第5話:帝国の至宝、その輝きとお披露目
ガルディニア帝国の帝都が、かつてない熱気に包まれていた。
今日は、皇帝ヴァルター陛下が自ら「我が国の至宝」と宣言した新たな聖女――すなわち私の、公式なお披露目晩餐会が行われる日だ。
「……あの、陛下。このドレス、少し……いえ、かなり豪華すぎませんか?」
姿見の前に立つ私は、自分の姿に戸惑いを隠せなかった。
身に纏っているのは、帝国の最高級シルクを贅沢に使った、夜空を切り取ったような深い紺色のドレス。そこには数千個の小粒のダイヤモンドが散りばめられ、私が動くたびに、まるで星々が瞬くような輝きを放っている。
サンクチュアリ王国にいた頃は、常に結界の維持に魔力を吸い取られ、顔色は悪く、着るものも「目立たないように」と地味なものばかり選ばされていた。
だが今、鏡の中にいる私は、頬に柔らかな赤みが差し、瞳は魔力の回復と共に澄んだ黄金色に輝いている。
「……不満か? これでも、君の美しさを引き立てるには足りないと思っているのだが」
背後から、正装に身を包んだヴァルター陛下が近づいてきた。
黒の軍服に金色の飾緒。冷徹な美貌が、夜の灯りに照らされてより一層際立っている。彼は私の腰に手を回すと、鏡越しに私の瞳をじっと見つめた。
「君は、自分がどれほど周囲を狂わせる存在か自覚した方がいい。……今夜、君を他の男たちの目に晒すのは、正直に言って苦痛でしかない」
「陛下、それは……大げさですわ」
「大げさなものか。……いいか、リーゼロッテ。今夜は私の側を片時も離れるな。誰かが不埒な視線を向けたら、その場でそいつを国外追放にしてやる」
冗談には聞こえない低い声。
彼は私の首筋に、帝国の家紋が刻まれた深紅のルビーのネックレスを直々に着けてくれた。
「これは私の印だ。君が誰のものか、帝国中に知らしめるためのな」
熱い指先が肌に触れるたび、私は胸が高鳴るのを抑えられなかった。
この人は、私が「無能」だと捨てられた過去など、これっぽっちも気にしていない。ただ「私自身」を見て、重すぎるほどの価値を置いてくれている。
***
華やかな音楽が流れる大広間。
私たちが姿を現した瞬間、会場にいた数百人の貴族たちが、水を打ったように静まり返った。
「……あれが、例の聖女様か?」
「なんて美しいんだ。まるで女神が舞い降りたようだ……」
「あの伝説的な結界を一人で展開したというのか。あの細い体のどこにそんな力が……」
感嘆と畏怖の混じった囁きが広がる。
私は緊張で指先が震えそうになったが、隣で私の手を力強く握るヴァルター陛下の存在が、何よりも心強かった。
だが、その完璧な夜を切り裂くように、不遜な声が響き渡った。
「――お待ちください! その女は、我がサンクチュアリ王国の重罪人ですぞ!」
広間の入り口に現れたのは、ボロボロの旅装束に身を包んだ、サンクチュアリ王国の使者騎士だった。
彼の背後には、数人の兵士が控えているが、皆一様に疲弊し、顔には魔獣に襲われたのであろう生々しい傷跡が残っている。
会場の貴族たちが眉をひそめ、冷ややかな視線を使者に向けた。
ヴァルター陛下は、微塵も動じることなく、冷徹な瞳で彼らを見下ろした。
「重罪人だと? 私の婚約者に対して、随分な物言いだな。サンクチュアリの犬が」
「こ、婚約者……!? 馬鹿な! リーゼロッテ様はザカリー殿下の婚約者であり、我が国の所有物です! 勝手に国を捨て、結界を放棄した罪で、国王陛下は彼女の連行を命じられました!」
使者の男は、必死に声を張り上げた。
どうやら、彼の国はもはやなりふり構っていられないほど追い詰められているらしい。
結界が消えたことで、魔獣の被害は食い止めようのないところまで広がっているのだろう。
「リーゼロッテ様! 分かっているのですか! 貴女がいなくなったせいで、王都は魔獣の叫び声が絶えず、民は怯えて暮らしているのですぞ! 貴女に人の心があるのなら、今すぐ戻って結界を張りなさい!」
使者の言葉に、私は静かに一歩前へ出た。
かつての私なら、この「罪悪感」を煽る言葉に負けて、泣きながら戻っていたかもしれない。
けれど、今の私の隣には、私を守ってくれる人がいる。
「……『人の心』、ですか」
私の声は、自分でも驚くほど冷ややかに響いた。
「雨の中、着るものも馬車もなく私を放り出した時、あの方たちに人の心はあったのでしょうか? 私が三年間、一度も眠らずに結界を支えていたことを『当然』とし、魔力が枯渇したように見えた瞬間に『無能』と罵ったあの方たちに、私を責める資格があるとお思いですか?」
「そ、それは……! とにかく、これは王命です!」
「私はもう、あなたの国の国民ではありません。……私の結界は、私を愛し、守ってくれる人たちのためにあります。あなたたちの身勝手な都合で、切り売りするためのものではないのです」
私が言い放つと同時に、ヴァルター陛下が合図を送った。
周囲を囲んでいた帝国の黒騎士たちが、一斉に剣を抜く。
「……聞いたか。彼女は私のものだ。そして、彼女が拒絶した以上、お前たちがこれ以上言葉を発することは、我が帝国への宣戦布告と見なす」
陛下の冷酷な殺気が広間を支配した。
使者の騎士は、あまりの圧力に膝をつき、ガタガタと震え出した。
「戻って、主君に伝えろ。……リーゼロッテを返してほしければ、王と王子が這いつくばって国境まで来い。もっとも、その前に君たちの国が地図から消えていなければの話だがな」
衛兵によって引きずり出されていく使者の背中に、私は憐れみすら感じなかった。
私の背後で、ヴァルター陛下が満足げに私を抱きしめる。
「よく言った、リーゼロッテ。……今夜はもう、こんな連中のことは忘れろ。君の輝きを、私だけに独占させてくれ」
耳元で囁かれる甘い言葉に、私は目を閉じた。
窓の外では、私の張った強固な結界が、帝国の平和を優しく見守っている。
一方で、遠く西の空――かつての故国の方角からは、絶望を告げる魔獣の遠吠えが、微かに届いた気がした。




