあるという人の多く住む都市へと向かっていた。ミトの話では、ワームの巣から都市まで徒歩で五日ほど掛かるらしい。もちろんそれは一般人から見ての話で、身体能力の高い俺が全力を出せばもっと早く着くだろう。とはいえ、そこまで急いでいるわけでもないため、一般人よりやや早めの歩きで向かうことにした。
「それにしても、本当に何にも無いな」
「そうですね~」
あたり一面に広がる広大な荒野の様子に、何度目かになる呟きにミトは暢気に頷く。その様子に、俺は少し心配になってきた。
「本当に方角とかは間違ってないんだよな」
「はい、大丈夫です。この辺り一帯の地図はデータベースに入ってますので、道に迷う心配はありません!」
自信満々に言うミトの様子に、この辺りのことどころかこの世界のことすらわからない俺は、ただ苦笑を浮かべて心配を振り払うしかできない。科学技術の発達している世界と聞いて、俺は日本のようにありとあらゆる場所に道ができ、ひしめく様に人が暮らしている様子を想像していたのだが、どうやらそういうわけではないようだ。広い荒野には人の作り上げた建造物など影も形も無く、ただただ土と枯れ木と岩だけが存在していた。どうやらこの辺りは、アメリカの荒野や中東の砂漠のような広すぎるうえに人の開発には向かない不毛の大地のようである。しかし、道すら無いとなると、俺一人では確実に道に迷っていただろうな。
「ある意味、すでに迷子かもしれないが・・・」
世界をまたに駆ける壮大な迷子・・・俺は元の世界に戻る手段を見つけることができるのだろうか。何も無い荒野にいい加減飽き飽きしていた俺は、どんどんと自分の思考に没頭していく。そして、改めて自分がなんなのか、どんな人間でどんな人生を歩み、なにがあってこの場に居るのかを思い出していった。
俺の名は天地人志、年齢は25歳、生まれも育ちも日本の一般的な日本人だ・・・だった。身長は175cmぐらいで、ツンツンボサボサな黒髪とやや釣り目がちな黒い瞳にカジュアル風なメガネを掛けた、どこにでもいるような一般男子である。
父親の居ない母子家庭で育ったが、特に不自由なく中学、高校を出て、一般的な三流大学へと進学した。勉強も運動もほどほどで、取り柄という取り柄も無く、なにかに一生懸命取り組んだということも無い、ただ流されるままに生きていた今思えばダメ人間である。そして将来の展望も無く、計画性も無かった俺が、現代の就職難の時代に適応しきれるはずも無く、大学を出る直前まで内定を得ることができないでこのまま就職浪人フリーターとなるであろう・・・そんなときに俺は初めての異世界トリップをすることになった。
初めての異世界、そこは剣と魔法の世界、いわゆるファンタジーな異世界である。魔物がいて、魔王がいて、呼び出された俺は勇者であった。どういう基準があって俺が呼び出されたのかは今となってはわからないが、世界を渡ったことによる作用なのか俺には勇者と呼ばれるに相応しい能力が目覚めていた。そして俺を召喚した世界---彼らは自分達の世界をウィリディス・ゲムマと言っていた---の人間に懇願され、(不本意だが)自他共に認めるお人好しな俺は魔王討伐を請け負うことになる。まぁ、突然手に入れた力に浮かれてもいたし、地球での将来性の無さへの悲観があったことも間違いないが。
勇者の力というものは凄まじいものがあった。それこそ本当に、大地を裂き、山を砕き、海を割ることが可能なほどである。それに加え、その世界には魔法が存在し、それを扱うための魔力も常人とは比べ物にならないほど保有していたらしい。俺は類稀なる身体能力を得て、瞬く間に武器の扱いや魔法の使い方も覚えた。近眼であった視力も、いまでは地平線の彼方すら見通すほどで、召喚当時に着けていたメガネは亜空間の奥に眠っている。
そんな勇者の力を身につけた俺は、魔王討伐の志を同じくする仲間と共に、いくつもの冒険をこなし。一年という長いのか短いのかわからない期間を経て、ついに魔王を討伐することに成功した。魔王というだけあって、さすがに勇者の力を得た俺ですらかなり苦戦させられたが、事前の念入りな準備によって仲間も誰一人欠けることなく勝利することができた。
しかし、最後にまさかの仲間の裏切りに遭い、俺はその世界から飛ばされ、こうしてまた新しい異世界へと来ることになってしまったわけだ。
