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第十三話 魔力

 皆さんにご質問です。

 年齢=恋人いない歴。

 かつ童貞、女っけなし。

 見た目普通、性格多少問題あるけどたぶん普通。

 女に興味はあるけど、リアルな女はちょっと恐い。

 二次元美少女最高だ。

 清らかな純粋培養の処女万歳派。

 そういう男が、好きだと言って女に襲われかけました。

 相手は顔見知りで、昔から隣に住んでいる女。

 昔から気になる存在で、無視できない相手だ。

 たぶん好きだと思う。

 両親は親しい。

 双方の親に『うちの〜を貰ってくれれば良いのに』と言われた事がある。

 ウッカリ深い関係になったりして、それが親にバレたら婚約させられかねない。

 そういう状況下で、あなたなら以下のいずれを選びますか?


 一、勢いと時の流れに身を任せる(相手にされるがままで抵抗しない)。

 二、逆に襲い返しておいしくいただく(据え膳は積極的に、どうせだから楽しむ)。

 三、そんな状況は絶対嫌だ(断固拒否)。

 四、場合によっては(責任回避可能なら)受け入れても良い(一部肯定派)。

 五、どれも嫌。


 さて、俺はと言えば、判らない。

 とりあえず逃げた。

 って事は五?

 微妙。

 つかあの状況でやれる男は勇者ですよ。

 俺には無理。

 絶対に無理。

 ヘタレだなんだと言われようと、据え膳食わぬはなんとやら言われようと、小心者で草食動物な俺には無理。

 で、さっきから恐怖の大魔王に、法子大明神サマに、めっちゃ睨まれてます。

 ワレ殺すぞオラ的鋭い眼光で、射殺されそうな気配です。

 恐いです。

 おしっこチビりそうです。

 トイレに行くのも油断できない気配です。

 ってなんで帰ってくれないんだ、法子。

 何故居座るんだ、法子。

 お前、気まずくないのか、法子。

 むしろお前の方がオトコマエで勇者だよ。

 つかもしかして俺、まだ狙われてるんですか。

 油断したら押し倒されるんですか。

 いつから、法子、君はそういうキャラになったんですか。

 小学生の頃の君は汚れない天使だったのに。

 あのはにかむような笑顔は何処に行ったんですか。

 君はいつも狙った男を自分から襲うんですか。

 マジですか。

 って事は君は、既に処女喪失してるんですか。

 なんとなく想像してはいたけど、初恋相手のそれは軽くショックですよ。

 君は俺の知らない間に、色々大人になってたわけだね。

 てか、そんなこと知りたくなかったよ。

 マジ凹むって、くそ、畜生。

 相手は誰だ。

 俺の知ってる男か。

 知りたくないけど、気になるよ。

 何なの、俺。

 これって嫉妬?

 それとも独占欲ってやつなわけ?

