第六話 天才
現在時刻は15時41分。
残り22時間39分だ。
「もう時間が本当にありません。手分けして作業しませんか。一応道具は持参してきました」
五條氏は言った。
「ロットリングがあるので、良ければそれで枠線引いてはいかがでしょうか。そうすれば、消しゴムかけても、インクが薄くなりませんから」
ちなみに、ロットリングとは、製図用の顔料インクのペンで、ミリペンに似た外観だ。
高価でデリケートな筆記具なので、扱いに注意が必要だが、変質・変色しやすい水性インクのミリペンよりも変色し難く、はっきりした色ムラのない黒い線が書けるので――書き方が悪ければ論外だが――印刷に適している。
「え、本当ですか? 俺、実はロットリング使ったことないんですよ」
「高いですけど、使い方間違えなければ、ムラや色あせがないので良いですよ。ただ、力を入れ過ぎると先が折れたりするので、注意してください。ミリペンのカートリッジ版みたいな感じです」
「でも良いの?」
「使わない道具なんて意味ないですよ」
五條氏はにっこり微笑んだ。
まずは最初に原稿を横向きに置いて、30cm定規を裏返しに当て、ロットリングでコマの縦の枠線を、定規でこすらないよう奥から手前に滑らせながら、引いていく。
ドライヤーで手早く乾かし――ほとんど乾いているように見えたが念のため――完全に乾燥させてから、原稿を縦に置いて、横の枠線を引いていく。
幸い書き直しするこの原稿には、枠線の外にかかる吹き出しはなかったので作業は楽だ。
ドライヤーで完全に乾かし、ティッシュを当てて、乾いた事を確認してから、丸ペンを握る。
深呼吸してから、まずは顔の輪郭や体の線などを描く。更にドライヤーをかけ、次に新品のペン先に付け替えて、目と眉を描いていく。
ドライヤーをかけて、ペン先を換えて髪の毛を描く。
ここまでノーミスで作業を終えた。
ふぅ、と息をついて軽く伸びをすると、いつの間にか傍らに立っていた五條氏が、感嘆の声を上げた。
「実際に生で見ると凄いですね、遠樹さん」
「え?」
きょとんとすると、五條氏は微かに赤面した。
「あ、いえ、邪魔してすみません」
「大丈夫。一息ついたとこだし」
「飲み物は要りますか」
「まだ大丈夫です。インクを乾かしたら、適当に原稿をカッターで切断して、手分けして作業しましょう。背景は自分で描きますから、ベタ(墨塗り)とトーン処理(網や背景効果などを印刷したものを貼ったりする)と消しゴムかけをお願いできますか」
「はい、判りました」
五條さんは心なしか少し興奮しているようだった。頬が少し赤らんでいる。普段、クールで落ち着いている彼には珍しい。
「どうしたんですか、五條さん」
何となく気になって尋ねると、
「こんな状況ですけど、遠樹さんの執筆を生で見られて嬉しいんです」
「嬉しい?」
「僕は遠樹さんのファンですから。想像以上にすごくて速くて完璧で神業で美しくて、ますます尊敬してしまいます」
「大袈裟だよ」
俺は苦笑した。面と向かって褒められるのは照れ臭いし、恥ずかしい。
「絶対に間に合わせましょうね、遠樹さん」
「うん」
俺は力強く頷いた。これで間に合わなかったら、俺は最低だ。
絶対に間に合わせてみせる。
凝った構図はない。見せ場なのでコマ数が少ないのも不幸中の幸いだ。
ページの半分以上をヒロインのアオリ(下から上を見上げる視点の構図)を描く大ゴマ(文字通り大きなコマのこと)が占めている。
また舞台となっている場所が屋外ではなく室内であるため、背景はさほど難しくはなく、1コマを除いては、点描や花などの効果を入れるだけで、最悪でもトーン処理で誤魔化せる。だが、俺は特に点描やカケアミ(網目のように細かい線を描き重ねる技法)、ナワアミ(カケアミが縄状になったもの)、ベタフラ(フラッシュという集中線で囲まれた円状の周囲が、黒く塗り潰されているもののこと。衝撃を表す心理描写などに使われる事が多い)などは、トーンより手書きした方が良いと考えている。背景もそうだ。自分で描くのが、一番自分のイメージ、思惑通りに表現できる。
創作、特に漫画は自分の技量によって著しく表現が左右される。本当はこう描きたいが、自分の筆力・表現力が足りなくてこうなってしまうという事が時折ある。
それはとても悔しい。
だが、本当はこうできる筈なのにと愚痴る暇があるなら、自分の表現力を上げるために努力し、勉強すべきだ。
俺は日々、漫画を描くために生きている。
少しオーバーだが、ほとんどそのために生きている。
俺にとって、漫画や雑誌を読むのも、テレビを見るのも、ゲームするのも、学校へ行くのも、半ばそのためみたいになっている。
それだけじゃないけど、一応自分の人生・青春というのも、俺なりに嘔歌しているつもりだけど、描いている時以外の俺は、半分抜け殻だから。
描かない俺は、たぶんかなり頭がおかしい人間だと思う。
