第8話:父との再会、そして完全なる断絶
ガルディニア帝国の王宮、その豪華な接見の間。
重厚な扉が開くと同時に、一人の男が崩れ落ちるように室内へと入ってきた。
「……リーゼロッテ! ああ、リーゼロッテ、無事だったのか!」
震える声で私の名を呼んだのは、サンクチュアリ王国のヴァリエール公爵――私の実の父親だった。
かつては威厳に満ち、一国の重鎮として君臨していた父。だが今の姿は、見る影もなくやつれ、衣服は汚れ、その瞳にはどす黒い絶望が張り付いている。
私は、一段高い位置に置かれた椅子に深く腰掛けたまま、無機質な視線を父に向けた。
私のすぐ隣には、ヴァルター陛下が不機嫌そうに腕を組み、獲物を狙う猛獣のような冷徹な瞳で父を射抜いている。
「……お父様。そんなに慌てて、どうされたのですか?」
「どうされたも何もあるものか! 国は、我が公爵領は今、魔獣の群れに埋め尽くされているんだ! お前が去ってから、結界装置は一つ残らず沈黙した……。頼む、リーゼロッテ。今すぐ戻ってくれ。お前の母も、妹も、お前の帰りを泣いて待っているんだぞ!」
母と、妹。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で、冷たい風が吹き抜けた。
「……泣いて待っている? おかしなことを仰いますね」
私は静かに、だがはっきりと告げた。
「お母様は、私が魔力測定で『ゼロ』を出した時、『ヴァリエール家の恥さらし』と私を罵り、離れに閉じ込めました。妹のエルナは、私が結界のために食事も摂らずに祈っている間、私のドレスを切り刻んで笑っていましたわ。……あの家で、私を人間として扱ってくれた人は、一人だっていませんでした」
「それは……! お前を鍛えるための愛の鞭だ! 公爵家の娘なら、それくらいの試練は当然だろう!」
父の苦しい言い訳に、横に座るヴァルター陛下が鼻で笑った。
「……『愛の鞭』だと? 笑わせるな。我が帝国の至宝を、ただの電池のように使い潰し、あまつさえ精神的に追い詰めていた。……ヴァリエール公爵。貴様が今ここで生きているのは、リーゼロッテが一度だけ『話を聞く』と言ったからだ。一歩間違えれば、その首は既に飛んでいるぞ」
陛下の放つ凄まじい殺気に、父は悲鳴を上げて床に平伏した。
「陛下! どうか、どうか慈悲を! リーゼロッテを返していただければ、我が公爵家は帝国の属国になっても構いません! 彼女の結界さえあれば、この大陸の半分は手に入るはずです!」
父の口から出たのは、やはり私の「利用価値」についての言葉だった。
娘が今、幸せなのか。雨の中、どんな思いで国を去ったのか。
そんなことには微塵も興味がなく、ただ自分の地位と財産を守るための「道具」として私を買い戻そうとしている。
「……お父様。さようなら」
私は立ち上がり、父に背を向けた。
「私が支えていたのは、国ではなく『家族』だと思っていました。いつか認めてもらえる、いつか笑い合える……。そんな淡い期待のために、私は心臓を削って魔力を捧げてきた。……でも、もう十分です。私はあの日、あなたたちが私を捨てた瞬間に、ヴァリエール家のリーゼロッテとして死にました」
「待て! リーゼロッテ! 行かないでくれ! お前がいなければ、私は国王陛下に殺されるんだ! 助けてくれ!」
父の醜い叫びが広間に響き渡る。
私は一度も振り返らなかった。
ヴァルター陛下が、私の腰を抱き寄せ、耳元で低く囁く。
「……よくやった。あんな男、視界に入れる価値もない。……衛兵! この男を叩き出せ。二度と国境を越えさせるな。サンクチュアリ王国との通商も、今日この瞬間をもって完全に遮断する」
父は衛兵たちに引きずり出され、その絶叫は遠ざかっていった。
静寂が戻った接見の間で、私は陛下の胸に顔を埋めた。
「……怖かったか?」
「いいえ。……ただ、悲しかったです。最後まで、私の名前を呼んでくれませんでした」
父が呼んでいたのは「リーゼロッテ」ではなく「結界の持ち主」だった。
ヴァルター陛下は、私の頭を愛おしそうに撫で、そのまま私を抱き上げた。
「これからは、私が何度でも君の名を呼ぼう。リーゼロッテ。……君は私の魂であり、命だ。あんな抜け殻のような男の言葉に、心を割く必要はない」
陛下は私を寝室へと運び、ベッドの上に優しく横たえた。
彼は私の瞳を覗き込み、独占欲に満ちた熱い眼差しで私を縛り付ける。
「君の過去は、今この瞬間、すべて焼き捨てられた。……これからは、私の愛だけを見ていろ。君の結界が国を守るように、私は君の心を愛で包み込み、誰にも触れさせない」
陛下の唇が私の額に触れる。
その重厚な愛が、空っぽになった私の心を満たしていく。
***
翌日。
サンクチュアリ王国では、ついに王都の第二防壁が魔獣によって突破されたという。
父が、母が、妹が、そして私を捨てた王子が、逃げ場のない絶望の中で私の名前を叫んでいる。
けれど、その声が届くことはない。
私の結界はもう、私を愛してくれるこの人のため、そして私を歓迎してくれたこの帝国の民のためにしか、その輝きを放たないのだから。