 たぶん逃げた事には後悔してない。

 だけどちょっとくらいはやっても良かったんじゃと悪魔の囁きが聞こえなくもない。

 でも無理。

 だって心の準備も身体の準備も備品(色々な)の準備もできていない。

 俺はここ三日間、原稿執筆のため、風呂に入っていない。

 実は内緒だが、パンツは昨日はいていたやつのまま、はき替えていないのだ。

 男のパンツを気にするヤツはいないだろうが、俺は俺なりに夢がある。

 少なくともヤリマンに襲われ、勢いに任せて、余韻も情緒も恥じらいもなく、あっという間に昇天、終了とかいう事態だけは、断じてご免被る。

 原稿が間に合わなくなるのも困る。

 なんか色々テンション下がって、雑念多すぎて、作業効率悪いですけど。

 五條さんがいてくれるおかげで、わりとサクサク進みますよ。

「はい、こっち背景終わりました。このコマのトーン、どうしますか?」

「あ、背景だけ適当にお願いします」

 全て事細かに指示する余裕はない。

 五條さんの絵や感性は知っているから、たぶん任せて大丈夫だと判断する。

 でもキャラに張るトーンはこだわりがあるから、自分でやる。

 トーンが一番多用されるのは、陰影だ。

 カッターなどで削って重ねて使う事で、更に複雑な陰影や立体感を表現できる。

 俺はデザインカッターという、ペン軸のような持ち手に角度のついた替え刃を装着して使う道具を使っている。

 これは漫画を描く上で、わりと標準的なツールだ。

 それほど高くはない。

 普通のカッターナイフでもトーンを切ったり削ったりできるが、扱いが難しい。

 デザインカッターなら、小回りがきいて持ちやすく、力を入れすぎて紙を切る可能性も低くなる。

 印刷屋に出す原稿の場合、トーンの下描きは、印刷に出ない青色鉛筆などで描く人もいる。

 だが、俺はあえて下描きはしない。

 俺は直感、インスピレーション、己の感性を頼りにその作業を行う。

 いつものトランス状態でトリップしている俺なら、完璧だ。

 何も問題ない。

 だが、今の俺には集中力が欠けている。

 もしかしなくても法子のせいだ。

 畜生、なんてことしやがる、法子。

 頭の中がモヤモヤする。

 しかも視線が超痛い。

 あと本気でトイレに行きたい。

 大ではなく小の方で。

 致し方ないので、作業を中断して立ち上がる。

 トイレに向かう俺の後を、無言で法子がついてくる。

 耐えきれなくなって振り向いた。

「あのな、法子。俺、トイレに行きたいから……」

「ごめんね、孝弘」

 ……はい?

 きょとんとした。

「あんな漫画って、パッパとすぐ描けるものかと思ってた」

 んなわきゃない。

 てか、誰にでも簡単に描けるようなら、苦労しない。

 漫画家なんて商売成り立たない。

「当たり前だろ」

「落書きと変わらないと思ってたの」

 おい。

 キレるぞ。

「だけどあんなに手間がかかってたんだね」

 ……何が言いたいんだ?

「あのさ、法子。俺はトイレ……」

「なのに、私、ちっとも判ってなくて、ひどい事した」

 って人の話聞いてねぇよ。

「だから何だよ?」

「本当にごめんなさい」

 法子は頭を下げる。

「私に何か手伝えることある?」

「ねーよ」

 何もない。素人の手伝いなんかかえって邪魔だ。

 いちいちやり方説明してたら、時間がなくなる。

「何もするな」

 しなくて良い。

 迷惑だ。

「じゃ、俺はトイレ……」

「孝弘!」

 背中にしがみつかれた。

「お、おい!」

 俺は本気で焦る。

 いい加減切羽詰まってるというのもある。

 だが、さっきの事を思い出したせいもある。

「おい、やめろよ。離せって!」

 苛立った声になったのは仕方ないと思う。

 優しくない、拒絶するような言い方に聞こえたかも知れない。

 だけど、背中に法子の震えと脅えと涙を感じても、一刻も早くトイレに行って生きている限りは避けられない生理的欲求――つまり小用の事だが――を解消したいと思った俺は、法子の腕を振り払った。

