第二話 修羅場[2]
全国の法子さんすみません。
顔を洗って、珈琲入れて、濡れ雑巾と乾いた雑巾で、学習机――原稿執筆にしか使ってない――と折りたたみテーブルの上をしっかり拭く。
それから、カーテンを全て隙間なく閉めて、道具を入れた元クッキー缶を机の下から出し、押し入れからトレース台を出して、セッティング。
深呼吸する。
BGMは、事前に原稿執筆用にチョイスしたアニメやゲームのサントラを、雑音を消す程度のごく小音量で、部屋に流す。
気分転換と気合いを入れるために、軽く屈伸運動。
既に出来上がっている原稿を見直し、ネーム――この場合はプロットみたいなものだ。吹き出しの中の文字や、コマ割りや構図などを鉛筆描きしたものである――を読み直しながら、集中力を高め、テンションを上げる。
最初から描き直す気力と時間はないので、不本意だが、破られた原稿をメンディングテープで張り合わせ、トレース台の上に乗せ、新しい原稿を重ねて、Hのシャープペンで薄く、1mmの狂いもないよう正確に写し取る。
このトレース台は、中学三年の時に、お年玉で購入したものだ。
俺は、○SPにも○Sにも興味はない。
専らPCゲームONRYだ。
とはいえ、プレイするのは、美少女ゲームばかりではない。
俺は落ちもの、パズル、サウンドノベルや脱出系、謎解き物も大好きだ。
だが、RPGのレベル上げと、シミュレーションの待ち時間は、非常に苦手だ。
シューティング、格闘系、音楽系は、実はイマイチ苦手だ。
だから、我が家にはコンシューマ――家庭用ゲーム機――はない。
だから通常ゲームにかけるであろう費用のほとんどを、執筆や同人誌等に充てられるのが、俺の強みだ。
俺はいつも、枠線は後で引く事にしている。
烏口を使わず、ミリペンで書くため、消しゴムかけると、薄くなるからだ。
友人・知人達の中には、鉛筆下描き以外は全てPCで描くというデジタル派もいる。中にはペンタブ――ペンタブレットの略だ。ちなみに食べ物ではない――を一切使わず、マウスONLYで描く猛者もいる。
だが、俺はアナログ派だ。
PCやソフトが使えないからではない。
俺の線は、ペンでしか再現できない!
俺のカラー・彩色は、CGでは絶対に表現できない!
……と信じているからだ。
決してPCやソフトが使えないわけではない。
そうとも。
資料集めにはインターネットを利用しているし、ゲームは市販も同人系も、ネット配布のフリーのやつもやってるし。
この天才に、不可能は……いや、多少はあるけど。
いや、だから、本当だってば。
PCは一通り使えるんだ。
ワープロ・表計算から、〇hotoshopや○ixia、〇IMPまで。
嘘じゃない。
本当だ。
って俺は、いったい誰に対して言い訳してるんだ?
五條氏が戻って来るまでに、下描きのトレースだけは終了した。
俺は、枠線は鉛筆書きしない。
ただ、目安になる線は原稿の端に入れる。
裁ち切り線の外側だ。
肩が凝った。
少し目が痛い。
軽く肩と首を回し、目薬を差し、拳を握っては開き、握っては開く。
それから珈琲を口に含む。
「差し入れと夜食買ってきたよ。あと冷え○タとドリンク剤と眠気覚まし用ガム。要る?」
五條氏が声をかけてくれる。
「大丈夫」
そう言ってから、
「あ、甘味系ある?」
「はい、どうぞ」
差し出されたのはバナナロールケーキ。
「わ、ありがとう」
俺はこれが大好物だ。
手をあまり汚さずに食べられるところも良い。
袋から出さずに食べるのがコツだ。
しかし、原稿についたら悲惨なことになるので、トレース台に背を向けて食べる。
「あれ、そういえば五條さん、俺がこれ好物だって知ってたっけ?」
「だって、先月の新刊のフリートークに書いてたでしょ」
「え? 先月のイベント、五條さん参加してたっけ」
「申し込み間に合わなくて、友達のサークルに便乗したんで。ま、ご挨拶にうかがったの遅かったみたいで、すれ違いだったけど、その先に友達が買ってたんで、ちょっとだけ。後日買うから安心して」
「あ、いや、差し上げますよ。ちょっと待ってください」
そう言って慌ててバナナロールケーキを口の中に放り込み、濡れティッシュで軽く手を拭い、原稿をよけて、トレース台を押し入れに片付け、先々月の新刊を一冊取り出し、袋に入れて手渡した。
「ところで、どこまで出来ました?」
「えっとこれから、ペン入れで」
「ペン入れ終わったら、原稿カットして分業しましょう」
「あー、俺、いつも枠線は、ペン入れ・ゴムかけ後なんで、その後でお願いします」
「了解です」
現在時刻は午後2時18分。
「印刷所ですけど、通常午前11時までのところ、午後4時まで厳守で、受け付けてくれるそうです。ただし僕の原付で、ここから印刷所まで最低1時間はかかるので、余裕もって、1時間40分はみて、リミットは明日の午後2時20分です」
つまり、残り時間は約24時間。
「何とか間に合わせましょう」
そう言って笑う五條さんの手を取り、俺は感謝の意思を伝える。
「五條さんのおかげです。もう駄目だと思ったけど、何とかやれそうだ。本当にありがとう」
「今日は友達のところに泊まると家に連絡しました。最後まで諦めずに、一緒に頑張りましょう、遠樹さん」
ああ、なんて良い人なんだ、五條さん。
二度と隣町に足を向けては寝られない。
いや、元々そっちには向いてないけど。
最高にして、最強の戦友を得て、俺のテンションは最高値に達しようとしていた。
恐いものなど何もない。
俺達の目前には、障害など何一つない。
ハハハ、矢でも鉄砲でも降ってきやがれ。
嵐が来ようと、地震が来ようと、津波が来ようと、俺は最強だ。
俺って最高、俺って天才。
ギャルの一人や二人、いや束になって襲撃されても恐くない。
でもウゼェから来んな。
絶対来るな。
来たら速攻ぶっ殺す!
畜生、法子。
キサマのような女は地獄に堕ちろ。
俺はお前なんかに絶対負けない。
俺、絶好調。
次回、ギャル登場です(失地回復予定有)。