描かなかったら、きっと発狂するか、意味不明な言動をするアヤシイ男だ。
俺が正常者の領域にあり続けるためには、描いていないと、頭の中の妄想・思考がこぼれて、はみ出て、あふれて、おかしな事になりそうな気がする。
たぶんそれはきっと考え過ぎだと思うけど、それくらい俺は、ナマのリアルな自分に自信がない。
信頼がない。
考えたくもない。
俺はたぶん恐いんだ。
書いている時にはそんなこと微塵も考えないけど。
書いていない時、何もする事がない時、不安な時は、グズグズと後ろ向きに、憂鬱な事ばかり考えている気がする。
たぶん病気だ。
一生完治しない病。
それでも良い。
仕方ない。
とりあえず描く時は、余計な事など考えない。
考えちゃダメだ。
じゃないと、欝でマイナス思考でバカでどうしようもない自分自身に追い詰められて、窒息死しそうになるから。
創作時の俺は、柳沢孝弘じゃない。
たぶん遠樹ひろという別人格だ。
きっと精神科医の診察なんか受けたりしたら、好き勝手なもっともらしくしかめつらしい、病名でなければ症例名を宣言されるのだろうが、そんなものクソ食らえだ。
知った事じゃない。
何も考えるな、と自分に言い聞かせて精神統一。
もしかしたらマインドコントロール。
どっちだって良い。
それで満足できる作品が描けるなら。
もっとも俺がもっとも神経使うキャラの主線は描いてしまったし、特に気を遣う背景もないから、気が楽だ。
だが、気を抜き過ぎると思わぬところで、ミスを犯しかねないから、要注意。
もう一刻でも時間を無駄にはできない。
ちなみに一刻は現在の時間に直すと約二時間だが、昔(江戸時代)の時刻は、日の出から日の入りまでとそれ以外をそれぞれ6等分して1日を12に分けて、一刻としていたらしいので、季節によって異なっていたようだ。以上役に立ちそうで立たない蘊蓄終了。
それより目前の〆切の方が大切だ。
俺は原稿に定規を当ててカッターを引いて、上部、中央部、下部の三つに分けた。
元の完成原稿が見本代わりにあるので、各コマにあえて指示・指定は入れない。
「ツヤベタをお願いしてもよろしいでしょうか」
ツヤベタというのは、主に黒髪(場合によっては服などにも)をところどころ抜きながら(注:「抜く」というのはこの場合白く塗り残すという意味だ)、黒く塗りつぶす事だ。
人によってツヤベタの描き方は異なる。
ちなみに、五條氏はわりと大きく塗り残すタイプの、俺は細かく塗り残すタイプのツヤベタを描く。
「……小さいコマだけでよろしければ、僕が担当します。このページは見せゴマ含めて合計6つもツヤベタがありますから」
「すみません。お手数ですが、よろしくお願いいたします」
「いえ。カケアミやベッドなんかも僕が描いておきます。元の原稿のイメージ通りでよろしいですよね?」
「はい、結構です」
「では、早速作業に入ります」
にっこり笑って、五條さんはまずは上部のツヤベタから作業を始めた。
ちなみに、通常ツヤベタは筆ペンで描く事が多いのだが、この筆ペンというのは速乾性があまり良くない。
どういう事かというと、乾きにくいのである。
注意しないと乾ききってないインクが手や袖口などに付いて、机や原稿を汚す羽目になったり、乾き切るまで他の作業ができなかったりする。
しかも、通常のベタと同様――ただし、マジックなどで真っ黒に塗りつぶした場合は違う事もある――インクや墨を塗りつぶした範囲が広い時には、ドライヤーなどで慌てて乾かしたりすると、紙が反ってしまったり、べこぼこになってしまったりする。
また、ツヤベタを筆ペンで描く場合には、塗りつぶしたい範囲を超えてはみ出してしまう事もあるので、その場合はあまり推奨しないが、後で修正液または白のインクやポスターカラーなどではみ出したところを修正する必要がある。ちなみに俺は適宜使い分けている。
手間がどうこうよりも、乾くのに時間が少々かかるので、ツヤベタは面倒だ。苦手な人は描きたくないと思う事もあるかもしれない。
だが慣れたら通常のベタより簡単だと俺は思う。
個人的な意見なので、賛否両論ありそうだが。
描き方は、白抜きしたいところ(髪などのツヤになる部分)を鉛筆でだいたいラインを描いてアタリ(目安になる下書き)を描き、それに沿ってツヤに見えるように塗り残しながら、筆ペンのラインを重ねて塗りつぶしていく。失敗して塗りつぶしてしまった場合は、あまり良くはないが、ホワイト修正するのもアリだ。ただし、適切な修正液を使用しないと、インクが浮き上がったり変色したりして汚くなってしまうので注意が必要だ。
一口に筆ペンと言っても、旧来からある毛筆タイプや、廃れて最近はあまり見かけなくなってきた穂先がスポンジタイプのもの、近年出てきた初心者でも扱い易いサインペンタイプ、最近出てきた力の入れ具合で微妙な変化をつけられる万年筆タイプなどがある。インクだって水性染料だったり、水性顔料インクだったり様々だ。ちなみに黒だけでなく金や銀なども最近出ている。
