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第9話:世界が欲しがる至宝、皇帝の独占欲

 ガルディニア帝国の帝都が、春の訪れとともに華やいでいた。

 私がこの国に来てから、数ヶ月。

 かつて私を蝕んでいた魔力の枯渇感は嘘のように消え、今の私は、溢れ出す魔力を帝国の広大な結界へと注ぎ込む日々を送っている。


「……あ、あの、陛下。その、あまり見つめられると……書き物が捗りません」


 私が執務机で、結界の維持効率に関する書類に目を通していると、ソファに深く腰掛けたヴァルター陛下が、顎を手に乗せてじっと私を凝視していた。

 その黄金色の瞳には、獲物を愛でるような、それでいて片時も離したくないという執念深い熱が宿っている。


「構わん。私は君を見ているだけで、数日は食わず飲まずで過ごせる自信がある」

「それは困ります……陛下が倒れたら、この国はどうなるのですか」

「君が結界を張ってくれているだろう。……ならば、私は君という名の聖域で、心ゆくまで愛を囁くだけだ」


 陛下は立ち上がり、音もなく私の背後に回ると、私の肩に顔を埋めた。

 彼の低い声が耳元で響き、背筋にゾクりと震えが走る。


「リーゼロッテ。……君が美しくなるたび、私は不安で狂いそうになる。……今朝も、中立国である『聖導教国』から、不愉快な親書が届いたぞ」

「教国……ですか?」


 教国といえば、大陸全土の信仰を集める中心地だ。

 陛下は忌々しそうに、机の上に一通の豪華な書簡を投げ出した。


「『真の聖女であるリーゼロッテ殿を、教国の聖域にて保護したい。帝国の独占は大陸の不利益である』だと。……ふん、聖域だと? 君にとっての聖域は、私の腕の中だけだ。違うか?」


 陛下の手が、私の腰を強く引き寄せる。

 彼の独占欲は、日に日に重く、そして深くなっていた。



 ***



 その日の午後。

 教国からの使者として派遣されたのは、若き枢機卿、ルシアンだった。

 彼は白銀の法衣に身を包み、透き通るような美貌を持つ男だったが、その瞳には抜け目のない野心が光っていた。


 謁見の間。

 ルシアンは、私を見て恭しく跪いた。


「おお、なんと神々しい……。リーゼロッテ様、貴女こそが、混迷を極めるこの大陸を救う唯一の希望です。……どうか、血生臭い帝国ではなく、神の慈悲に満ちた我が教国へお越しください。貴女には、聖妃せいひとしての最高の地位と、自由を約束しましょう」


 ルシアンは、私の手を取ろうと指先を伸ばした。

 だが、その指が私に触れるよりも早く――。


 シュンッ!!


 一筋の閃光が走り、ルシアンの足元の石畳が爆ぜた。

 ヴァルター陛下が、腰の剣を抜き放ち、その切っ先を使者の喉元に突きつけていた。


「……その汚い手で、私の花に触れようとするな。次は指を切り落とすぞ」


 空気そのものが凍りつくような、圧倒的な殺気。

 冷徹皇帝の本領発揮に、ルシアンの顔から余裕が消え、冷や汗が流れる。


「……ヴァルター陛下、これは外交上の無礼では? 彼女は一国の所有物ではありません。全人類を救うための……」

「黙れ。彼女がサンクチュアリ王国で泥にまみれていた時、お前たちの神とやらはどこにいた? 彼女が命を削って結界を張っていた時、教国は一粒のパンでも彼女に与えたか?」


 陛下の一喝に、ルシアンは言葉を失った。


「彼女を救い、彼女に価値を与え、彼女を愛すると誓ったのは私だ。……教国がどうしても彼女を連れて行きたいというのなら、今すぐ我が帝国の軍勢を教都へ向けよう。神の加護とやらが、私の剣を防げるか試してみるがいい」


 陛下の宣言は、事実上の宣戦布告だった。

 一人の女性のために、世界最大の宗教国家と戦うことも辞さない。

 その狂気じみた愛に、会場にいた重鎮たちも震え上がった。


「……り、リーゼロッテ様! 貴女も、こんな暴君の側にいては……!」


 ルシアンが必死に私に呼びかける。

 だが、私はヴァルター陛下の背中にそっと手を添え、静かに首を振った。


「枢機卿様。……私は、自分の意志でここにいます。陛下が私を必要としてくださる限り、私の結界は、この国の盾であり続けますわ」


 私の拒絶。

 それを聞いた瞬間、ヴァルター陛下は剣を納め、私を力強く抱き寄せた。


「……聞こえたか、鼠。二度と彼女の名をその口にするな。……叩き出せ!!」



 ***



 使者が逃げるように去った後。

 私と陛下は、夕闇に包まれ始めたバルコニーにいた。


「……陛下、少しやりすぎですわ。教国を敵に回しては……」

「構わん。君を失うくらいなら、世界を敵に回したほうがマシだ」


 陛下は私を後ろから抱きしめ、首筋に深く顔を埋めた。

 その呼吸が、少しだけ震えていることに気づき、私は胸が締め付けられる。


「……怖いのだ。君があまりに美しく、気高いから。……いつか、ふとした瞬間に、君がどこか遠い場所へ羽ばたいてしまうのではないかと」

「陛下……」

「リーゼロッテ。君を、私の影に溶かしてしまいたい。……今夜は、君を一時も離さないぞ」


 陛下は私を抱き上げ、寝室へと向かう。

 その瞳に宿る執着は、暗闇の中でより一層輝きを増していた。

 一方で、滅びゆくサンクチュアリ王国。

 教国に救いを求めたザカリー王子たちは、「リーゼロッテが教国へ行くことを拒んだ」という知らせを聞き、最後の希望を絶たれていた。


「……なんでだ……! なんで、あいつは俺たちのために戻ってこないんだ……!」


 魔獣に包囲された王城の中で、王子の呪詛が響く。

 だが、彼の声はもはや、幸せな愛の中にいる私には、微塵も届くことはなかった。

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