「……なんで……っ!」

 背中向けてても、法子がその場にしゃがみ込んだのが、声の位置で判った。

 だけど俺は立ち止まりも、振り向きもしなかった。

 躊躇う暇も余裕もなかった。

 身体の要求・欲求には逆らえない。

 漏らすわけにはいかないのだ。

 つかトイレにくらい行かせろ。

 行かせてくれ。

 慌てて駆け込んで、何とか用を足し終わってから、余裕が出て来た。

 もしかして、俺はまずい対応しただろうか。

 なんとなく心配になって、不安になりながら手を洗い、部屋に戻った。

 法子はいない。

「ごめん、五條さん。法子は?」

「え? さっき遠樹さんの後から出てってそれきりですけど」

「そうか」

「何か、あったんですか?」

 あったと言えばあった。

 だけど俺はたいした事だと思ってはいなかった。

 俺にはトイレに行って用事を済ませる事の方が重要だったからだ。

 様子がおかしかった事には気付いていたが、たいして気にしなかった。

 むしろいてくれない方が安心だった。

 これで作業に集中できる。

 漫画の制作は、執筆というより、作業に近い。

 もちろん執筆だと思う。

 だが、主線を描いただけで漫画は出来上がらないのだ。

 それだけでも読めない事もない。だが、その状態では未完成品だ。

 漫画は視覚情報で、パッと見ただけで、読み手にイメージを伝えなくてはならない。

 ある程度は想像などで補完できる。

 だが、ある程度は伝えられなくては、何が描かれているのか、何を描いているのか、伝わらない。

 質感だったり、立体だったり、状況だったり、感情だったり、温度だったり、空気だったり。

 そういう諸々を伝えなくてはならないのだ。

 ただし、限られた紙面、コマの中で、あまりにも多くの情報を詰め込んでも、相手には伝わらない。

 情報は取捨選択して、特に伝えたい事、強調したい事をダイレクトに伝えられるようにデフォルメするのだ。

 それはまるでカメラで一部をズームするように。

 あるいはピントをその部分に合わせて、それ以外はボケても良い、みたいな感じに。

 なるべくならば、それら全てを効果的に計算して、美しく、かつ描きたいイメージが伝わるように描く。

 表現する。

 メリハリつける。

 想像の中、妄想の中でしか見られない、聞こえない、触れられないイメージを、現実世界で形にする。

 誰かに伝わるように表現する。

 必ずしも伝わるとは限らない。

 俺の意図通りになるとは限らない。

 だけど、終わった後は達成感が、カタルシスがある。

 人に評価されたり、感想貰ったりすると嬉しい。

 充足感がある。

 安い幸せ、満足感かも知れない。

 はたから見たらただのバカかも知れない。

 だけど俺は幸せだ。

 洸惚とする。

 たぶん描いている時の俺は、ナルシシストだ。

 自分に酔っている。

 陶酔している。

 変態だ。

 判っていてもやめられない。

 この快感は一度味わったら癖になる。

 自慰より満たされた気持ちになる。

 これをやめる時は、人間やめる時だ。

 若さを、青春を、喜びを捨てる時だ。

 人に見せる事をやめたとしても、俺はきっと描き続ける。

 常人には理解し難い事で、キショイ、変態だと思われても仕方ない。

 誰にも認めて貰えないなら、誰にも許して貰えないなら、一生一人でも構わない。

 それこそ(おとこ)だ。

 理想や夢のためには、女や、一般的な幸せを捨てても、一途に生きる。

 それが漢の生きる道だ。

 ……と思いたい。

 自信はない。

 だが、恋愛のために自分の全ては捨てられないのだ。

 我儘かもしれないが、そうだ。

 譲歩する気は一切ない。

 オタクが嫌なら、オタクには近付かないで、そっとしてやってください。

 安寧、平穏の泥沼に、肩までどっぷり浸って沈んでいたい。

 俺の幸せ、平穏を、どうか壊さないでください。

 後ろ向きで、非現実的で、非建設的だと言われそうだが、リアル女やリアル恋愛よりも、創作が大事なのだ。

 現実的な幸せに興味ないわけじゃない。

 リアルな女に興味ないわけじゃない。

 だけど俺は、肉食獣に襲われるのが恐い草食動物なのだ。

 傷付けられるのがとても恐い。

 何かを失ってしまうのがとても恐い。

 必ずしも理解されたいとは思わない。

 大切なものを失っても、誰かに何かに愛されたいと、慈しまれたいとは思わない。

 容赦も遠慮もなく踏み入られるのは、とても恐い。

 準備も覚悟も決めてないのに決断を迫られるのは、とても恐い。

 俺は法子に完全に振り回されている。

 これ以上は振り回されたくない。

 俺には何より優先してやりたい事がある。

 他人からしたらバカだけど、それはとても大事な事で。

 何より誰より自分自身より大事にしたい。

 見返りなんてなくて良い。

 だから俺はひたすら描く。

 全てを忘れて没頭して描く。

 描いている時は幸せだ。

 無心になれる。

 描いている時、俺は独りだ。

 どうしようもなく独りだ。

 だけどそれが、不幸じゃない。

 執筆の、創作の魔力とは、そういうものだと俺は思う。


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