あと余談になるが、筆ペンではなくカリグラフィー用の筆記具なのだが、○ラッシュライター(商品名なので伏せ字)という商品も結構好きだ。この商品は筆ペンに比べて値段が高いのがネックで、好みその他で大いに評価が分かれそうだ。毛筆極細タイプで弾力があってクセがあるのだが、カラーで黒以外の色をツヤベタっぽく仕上げたい時に便利なので。水性顔料で筆に水を含ませると濃淡を付けられるので便利だが、その代わりインクが溶けやすいので、水彩と組み合わせて使う場合には、注意が必要だ。先に塗った水性絵の具などが乾ききっていなければ、滲んで悲惨な事になりかねない。水彩の滲みは、上手く効果としてある程度計算して使うべきだと俺は思う。なかなか難しく経験は必要だが。
筆ペンの利点は、筆よりもしなやかでコシがあり、穂先がばらつきにくく、墨やインクなどをいちいちつける必要がないため、滑らかにかすれることなく文字や線が描けることだ。
慣れないとそれでも難しいが、筆ペンで何度も線を書く練習すれば、その内書けるようになると思う。
習うより慣れろ、だ。
頭で考えるより、身体で覚えた方が早い。
為せば成る(やればできるという意味だ)。
だいたいがだ。
物事というのは難しく考えるから難しくなるのであって、何も考えなければ、そう悩むことはない。
というか少ないハズだ。
たぶん。
だから
「できない」と言う前にやれ。実行しろ。やってから何故できないか考えろ。
それが一番確実だと思う。
……時折自信がなくなるが。
まあ、たぶん俺が頭で物を考えるより、何度も同じ事を繰り返して、身体で覚える方が楽な質だというせいだとも思うけど。
俺が今できる事は、そのほとんどが身体で感じたり覚えたりした事だ。
だから、何故できるのかと聞かれても、大抵は困る。上手く説明できない。
従って自然と「判らなかったらやってみろ」という答えになる。
あまり参考にならないかもしれない。
だが、世の中そんなものだ。
他人のやり方というのは、参考になりそうでならない。
本人に合ったやり方は、本人が試行錯誤して見つけるのが一番良い。それが一番本人の性に合う。自分を一番理解しているのは自分自身だ。だから、他人のやり方が自分に合ってないと文句を言うのは筋違いだと俺は思う。
自分で納得できない事は全て、馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判だ。
それが当たり前だと思う。
少なくとも俺はそうしてきた。
俺は中央部の見せゴマの背景の点描から描く事にする。鉛筆で適当なアタリを描く。新しい丸ペンのペン先を付けて、トントンと小さな点を打っていく。結構範囲が広く、油断すると歪んだり、潰れたりして、きれいな点にならないと困るから、慎重に細かい点を打っていく。本当は極細のロットリングでやった方が楽なのかもしれないが、慣れない道具で神経を遣う細かいものを描く気にはなれない。慣れない道具より慣れた道具の方が気安い。安心して使える。
点描は一見簡単なようで、やってみると意外と難しい。
きれいな点描を描くのはなかなか難しく、ツヤベタ以上の慣れが必要だと思う。慣れていても神経を使う作業なので、俺はトイレに行きたい時と、腹が減っている時は絶対に点描を打たない。今、地震に襲われたらたぶん泣く。汚い点描ならば誰でも簡単に描ける。だが、美しい点描は、そうではない。いかに美しく点描を描くか。それは俺の美学と言っても良い。
点描に比べたら、その合間に描く花など、子供の落書きみたいなものだ。しかし、見せ場の大事なシーンの背景なので、あくまで丁寧に美しく計算して描く。
俺は思う。料理が科学だとしたら、絵は数学だ。
美しく見える理由の半分は、たぶん数式や理論で説明できるのではないかと思う。あとの半分は感性だとか個性だとか、好みの問題になると思うけれど、それを的確に説明・解明するには学者並の知識と頭脳が必要だ。
だから通常は、好きか嫌いかの二元論のみで考えれば十分だと思う。どれだけ考えたって、例えばアインシュタインのような天才には、絶対にかなわないのだから。
バカはバカなりに、単純に考えた方が、精神衛生上良いのではないかと思うのだが。
あまり賛同は得られない気がする。
まぁ、そんな事を気にするほどナイーブな人間にはなれないから、どうだって良い。
俺は基本的に、自分が納得できる作品を描ければ、それで十分なのだ。
それ以外の事にはあまり興味がない。
自分勝手なだけかもしれないが。
久々更新です。
できれば今月中に仕上げたいけど、たぶん来月いっぱいかかると思います。
下手すると再来月もかかるかも。
てか蘊蓄・解説多すぎです。