「はぁ・・・」
思い返してみて、改めて栄光から一気に転落した気分になりため息が出る。あの後、あの世界はどうなったのだろう。魔王が倒された後なら俺がいなくなっても、別にたいした影響は無いか・・・。
「ヒトシ様、お疲れですか?」
「いや、大丈夫だよ。それより、まだ都市には着きそうにないか?」
「はい、このペースで進めば、だいたいお昼過ぎには到着する予定です」
「そうか」
俺の様子に心配そうに声を掛けてくるミトに、俺は苦笑を浮かべながら首を横に振る。精神的には気落ちしてるわけだが、肉体的にはまだぜんぜん平気だ。どうやら、今日中には都市に着けるようだし、せいぜいこの世界を楽しんで前の世界のことは忘れようと思う。
「っ! ヒトシ様、付近に熱源反応多数。恐らくアーマードウルフの群れと思われます」
突然、ミトが警戒を促すよう声を掛けてきた。実はここ数日、こうやって野生動物(?)に襲われることがたびたびある。ジャイアントワームといい、今回のこれといい、この星の生物は随分と凶暴なようだ。
「またか・・・俺がやろうか?」
「いえ、私一人で十分ですね~」
「了解、それじゃ任せるよ」
「はい! お任せください!」
そして、少し意外だったのは、ミトが何気に戦闘力高いことだった。初めは俺が追い払っていたのだが、ミトの自己申告で戦えることがわかり、実際に任せてみればそれなりに強いので、今では雑魚はミトに一任している。そのことに、ミトはとても嬉しそうな表情を浮かべるのだ。
「あれがアーマードウルフか・・・」
そうこうする内に、土埃を上げながらこちらに向かってくる一団が見えてきた。それは、全高1メートルほどの大型犬にも似た生物で、名前からしても狼なのだろう。しかし、俺の知っている狼と違う所は、身体の要所要所が石のように固まっておりそれが鎧を纏っているように見える所か。その数は10匹程度で、凶暴そうな牙の生え揃った口から涎を垂らしながら走ってきている。
「それでは、行って参ります!」
「ん、一応気をつけてな」
「はい!」
ミトは一度ニコリと俺に笑みを向けたあと、一瞬の躊躇も無く狼の群れへと突っ込んでいった。だがその手には武器の類は持っていない、必要無いのだ。
「はぁ!」
狼も突っ込んでくるミトに気づいたらしく、まず先頭を走る狼がミトへと飛び掛ってきた。だがミトは気合の声と共に手を横に振る。ゴッ! と、硬い物同士がぶつかる音が響き、初めに飛び掛ってきた狼は横へと吹き飛ばされた。そしてそのまま、起き上がることなく地面に倒れ伏す。どうやら、首の骨が折れたらしい。その光景に、狼の群れは脚を止め、ミトを警戒するように唸り声を上げた。だが、ミトはすでに次の行動に入っている。
「とぁ!」
再び気合一閃、立ち止まった狼達の前まで瞬時に移動したミトは、狼達の首を狩るように脚で薙ぎ払う。その動きに着いてこれない狼が数匹、やはり横に吹き飛んで動きを止めた。まぁぶっちゃけ圧倒的である。
「鎧とか完全無視かよ」
身を守るための堅い部位を手に入れた狼達ではあるが、そんな鎧お構いなしに打撃を与えていく様子に、俺はいささか呆れた表情を浮かべながら見ていた。単純な力の強さ、身体の硬さならば、勇者の力を持つ俺とさほど違いは無いかもしれない。やがて、狼達は勝ち目が無いと悟ったのか、踵を返して逃げ去っていく。
「おーい、無理に深追いしなくていいぞー!」
「はい、わかりました!」
戦いの決着がついた様子を見て取ると、俺は戻ってくるようにミトに声を掛ける。ミトは、倒れた狼達に触れてなにかをしたあと、こちらへと戻ってきた。
「最後に狼の死体に触れてたけど、何してたんだ?」
「それは・・・んふふ、少しだけ秘密です! 都市に着いたらお教えしますよ~」
「?」
俺は気になったので、最後のあれがなんなのか聞いてみたが、ミトは軽くウィンクなどして見せて意味ありげに微笑むだけだ。本当に無駄に人間っぽいやつだな。まぁ、あとで教えるということだし、いま無理に聞き出すこともないだろう。
「それと、アンドロイドって攻撃のとき気合を声に出す必要あるのか?」
「ありませんね。でも、それっぽいでしょ?」
本当に無駄に・・・(以下略)。
「まぁいいや、それじゃまた歩くとするか」
「はい!」
ともあれ、俺達は再び都市に向かって歩き出した。早く都市に着きたいものだ・・・。